第23話 ドキドキした?

「この漫画、古いけど面白いよね」

「あー、分かる。昔の漫画って今ほど絵も内容も複雑じゃないから、読みやすいよな」


 靴を脱いで個室のマットの上でだらだらと過ごす俺と冷夏。

 最初こそ少しシビアな会話をしたが、その後は互いに楽な姿勢で読書を満喫していた。

 知らぬ間に、この個室をレンタルした3時間パックの時間が迫ってきていた。

 個室に入ってから2時間50分後にセットしておいたスマホのタイマーが音を鳴らす。


「!?……っと、もうこんなに時間経ったのか……」


 タイマーを止めて、冷夏と顔を見合わす。


「楽しい時間は、すぐに過ぎるね」

「だな」

「まだ夕方だけど、帰る準備するか。3時間過ぎたら、追加料金取られちゃうしな」

「そうだね。取り合えず、この漫画を棚に返しに行かないとね。……あっ」


 冷夏は、怪訝な表情で固まっているように見えた。

「ん、どうした?」

「大丈夫、ちょっと体制が悪かったみたいで……足が痺れただけ」

「あ、いいよ。俺が全部片づけてくるから」

「もう時間ないし、この量は一人じゃ持てないでしょ」


 彼女は、そう言い強引に立ち上がろうとする。

 立ち上がった冷夏が足を一歩踏み出すが、ふらつきバランスを崩した刹那、咄嗟に俺の服を掴んできた。

 そのせいで俺もバランスを崩し、まるで俺が冷夏を押し倒したような構図が完成してしまった。

 俺と冷夏は、この状況に仰天しなぜだか体が動かない。

 お互いの吐息の音が聞こえるぐらいに顔と体が近い。


「こんなベタな展開あるんだね」


 緊張で動けなかった俺をフォローするように、冷夏が声を掛けてくれる。


「ご、ごめん!」


 俺は慌てて体制を立て直し、落ち着きを取り戻すため大きく息を吐く。


(こんな状況、ラノベや漫画でよく見る主人公とヒロインじゃないか……)


「まるで、漫画の主人公とヒロインだね。私たち……」


 俺たちは、考えていることがよく合致する。

 そのことが冷夏にも伝わったのか、体制を立て直した彼女と目が合いお互いに自然と笑みがこぼれる。


「そうだな。大体のラノベ主人公は、この後何もせずに気丈に振る舞うからな」

「頼君は、紳士だもんね」

「いや、ただ臆病なだけだよ」

「臆病は、私も同じだよ。」


 冷夏は俺を揶揄うように言葉を続ける。


「頼君、顔が真っ赤だよ」


 赤面している自覚はあった。

 そんな俺を見てクスクス笑う彼女に俺は少しだけ、むっとしてしまった。


「冷夏こそ、耳が真っ赤だぞ」

「え?うそ!?」


 さっきバランスを崩して、いつも整っている綺麗な髪がまだ乱れていた。

 そこから見える彼女の耳は真っ赤に協調されている。

 顔の側線に両手を当てて、真っ赤な耳を隠すように冷夏は取り繕う。


「って、こんなことしてる場合じゃない!」

「そうだよ、早くお会計済まさないと追加のお金掛かっちゃう!」


 足の痺れは回復したのか、すぐに立ち上がった冷夏。

 俺たちは個室の出て漫画を棚に戻し、無事に追加料金を払うことなく会計を済ませることが出来た。

 ほっとした俺たちは互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた後、漫画喫茶を後にした。


 ▽▼▽▼


 漫画喫茶を出て時刻は、午後4時丁度。

 まだまだ明るい時間帯だ。


「駅近いけど、冷夏の家はどっち方面なんだ?」

「私、徒歩で学校に来てるんだ。今、お父さんと2人で暮らしているマンション学校から近いから」

「そっか、良かったら送っていくよ」

「ありがとう。でも誰かに見られたりしないかな」

「絶対ではないけど、多分大丈夫。うちの生徒って8割ぐらいが電車通学らしいし、今日は午前中授業で皆帰ったか、都会のほうで遊んでるか、部活してるか、だろうから」

「じゃあ、お願いしようかな。まだお話もしたいし」


 そうやって、俺たちは冷夏の自宅に向かって歩を進める。


「漫画喫茶、思ってたより良かったね」

「ああ。ちょっとドリンクバー飲みすぎたけど」


 俺は、ここでもう一つ気になっていたことを彼女に聞いてみることにした。


「冷夏、今日遅れてクラスに入ってきたけど……」

「あ、うん。ちょっと寝坊しっちゃって……」

「俺、予鈴前にクラス表を眺めてる冷夏を見たよ」

「……ごめん。嘘ついた」

「いや、別に……。旧校舎裏のベンチか……トイレってとこかな」

「!?……よく分かるね。……なんで……もしかして、頼君も?」

「うん。今は行くことないけど、高校に入ったばかりの時はよく行ってたよ。あそこは、基本的に一部の教員しか出入りしないし……まあ、誰も来ないから。教室にいたくない時とか、一人になりたいときは通ったよ」


 冷夏は俺の話を聞いて驚いていたが、腑に落ちないところもあるようで疑問を投げかけてきた。


「私も去年は何度も旧校舎には通ったよ。さっき頼君が言ったような理由で……。でも、頼君を見かけたり鉢合わせたことなんて一度もないけど」

「あー、実は……その言いにくいんだけど、俺の方は何度も旧校舎で冷夏の事見かけてて……出くわさないように、だな」


 それを聞いた冷夏は、怪訝な表情で俺の事を見つめて言葉を発した。


「端的に言って、私の事を避けてたってことね?」


 露骨に彼女の機嫌の悪さが伝わってくる。


「あ、いや、俺だって氷室冷夏が宮野さんだって知ってたら避けたりなんか____」


 冷夏の無言の圧力が凄まじい。

 いつも俺に向けてくれる優しい笑顔は影を潜めて、鋭い眼光で俺を睨んでいる。


「その……すみませんでした」


 俺は、観念するしかなった。


「ふふ、冗談よ。頼君、本気で焦っちゃって。面白い」

「……そういう楽しき方は、よくないぞ」

「そうだね。ごめん」


 俺が困っていた姿がそんなにお気に召したのか、冷夏はまだクスクスと笑みを浮かべている。


「でも、避けられててショックだったのは本当だよ。私は頼君に自分の事気づかせようと頑張ってたのにな」

「うっ……だから、ごめんって」

「うん。こっちこそ、ごめん。からかい過ぎたね」


 さっきまでの笑顔を伏せて、真剣な面持ちで冷夏は言葉を続ける。


「頼君と同じクラスだってわかった時、本当にうれしかった。私にとっては頼くんが唯一の接点だから。でも、それ以上に……」

「分かるよ。クラスで孤立してるとしんどいよな……。もう俺は開き直ってるけど」

「うん。でも、その……」


 何か言いにくそうにしている彼女を尻目に、俺が先に口を開いた。


「やっぱり、高田さんの事を気にして……」

「うん。それもあるんだけど……どちらかというと……北原さんが……ね」


 少し驚いた。

 ここで奈季の名前が出てくるとは思わなかった。

 しかし、冷夏が奈季の事を気にする理由が俺には分かる気がした。


「な……北原さんと、なにかあったの?」


 冷夏は、首を横に振る。


「ほとんど話したこともない。でも……北原さんの存在はちょっと眩しすぎて、私とは正反対で」

「嫌でも対比されて、しんどいよな」


 俺の回答に、彼女は静かに微笑む。

 共感できる相手への安堵なんだろう。


「やっぱり、頼君には分かっちゃうんだね」

「俺も同じこと考えてたからな。似た者同士ってところだな」

「でも、やっぱり私と頼君は少し違う気がする。多分、頼君はあと一歩踏み出せば友達も沢山出来て北原さんみたいになれるんじゃないかな?私は別に友達が欲しいわけじゃないけど、やっぱり他人は信用できない……から」


 気持ちのこもった冷夏の言葉の意味が、俺には痛い程理解できた。

 家族にさえ裏切られたのに、他人なんて信用に足るはずがない。


「そっか。でも、やっぱり俺と冷夏は似ているよ。俺も友達が欲しいわけじゃないし」


 それから、俺たちはしばらく無言で誰もいない路地裏を2人並んで歩いた。


「友達か……そういえば」


 冷夏が、何かを思い出したように口を開いた。


「病院で仲良くなった時、よく頼君の幼馴染のお話してくれたよね。オタク友達だって」

「え!?あー、そうだったな」


(しまった。確かあの時、どうしてオタク趣味を持ったか聞かれて幼馴染の影響って答えたんだったな)


「今も仲良いの?」

「え?ああ、うん。まあ、ぼちぼちかな」


(冷夏には、素の状態の奈季について話してしまっているからな。あいつの名誉のためにも、今バレるわけにはいかない……か)


「そっか。頼君が友達を続けてるぐらい仲良いんだね。一度会ってみたいな」

「まあ、機会があったら……ね」


(もう、面識はあるんだけどな……)


「あ、ここだよ」


 長話をしている間に、冷夏の自宅マンション前に辿り着いた。

 大きく立派なマンションで、裕福な人が住んでいそうなマンションだった。


「いいマンションだな」

「うん。お父さん、大手の会社の管理職やってるから」

「そっか」


 過去の一件で、今の生活がどうなっているか少し心配な部分があったが杞憂だったらしい。


「頼君、今日はありがとう。楽しかったよ」

「ああ、俺も楽しかったよ」

「また、遊ぼうね。さっき押し倒されっちゃったことは、誰にも言わないでいてあげるね」


 あれは、君の足が痺れたことが原因なんだけど……。


「はは。じゃあ、それでよろしく」


 俺は、苦笑いを浮かべるしかできない。


「本当にありがとね。また明日」

「ああ、また明日」


 冷夏に手を振り、俺は駅に向かい歩き出す。


「ねえ、頼君。ちょっとはドキドキした?今度は、どうやってスキンシップしてみようかな」


 冷夏が呟いた声は勿論、俺の耳には届いていない。

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