第15話 過去②

 体育館裏での出来事を目撃したあの日から、私への悪質な嫌がらせは完全に無くなった。

 そこからは、普段会話がなかったクラスメイト達と少しずつだけど話すようになり私はクラスに馴染みつつあった。

 しばらく、平穏な日々が続いた。

 でもこの日、その平穏を打ち消すように私の前に試練はやってきた。


 教室で読書をしていると例の女子三人組が私の前に現れた。

 先日、頼と体育館裏で口論になっていた生徒たちだ。

 彼女たちの素行の悪さは、皆が周知の事実であり教室は不穏な空気に包まれた。


「昼休みに、一人で体育館裏に来な」


 私にだけ、聞こえるように耳元でそう囁き彼女たちは教室を後にした。


「奈季、大丈夫?何言われたの?」


 クラスメイトで親友の市川沙也加が心配して声を掛けてくれる


「別に大丈夫。何も言われてないよ」

「本当に?困ってたらなんで言ってね。あいつら容赦ないから。岸辺君にも今の事伝えておこうか?」

「やめて!」


 小声で会話していた最中、私が少し声を張ったことで沙也加を驚かさせてしまった。


「ごめん。でも頼には言わないで……本当に大丈夫だから」

 

 別のクラスの頼に聞かれなくて良かった……。

 そうだ、頼に頼ってばかりいられない。

 自分でしっかりと決着をつけるんだ。


「……そっか、わかった。ごめんね。しつこく聞いて」


 殺伐とした空気となった教室だったが、本玲が鳴りいつも通りの授業が始まる。

 自分でなんとかすると決めたものの、昼休みが近づいていくにつれて緊張感が高まっていく。

 そして、訪れた昼休み。

 私は、誰にも気づかれないように教室を静かに出た。


 私の向かっている体育館は、正門と裏門の丁度中心辺りにあり体育の授業や部活の時間帯を除けば誰も近づくことはない。

 ましてや、体育館裏は尚の事である。

 小走りで、目的の場所へ到着するとすでに例の女子生徒たちは私を待ち構えていた。


「逃げずに、よく来たじゃん」

「……別に、逃げる必要なんてないから」


 臆せずに向かっていくつもりでも、私の中で不安と緊張が大きくなる。


「よかったね。嫌がらせが無くなって。これも愛しい岸辺君のおかげってこと気づいてる?顔が良いだけのビッチが!」

「頼……岸辺君には、いつも守ってもらってる自覚はあるよ。実際私は、弱い人間だし……。でも、このままじゃいけないって思ったから。今、一人であなたたちと向かい合ってる」

「あ?なに、カッコつけてるつもり?笑えるんだけど」


 私は、震える体に鞭を打つように声を張り上げた。


「もう、これ以上私に関わらないで!本当に迷惑しているから!」


 それを聞いた彼女たちは、私を今までにないぐらい睨みつけてくる。

 私も負けじと彼女たちから目を逸らさない。


(ここで、引いたら多分また臆病な私に戻っちゃう。絶対に負けない)


 沈黙が1分以上続き、口を開いたのは相手のほうだった。


「分かった、いいよ。条件一つで飲んであげる」

「条件?」


 この期に及んで、まだ上から目線で物を言ってくる態度には愕然とする。


「さっきのセリフ……なんだっけ、『これ以上関わらないで、迷惑』だっけ?あのセリフをあんたの口から岸辺君に言えたら条件は成立」


(なに言ってんの、こいつら)

 

 さっきまで私の中にあった不安や緊張、恐怖は鳴りを潜め、変わりに怒りが込みあげてくる。


「やっぱり、目当ては頼……岸辺君だったんだ」

「当たり前じゃん。まあ、あんたが男子生徒から、ちやほやされているのも癪に障ったけど一番罪深かったのは岸辺君の近くにいすぎたことだよ」


 少し興奮気味に彼女は続ける。


「岸辺君、今もイケメンで良い男だけど、これからもっと身長伸びてガッチリした体つきになると思うよ。おまけに勉強できて運動神経も抜群でしょ、最高じゃん。……あんたが、近くにいること以外はね!」

「それで、私が目障りだったんだ」

「そうよ!だから、簡単な事。あんたは、さっきのセリフを岸辺君に言って絶交してもらって私たちから解放される。その結果、私は岸辺君にお近付きになれる。皆、幸せになれるよ!」


 さっきまで、こんな奴らにビクビクしてたなんて……もう既に私の中にあった不安や恐怖は完全に消え失せており、さっき込みあげてきた怒りだけが原動力となっていた。


「……本当に滑稽。なんで私と頼が絶交したら、あなたがお近づきになれるわけ?普通にありえないよ」

「あ!?なに、こっちが下手に出てたら調子乗ってんだよ!」

「調子になんて乗ってないよ。至って真面目に考えてありえないって言ってるだけだよ」


 次の瞬間、私は胸ぐらをつかまれて壁際まで追いつめられる。

 相手は怒り心頭のようだったが、私は反って冷静になっていた。


「たとえ私が頼の隣からいなくなっても、あなたにチャンスなんてないから。まあそんな事はありえないけど」

「ふざけんな!この顔と体だけのビッチが!いいよね、その武器で岸辺君のこと簡単に手に入れることが出来て!」


 その言葉に、一周回って冷静だった私の頭は怒りの感情に飲み込まれた。


「私は……私たちは、容姿がどうこうで一緒にいるんじゃない!心で分かりあっているから一緒にいるんだ!頼のこと何も知らないくせに分かったように言うな!」

「だまれ!北原のくせに!」


 彼女の振りぬいた掌が、私の頬を打ち抜いていた。

 頬に痛みが広がっていく。

 でも、私に動揺はない。

 私は、もう目の前にいる3人の相手に全く恐怖していないから。

 ありったけの殺意にも似た感情で私は、彼女たちを睨みつける。

 私の胸ぐらを掴んでいた手が解かれ、相手が私に恐怖している事が分かる。


「コラー!見ていたぞ。そこの3人。北原から離れろ!」


 声が聞こえたほうを見てみると体育の強面の先生が、そう叫びながらこっちに向かって走ってきていた。

 その後方には、沙也加と頼の姿も見える。


「お前ら!現行犯だな、北原に手を上げたところ見ていたぞ。あと市川から聞いた嫌がらせの件も洗いざらい吐かせるからな」


 まるで、刑事ドラマのようなセリフを言う先生は、3人を連れて生徒指導室へ向かった。

 私は、今日のところは帰って親にしっかりこの事を報告するように約束させられた。

 ……後日、お父さんに電話を掛けるとも言われた。

 少し、怖い。


 そんなこんなで、私と頼と沙也加は帰路に就く。


「沙也加ありがとね。先生呼んでくれて」

「いや、呼んだのは岸辺君なんだ。私は彼にこのことを伝えに言っただけ。ごめんね、言わないって約束したのに」

「そんな、ありがとう沙也加」

「じゃあ、私こっちだから、奈季、岸辺君、また明日」


 そう言って沙也加は、元気よく去っていった。


「頼、ごめんね。心配かけて……」

「うん。一人で戦わなくちゃって思ったんだろう?奈季、強くなったな」


 その頼の言葉で、私の中にあった不安、緊張、恐怖、怒り、すべての感情の糸が切れた。

 無意識に勝手に私の目から涙が溢れる。

 頼は何も言わずに、ハンカチで私の涙を拭ってくれる。

 本当に優しい、本当に眩しい、本当に尊い。


「奈季、頬大丈夫か?まだ少し赤い。痛むか?」


 さっき叩かれた私の頬を頼は優しく包み込んでくれる。

 顔が熱い。

 体が熱い。

 心臓がうるさい。


「う、うん。大丈夫だよ」


 気恥ずかしさから、頼の顔を直視できなかった。


「あれ、頼。その手首のあざ、どうしたの?」


 頼は、こんなに暑い夏でも長いカッターシャツを着ているせいか、彼の手首に大きなあざがあることに初めて気が付いた。


「これは……体育の授業でバスケしてる時にボールぶつけられちゃって。大丈夫だよ、大したことない」

「そっか」


 このあざは、サインだった。

 私がこの時もっとこのあざについて深く考えていたら、あんなに深く傷つく頼を見なくて済んだのかもしれない。

 私は自分の事ばかりで……本当に頼に対して大事なことは盲目だった。

 この時すでに彼の心が折れていたことに私が気づいたのは、数日先の事だった。

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