二百七十一話 大河の中州

 籍(せき)先生夫妻と軽螢(けいけい)の待つ三角州に、私たちは帰った。


「お帰りなさい。角州(かくしゅう)は寒かったでしょ?」


 あ、受験浪人の泉癸(せんき)お姉さんもいたわ。


「それはもう。特に海の上は、肌がビリビリしました」


 私たちは全員に帰還の報告をして、お土産を室内に運ぶ。


「司午(しご)本家の当主さんに、これもあれも持って行けってたくさん押し付けられちゃったんで。ゆっくりみなさんで食べてください」


 玄霧(げんむ)さんのご厚意で持たされた、文字通り山ほどの角州の名物。

 籍先生に対しての挨拶の品も兼ねたそれらを、小屋の土間にわっせわっせとみんなで運ぶ。

 

「あらあらまあまあ、こんなにいただいてしまってどうしましょうねえ、お父さん」


 その量に籍先生の奥さんは目を回していた。

 

「こちらからもお礼の文を書かないとね。しかしなにより、みんな無事のようで良かった。心配したよ」


 静かで優しい空間に戻り、やっと私も「ああ、ひとまず終わったんだ」と感慨に耽ることができた。

 待ってくれている人に元気な顔を見せるまでが、麗央那の頑張りアドヴェンチャーです!


「メエェ?」

「あんたにお土産なんかないよ。その辺の草でも食ってろ」

「バァァ……!」


 じゃれついてくるヤギをヒップアタックで跳ね除ける私。

 てかこいつ、草が少ない冬場なのになんで前に見たときより肥(ふと)ってるんだ。

 籍先生も奥さんも優しいから、美味しいものたらふく食わせてもらったんだろうな。

 土間の方では、荷物を運び終わった鶴灯(かくとう)くんに、軽螢が声をかけていた。


「本当に良かったよ。鶴ちゃんになんかあったら俺、べっぴんのお母さんに合わせる顔ねえもん。俺がもっと強く止めてれば~ってずっと悔やみ続けるに決まってるかんな」

「あ、ありがとう、軽螢。そこまで、気にしてくれて……」


 麗しい男子同士の友情が展開されていますね、はかどる。

 でも軽螢の言う通りで、やっぱり私たちのような無軌道アミーゴに鶴灯くんを引き入れてしまったことには、若干の負い目があった。

 結果オーライになってしまったけれど、心底、みんな無事で良かったと思う。

 神とか運命とか、仲間の絆とか、その他もろもろにそこはかとない感謝とリスペクトを捧げざるを得ない、YOブロウ。


「と言うわけで、中断してしまった勉強の方も、またこれからよろしくお願いします」


 翔霏が先生の前で膝を屈し、頭を下げる。

 うんうん、と微笑みながら頷いた籍先生。

 わずかに目尻を湿らせたものを指先で拭って、言った。


「明日から、また一緒に頑張ろう。今日はみんな、思う存分ゆっくり飲んで食べて疲れを癒しなさい。こんなにもたくさんのお土産、私たち夫婦だけでは食べきれないからね。司午の若旦那さまに感謝して味わうとしよう」

「やった! そう来なくっちゃ!」


 軽螢が湿っぽい空気から一瞬で方向転換し、お土産の包みをほどいた。

 おそらく玄霧さんは、南部に住む人たちへ向けて「角州にもこれだけ美味いものがたくさんあるのだぞ」と自慢したい気持ちがあったのだろう。

 正真正銘の山海の美味珍味を厳選して私たちに運ばせた、その成果物が中州の小屋にこれでもかと並べられた。

 

「こ、これ、なんです? 一瞬の間、気を失っちゃうくらい美味しかったんですけど」


 口元に涎を光らせ、呆然とした表情で泉癸姉さんが問う。


「あー、カラスミですね。ボラの卵を熟成して燻製にしたやつです。角州は秋冬と結構寒くなるから、冷温燻製ができるんですよ」

「ぼ、ボラ? その辺にうようよいる、あのボラ? こんなに美味しいの!?」


 いわゆる下魚の類だけれど、ちゃんと料理すればボラは美味しいんだよ。

 旬のボラの刺身、食ってみろ、飛ぶぞ。

 

「お、俺は、タコの、塩辛が、好きだ。わ、ワサビが、利いてて、美味い」

「これはいかんな。酒は控えようと思っていたのに、ついつい飲んでしまうよ」


 鶴灯くんと籍先生も、角州のタコわさの魅力に完敗し、満面の笑顔である。

 まるでタコの足に絡め取られるかのように……とドヤ顔。

 別に私の手柄ではない。


「ほらほら軽螢、鶏肉の燻製もいっぱいあるよ。あれ、ニワトリじゃなくてアヒルだったかな? まあいいや、たんまりお食べ」

「よくわかってねえのかよ。適当だなあ。でもイケるわこれ」


 もっしゃもっしゃと骨付きもも肉にかじりつく軽螢。

 うんうん、幸せそうでなによりだよ。

 この顔を見るために、この中州に戻って来たんだよなあと思うと、私の目にもじんわりこみ上げるものがある。


「ところで私たちがいない間、軽螢はなにを勉強してたの? なにか良さそうな作物とか見つけた?」


 私の質問に、軽螢はフフンと誇らしげな顔で答える。


「あったぼうよ。おっちゃんの畑で土づくりを手伝いながら、寒い土地でも育ちそうな種はあらかた目星をつけといたぜ。南伝大麦(トウモロコシ)だろ、青瓜(キュウリ)だろ、南瓜(カボチャ)だろ、紅桃(トマト)だろ。あとはこれ、殻付き大豆だな」


 自慢げに手に取って見せてくれたその豆は、いわゆる落花生であった。

 私も一つもらってぽりぽり噛むと、あの懐かしいほのかな甘みが口の中に優しく広がる。


「塩を振ったら酒のあてに良さそうだな」


 早くも翔霏がその魅力に気付き、大酒飲みの素質がありそうな感想を漏らした。

 やめられない止まらない、のキャッチフレーズよろしく、私は次々と豆に手を伸ばし、殻を剥いて中身を頬張る。

 ふと、小さい頃の思い出がよみがえった。


「私のおじいちゃんが、鬼払いの節句のときにこの豆を家の中とか庭に撒いてたなあ。撒いた後も殻を剥けば食べられていいんだって言って」


 節分の豆撒きのことである。

 秩父のおじいちゃんはものを大事にする人だった。

 昭和初期から家にある鉄製の薪ストーブを大事に使っていたくらいだ。

 そんなおじいちゃんは、大豆を地面に撒いてしまって無駄になるのが前から気になっていたんだそうだ。

 そのとき殻付きの落花生を見て「これなら節分が終わった後も拾って食べられる」と考え、以降は落花生で豆撒きすることにしたのだという。

 後で調べてみたら、北海道や東北地方にも落花生で豆撒きをする習慣があると知って、おじいちゃんと同じことを考えている人はたくさんいるんだな、と面白く思った記憶がある。


「それは、麗くんの地元の祭事かな。いつごろに行うものなんだい?」


 私の思い出話に、籍先生が興味を持った。


「晩冬、ですね。冬至が明けてから、月の巡りが二周したくらいの時期でしょうか。豆には鬼を打つ強い力があると伝わっていました。普通は大豆なんですけど」

「ほう。こちらで言う希春(きしゅん)の祭りとほぼ同じ時期だね。似たような季節に鬼払いを行う習慣があるとは」

「ああ……」

 

 言われて思い出した。

 去年の冬の終わり、私は後宮にいて希春の祭祀の準備に大童だったのだ。

 あのころ私は漣(れん)さまの部屋に勤めていた。

 先輩侍女の孤氷(こひょう)さんと一緒に、野良犬を殺したのだ。

 邪を払う神聖な力が、犬の骨にあるのだと信じられているから。

 なるほど、私たちの知る節分の豆撒きやイワシの頭も、寒く辛い冬を払い除けて春を迎えるために、必要な儀式なのだな。

 おそらくは、覇聖鳳(はせお)を殺して穢れてしまった、私の心身を清めるためにも。


「次の希春は、ここでみんな一緒に、豆を撒きますか。鬼や魔をこの中州に近付けないために」


 豆を齧り、殻のゴミを軽螢や鶴灯くんに投げてぶつけながら翔霏が提案した。


「こ、紺が、いるなら、鬼なんて、こ、怖く、ない」


 鶴灯くんの冗談に、翔霏以外のみんなが笑った。


「ふう、飲んだ飲んだ。適量で留めておかないと」


 宴もたけなわ、私は小屋から出て、酔い覚ましの風を浴びていた。

 今日は薄雲の隙間からお月さんがコンバンワしていて、夜でも適度に温かい。

 先日までの切った張ったと殺伐が嘘のように、この中州はとても静かだ。


「麗央那も外にいたんか。今日は風が丁度いいかんな」


 一人でロマンスに耽っていたら、軽螢が混ざって来た。


「うん。月が綺麗だね」

「南から見ても、お月さんの顔はおんなじなんだな」


 思わず詩的なやりとりをしてしまったな。

 恥ずかしさを紛らわせるために私は月をじっと見る。

 本当に、いつもと変わらないピカピカの青白い月が、はるか彼方から私たちを見下ろしていた。

 見栄や虚飾を口にしてもすべて見透かされてしまいそうな。

 そんな月光の力にあてられたのか、私は誤魔化しのない、素直な気持ちを軽螢に吐露した。


「もうしばらく、危ないことはしたくないって思っちゃった。不思議だね。今まではいつも捨て身でやぶれかぶれで、なんだってやってやるって思ってたのに」


 おそらくは、昂と言う名の国で最も昏く、底の見えない恐ろしい魔人と向き合って。

 私は、一息ついた今になって、心底ビビッていた。

 冷静になった後で、恐怖が押し寄せて来るというのは本当だったのだと、身を持って思い知った。

 彼の機嫌がほんの少し違っていたなら、私は光のない海の底へ沈められていたのだ。

 いや、私だけの問題じゃない。

 周りのみんなも、シャチ姐と東海の船団も、まとめてゴミ箱に放り込まれるかのように、姜さんに滅ぼされていた。

 思い返せば、姜さんの船はそれだけの装備と兵士を揃えていたはずだ。

 あそこで引いてくれたのはやっぱり、私のバックに翠(すい)さまや塀(へい)貴妃がいたから、本当にただそれだけなんだよな。

 そんな私の思いを、軽螢は特に責めるでも褒めるでもなく。


「誰だって昨日の自分、去年の自分とは違うって。怖いことがわかるってことは、麗央那も大人になったんじゃねえの?」

「そっかあ。そうなのかも」


 努めて意識しないように、むしろ意図的に無視していたけれど。

 私も、すでに多くの「守るべきもの」を抱えてしまったのだ。

 たくさんの仲間。

 神台邑(じんだいむら)の未来。

 翠さまの赤ちゃんの成長。

 これから果たすべき、かけがえのない人たちとの再会の約束……。


「麗央那が死んだら、俺たちだって困るしなあ。バカばっかりだし。そもそも大豆畑は麗央那の割り当てだろ?」

「そこはもう少し、頼もしい台詞を言ってよ」


 ケケケと笑う軽螢につられて、私も笑った。

 お月様だけが、そんな二人を優しく見守ってくれた。


「あれ、お邪魔だったかな? 私も風を浴びたくて」


 突然の声。

 珍客はいつも顔色の悪い、浪人苦学生の泉癸さんであった。


「いえいえ、こんなに良い月ですからね。私たちだけで独占しちゃうのは、勿体な……」


 愛想を口にしかけて、私は気付いた。

 泉癸さんの右手に、きらりと光るものが握られているのを。

 月の光が、私にそれを教えてくれた。


「麗央那、危ねェッ!!」

「軽螢! だ、ダメ!!」


 私の制止を聞かずに。

 軽螢は不気味に笑う泉癸さんの元へと駆けて行った。

 一緒に走り出せなかった私は。

 やはり、言葉にできない恐怖に、体を縛られていたのだろう。

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