二百七十話 肉体言語

 翔霏(しょうひ)が戦い方を変え、低い姿勢での我流酔拳を繰り出す。


「う~い、麗央那、酒のおかわりはないか?」

「薬用の強いやつしかないよ」

「それでもいいからくれ!」


 ダメです。

 こんな有様のせいで、蛉斬(れいざん)の攻め手は明らかに鈍り、速度も落ちた。

 素人目から見ても、やりにくそうなのが丸わかりだ。


「これでどうだ!!」


 蛉斬が寝そべる翔霏にキックを仕掛ける。


「おお、いい風が吹く」


 翔霏は寝たまま肘を突きだして、蛉斬の蹴りをブロックする。


「くっ……!」


 硬い肘の骨で蹴りをブロックされ続けたことにより、蛉斬の左足が徐々に力を失って行った。

 まともに殴ったり蹴ったりで蛉斬に勝つのは難しい。

 そのことを理解した翔霏は、彼の手足を痛めつける作戦にシフトしたのだ。

 だから今までのように華麗に避けるのではなく、肘や膝などの骨が丈夫な部分で攻撃を受け止めるやりかたを採用しているんだ。


「きみに勧めよう、一杯の酒。そんな詩を詠んだのは麗央那だったかな? 足が痛いなら酒でも飲んで紛らわせたらどうだ?」


 立ち上がった翔霏は前後左右にフラフラと行ったり来たりしながら、蛉斬を挑発する。


「お前を倒した後、存分に飲んでやるさ!」


 ここを勝機と見た蛉斬。

 右の張り手を放つも、肘を振り上げた翔霏によって、手首をしたたかに打ち付けられる。


「なんの!」


 それでも蛉斬の勢いは止まらず、伸びた右手で翔霏の奥襟を掴んだ。

 この流れで翔霏を地面に倒しつつ、自分がマウントポジションのような馬乗りの体勢になることを狙っているんだな。

 強引にも過ぎる腕力で軽い体を振り回される翔霏、だけれど。


「ほっ」


 伸び切った蛉斬の腕を左右から巻き込むように両足を絡める。

 両足で作られたハサミはそのまま、防御のない蛉斬の頸部をがっちりと捕えた!


「あっ、ぐぐぐ……!!」


 翔霏の両膝に首の横を挟まれ、万力のように圧迫される蛉斬。

 それでも翔霏の奥襟を握り、片腕でその全体重を持ち上げる格好で、決して自分から膝をつこうとはしない。


「が、頑張れ、頑張れ蛉斬さまー!」

「柴(さい)将軍、負けないでーーーーー!」


 声援が飛ぶ。

 翔霏と蛉斬の動きが、まるで静止画像のようにストップする。

 十秒ほど、その状態が続いただろうか。


「ふう、落ちたな。失神しても立ってられるとは、どれだけ意地っ張りなんだこいつは」


 翔霏が両足による圧迫を解き、地面に降りた。

 蛉斬は翔霏の変形三角締めをかけられ、気絶しながらもなお、その場に二本の足で立っていたのだ。

 まさに、完全決着。

 されど南川無双、柴蛉斬の武名を微塵も落とすことはない、見事な負けっぷりだった。

 その証拠に、蛉斬の打撃を防ぎ続けていた翔霏の両腕は、力のほとんどを失いプルプルと震えていたのだから。

 足しかまともに使えない状態だからこそ、足で首を絞めるしか勝ち目がなかったということでもある。

 本当に、紙一重の勝負だったのだ。


「れ、蛉斬、さま……」


 目に涙を溜めた鶴灯(かくとう)くんが、気絶した蛉斬に駆け寄る。

 彼にとっては、見ているのも辛い勝負だったに違いない。

 きっとどっちが勝ったとしても、鶴灯くんは同じ涙を流してくれたのだろう。


「お疲れさま、翔霏」


 私はお酒ではなくお茶の竹ボトルを持って、勝者を労う。


「まったく疲れた。今日はもうなにもしたくない。寝てるから馬車の荷台で運んでくれ」


 私は翔霏の見解が欲しくて訊ねた。


「強いて言えばでいいけど、勝因はなにかな?」


 二人の実力は拮抗していた。

 なによりフィジカルでは圧倒的に蛉斬が勝っていたし、闘志、士気の面でも彼は最高の武人だったと思う。

 少し考えたのちの、翔霏の答えはこうだ。


「あいつは船の上で、なおかつ大勢で戦うことに特化しすぎている。船の上は足場が不安定だから、投げ技や寝技が有効ではないと思ってあまり修練しなかったんだろう。敵や味方が多く入り混じる状況ではそれらの技は使いにくいしな」

「そっかあ。陸地の一対一だと圧倒的に翔霏の土俵だもんね」


 結局のところ、勝ち負けに不思議の要素はない。

 勝者は勝つべくして勝つのだ。

 蛉斬の闘い方は先手必勝、一撃必殺を本是としていて、それはもみくちゃの船上乱戦におけるもっとも正しい手段なのだろう。

 対する翔霏は相手が多数であっても強いけれど、それはタイマンの延長を多人数に応用しているに過ぎない。

 彼女の本領、真骨頂は人や怪魔に対して一対一で戦うことであって、今回の勝利も「状況」がもたらしてくれたものなのだ。

 仮に混迷を極める船の上で、蛉斬がこちらを本気で殺しにかかって来るような状況であれば、結果はまた違ったのかもしれないな。


「……お、俺っちは、負けたのか?」


 意識を取り戻した蛉斬が、戸惑いながら呟く。

 周囲に集まる人たちの哀しげな顔が、勝負の結果を無言のうちに彼に知らせた。

 呆然と立ち尽くす彼のもとに翔霏が歩み寄る。

 胸の内ポケットからあるものを取り出した。


「今日の私には相撲の神の加護があった。お前が若いころに勝負したという、毛州(もうしゅう)の巌力(がんりき)どのから託されてな」


 そう言って翔霏は、お相撲の神さまが刻まれた小さな石のお守りを蛉斬に手渡した。


「おお、覚えてるぜ! 雄牛みたいなごっつい兄さんと、金持ちの屋敷で勝負をしたことがある! 紺たちの知り合いなんだな!」

「あのときの勝負、巌力どのは手加減していたそうだ。もう一度やるときまで、このお守りをお前に預けると言っていた。せいぜい精進するんだな」


 お守りを受け取った蛉斬は、涙と嗚咽をこらえるように目と口を強く引き結ぶ。

 そしてすぐに笑顔に移り、にかっと笑って大声で言った。


「ああ、もちろんだ! 勝負はまだ終わっていない! 逃げも隠れもしないから、いつでも来てくれ!!」


 こうして、どこまでも強く、明るく、真っ直ぐな柴蛉斬という武人と、私たちの因縁の第一ラウンドが幕を閉じた。

 そう、彼にとってはまだ第一ラウンド。

 私がかつて、北方を駆ける宿敵との戦いを何度も繰り返したように。

 蛉斬の闘いも、これからまだまだ続くのだ。

 彼が姜(きょう)さんと行動を共にする限り、私たちとの因縁は切れることはないのだろう。

 と、良い感じにまとめる前に。


「あ、私も海の上のどさくさであなたの羽織を預かったままだったんだよね。返すわ」


 蛉斬の一張羅である、鳳凰の刺繍が入った白い外套を返却する。

 私はもう、鳳凰の神にお目通りが叶った。

 いつまでもこれを持ち続けるのは良くないと思うのだ。

 神頼みを前提に行動するなって、お説教されちゃったからね。


「ああ、良かった! 失くしたかと思って気になっていたんだ! お前たちが確保してくれていたんだな! 礼を言う! いやあ戻って来てくれて良かった!」


 うう、実際は椿珠さんが盗んだなんて、言えねえ……。


「やっとあの静かな中州に行けるな。もうしばらく厄介ごとはごめんだ」


 馬車の荷台でごろ寝しながら、ただ運ばれて行く翔霏がボヤく。

 これから私たちは、腿州(たいしゅう)は相浜(そうひん)の街での農業研修に戻るのだ。

 椿珠(ちんじゅ)さんやシャチ姐が、角州(かくしゅう)と正式に海の商売を取り付けた段階で、私たちの身に危難が及ぶ要素はなくなった。

 姜さんは相変わらず東南海の海賊を駆逐しているだろうけれど、それは私たちに関わりのない話になる。

 相浜の街で差別され、虐げられていた外国人たちも、徐々に活動の拠点を角州やその近くに移して行くだろう。

 その道すがら、もう眼の前に街の景色が見えたころ。


「ま、また、蛉斬さまと、戦う、ことが、あるのか?」


 鶴灯くんの疑問はいつも率直に核心を突く。

 私はなんと答えたらいいものか悩んだ。

 けれど、今言えることだけを正直に言った。


「それはわかんないけど、少なくとも私たちはあの人を憎んでないよ」


 お互いの立場が違う以上、衝突する可能性はゼロではない。

 けれど、それは人として彼を嫌いだとか憎むだとか、そう言うこととは関係ない次元なのだ。

 翔霏もつまらなさそうな口調でこの話題に補足した。


「あいつの相手をしても疲れるだけだ。私としては金輪際ごめんこうむりたいな」


 まるでRPGによくいる「やられてもやられても何回も出てくる中ボス」のような扱いである。

 けれど、そう言って馬車の途上で眠りに就いた翔霏の顔は。

 とても安らかで、幸せそうだった。

 全身全霊を出し尽くして、見事に勝利したことが、翔霏を幸せにしてくれたのだろう。

 私と鶴灯くんは、そんな翔霏の寝顔を見つめて相浜の街へと戻って行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る