二百六十九話 最高の闘い

 その戦いを、熾烈と呼ぶにはあまりにも美しすぎた。


「どんどん行くぞおッ!!」


 直線的で鋭く速い、冗談抜きで目に留まらないほどの蛉斬(れいざん)の張り手や蹴り。


「どこへなりとも勝手に行け!」


 それを、まさに雪片が宙を舞うがごとく、ひらりひらりと躱しながら隙を窺う翔霏(しょうひ)。

 いつも圧倒的な攻撃で敵を瞬く間に沈めるから忘れていたけれど、翔霏の真骨頂は「見切り」と「避け」にあるのだ。

 ギリギリのタイミングで攻撃を回避できるからこそ、相手が体勢を崩す。

 その際に生まれた隙を逃さず攻撃できるのである。

 今もアッパー気味の右掌底を見事に躱した翔霏が、がら空きになった蛉斬の右脇腹に左ボディフックをズドンとぶち込んだ!


「うぉっ! これはたまらんな!」


 連続バク転して追撃から逃れた蛉斬が叫ぶ。

 身体の内部に浸透する翔霏の打撃が、効かない!?


「筋肉で衝撃を跳ね返してるのか……? いったいどういう体をしているんだ」


 左手指をニギニギしながら、今までにない手応えに翔霏が驚く。

 にかっと笑いながら蛉斬が応える。


「人の手が生む技なら、同じ人の体で防げない理屈はないからな!」


 そんな理屈があるか、と私は思いました。

 けれど蛉斬が心から信じて、その信じる力がそのまま力になっている現状を見ると、反論は虚しい。

 翔霏もいつしか、笑顔を浮かべる自分を誤魔化すことをやめ、わざと大仰に楽しそうに言った。


「フン、なら人を超えた神の力の片鱗を見せてやろう。戦いの神、西方の灰色獅子すら瞠目したこの技をな!」


 若干の悪役ムーブな口上とともに、空気が張り詰めた気がした。

 翔霏の奥義、眩惑分身拳を使うのだろう。

 けれど今は正午、快晴中天の陽気である。

 頭上には蛉斬に力を与えるかのように、燦々と輝く太陽。

 それは視界をクリアにし、翔霏が残像を結ぶのを妨げる。

 なによりも蛉斬は、はじめて会ったときに初見で翔霏の分身拳を完璧にガードしたほどなのだ。


「どんどん来い! 出し惜しみはナシだぞ、紺!」

「吠え面かくなよ、南川無双!!」


 掛け声を置き去りにする速さで、砲弾のように飛び出した翔霏。

 少しまっすぐ進んだ後に、左、右、左、右と超高速の斜めジグザグステップで蛉斬に近寄る。

 そのさまはまさに地上を走る稲妻か、あるいはサイドワインダーの名を冠するミサイルのようだ。

 けれど私の目では追えないその動きも、蛉斬ならかろうじて捉えられるのではないか。

 ただ速く細かいだけの動作に、南部最強と称される彼が脅かされるとは思えない。

 さすがの翔霏も白日の下で分身を出すことはできないのだから。

 私がそのように、素人考えで戦いの行く末を見つめていると。


「う、うおおおお!?」


 蜻蛉斬りの視線が左右に泳ぎ、なにかにうろたえるような戸惑いの声を上げた。


「隙あり!」


 そこに翔霏の斜め前方宙返り、二段回転蹴りが炸裂した!

 飛び後ろ回し蹴りを放った後、もう一方の脚で前回し蹴りをぶちかましたのだ。

 体がコマのようにぐるりんと回る大技、しかも遠心力がたっぷり乗っかった強烈な打撃だった。


「がぁっ!!」


 二発目の蹴りがヒットした!

 どんなに鍛えても強くすることが難しい、顎の先にだ。

 いくら蛉斬の体が丈夫でも、あそこに翔霏の打撃を喰らっては脳震盪は避けられない。


「トドメだっ!!」


 翔霏もここが決めどころだと察して、深く体を沈み込ませた渾身の右ストレートを、蛉斬のみぞおちをめがけて放つ。

 体に防御の力が働かない状態でそれを喰らえば昏倒悶絶間違いなし。

 のはずだったのに。


「おっらあああっ!!」


 蛉斬は防ぐでも避けるでもなく、真っ直ぐ翔霏に向かって突進の頭突き、いわゆるぶちかましを喰らわせた!

 体の中にわずかに残っている力を、逃げではなく攻撃に全振りしたのだ!


「あっが……!」


 2メートル弱の巨漢からこめかみに頭突きを喰らい、翔霏も格闘ゲームの気絶状態に似た挙動でたたらを踏む。

 それも一瞬のことで、気を取り直してバックステップし、間合いを測り直した。

 はあはあと息を荒げる二人。

 蛉斬が首をぶんぶんと振り、気付けに深い呼吸を繰り返して、言った。


「なんだ今のは! またおかしなまじないを使いやがったな!?」


 その質問はおそらく、翔霏が回転蹴りを放つ直前の攻防についてだろう。

 蛉斬はあの瞬間、確かに目の前の翔霏だけではなく、前後左右に「なにか」を感じて意識の幾分かを奪われていた。

 だからこそ、防げたはずの正面からの蹴りを、急所の顎に喰らうという失態を犯してしまったのだ。

 ぱちぱちぱち、と自分の頬を両手で叩いた翔霏が質問に答える。


「分身を出せないような日中なら、殺気だけでも分けてばら撒けないかと思ってな。獣のように鋭いお前の勘を逆に利用させてもらった。お前にはあのとき、私に似た分身が前後左右から襲って来たように感じただろう」


 要するに翔霏は、見えないし実体もない殺気の塊を戦いの場に何体も解き放って、蛉斬の感覚を攪乱したのだ。

 剣道なんかの世界でも「気」をぶつけるやりとりがあると、本や動画で解説していたのを思い出す。

 やるぞ、打つぞ、と言う意志の力を直接的に相手に対して働かせ、フェイントなどに使ったり、相手の意気をくじくのだ。

 もちろんそれは表情や目線の使い方、踏み込み、そして体の各部位や武器の先端をぴくぴくと動かすという、細かい駆け引きの上に成り立つものである。

 決してスピリチュアルな存在ではなく、脳科学や行動心理学に基づく技術だ。

 それを翔霏は、自分がいない場所に自在にばら撒くことができるのか!

 種明かしを聞いた蛉斬は。


「は、はははは、はははははは! 凄いな、紺! こんなに強いなんて! こんなことができるなんて! お前に、お前に会えて本当に、良かった……!!」


 喜びと感激、そして武者震いに全身を浸らせ、目に涙まで溜めていた。

 それを見て私は、一つの想定に至った。

 きっと、蛉斬も今までライバルと言う存在が得られなかったのだ。

 強すぎる自分に飽きが生まれ、戦いと勝利に倦んでいたのだと。

 だからこそなおさらに、強くあること、勝利を得ることに意識的に楽しさを見出さないと、心が折れてしまうと彼自身、感じていたのだろう。

 愚直なまでにシンプルで、そこが美しいと思える彼の個性は、内面の葛藤と懊悩をひた隠しにして表に出ていたものなのだ。

 悩みがない人間なんて、いるはずないからね。


「この程度の手品なら、他にいくつも用意しているぞ。全部喰らってみるか?」

「おうよ! 全部見せてくれ! そのすべてを受け止めて、それでも俺っちが勝ってやるさ!」


 挑発に蛉斬が応える。

 にっと笑った翔霏は、鶴灯くんに声をかけた。


「酒を持ってないか? あるだけくれ」

「え。あ、ああ。少しなら」


 おそらく椿珠さんから持たされた酒入りの竹筒を、鶴灯くんは手渡す。

 戦いの最中だというのに、翔霏はみんなの目の前でそれをごくごくと美味しそうに飲む。


「ひぃ~っく。シラフだと、どうしても守りに入ってしまうからな。げっぷ。酒の力でタガが外れた私は、今までとはわけが違うぞ。おっおっ」


 そして翔霏は、さっきまで凛と、しゃんとしていた足運びを崩した。

 酔っ払いのような千鳥足で、両手をプルプルと振りながら蛉斬に近付く。


「ふざけてるのか!? 酒が入ってまともに戦えるわけがないだろう!」


 いい加減にしろ、と言わんばかりに蛉斬が手を払った。


「おおう危ない。顔はやめろ」


 それを翔霏はパシッと両手で捕まえて、自分の全体重を後ろの地面にびたーんと移動させた。


「ぬああっ!?」


 腕の逆関節をひねられながら、柔道の巴投げのように前転で投げ飛ばされる蛉斬。

 卓越した反射神経で腕を折られることはなかったけれど、捻った痛みがあるのか、肘を抑えている。


「どうしたどうした? 酔っ払い相手に情けないな、ひゃっく」


 翔霏は地面に横寝して頬肘を突き、キャッキャと笑う。


「……そうか、それもお前なりの技なんだな! 面白い! どれだけのものか確かめてやる!」


 寝そべる翔霏を狙い、ダッシュからのサッカーボールキックを放つ蛉斬。


「わわわ乱暴なやつだ」


 ごろごろごろ、と翔霏は地面を転がって巧みに蹴りを避ける。

 そのついでに、蛉斬の脚の裾をひっつかんで、さらに体重をかけて地べたを回る。


「がっがっがっ!?」


 受け身の取れない方向に引きずり倒された蛉斬は、顔面から前のめりに倒れて地面を舐める。

 人間の膝は、前には曲がらないのだ。

 あ、翔霏はきっと気付いたんだな。

 蛉斬が最も強く、実力を発揮できるのは、お互いに立って戦う場面、文字通りの立ち合いにおいてなのだと。

 座っている相手や寝ている相手に対して、蛉斬は有効な攻撃手段をあまり持っていない。

 むしろ、そんな状態の相手を痛めつけることに、彼なりに無意識の心理的抵抗があるのだ。

 紳士的と言えばそうだけれど、なんでもありの勝負でそれは明確な弱点でしかないよね。

 特に翔霏は、勝つためには格好や手段なんて選ばないタイプなので。


「クッソ……!」

 

 立ち上がって鼻血を拭った蛉斬。

 胡坐をかき、筒に残った酒の雫の残りをあーんと飲み干そうとする翔霏。

 まったく対照的な、けれども心底楽しそうな二人の勝負。


「こ、紺、頑張れ……!」


 蛉斬に若いころから憧れていたはずの鶴灯くんも、今は翔霏の応援をしている。


「おい、あれ柴(さい)将軍じゃねのか?」

「相手してる女の子は誰? あの蛉斬さまをまるで子ども扱い……」


 いつのまにか、周囲にはギャラリーが集まっていた。

 川の船着場からちょっとしか離れていない場所なので、人目につくのだ。


「お客さんが増えた来たな。恥をかかないうちにやめるか? ひゃぅっく」


 からかう翔霏を、蛉斬は土埃の付着した顔で笑って否定する。


「冗談言うな! まだまだこれからだぞ!」

「頑張り屋だな。そこだけは褒めてやる。うぃっく」


 地を這うようなトリッキーな動きで攻撃をいなす翔霏。

 それでも諦めずに追いかけ攻める蛉斬。

 まるで泥仕合のようなグダグダな展開になりながらも、歩みを止めた人たちがその場から離れることはなかった。

 そんな楽しい時間も、いつかは終わりを迎える。

 決着の瞬間は、逃れられない必然として訪れるのだ。

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