二百六十六話 水先人
私たち東海商船団を水先して迎えてくれた、角州(かくしゅう)の船。
「麗女史、少し見ない間に逞しくなられましたな。健勝でなによりでござる」
最初に笑顔で言ったのは「元」怪力宦官の、巌力(がんりき)さんだった。
「それ、女子としてはあまり嬉しくない褒め言葉なんですけど」
「これは失礼つかまつった。ご覧の通り、奴才(ぬさい)は繊細という感覚を知りませぬがゆえ」
巌力さん、いつも表情が同じだから発言のどこまでが本気か冗談か、わからないんだよなあ。
「しっかし嬢ちゃんよ、ずいぶんぞろぞろと引き連れて来てくれたもんだなあ? こりゃあ入港だけでも一日がかりだぜ」
「苦情は椿珠(ちんじゅ)さんに言ってください。私が呼んだじゃありません」
巌力さんをすっかり用心棒のように侍らせてそう言ったのは、角州公の猛(もう)犀得(せいとく)閣下、通称は得さんである。
本来は州庁府の中で机仕事をしているはずの彼が、わざわざ港に出て船に乗っている。
それだけ重要な仕事がここで行われているということだ。
なぜかと言う理由と事情は、三人目である「中ぐらい」の男性を見れば、おのずと想像できようというものだ。
「……まさか海の上でお前たちに会うとはな。まったくどこにでも現れる連中だ」
妖怪、あるいは魑魅魍魎を見るような目つきで、失礼なことを言ってのける渋面の男。
狐の毛皮帽子に、黒テンの襟巻がお洒落である。
「斗羅畏(とらい)さんこそ、なんでここにいるんです。領地でなにかヘマでもしてほとぼりが冷めるまで逃げてるとか?」
「馬乗りは廃業して漁師にでもなろうとしてるなら、やめておけ。お前は不器用そうだから向いてない」
私と翔霏(しょうひ)が阿吽の呼吸でディスる。
大勢の人目があるからか、瞬間湯沸かしトライくんも頭を沸騰させるのを抑えて、引き攣った顔で答えた。
「……か、角州公閣下が俺の領に港を作るのを協力してくださることになってな。海の仕事のあれこれをこうして実地で教わっているところだ」
「まあ、知ってて聞いたんですけどね」
ぐぅっ、と斗羅畏さんが喉の奥で唸る音が聞こえた。
ゴメンってば、ちょっとからかっただけじゃん、そんなに怒らないで?
どうやら角州と斗羅畏さん率いる蒼心部(そうしんぶ)の関係は、引き続き良好のようで一安心。
ここにいる男性が戌族(じゅつぞく)の斗羅畏さんであると知って、シャチ姐が興味深げに声をかけた。
「アナタが覇聖鳳(はせお)のクソガキから東北の領地を託されたという、斗羅畏さまでありますか」
「いかにも、俺が斗羅畏だ。失礼だが、そちらは?」
「ワタシは東南の海でつまらぬ船商(ふねあきな)いをしている、メメィと申すものであります。周りの人間は私を雌シャチなどと呼ぶのでありますが、好きな方でお呼びくださいであります」
自己紹介を交わした初対面の二人。
私たちは、唐突に明かされたシャチ姐の本名を聞き、想像を超える可愛らしさに目を白黒させた。
斗羅畏さんも驚いているけれど、理由は違うらしい。
「シャチ……海の虎か。覇聖鳳の部下だったものたちから、その名は聞き及んでいた。海で仕事をすることがあるなら、必ず話を通した方が良い、と。このようなナリで不本意ですが、お会いできてなによりだ」
貴賓に対した際の略礼として、利き手の拳を胸の前に掲げる斗羅畏さん。
どうやらシャチ姐の噂をすでに聞いていたようだ。
過去にシャチ姐と覇聖鳳が一悶着あったことも知っているってことだね。
シャチ姐も斗羅畏さんの拳礼を見よう見まねで返し、感慨深げに言った。
「あのクソガキの後継と言うのでありますから、似たり寄ったりのクソガキと勝手に思い込んでいたのを謝罪するであります。これほど謹直さが表に滲み出ている立派な大人(たいじん)とは、まさか思いもよらなかったのであります」
「は、はは……それほどものもでは。至らぬところばかりで、まだまだ仲間たちに迷惑をかけ通しの有様です」
謙虚に社交辞令を返す斗羅畏さん。
なんだよなんだよ、ずいぶんと素直じゃな~い?
年上女性好きがここにもいたか……。
「み、みんな、北方の、頭目とも、し、知り合い、なのか。それに、公爵さま、まで……」
目の前に一気に偉い人が増えて、鶴灯(かくとう)くんがオロオロしていた。
うん、これが普通の反応だよね。
角州のみんなや斗羅畏さんに再会したのが嬉しいようで、椿珠さんもニコニコしてこれまでの武勇伝を語る。
「おい巌力、ここに来る途中で、あの柴(さい)蛉斬(れいざん)ともぶつかったぜ」
「懐かしい名ですな。相変わらず豪壮の士であられましたか」
「元気も元気、耳が破れるかってくらいの大声も健在だったさ。しかも、なんと翔霏とやりあって勝負つかずだ。それほどまでのものかと魂消たよ」
「それは、実に稀有なものを見ましたな。羨ましい限りでござる」
椿珠さんが浮かれてなんでも話してしまうので、岸に着くまでの間に私たちの行動はあらかた、得さんたち三人の知るところになった。
相変わらず仏頂面のジト目で、斗羅畏さんが呆れた声を漏らす。
「どうしてお前たちが五体満足で今まで生きていられているのか、俺にはまったくわからん」
「お生憎さま、生命力あふれるピチピチ女子ですので。そう簡単に死んであげたりしませんので」
むしろ死んでも生き返った気がする。
「死者の園がもしあるのなら、そこに死の神というものがいるのなら、お前たちのような厄介者に来て欲しくないのだろうな」
斗羅畏さんめ、悪態のレベルが上がってるじゃねえか、こんにゃろう。
こうして平和裏に和気藹々と、私たちは出会いと再会の楽しい空気に包まれて斜羅(しゃら)の地を踏んだのだった。
私たちの船が無事に着岸したのち。
一部始終を黙って見届けて、腿州(たいしゅう)の軍船も最低限の補給だけを済ませて南へ帰った。
去りゆく二隻を眺めながら、得さんが私に訊く。
「除葛(じょかつ)のやつは、しばらく南の仕事にかかりっきりかね?」
「そうだと思います。まだまだ尾州(びしゅう)に帰るわけにはいかない、って言ってましたから」
姜(きょう)さんは東南の海賊を蹴散らした後、おそらく自分がいなくても領海を守れる体制、組織、法律などをキッチリと造り上げ、後任者に引き継ぐはずだ。
それと並行して、不逞外国人騒ぎで治安が悪くなってしまった相浜(そうひん)の街の内務、警察業務も建て直すだろう。
今日明日に終わる仕事でないのは確実だね。
私の言葉を聞いた得さんは、引きずっている片足太腿を撫でさすりながら言う。
「いい加減、のんびりしたっていいくらいにあいつは働いたと思うんだがなあ。天に昇られた先帝も、まさかあいつがここまでやるたぁ思ってなかったろうよ」
「どういうことですか?」
得さんは姜さんと古い知り合いである。
一緒に尾州の反乱を平定したのが約十二~三年前のはずなので、少なくともその頃からの。
その時期は先代の皇帝陛下がまだご存命。
彼らは先帝の命令を受けて尾州の反乱鎮圧に、共に血と汗を流した関係ということだ。
過ぎた日を懐かしむように、得さんが教えてくれた。
「除葛のやつは、そもそも大した出世するメなんかなかったのよ。旧王族つっても傍流の田舎育ちで、若ぇ頃からどうにも他人をバカにしてるような物言いや態度があからさまだったからなあ。おまけに口喧嘩じゃあ誰も勝てねえし」
「なんとなくわかります。今でも中書堂では気味悪がられてましたね」
姜さんの思案と行動は常に速い。
裏を返せばそれは「いきなり行動する」ということである。
ちゃんと説明してほしい凡人の他者からすると、なにを考えてるんだ、と思われかねない。
人間、よくわからないやつは、やっぱり気味が悪いし、怖いのである。
得さんの回顧は続く。
「あのままじゃあ、いい歳になるまで中書堂の研究書官だろう、いつか地方に飛ばされてせいぜい事務方の副官かって思われてたな。それを目ぇかけて禁軍に抜擢したのが先帝陛下ってわけよ。除葛のやつがまとめた、なんとかっていう計算や算術の本を見て、先帝がいたく感銘を受けられてな」
「ああ、姜さんは数字に強いですから。もともとそっち方面に興味があったんですね」
中書堂で、私も学んだことだ。
覇聖鳳の勢力を分析していたとき、姜さんは「食料の輸出入金額」に注目し、過去十数年の記録と比較して「覇聖鳳がなにを欲しがっているか、なんのために暴れているのか」を喝破した。
ああ見えて感覚派ではなく、データ主義なのである。
見方を変えると、姜さんが数学に詳しいことを、先代の皇帝陛下自身も理解できるだけの教養があったということになるな。
国のことを考えるだけじゃなく、自分もしっかり勉強しなきゃならないなんて。
人の上に立つのは、大変だ。
「そんな理由から、俺は思うのよ。除葛のやつがあれだけ身を粉にして働いてんのは、先帝の恩に対するご奉公の気持ちじゃねえかって」
「ありえる話ですね。私の故郷の諺にも『士は己を知るもののために死す』とありますし」
それまでは冷や飯食いの嫌われものだったのに、いきなり皇帝から認められたら、そりゃあ嬉しいに決まってる。
姜さんの心情を想像すると、こっちまでじんわり来てしまうよ。
「へぇ、良い言葉じゃねえか。そうさな、自分のことを理解してくれるお方のために死ねるなら、本望だ……」
姜さんの行動原理。
なぜ彼はあそこまでするのか。
あそこまで、できるのか。
先帝との思い出がすべてではないだろうけれど、きっと重要なファクターの一つであるに違いない。
慕っていたけれど先立ってしまった先帝の遺志に殉じ、姜さんは今も戦い続けているのだ。
先帝が遺した「昂国」という宝物を、どんな手段を使っても守り抜くために。
でも、それってきっと。
「あんた、ちっとも自由じゃないじゃん……」
視界いっぱいの、なに一つとして妨げるものない水平線を前に、私は呟く。
仲良しな百憩(ひゃっけい)さんから、いったいなにを学んだのやら。
死者の想いが生んだ昂国八州という柵の中に囚われて、がんじがらめになっている白髪混じりの痩せたイノシシ。
不思議と、そんな光景が脳裏に浮かんだ。
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