二百六十五話 斬首の乙女

 東から押し寄せてきた海の衆のおかげ、さまさまである。

 私たちが姜(きょう)さんに、抵抗虚しくもとっ捕まるような心配は、まるっとなくなった。


「無礼を働いて悪かった。もう拘束は要らないだろう。さあ姐さん、雁首並べている男どもに号令をかけ、まとめてくれ」


 翔霏(しょうひ)がシャチ姐を縛っていた縄を切り、体の自由を解放する。


「私も船長の座を返上します。大事なところはやっぱり、シャチ姐さんが〆てください」


 私に促されて、船首に立ったシャチ姐。

 ふーむと息を吐いて、集まった面々をじっくりと眺め。

 最初に放った言葉が、酷かった。


「キサマたちのことなど、ワタシはこれっぽっちも信用していないのであります。どだい、一緒にいるのも嫌になるような下品なツラをよくもこれだけ並べたものでありますね」

「なんだそりゃー!」

「助けてもらってその言い草はねーだろうがよォ!?」

「ヤッパリ、カエルネ!!」


 非難轟々を浴びてシャチ姐は「まあまあ」と言うように手のひらを掲げてジェスチャーを示す。

 美しい刺繍の入った手袋、それをはめた左手を。

 続けて言ったのは、こうだ。


「しかし、キサマたちをここに呼んだ若者、環(かん)椿珠(ちんじゅ)という青年を、ワタシは信頼しているであります。キサマたちが彼の仕事の一部に組み込まれるのでありますれば、まあ、渋々ではありますがその汚ぇツラを眺めながら、ワタシも一緒に仕事をしてやろうと思うでありますよ」

「素直じゃねーな、クソババア!」

「あいつは昔っからああなんだよ!」

「オオモウケ! オオモウケ!」


 野太い歓声を一身に受け、楽しそうにシャチ姐は笑った。

 彼女を後ろから優しい目で見守る椿珠さんに、私は声をかける。


「北方の阿突羅(あつら)さんのお墓に続いて、東の海でも大きい仕事を成し遂げちゃったねえ。歴史の本とかに載っちゃうんじゃない?」

「バカを言え。まだ商売は始まってもいないんだ。今から浮かれてちゃ足下をすくわれっちまうわ。これだけ集めた責任も負わなきゃならんしな……」

「あら、今日は珍しく謙虚じゃん。これからもその調子で」


 誇らしげに笑う椿珠さんを見て、私も我がことのように晴れ晴れした気持ちになった。

 けれど、そんな爽やかな心地良さに水を差す存在が、一人。


「……ここまで我々をコケにしてくれた代償は、その身で払ってもらうぞ! 命までは獲らぬにしてもな!!」


 半端な距離を取って、私たちの挙動を見守っている姜さんの部下の船。

 その中にいる長髪痩身の美形軍人が、叫ぶと同時に弓を構え矢をつがえた。

 明確に私を見て狙いを付けているあいつは、確か蹄湖(ていこ)四鬼将の一人、中でも弓が達者な男だったはず。


「麗央那、伏せろ」


 もちろんその殺気に気付かないほど、うちの翔霏さんは鈍くない。

 斜線を捉えた以上、翔霏はどんなに速い矢であっても、人が射る威力の攻撃ならば余裕で防ぐことができる、のだけれど。


「……ぁあっ、があっう!?」


 私を狙った矢が放たれることはなかった。

 突如として悲鳴を上げた弓使いの将は、膝を崩して船の上に倒れた。

 自分の喉がいつの間にかぱっくりと斬り開かれ、混乱した顔のまま飛び散る鮮血の海に沈む。

 首だけではなく、ご丁寧に弓を握っていた左手首まで、今の一瞬の間に斬り飛ばされている。

 

「あちゃぁ、同じこと何度も言わせるからや。蛉(れい)ちゃんに後で謝らんとなぁ……」


 まるで解体された肉の塊を見るような無感動な目つきで、姜さんは母艦からその様子を見ていた。

 将を斬り殺したのは、一般兵の服を着込んだ小柄な人物。

 意外なほどの力を見せて、船の縁から死体を海に投げ捨てた。


「乙さん、海に来てたんだ……」


 私は呟く。

 その兵の身のこなしに思い当たる点があったからだ。

 姜さんの懐刀である間者の乙さんが、四鬼将の船に一緒に乗っていたのだな。

 将兵たちがおかしな動きをしたり、命令違反を繰り返すようなら処分してしまえ、と言う安全装置の役目か。

 隊の中に指揮官のスパイを紛れ込ませ、現場の兵士一人一人が実際にどう動き、どう感じているかを調査する、ときには強制力を働かせるやり方。

 近現代の軍事組織で「督戦(とくせん)」とも言われるその手法は、姜さんにとって実に手慣れたものなのだ。


「央那ちゃ~ん! 怪我ぁないか~~? アホが怖がらせて堪忍な~~~!」


 私は無事を知らせる声も挙手も返せず、その場に凍り付く。

 仲間を、きっと有能だったのであろう将官をこんなにあっさり惨殺した、そのことよりも。

 次の瞬間に、本当に私を心配して、安心させるように微笑みかける除葛姜と言う男の本性を、はじめて目の当たりにして。

 こんな意味の分からない化物と、広く暗く、逃げ場もない海の上で向かい合っていたのかと思うと。

 今さらながら恐怖に震え、身動きができなかったのだ。


「ひでえことしやがる。殺された兄ちゃんの船、葬式みたいな空気じゃねえか。いや、実際に葬式なのか、この場合……」


 椿珠さんが額の汗をぬぐいながら言う。

 自分たちのリーダーが殺されたにも拘わらず、その船の男たちは騒ぎ声一つ立てずに、怖れと緊張で顔を強張らせているだけだった。

 きっと四鬼将それぞれが任されている四つの船、すべてに乙さんのようなスパイ兵が紛れ込んでいるのだろうな。


「あ、あれが、魔人の、本当の、顔……」

「ワタシの言っていたことが、伝わったでありますか」


 鶴灯くんとシャチ姐も小声で呟く。

 ただの殺戮者ではない、この多面性こそが姜さんの最も警戒すべき点なのだという認識が、私たち全員で共有された。

 翔霏が威嚇するように睨み続けていたけれど、姜さんは気にせずに船室へと戻って行った。

 彼に私を攻撃する意思は、ない。

 それはわかっているはずなのに。

 撤収するまでの間、姜さんの乗る母艦の大型連弩は、ずうっと私たちの船へ向けられていたままだった。

 

「二隻はそのままワタシたちを監視するために、くっついて来るようであります」


 姜さんの乗っていた大型船を合わせた三隻が南へと帰った。

 シャチ姐の言うように、残りの二隻は角州(かくしゅう)の港近くまでご一緒するらしい。

 規模が膨れ上がった私たちの船団を見張る意味だな。

 数ではこちらが有利とは言え、相手は正式な、国の軍船である。

 

「やっぱり気に入らねえんだよ!」


 なんて感情がお互いに爆発して揉め事が起こらないよう、平穏無事を祈るしかない。

 明るい情報を努めて集めるならば、後から合流した東海の船乗りさんたちも、貴重な東海のお宝を山ほど持ち寄ってくれた。

 角州の港を通して、これらを主に首都の河旭(かきょく)近辺に住むお金持ちに向け、積極的に売り込んでいくのが今後の流れだ。


「おう、俺はこんなものしか持って来られなかったんだけどよ」


 シャチ姐さんと「地元が近い」と語った船乗りの男性が、私たちの船に勝手に乗り込んでそれら商品の目録を見せてくれた。

 東海の文字と昂国(こうこく)の文字を併記してあるのがありがたい。

 いつか機会があれば、東海の字も読めるように勉強しますか。


「翡翠の玉(ぎょく)があるんですね。翠さまが喜ぶかも」


 目ざとく私が発見した情報にシャチ姐が補足する。


「ああ、キサマの家は確かヒスイの川の近くでありましたね」

「おうよ、戦が終わってから、お上が川の上流にある翡翠の山を直轄地に取り上げっちまったんだ。そうなる前に慌てて掘れるだけ翡翠を掘って隠したのさ。国内じゃ勝手に売り捌けねえから、在庫がタブついて困ってたんだ」


 彼らの住む東海の諸島は、戦国の時代が長く続いていた。

 それが終わり、とある士族が「東海王」と名乗って今は君臨している。

 けれど、強い統治者が存在するということは、地方ごとに勝手なことができないことの裏返しである。

 争いが終わったからと言って、平和で豊かになるとは限らないのが世の無常を感じさせるね。


「そんな出所の商品を扱って、本当に大丈夫なの?」


 こっそりと隠し持っていた宝石を外国に売っちゃうんだから、きっと彼らは利益を得ても東海本国に正しい税金を払わないだろう。

 普通に脱税であり、国家規模の資源損失である。

 私の質問に、椿珠さんは肩をすくめておちゃらけを返す。


「ダメだったら西方に逃げて坊さんにでもなるさ」

「前にも言ってましたよ、それ」

「なるほど楽しそうでありますね」


 シャチ姐まで同意してるし。

 詐欺商人と殺伐お姐さんにいきなり駆け込まれても、小獅宮(しょうしきゅう)の人たちが迷惑するからやめてあげて?

 船に来たおじさんから聞いたところによると、東海の人たちは島同士でバラバラに戦ったり同盟したり、勝手に生活を営んでいた歴史が長い、とのことだ。

 そのために「全体としての国家」と言う意識が極めて低く、愛国心というのも乏しいということだった。

 強固な統一王朝である昂国とは、ご近所でも大きく違うんだな。

 なんてことを話したり考えたりしていると、無事に角州の陸地を臨める場所まで船は進んだ。


「海側から斜羅(しゃら)の街を見るのは、はじめてだな」


 どちらかと言うと海嫌い、船嫌いだった翔霏が感慨深げに言った。

 まさかこの自分が、東海の荒くれものたちと一緒に船でこの街に来ることがあるとは。

 とでも言うような、驚きの感情が声色の中に潜んでいた。

 生きていると実にいろいろ、ありますよね。


「いくつかの船が海に出てるな。貨物船ってわけじゃなさそうだが、なんだ?」


 椿珠さんの疑問に鶴灯くんが答える。


「漁を、してる、ようにも、み、見えない。み、港を、警戒する、軍の、船かも」


 まさか、到着日時がわからない私たちを出迎えるために待っていたわけではあるまい。

 ぷっ、ぷっ、ぷっ、ぷっ、と向こうの船からラッパが短く連続で鳴らされた。


「慎重に寄れ、という意味でありますね。どうやら水先(みずさき)してくれるようであります」


 シャチ姐がその意図を読み取り、船団の舵を指揮する。

 海に見える角州の船は、港の出入りを安全に運航するための水先案内船のようだ。

 

「勝手に港に来て、勝手にどーんと着岸すればいいってわけじゃないんだね」

 

 当たり前のことに気付いた私はしみじみと感心。

 なんでも自分で体験してみると、勉強になるわァ。


「それは良いが、船の上に見覚えのある男たちがいるぞ。大、中、小、と三人ほどな」

「へ?」


 翔霏が笑って言うけれど、私の目にはまだはっきり、人物までを判別することはできない。

 あれか、自分で気付いて驚くところが見たいから、まだ誰がいるって教えてくれないんだね。

 フフフ、しかし翔霏さんや。

 大中小の男たちと言われて、予想もできないこの麗央那ではないわ!


「大きい人は巌力(がんりき)さん、中ぐらいの人は玄霧(げんむ)さん、小さい人は州公の得(とく)さんでしょ?」


 三人とも角州にいるはずだし、特に玄霧さんは各地を警備している軍人さんだ。

 たまたま仕事で港と近海を視察していたタイミングに、私たちの寄港が鉢合わせしたのだろうと思う。


「さすが麗央那、一人を除いて正解だ」

「え、外したの誰だろ」


 全問正解の自信があったのに、どうやら違うらしい。

 翔霏は最後まで答えを教えてくれなかった。

 誰だ誰だと考えあぐねながら、私は斜羅の港へ入って行くのだった。

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