二百六十四話 再会はそのまま試験となった
キンキンキンキンキンキンキン!
私の立つ背後、船の甲板中央では、けたたましく高速で鋼同士が打ち合う音が聞こえる。
「なるほど、半身に構えて後ろに刀を隠すことで、間合いを悟られないようにしているのか。それが東国の剣術か?」
翔霏(しょうひ)の楽しそうな声が聞こえる。
黒ずくめの用心棒さんは、珍しく翔霏が楽しめるほどに精妙巧緻な刀剣の技を使うらしい。
「この分からず屋のクソガキが……! このまま意地を張って得なんかないってことが、わからねえのか!!」
まさに、ワガママを言う子どもをたしなめるようなお説教を、怒りの声で放つ用心棒さん。
ごめんなさいね、本当に。
私たちってば、ワガママで聞き分けのない、意地っ張りの小娘なんです。
背後の激闘が気になるけれど、振り返らずに私は目の前の問題に立ち向かう。
姜(きょう)さん率いる、総勢五隻の軍艦、その接近に。
私が相手をするべき「敵」のモヤシ男は、けれども私のペースに乗せられることなく、事務的にこっちに告げてきた。
「船がよう停まらんのやったら、こっちから幅寄せして係留するでな~。大人しゅうしとるんやで~~」
私たちの船をやつらが取り囲んで、縄とか鉄鉤(フック)で物理的に繋げてしまうということだな。
もちろんそんなことをされちゃたまらないので、私は次の策を用意し、大声で指示するよ。
全力、思いつく限りの悪あがきをしてやろうってんだ!
「椿珠(ちんじゅ)さん! 鶴灯(かくとう)くん! やっておしまい!!」
いきなり言われて、二人とも「は?」と言いたげな顔を一瞬だけ、浮かべたけれど。
「分かったよ。ったく、相変わらず滅茶苦茶で、人使いの荒いこった」
「お、俺も、なんか、れ、麗たちの、やりかた、心得て、きた、かも」
表情を笑顔に移し、喜々として動き出す。
「ほおら、ゴミを処分するからな! 近付いて巻き添え喰らっても知らんぞ!」
椿珠さんは火薬玉を荷物から取り出して、先ほど放流された小舟に投擲する。
ドカーン! と爆発音が鳴り、水柱が吹き上がる。
「なな、なんじゃあ!?」
私たちの船に寄ろうとしていた船の一つ、その主の四鬼将の一人が叫んだ。
大きく舵を切って方向を転換し、私たちの船からも離れて行く。
「こ、ここは、どんな、魚、獲れる、かな?」
続けざまに鶴灯くんが、海中に漁獲用の網を放り、ダメ押しで刺し網も流して行く。
普通の帆船なら、そんなものが海中に投げ込まれても気にせず進んで行けるのだけれど。
「し、司令官どの! 網が船の櫂(かい)に絡まって、速度が出せませんぜ!?」
二人目の四鬼将が、悲痛な声を上げた。
彼らの船は横から突き出した櫂で波を漕ぎ、速さを出す様式だ。
その櫂に邪魔な物体が絡まって引っかかっていく。
せっかくの帆櫂(はんかい)併用高速船も、無駄に重いだけの半端な帆船に早変わり~。
「言っておくけど私たちは普通に船の運航をしてるだけだから!! そっちが勝手に私たちの行動範囲に入って来て大変なことになってるだけだから! 私たちの知ったことじゃないからねーーーーーーッ!!」
一応の言い訳を、デカい声で表明しておくのを忘れない。
背後から、バキィン! と大きな音が聞こえた。
甲板では、まだ翔霏と用心棒さんが一生懸命、戦っているのだ。
「折れたか。しかし条件は同じだな。まだ続けるのか?」
翔霏の声から察するに、双方の刀が折れたのだろう。
「図に乗りやがって、サル娘が……!」
用心棒さんはまだやる気だな。
このまま素手の勝負にもつれ込むのだろう。
翔霏が負けたら私なんて簡単に組み伏せられちゃうね。
蛉斬(れいざん)のような大物を相手にして疲れているところ本当に申し訳ないけれど、まだまだ頑張ってもらわにゃいかん!
私も次の航海中行動――決して姜さんに対する嫌がらせではない、建前上は――を考えていると。
「え?」
ガツン、と船尾の木板に、一本の矢が刺さった。
誰か、攻撃してきやがったな!?
「俺たち四鬼将を、あまりおちょくらんことだ。次は足に当てる」
第三の男が私の右前から迫って来ていた。
四鬼将の中でも、おそらく弓矢の名手なのだろう。
波に揺れる不安定な足場であっても、この程度の中距離なら精密に狙いを付けられるという自信があるんだな。
しかし、弓使いの四鬼将を咎めたのは私ではなかった。
「アホかーーーーーーーっ! その子に傷を負わせたらアカンっちゅうとるやろーーーーー! 言われた通り船だけ抑えんかいなーーーーーーーっ!!」
姜さんである。
彼に私を傷付ける意思はないということは、ここでハッキリした。
陰謀で翠(すい)さまを眠らせたりした姜さんや、除葛氏(じょかつし)の旧王族である。
過去の行状からみんなひっくるめて、司午家(しごけ)や角州の住民からバッキバキに嫌われ、憎まれているのだ。
この上もしも私に万が一のことがあって、今や正妃に次ぐ準妃の位にある翠さまの怒りが頂点に達してしまったら。
朝廷、後宮全体を巻き込んだ、除葛(じょかつ)と司午(しご)の泥沼報復合戦が、陰に日向に繰り広げられる!
自分のことなら我慢できる翠さまでも、私や翔霏になにかあったらきっと、本気で怒ってくれる、はず。
きっと、多分、そう信じたい……。
それを当て込んで好き勝手やってる私も相当、性格悪いよな。
「もうそろそろ、粘るだけのネタも尽きたでありましょう。最後の忠告であります。相手が本気で怒り狂わないうちに、大人しく投降するでありますよ」
帆柱に縛られたシャチ姐が、実に冷静に理を説く。
実際、船が抑えられてしまえば海の上のこと、身動きは取れないし逃げ場もない。
抵抗虚しく腿州(たいしゅう)へ逆戻り、後はお上のお裁きに身を任せるしかないだろう。
けれどそれは、私のやりたいことではないのだ。
私の内にある、自由を求める魂は別のことを叫んでいるのだ。
「せっかく久し振りに、姜さんに会えたんです。会えなかったときの分も全部まとめて、私はあの人と『会話』しなくちゃならないんです」
「話なら、後でいくらでも交わせるでありましょう。今こうして聞かん坊を貫く意味がどこにあるというのでありますか?」
「後では、落ち着いた場所では、ダメなんです。私たちの会話は」
そう言って私は懐の道具入れから、毒を付着させた鋼鉄製の細い串を取り出す。
これを私にくれたのは姜さん、あなただ。
私がどう使うかも、頭のよろしいあなたなら、少しは考えたりしただろう?
右手に串を持ち、先端を自分の顎先、喉元に突き付けて。
大声で、吼えた。
魔人がこれで怯むか、躊躇うか、それとも気にせず突っ込んで来るか。
私の頭のおかしさを、姜さんがどれだけ勘定しているか。
勝負だ!
「これ以上、下手な真似してみろーーー!? 私、どうなっちゃうかわっかんねーからなーーーーー!? お前ら、後のことは全部、責任取れよこんちくしょうめーーーーーーーっ!!」
ギィ、と遠くにある姜さんの笑顔が歪んだのが、ハッキリわかった。
もちろん姜さんだって、私がこんなことで自殺するとは思っていないだろう。
串に毒だって塗られているかどうか、そこからして疑っているはずだ。
けれど、そのつもりがなくても、誰もかれもが「そんなバカな」と思っていても。
なにかの間違いで、一つ手元が狂えば、そうなってしまうかもしれないんだよ!
「除葛帥! あんなのどうせこけおどしだ! たかがチンケな小娘相手になにを怖気づいてんだよ!」
四鬼将最後の一人、小柄な傷だらけの顔の持ち主が喝破する。
誰の目から見てもブラフ、ハッタリなのは明白で、バレバレだけれど。
私と言う人間を、麗央那という女を知っている相手ほど、このブラフは良く効くのだ。
いっときの演技に酔いしれて、勢い余って死んでしまうことが、ひょっとしてあるかもしれない。
まともに考えればあるはずもないことが、あいつに限って言えば、あり得るかもしれないと。
そう思わせるほどに、今までの私は無茶と無理を貫いて来たのだから!
「央那ちゃ~ん。こんなしょぼくれたオッサン困らせて楽しいんか~~?」
結局彼は、武力ではなく言葉の力に今は頼るようだ。
「すっごく楽しいね! 姜さんの困ってる顔は最高ですわ!」
「ああもう、かなんな~~。わーかった、ほならな、交渉しよやないか? な? お互いのちょうどええところを探ってこ? 悪いようにはせんってぇ」
「じゃあさっさと帰って!? ついでに腿州からも出てって!? 尾州(びしゅう)の山ン中で草でもむしってて!?」
私の要求は本当に、それだけ。
大人しく故郷に引っ込んで、地方都市を上手く経営しててください、マジで。
その方がみんな幸せになれるはずだよ!
「ガキの使いやあらへんねん、そんな簡単にスゴスゴ帰られへんわな。大事な仕事の途中なんや」
「だったら知らん! このまま私たちが角州に行くまで指咥えて眺めてりゃいいさ! べろべろばー!」
横で網を投げ入れていた鶴灯くんが、笑いを必死でこらえて震えながらうずくまってしまった。
ぱさぱさと胸の前で羽扇をあおいだ姜さんは、わずかに考えるそぶりを見せて。
「ほならな? そっちの船から二人だけ、こっちに渡してくれへんやろか。環家(かんけ)のあんちゃんと、刺青の女船長さんや。この二人には聞いとかなあかんことが、ようさんあるからね」
「え」
しまった、最悪の手を打たれた!
椿珠さん、シャチ姐とは、姜さんに遭遇した場合の細かい段取り、打ち合わせができていない。
姜さんがこう提案してしまった以上、二人は「自分たちが行くことで、場が治まるなら……」と考えて、進んで姜さんの船に移動してしまうかもしれない。
この二人が海商作戦の要なのだから、動きを抑えられるのも大問題だ。
こちらの勢力を効果的に切り崩しにかかりやがったな、このモヤシ野郎!
「ワタシたちだけで済むのでありますれば、それが最も良いでありましょう。後のことは任せたでありますよ」
ほらぁ、相手の思惑通りにシャチ姐が納得しかけちゃってる!
「姐さんちょっと黙ってて! 今の船長は私! 交渉するのも決定するのも私! 船頭多くして船、山に登るって格言があってね?」
「魔人が交渉してくれる気になったのであります。ここが最大の好機でありますよ」
私とシャチ姐がごちゃごちゃと押し問答している、そのとき。
「落ちた! 勝った!」
爽やかな翔霏の声が聞こえた。
まだ用心棒さんと喧嘩していたらしい。
どうやら絞め技で相手を傷付けずに、失神させてくれたようだね。
「おめでとう、翔霏」
「うむ。ところでずいぶん離れたところから、ラッパの音がいくつも聞こえるぞ。まとまった数の船がこちらに向かって来てるんじゃないか」
その音は姜さんたちにも聞こえているようで、向こうの船でもおっさんたちがなにやらコソコソと話し合っていた。
「かぁ~~っ、時間切れかいな……」
がくりっ、と目に見えて姜さんは肩を落とした。
私の耳にもラッパが鳴るのが届き、彼方から無数の船がこちらに近付いて来るのがわかる。
「アイツらは、東海の連中でありますね。見知った船もいくつかいるようであります」
縛られたままのシャチ姐が教えてくれた。
「え、それって海賊だったりします? 姜さんたち討伐隊に仕返しするために集まってたとか?」
私の質問に曖昧な角度で首を傾けて、シャチ姐が否定とも肯定ともとれない情報を返す。
「どちらかと言うとワタシの商売敵、海賊を狩る方の船乗りたちであります。昂(こう)の海が除葛のせいで商売しにくくなってからは、離れた海域で様子見を決め込んでいた、日和見主義者どものはずでありますが」
勢力的には中立の武装商船、ということか。
それがこの場に現れた理由は、船団から発せられた大声により、知るところとなる。
「ズベタのシャチ公めー! ずいぶん美味しい商売を見つけたって話じゃねえか!」
「同郷のよしみだ、俺たちにもいっちょ噛ませてくれるんだろうなァ!?」
「クジラ、イシ、クジラ、ヒゲ、アルヨ!!」
ずいぶんとがめつい話を勝手に喚きながら、彼らが近付いて来る。
「はー、間に合ったか……」
すとん、と椿珠さんが甲板に座り込み、安堵の声を漏らした。
予想はついているけれど、確認のために私は訊く。
「え、椿珠さんがこっち来る前に呼んだの? 要するに私たちの協力者ってこと?」
「そういうこった。どれだけの東海人が呼び掛けに応じてくれるかは運頼みだったがな。あれだけいりゃあ、いくら除葛の船隊でも力押しはできねえだろ」
そうか、椿珠さんも、なんらかの形で姜さんや蛉斬(れいざん)、屈強な海賊討伐の軍船と立ち向かい渡り合う可能性をしっかり考慮してくれていたんだ。
海賊でない船を一方的にボコる権限は今の姜さんにはまだ、ないだろうし。
その段階で数の力を集められれば、姜さんの横槍を防ぐことができるのだと。
尚且つ、姜さんの側でも、こういう手を打たれているであろう想定は、すでにしていたのだろう。
「念のためなんやけどな~、船の名前と船長さんの名前を、一隻ずつ教えてもらえると助かるんや~~」
この状況にまったく驚いておらず、淡々と手続きに入ろうとしているのだから。
「へえ、あいつが魔人の除葛かい?」
「ヤセテル! ヨワソウ!」
「お前らは腿州の軍船だろうが。俺たちはこのまま角州に行くんだから、関係ねーだろう。引っ込んでやがれ」
散々なことを言われながらも、疲れた笑顔で粛々と船の照会を進める姜さん、そして海兵たち。
もう、私たちをどうこうする手段も機会も、姜さんはすっかり失った。
「か、勝った……?」
私は一気に体の力が抜けて、背中から倒れ込む。
後ろから優しく、翔霏がそれを受け止めてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます