二百六十三話 さあ、魔人を迎える準備はできた

 朝日が昇る。

 遠くに見えるのは立派で厳つい、たくさんの軍船。

 大蛇の怪魔に無駄な時間を取られ、船もあらぬ方向へと流されたせいか、姜(きょう)さんの率いる本隊に捕捉されてしまったのだな。

 なんでこんなところにいるんだよと思うけれど、思いがけないところに現れるのがあいつの得意技だったわ。

 パァー、パァー、パァーと、ロングトーンのラッパが三回鳴らされたのが聞こえた。


「あの音はどういう意味?」


 傍らに立つ鶴灯(かくとう)くんに私は尋ねる。


「た、ただちに、停まれ、って、合図だ。昂国(こうこく)、だけで、なく、ほ、他の、国でも、意味は、お、同じ、はず」 


 説明に感心して椿珠(ちんじゅ)さんが頷く。


「なるほど、海の上で使う各国共通の法令みたいなもんか。最低限の言葉が通じるようにできてるんだな」

「便利なものを考えるやつがいるものだ。どれ……」


 わずかばかりの興味を示し、翔霏(しょうひ)が相手の船団を睨みつける。

 この距離からでもかろうじてわかる情報を、私に教えてくれた。


「一番大きい船を護るように四隻の中型船がいる。各船の舳先(へさき)に、大バカ男と同じような直槍を持った兵士がそれぞれ、偉そうに立っているな」

「て、蹄湖(ていこ)の、四鬼将(よんきしょう)だ……!」


 鶴灯くんが驚いて口に出したその呼び名には、微かだけれど聞き覚えがあるな。

 蹄湖というのは腿州(たいしゅう)と蹄州(ていしゅう)の境目にある、無数の湖が集まる地帯だ。


「確か、蛉斬(れいざん)の仲間の中でも特に強い四人だっけ?」

「そ、そうだ。ひ、一人一人が、得意と、してる、分野でなら、蛉斬さまより、わずかに、上回って、るって」


 なんじゃ、そりゃ。

 蛉斬より動きが速いやつ、力が強いやつ、持久力があるやつ、耐久力が高いやつ、そんな感じかな?

 全員そろって、蛉斬と同じくらい単純であることを願おう。


「で、言われた通りに停まるのか?」


 翔霏が訊くのに対し、肩をすくめたシャチ姐。


「どうあっても逃げられそうにはないでありますからね。ここで夢は終わりであります」


 寂しそうに言ったシャチ姐。

 部下の人に船室から鯨の胃石、龍涎香(りゅうぜんこう)を持って来させる。

 先日に海賊船を退治したときの、唯一の目ぼしい戦利品だ。

 それを私の両手に預け、こう言った。


「ワタシがアナタたちとの約束で果たせた実績は、たったこれっぽっちであります。これからワタシたちはお縄にかかって身動き取れなくなるであります。代わりにアナタたちが、良いように使って欲しいでありますよ」

「そ、そんなこと言わないでください。私たちにはまだまだ、シャチ姐の助けが必要です。私がこの船にいる以上は、姜さんだって手荒なことはしないはずですから」


 食い止めようとする私に首を振るシャチ姐。


「先ほどの大蛇を仕留めた、寸分狂わぬ攻撃をアナタも見たでありましょう。あれは警告の意味も兼ねているのであります。その気になれば一気に船を沈めて、アナタたち昂国の人間だけを助けることもできると、除葛は言っているのであります。それほど兵士の練度と技術が高いことをあの男は、あの一瞬だけで見せつけたのでありますよ」


 実現できるかどうかは置いておき、そのつもりがあるという意思表示をシャチ姐は受け取ったのだろう。

 荒事の経験が豊富な彼女だからこそ、姜さんの「本気」を感じ取ることができるのかもしれない。

 けれど聞き分けのない子どもである私は、シャチ姐の言葉に激しく反論する。


「私は元々、姜さんの追求からシャチ姐たちを守るために船に乗った、言わば盾役なんです! ここで諦めたら、私が嘘つきの役立たずになっちゃうじゃないですか!」


 一歩も引かない私を見て、シャチ姐は困った顔を浮かべ。

 それでも私の頭を撫でて、お母さんに似た柔らかな声で言った。


「嘘を吐くことも失敗することも、約束を果たせないことも、本当の罪ではないのであります。生きていれば取り戻せることなのでありますから。アナタたちなら大丈夫。最後の航海で楽しい夢を見せてくれて、私は本当に嬉しいと思っているでありますよ」


 そうして彼女は、帆を畳むために帆柱に寄り、仲間たちに叫ぶ。


「キサマたちも、もうワタシを船長と思わなくてもよいであります! 逃げるのも抵抗するのも、魔人の軍師に降参するのも好きにするでありますよ! 雌シャチの祭りは今ここに終わったのでありますから!」


 船員たちは戸惑ったり、悔し泣きをしたり。

 笑ってシャチ姐に従ったり。


「ま、十分に楽しめはしたか……」


 黒ずくめの用心棒さんも、納得した笑みを浮かべて船の錨を降ろそうとする。

 流れる空気、全員の総意として、大人しく姜さんの艦隊に投降する方向に、自然と状況は向かって行く。

 なんだかんだ、今いる船員たちはシャチ姐と運命を共にするつもりだったんだね。

 もちろん、断固として。

 そんな切なく感動的なフィナーレを良しとするこの不肖、麗央那ではないわ!!


「翔霏ー! お願ーーい!!」

「任せろ!」


 私の号声に、大親友が笑顔で答え、弾丸のように走り出す。


「借りるぞ!」

「ンなっ!?」


 そして錨を降ろそうとしていた用心棒さんの腰から、素早く刀を奪い取る。

 彼が海中に降ろそうとしていた錨のロープを、奪った刀でズバリと切断してしまった。

 ドボンと音を立てて、錨は海中に落ちてしまう。

 もうこれで、船は固定されない!


「な、なにを……!?」


 そのまま翔霏は切れた縄の端をひっ掴んで、驚いているシャチ姐の下へと走る。


「すまんな姐さん! 少し縛られてもらうぞ!」


 一方的に宣言して、翔霏は瞬く間にシャチ姐を縄でぐるぐる巻きにして、帆柱に繋ぎ止めてしまった。


「バ、バカナマネ、ヤメルヨ!?」

「どういうつもりだ、嬢ちゃんたち!!」


 呆気に取られて、なにが起きているのかわからない船員さんたちを前に、私は叫ぶ。

 気合い一発。

 この船だけでなく、向こうで見ている姜さんにも聞こえるほどの、デカい声で!


「この船は、翼州(よくしゅう)の、麗と紺(こん)が乗っ取った! 貴様ら全員、死にたくなければこのまま北西、角州(かくしゅう)の港に船を進ませろ! 文句があるやつは、天下無敵の地獄吹雪さまが海の彼方に吹き飛ばしてやるぞ!!」


 方位磁針の示す位置を見る限り、風は運良く南東から北西へ向かって吹いている。

 このまま帆を張って船を巡航させるだけで、角州の陸地に到達する可能性は高い。

 時間を稼ぎながら徐々に移動して行けば、目的地である斜羅(しゃら)の港に着くことは可能なはずだ!


「……ガキども、調子に乗るなよ? お前たちを無事に生かしてやろうって、こっちの気持ちがわからねえのか!!」


 凄腕剣客の用心棒さんが、今までに見せたことのない調子で凄む。

 一人の人間が放つ殺気、恐怖感と言う意味ではこの人、麗央那ランキングの中でもトップ3には入る迫力だ!

 仲間から別の刀を受け取って抜き放ち、睨みつける方向はもちろん、翔霏だ。


「ふふふ、本気になれそうか? 面白いな、受けて立つぞ」


 翔霏も彼から奪った刀をそのまま構えて、一歩も引かない意志を示す。

 そう、これは私と翔霏が、船に乗る前から決めていた段取り。


「シャチ姐がもしも、私たちの身を案じて降伏しようとしたら、船を乗っ取って意地でも前に進もうね」


 翔霏と私は、最初に会ったときからなんだかんだシャチ姐に母性を感じていた。

 若い私たちが無惨に海の藻屑となることを、シャチ姐は認めないだろうと予測していたのだ。

 だから、その優しさを私たち自身が否定してぶち壊す賭けを用意していたのだ。

 全員死ぬか、全員で生きて笑うか。

 馬鹿げたバクチだけれど、私には勝算があるんだよ!

 私は船尾に走り、迫り来る姜さんたちの艦を睨みつけながら。

 自分の体を船の縁(へり)、手すりの部分に縄で縛りつけて固定する。

 そして吼える。


「姜さーーーん! なんかこっちの船、壊れちゃったみたいでさーーーー!? 残念だけど停まれないからーーーーーー!!」


 さらに、私たちの船に従う随伴船のみなさんにも声をかける。


「みなさん、死にたくなければこっちの船に合流してください! その小船には火を点けて適当に放流しちゃってください! 言うこと聞いてくれないと、地獄吹雪が吹き荒れますよぉ!?」


 目くらまし、邪魔する存在として船を燃やして煙幕にしてくれ、と言うことだ。

 文字通り盾となって、姜さん率いる軍船からの矢面に立つ私。

 その意図を理解してくれたのか。

 小船に乗ったおじさんが額に冷や汗を光らせながらも、笑って言った。


「アナタ、メチャクチャ」

「デモ、オモシロイ!」


 縄梯子でこっちの船に退避する彼らを見守りながら、私は更に叫ぶ。

 このハッタリよ、けれども私の本心よ。

 魔人の耳に、届け!


「この船は、もう私の船だからなーーーッ! 手出しできるもんならやってみろーーーーッ! 塀(へい)貴妃や翠(すい)さま、兆(ちょう)佳人、その他もろもろ偉い人が、黙ってねーぞぉーーーーーーーッ!?」


 私のバックには、やんごとなき方々がたくさん、控えておられるのだ!

 

「私に傷一つでもつけてみろーーーー! 一生後悔させてやるからなーーーーーッ!!」


 我ながら最低な作戦の高揚感に、一人楽しくなる。

 背後、甲板の上ではおそらく翔霏と用心棒さんが対決している金属音が聞こえる。

 見たい、見た過ぎる、けれど見ないよ。

 私はこの場を動かないし、絶対に目を逸らさない。


「奥に引っ込んでねえで、文句があるなら出てこいやァーーーーーーー!!」


 視界の先には、乗員の顔が見えるほどに近付いた大きな軍艦。

 船室に至る扉が開き、一人の男が中から姿を現した。

 高級官吏の帽子と正装がまったく似合っておらず、いわば「着られている」ような有様だ。

 苦笑いを浮かべたその人物は、手に持った孔雀羽の扇でぱたぱたと自分の顔を仰ぎ。

 距離はあるけれど、私の目をしっかり見据えて、こう言った。


「央那ちゃん、もう勘弁したってえな~~~。頼むでホンマ~~~~……」

「あははっ」


 その言葉を聞けて、私は笑いが抑えられなかった。

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