二百六十二話 神、魔、そして人の営み
明るみ始める東の空を背に、私は得意の大声で呼んだ。
「太陽の神よ! 来臨せよ!!」
と、脳内イメージではカッコよく決めたつもりなのだけれど。
『そもそもなんですかあなたは。どだい、伏して願うものの態度ではありません。誰よりも偉そうに胸を張って大声を出して。神でなくとも呆れ果てるというものです』
おかしいね、なぜか出会い頭からお説教されているよ?
「いやあ、大きい声で堂々と言った方が、より強く伝わると思いまして……」
しかし言い訳も虚しく、鳳凰さまからのダメ出しは続く。
『なによりわたしが気に入らないのは、あなた、なにか大事が起こったときに、わたしの力に縋ろうと前もって思っていたことです。東龍に会ったときの畏怖と謙虚さが、まるで感じられません。神を、都合のいいときに助けてくれる存在だと思い上がったときから、人の子の堕落は始まるのです。わかっているのですか!?』
びしゃりと図星を突かれ、私はぐうの音も出なかった。
そう、私は南部に来てすぐに、強く思ったことがある。
日と火の神であり、原初の母とされる神鳥が尊ばれていることを知ったときから、その神話と信仰に私は親近感を抱いていた。
同じく太陽の女神を奉ずる「日本」という名の国に生まれた私を、神さまがなんかいい感じに助けてくれるときがあるんじゃないかな? と勝手な思い上がりを意識の底に抱いていたのだ。
久々に白いお米を食べて、里心がついてしまったのかもしれない。
「で、でもそれはほら、アレですよ!」
『どれです』
「好きだからこそ甘えちゃうって言うか、信頼している上でのワガママみたいなものなので、本当の意味で私は鳳凰さまを『みんなのお母さん』と思い、慕っているからこその……」
かように私がみっともなく神さま相手に弁解していると。
「シャーーーーーーーーーーーーーッ!!」
巨大海蛇が、喉を鳴らして船に突進してきた。
まるで「俺を無視してどうでもいい話に夢中になってるんじゃねよ!」という、厳しい突っ込みの様相を呈していた。
『小汚いケダモノめ、少し大人しくしていなさい! 話の途中です!』
鳳凰さまは一喝するなり、三本足の先に持つ鋭い鉤爪でぐわっと海蛇の首根っこをしっかりと掴み。
「キシャァァッ!?」
そのまま上空遥か高く、一気に羽ばたき飛翔して、50メートル、100メートルと高度をぐんぐんと上げて。
『えいっ』
ぽいっ、と鉤爪を放し、大蛇を海面に「落とし」た。
そう、ただ単純に、なんの小難しい工夫もなく。
高いところから、まるでゴミのように大蛇を海に放り捨てたのだ。
ビッタアアアン!! と姦しい破裂音が鳴り響き、水しぶきが撒き散らされ、水柱が立ち昇る。
「ギャシイィィィ……!」
超高度から落ちて海面に叩きつけられた大蛇。
ある程度の高さ以上になると、水面に落ちた衝撃はアスファルトの地面に落ちたのと同様のエネルギーを生むという。
蛇自身の体重と落下による重力加速度との掛け算の結果、生じる衝撃力は高さに対して指数関数的に膨れ上がるのだ!
「神さまのなさることは、意外にも力押しなのでありますね」
非現実的な光景を目の当たりにして、シャチ姐も呆然としていた。
すすー、と高度を落として定位置に戻った鳳凰さま。
冷静な声色でお言葉をくださった。
『子が泣きながら呼ぶ声を無視できる母など、母ではありません。だから今回だけ、あなたたちの様子を見にこうして姿を現しました』
「有り余るご慈悲ご厚情、感激幸甚の至りにございます」
私は改まって、へへえと平伏する。
今さら遅いかも、という心の中の突っ込みは無視するものとする。
『ですが、わたしがこの場で貸せる力はこれだけです。あなたたちは十分に強く、生をまっとうする力に満ち溢れています。母があれこれ手を取り足を取って面倒を見る赤子ではないのです。親という字をどのように書くか、知っていますね?』
「木の傍らに立って、見る、と書きます」
私の返答に、鳳凰さまは満足げに首肯した。
『そうです。親とはあくまでも木陰から見守る存在なのです。わたしはあなたたちの母たる神ですが、だからと言って子の為すことに一々あれこれ手を出して、子の代わりになんでもやってあげることは親の役目ではありません。あなたたちの命は、あなたたち自身の力で運ぶものなのですから』
神は万能である。
だからと言って、人のためにその万能を行使するわけではない、という話だ。
神という存在は世界の調停者であり超越者なのだから、人間のためだけに存在するわけではないということだね。
「けれど鳳凰さまは、私の声を聞いてくれて、力を貸してくださいました。私はそれをとても嬉しく思っています」
『当然です。わたしは人の営みを見守る母、その役目を担う神。太陽の運行が田畑の恵みをもたらし、それが人の作る世の礎であるのですから、太陽の神は人が作り営むすべてのものの神なのです』
要するに鳳凰は文化の象徴、文明の神である、ということだ。
銀龍が純粋たる自然の神。
麒麟が時間と運命の神。
獅子が闘争や生の本能の神であるように。
鳳凰さまには人間社会の営みを母のように見守る、文化の守護者としての役割が割り振られているのか。
だから他の神さまに比べて、人間の話に耳を傾けてくれるんだね。
「軽はずみに生意気が過ぎた真似をしてしまいました。どうかお許しください」
素直な気持ちで頭を下げる私に、やれやれ、と言ったふうに鳳凰さまは返す。
『次はないと思いなさい。親は子離れを、子は親離れをいつかしなければならないのです。それでも互いに見守り合っていることは、心に留めておかなければなりませんよ』
「はい、ありがたいお言葉です。きっと忘れません」
いつしか船上の全員が伏礼の姿で、神に面し感謝の言葉を捧げていた。
私たちの戦いは、神さま頼りで解決はできない。
天空へと鳳凰さまは去って行き、海の上には私たちの船団と、ダメージから回復しつつある大海蛇。
「面舵、いっぱいであります!」
シャチ姐の号令で、私たちの乗る船は180度の方向転換をして、船首を怪魔に突きつけた。
壊れてしまった船尾の大弩に代わって、船首側の大弩で攻撃するためであり。
同時に、逃走と言う手段を捨てて、ここで敵に止めを刺すという意思表示だ。
私たちの運命を、私たち自身が勝ち取って、次に進めるために!
いつも私たちを見守ってくれている、大いなる母を安心させるために!!
「ギャァァァフゥゥゥ~~~~~~~~ッ!!」
思わぬ痛みと辱めを受けて、海魔にもそれを悔しいと思う気持ちがあるのだろうか。
先ほどまで以上に殺気を放ち、水中から鎌首をもたげてこちらを威嚇するさまは、まさに不吉な死を予感させる。
けれど私たちは。
「まったく負ける気がしない、だろ?」
翔霏が笑いながら言って、バール状のごつい工具兼武器を構える。
もしも敵が船に肉薄したら、直接攻撃を今度こそ食らわせてやるつもりなのだ。
勝つとか負けるとか、生きるとか死ぬとか。
きっとそれは、ただの結果でしかない。
私たちはみんな、大事に想われて、見守られて、愛されている。
だからそのことに喜びを感じて、精一杯やるだけなんだ!
「今度こそ、決めてくれよ~~?」
椿珠さんがハンドルを回し、大弩の弦をキリキリと引き絞る。
「麗なら、き、きっと、大丈夫」
鶴灯くんが矢を設置してくれる。
「モクヒョウ! シャテイ! ハイッタヨ!」
「ぶっぱなせ、嬢ちゃん!」
東海の船員さんたちが、タイミングを教えてくれる。
みんなが一つの、同じ未来を見ていて。
みんなで一つの、この命。
「バケモノごときに、負けるかってんだよぉーーーーーーーーー!!」
大声と共に放たれた矢は、蛇の頭部の下、人で言う左胸の当たりにドカッと突き刺さる。
「グゥゥゥゥゥイヤァァァァァ!!」
けれど心臓の急所をわずかに外してしまったようだ。
まるで人間の悲鳴のような金切り声を上げて、大蛇がこちらに向かって来る。
次の矢を構えて狙って撃つのが先か。
それとも大蛇が、船首に固まる私たちに襲いかかるのが先か。
「ったく、なんでこんな外の国の連中のために……」
憎まれ口を叩きながら、黒ずくめの用心棒さんが私の左側を護るように立つ。
腰を深く落とした前傾姿勢、居合抜きのような構えを見せる。
「剣士の兄さん、これが終わったら一つ、私に本気を見せてくれないか?」
翔霏が気楽に言って反対の、右側を守ってくれる。
うん、東西凄腕対決はまだ見てなかったからね、私もぜひにと希望します!
なんて、楽しいことを無理やりにでも考えなきゃいけないほど、私だって実は怖い。
けれど、肝心な一撃なんだ。
私の指よ、震えてくれるな!
「いっけええええええぇぇぇぇっ!!」
意を決してトリガーを引いた。
私の小さな指先一つに、たくさんの命の行く末が絡まっているなんて。
よくよく考えると不思議なことだな。
ふと、そんなどうでもいいことを、本当に今さらになって考えた。
「あ、当たっ……!」
鶴灯くんの声が聞こえる。
私も飛んだ矢が、大蛇の腹部に命中したのを見た。
けれど蛇の心臓は、もっと体の上の方、頭や首のすぐ下あたりにあるのだ。
やつが今まで見せて来た生命力からして、この一撃でトドメになるかどうか。
苦し紛れに、また毒を吐いて来たりしないだろうか。
「……なんの音だ?」
そのとき、私を庇うように横から前に割り込んできた翔霏が疑問を口にした。
サアアアアアアと、無数の風を切る、雨のような音があたりに鳴り響き。
「ギャワァーーーーーーーーーーーーーーッ!?」
私たちから見て左、南の方角からぶっとい矢が次々と降り注ぎ、巨大海蛇の横っ腹を貫いた。
続けてラッパの音が鳴り響き、第二派の攻撃が放たれる。
無慈悲なほど正確に、鋭く、海上の魔物にドカドカドカッと巨大な矢じりが突き刺さって行く。
圧倒的な火力、物量の前にした、今までさんざんに私たちを苦しめてくれた海蛇。
今はもう、虫の息になって水面にだらしなく浮かんだ。
「た、助かったのか? いやしかし、今の俺たちを助けてくれるような援軍なんて……」
椿珠さんが腰を抜かしながら、目の前の状況に混乱する。
どこからともなく新たなお助け勢力が現れて、私たちに恩を着せずに颯爽と立ち去ってくれるなら、そんなに素晴らしいことはない。
それこそ深く神に感謝し、悠々と角州(かくしゅう)の港に向かうことができるだろう。
けれど現実は、運命は。
決してそこまで都合よく、私たちを救わない。
遠くには矢を放った武装船の集団が見える。
「姜さん……」
私は一人の男の名を呟いた。
突如として現れ、私たちがあわや殺されるかもと言うまでに苦戦した敵を、一瞬でゴミのように掃除できるやつ。
この広い海の上、それができるのはたった一人。
首狩り軍師、魔人あるいは幼い麒麟。
その名を除葛(じょかつ)姜、彼だけなのだから。
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