二百六十一話 人事を尽くし、神命を受く

 大きく開けた毒々しいその口のサイズ、ゆうに3メートル以上!

 私のようなちびっこ娘なんて軽く一呑みにしてしまいそうなサイズを誇る、海の怪魔、巨大蛇。


「キッシャァァァァァーーーーーゥ!!」


 幸いにも船が丸飲みされるようなことはなさそうだけれど、明確な敵意、殺気を放ってじゃばばばと波を掻き分け、こちらに向かって来た。


「うわあああこっち来んなバカァーーーー!」


 私は誰に指示されるでもなく、船尾に備え付けられた巨大ボウガンのトリガーを引き絞る。

 ガギィン!

 当たる角度が甘かったか!

 矢は海蛇の背中を並んで覆う、盾のような鱗に弾かれてしまった。

 背面の防御は堅い!

 狙うなら開けた口の中か、喉や腹部じゃないと!


「縄の先に錘(おもり)でもつけて、殴るか」


 翔霏(しょうひ)が冷静に、先ほどスパイダーアクションの空中浮遊に使った長縄を手にした。

 先端にこぶし大ほどの鉄球を結わえつけて、それを時代劇の武芸者が使う鎖分銅のようにひゅんひゅんと振り回す。


「食らえッ!!」


 きゅーんと風を切って真っ直ぐに飛ばされた鉄球が、大蛇の顔面を狙う!

 ばちぃん! 

 甲高い音を立てて怪魔の眉間に見事、鉄球は直撃したけれど。


「グゥゥゥゥアアアァァァァッッ!!」

「効いてないか。むしろ余計に怒らせただけだな」


 こうかはいまひとつのようだ!


「まったく、せっかくゆっくり眠れると思ったのに、なんなのでありますかこの状況は」


 不機嫌な顔で奥から出てきたシャチ姐が、海面で暴れ狂う大蛇を一瞥する。

 ほんの一瞬だけ思考を巡らせた顔を浮かべ。

 彼我の戦力差を検証した彼女のそろばん、それがはじき出した答えは。


「逃げるしかないでありますね。方向はこの際、二の次であります。風と海流に任せて最も速くここを離脱するであります!」

「しょ、承知しやした!」


 磁石も狂い、曇りの空にはまだ日の出もはっきりと見えない。

 私たちの船はその状況で、方角無視の破れかぶれに進めるだけ進んで、唐突に表れた怪魔蛇から逃げ出すしか、今できることはない!

 シャチ姐が各員に全力退避の指示を飛ばし、私の所へ来て、言った。


「大弩の扱いに適性があるようでありますね。そのままひたすら撃ち続けて、蛇の動きを鈍らせてほしいであります。頼むでありますよ」


 ポンとシャチ姐が私の肩を叩き、他の船員さんが予備の矢を大量に運んで来た。


「それって私の肩にみんなの命が乗っかっちゃってるやつじゃ……」

「同じ船に乗った以上、それは誰でも同じことでありますよ。ワタシたちは全員まとめて一個の命なのでありますから。ワタシもアナタも他の連中も、同じ命綱を握り合っているのであります」


 そうだ、船に乗った際に鶴灯くんにも言われたことだった。

 船の上では全員が、等しくお互いの命を握り合っている。

 船板一枚の下は地獄という運命を、誰もが共有しているのだ。


「わっかりました! 精一杯努めます!」


 私は心の怖気を振り払うように叫び、船員さんがつがえてくれた大弩の矢を一本、また一本と大蛇の胴に撃ち込んで行く。


「ギュアアアアァァァァ!!」


 何発かはヒットして体に食い込んでいるというのに、速度を落とす気配がまったくない!

 魚類や爬虫類は痛みを感じる神経が発達していないと言うし、そのせいで多少のダメージなんかお構いなしなんだろうか。


「椿珠(ちんじゅ)さん! 私の道具袋から魔除け弾を持って来て!」

「あ、ああ、わかった!」


 私は普段から、大きな獣や怪魔が嫌がる刺激パウダーの玉っころを持ち歩いている。

 大海蛇に効くかどうかはわからないけれど、女は度胸、なんでも試してみるもんさ!


「矢の先端にこいつをありったけくっつけてぶっ放します! 素手で触るとかぶれるのでみなさん注意して!」


 私に協力して攻撃に当たってくれている船員さんたちから、気合いの乗った声が返る。


「ガッテンダヨ!」

「なんだか嬢ちゃん、小さいシャチ姐みたいだなあ!?」


 あら、そう言われるのは決して悪い気分じゃないね?

 強く逞しく、一生懸命生きている人たちはみんな、私にとって憧れの対象だ。

 翠(すい)さまみたいに、漣(れん)さまみたいに、ジュミン先生みたいに、そしてシャチ姐のように。


「私だって、強くなれるんだからなーーーーーっ!!」


 咆哮一発、叫び声とともに発射された毒パウダーの矢が、巨大海魔の鼻っ面にぶち当たる。


「ギュイィィィィィィーーーーーー!?」


 手応えあった!

 大蛇は明確にその泳ぎを鈍らせて、頭部をびったんびったんと青黒い海面にぶつけ、刺激物を拭い去るように顔を洗っている。

 これでもう、追って来ないだろ!

 そう思っていた時期が、私にもありました。


「グッシャァァァーーーーーーーーッ!!」


 呻き声とともに。

 巨大海蛇はその口から、なにかの液体を吐いた。


「避けろっ!!」


 私は翔霏のとっさの飛び込みに庇われて、船上をゴロゴロと転がる。

 ジュウウウウウ、という不吉な音とともに、視界の先で腐った色の蒸気が立ち昇る。


「ど、毒? い、いや、酸か、なにかか……!」


 鶴灯くんの声で私は理解する。

 海蛇が吐いた液体が、船尾の手すりと大弩をドロドロに溶かしてしまっていた。


「こ、攻撃手段が、なくなっちまった……」


 まだ大量にある矢、そして火薬などを運ぶ手伝いをしていた椿珠さん。

 彼が絶望の呟きとともに膝をついた。

 この大弩はとても便利な代物で、矢だけではなく鉄球や火薬玉を射出するカタパルトとしても使えたのだ。

 それなのに、射出装置本体が敵の強酸によって使いものにならなくなってしまった。

 恐慌が満ちて行く中でも翔霏は冷静に、さっきと同じような鉄球ロープ攻撃を仕掛けようと準備するけれど、効果は小さいだろう。

 肉体を叩くのではなく、急所を深く刺さないと、あいつは倒せない。


「こんちくしょう、姜(きょう)さんを折檻する前に、こんなところで蛇のエサになってたまるかってんだ!」


 徐々に距離を詰め、私たちをその大きな口に収めようと企む巨大な蛇の怪魔。

 観察しろ、考えろ。

 私にとっての好ましい運命を、全身全霊で引き寄せるんだ!

 今までだって、私たちはそうして来たし。

 私にはそれしかできないだろ!


「翔霏! 椿珠さん! 鶴灯くん! 蛇にとっての天敵は!?」


 私の問いかけに、三人は顔を見合わせて、異なる言葉だけれど同じ意味の答えを返した。


「タカやワシだな」

「空の狩人、まあいわゆる猛禽の類だろうさ」

「へ、蛇は、と、鳥に、勝てない」


 イエス、その通り!

 そして実は今、私たちには空の王者、猛禽の神の加護があるんだよねー!!


「椿珠さん、さっきのゴタゴタで、蜻蛉(れいざん)から鳳凰の羽織を盗んでましたよね!? 私ちゃんと見てましたから! それちょっと持って来て!!」

「め、目ざといやつだな、本当にお前さんはよ」


 ふふん、雑兵の振りをして蛉斬の一張羅である大事な刺繍入り羽織を預かり、そのままこっそり自分の懐に入れてしまった椿珠さんの悪事を見逃すこの麗央那ではないわ!


「か、母ちゃんの、刺繍が、ど、どうした、って、言うんだ?」


 疑問を口にする鶴灯くんをよそに、私は椿珠さんから鳳凰の羽織を受け取って、袖を通す。

 うん、デカすぎて昭和の暴走族が着る特攻服みたいな有様になっちゃったよ。

 裾を踏んづけないか心配。

 でも不思議と、これを着たら心身に熱が籠り、力が漲って来る気がした。

 正直言うと、最初に見たときからカッコいいな、羨ましいなって思ってましたのよ。


「鶴灯くんにはまだ話してなかったけど、私、なんだか神さまと縁があるみたいでさ。また力を貸してもらおうかなって」


 気楽に言う私に、なんのことだかまったく理解が及んでいない顔の鶴灯くん。

 椿珠さんは不安そうな、心配そうな表情を浮かべて。

 翔霏は面白そうに笑った。

 私は。

 今までの記憶を走馬灯のように丸ごと高速で思い出し、その中でたくさんの人から学んだことを真似して、唱えた。

 高らかに、伸び伸びと、怖れの気持ちを持たず。

 一切は空であるの境地で、自慢の声を張り上げた。


「日の出ずる国に生まれた小さな女が、伏して願い奉る! 天翔ける日輪の大神(おおかみ)よ! 炎と命の母たる鳳凰よ!」


 背中に、旭日の光を感じる。

 東の水平線から陽が昇り始めたのだ。

 太陽の片鱗を背に負って、私の願いと祝福はなおも止まらない。


「どうか我らにその力を貸し与えたまえ! 邪(よこしま)なる魔の力を祓い、打ち勝つすべを与えたまえ! 我ら等しく、日を崇め奉る、至尊の女神の子であるがゆえに! 子を守る母の慈悲を、今ここに示し候え!!」


 ああ、太陽の女神よ。

 三本足の火の鳥、鳳凰と呼ばれる存在よ。

 私は、ぶっちゃけるとあなたが大好きです!

 日の本に生まれた一人の女として、あなたこそが天地万界の最高神であるのだと、誰に臆することもなく言い張ることができますとも!

 そんな私の願いを、いたいけでけなげなあなたの可愛い娘の声を。


「まさか、聞こえねーとは言わねーだろうなァーーーーーー!?」


 天空に向かって、吼えた。

 突如、頭の上に巨大な物体が飛び、船と海面に影を作った。

 影の主は私たちの眼前に現れ。

 宙に浮いたまま、こう言ったのだ。


『あなたのそれはお願いではありません。脅迫です。母の務めと言われてしまっては、無視するわけにいかないではありませんか。そういうのは卑怯と言うのですよ』


 炎のように燃え盛る翼をはためかせた、朱色の巨大な三本足の猛禽。

 鳳凰が私たちの前に姿を現し、実に呆れたような声で語りかけて来た。

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