第三十一章 港は受け入れる

二百六十話 一難去って

 柴(さい)蛉斬(れいざん)の指揮する船隊をなんとか退散させて、北へと針路を向ける私たちの船。


「ところでどうしてアナタがここにいるのでありますか」


 シャチ姐の冷たい突っ込みが、一人の男性へ向けられる。

 その男は蛉斬の部下たちと同じ腿州(たいしゅう)の兵服を身に纏っていた。

 蛉斬たちが帰る際のどさくさに紛れて、こっそりと私たちの船に残ったのだ。


「そう言ってくれるなよ姐さん。心配だからに決まってるじゃないか」


 兵隊さん? は口元の付け髭をぺりっと外し、目深にかぶっていた布の半帽を脱いだ。

 半端に長い髪をささっと整え、後ろで簡単にくくると、あら不思議。

 毛州(もうしゅう)が生んだ絶世の美男子にして酔っ払い商人、環(かん)椿珠(ちんじゅ)のできあがり~。


「ち、椿珠兄さん! へ、変装して、紛れ込んで、たのか?」


 良い反応で驚いてくれる鶴灯(かくとう)くんに、上機嫌で椿珠さんは説明する。


「そういうこった。お前たちを港で送った後、急いで商売の段取りをつけてな。俺もこの目であいつらの海軍を確かめようと、新兵の振りをして潜り込んだのさ。兵隊は常に募集してたから簡単だったぜ」

「私は途中で気付いてましたけどね。蛉斬に一服盛ったでしょう? 途中で飲みものを渡したときに」


 そう、私は翔霏(しょうひ)と蛉斬の対決がひと段落したタイミングで、蛉斬に飲みものを渡した痩せた兵隊のことが気になっていたのだ。

 軍人にしてはへっぴり腰だし、危ないところに近寄らないし。

 なんだあいつと観察していたら、口元表情筋の使い方や声色に思い当るところがあったので、きっと椿珠さんがコソコソ悪だくみしているに違いないと思ったのだ。


「よく気付いたなあ、俺もまだまだ修行が足りんか」

「いったいどんな毒を飲ませたんだ? 勝負は終わっていたし、あいつらの様子は特に変わっていないようだったが」


 翔霏の質問に、よくぞ聞いてくれましたと言う顔で椿珠さんは答える。


「キノコや小魚を煮て味付けした出汁だよ。身体よりも、こっちに効くやつだ」


 そう言って椿珠さんは、自分の脳点を指でツンツンとつついて指した。

 私はピンと来て指摘する。


「ああ、不安障害と被害妄想かあ。キノコの中には悪い幻覚を見たり幻聴を聞いたりするものがあるんだっけ」


 前に想雲(そううん)くんから貰った植物図鑑に載ってたわ。

 見た目は普通なので知らずに食べると、不穏な妄想や貧乏ゆすりが出るという、かなり迷惑な毒キノコが世の中にはある。

 ダメ押しのように図鑑には「極めて美味。そのため毒を承知で食するものが絶えない」とまで書いてあって「あんたも食ってるやないかーい」と図鑑の著者に突っ込んでしまったよ。


「さすがは中書堂の毒蚕(どくさん)、よくお勉強してるじゃないか」

「そのあだ名やめろや。最近は毒を使うの、もっぱらあんたのお家芸じゃん」

「ははは、確かにそうかもしれんね。食っちまうと笑ったり踊ったりするキノコがあるように、やけに悪いことばかり考えて気持ちが沈むキノコもあるってこった。今回はそれが上手くハマったな」


 私の口車に蛉斬たちが乗っかって、地元に帰りたくなった要因にも、椿珠さんが仕込んだ毒キノコ汁の効能がいくらかあったかもしれない。

 いやもう、こいつはこいつで私と別方向で無茶なことしやがるなあ。

 なにか悪さを仕組んでるってバレたら、船から放り投げられてサメのエサだぞ。

 私を含めた面子の無軌道ぶりに呆れるように、シャチ姐が首を振って溜息を吐いた。


「昂国(こうこく)にこんな連中が山のようにいるのでありますれば、これは大人しく良い子ちゃんになって商売に勤しんだ方が得でありますね。まだ頑張って抵抗してる海賊どもは、つくづくアホウだと思うでありますよ」


 フフッと、用心棒さんも鼻で笑っていた。

 思い出したように、翔霏が椿珠さんに訊く。


「軽螢(けいけい)はどうしてる? まさか同じように兵隊に紛れてはいないだろうが」

「あいつなら、お前さんたちの代わりに老先生のところで畑の手伝いをしてるよ。南の作物の育て方をしっかり学んでくれるんじゃないか」


 少しだけ胸が痛み、それ以上に感謝の念が溢れた。


「そっかあ。相浜(そうひん)に戻るときには、軽螢の好きな食べ物をたくさん買って行こう」


 確か軽螢は鶏や蛙などの脚、骨付き肉が好きだったね。

 よーし麗央那ちゃん奮発してたくさん買ってあげちゃうぞー。

 ヤギは……多分、草と野菜があればそれでいいでしょ。


「気楽にお話しされているところ申し訳ないのでありますが、目的地に着くまでが航海でありますよ」


 船に備え付けの磁針を確認しながら、シャチ姐がぴしゃりと言った。

 海流の関係で、船は一旦大きく東に膨らむように迂回してから反転して北西を目指し、目指すべき角州(かくしゅう)の半島へと至る予定だ。

 ずいぶんと故郷から離れてしまったことを切なく思う顔で、鶴灯くんが訊く。


「こ、この辺りの、海、全然、知らない。なにか、き、気を付けた方が、いいこと、あるのか」


 鶴灯くんの質問に、表情を変えずシャチ姐は答えた。


「あくまで昔話の迷信でありますが、船の墓場がこのあたりにあるという言い伝えが存在するでありますね」

「また縁起の悪い言葉が出てきたな……」


 綺麗な顔顔をくしゃっと歪ませる椿珠さん。

 私は不安感を心の端っこにひとまず追いやって、詳しい話を聞く。


「どうしてそんな伝説が生まれたんでしょうね? 巨大なサメや鯨、ダイオウイカみたいなのに船が襲われたとかでしょうか」

「ハッキリとしたことはわからないのでありますが、なにやら磁石の針路が狂うとかなんとか……あ、ちょうど話している間に、この船の磁石もおかしな動きをするようになったでありますよ」


 シャチ姐の言葉に驚いてその場の全員が、南北を正しく示すはずの方位磁針を確認する。

 針はプルプルと震え、そう思ったらぐるぐると激しく回り出し、進むべき方向が分からなくなってしまった。

 と言っても、海上で方角を確かめる手段は磁石だけではない。

 そのことを知っている翔霏が冷静にコメントした。


「朝を待てば日も昇る。日の出を見れば私はどこにいても東西南北がわかるから、ここで船を停めて休息したらどうだ」


 夕方から夜にかけて蛉斬たちと大立ち回りをしてから、船を進めること数時間になる。

 しばらくすれば明け方を迎えるので、余計にバタバタせずに休むというのは良い案だね。


「そうるすしかないようでありますね。寝れるときに交代で少しでも寝ておきましょうであります。ワタシも少しばかり疲れたのでありますよ」


 休憩の段取りを船員たちに伝えて、シャチ姐は船室に入って行った。

 随伴船のみなさんも、船同士をロープで結わえて海上にのんびり揺蕩(たゆた)っている。

 興奮していてまだ眠れそうにない私は、同じく暇そうな椿珠さんを捕まえて雑談に興じる。


「なんで磁石が狂うんだろ。なにかそういう噂話とか知らない?」

「俺に聞かれてもな。そもそもこの海路で昂国(こうこく)相手に商売しようとするやつが今までほとんどいなかった。東海でマグロや鯨を獲ってる遠洋漁民しか、ここの不思議な様子を知らないんじゃないか」


 目ぼしい情報はないけれど、ならば観察あるのみだ。

 船は錨を降ろし、海流で変な方向に流されないように場所を固定されている。

 

「錨が降りる、海底に付くってことは、ここはそんなに深い海じゃないんだよね」


 深すぎると錨のロープの長さが足りず、海底に接地しないのは自明の理だ。

 私の呟きに、鶴灯くんが頷く。


「縄の、長さは、に、二百歩も、ない、くらいだ。多分、ここだけ、か、海底が、盛り上がって、るんだと、お、思う」

「盛り上がってる……? ああ、海底火山かなあ。ならこの真下は溶岩の鉄鉱石だらけだ。だから船の磁石が狂っちゃうんだね」


 考えてみれば簡単なこと。

 方位磁針を狂わせるほど大量の磁鉄の鉱床が、物理的にこのエリアに存在しているだけなのだ。

 椿珠さんが感心して、船の縁から海を覗く。


「迷信や思い込みの伝承にも、なにかしら対応する明確な事実があるもんだな。なるほど、火山なら磁石や鉄が多いのは納得だ。海の底なんざ、掘りに行くこともできないのが残念だが」

「私の故郷の海底には、凄く優秀な燃料がいっぱい眠ってますよ。一億人の暖房を何年も賄えるくらいの。もちろん掘りに行くのは無理みたいですけど」


 メタンハイドレートというやつだ。

 メタンガス系の燃料で、世界中にあるという意味では別に珍しいものではない。

 けれど永久凍土や海の底にしか埋蔵されていないので、石油のように一般利用するのが難しいエネルギー源である。

 私が昂国(こっち)でうろちょろしている間に、日本では実用化が進んでいるのだろうか、どうだろうか。


「一億人とは大きく出たな。それだけの燃料が手に入るなら、誰も飢えや寒さに苦しまないんだろうが……」


 椿珠さんがその言葉の先に、商売上の利益を見ているのか、天下万民の安寧を見ているのか。

 私もよくわからないまま、並んで海面を見つめた。

 同じく翔霏と鶴灯くんも船の縁にある手すりに体を傾け、未明の海面を揃って眺める。

 その中で翔霏があることに気付き、言った。


「なんだか海面が急に盛り上がったが、あれも火山がどうのこうのと関係があるのか」


 私たちの眼ではとらえ切れないくらいの距離、視界の先になにか変化があったらしい。

 その直後、私たちの乗っている船全体が、大きく揺れた。


「なななななんだ、なにごとだ!?」


 手すりにつかまりながら大声でわめく椿珠さん。


「ンギィ!」


 私もすってんころりんと甲板の上を転がり、縄止めに頭をぶつけて超痛い。

 なんとか体勢を立て直し周囲の様子を見ると、ちかちかする視界の端が、異物を捕えた。

 一瞬、夢か幻かと思ってその存在を脳が自動的にデリートしようとしていたけれど。


「う、う、海蛇の、怪魔か!?」


 鶴灯くんの一声で、現実に引き戻された。

 そうですよね、陸にたちの悪い魔物がいるんですから、海にいないわけもなく。


「ゴシャアアアアアアアアァァァァァッ!!」


 どっぱーんと波しぶきを上げて調子良さそうにのた打ち回る、大蛇のような化物が、私たちの船を見て舌なめずりを見せた。


「あれは、倒せんぞ。私には」


 現実主義者の翔霏の一言が、目の前の海獣スペクタクルよりも重かった。

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