二百五十七話 槍棍乱舞

 巨漢、船に飛び乗る。


「船を調べるのに協力的でありますれば、大人しく帰ってくれるでありますか?」


 シャチ姐と用心棒さん、百戦錬磨の二人に睨みつけられながらも。


「そういうわけには行かないな! とっ捕まえて調べるのは俺っちの仕事だが、後のことを判断するのは俺っちの役目じゃないんだ!」


 陽光の如き朗らかな笑顔を微塵も陰らせることのない、蛉斬(れいざん)という男。

 言葉は通じるけれど話が分からないやつの典型だ。

 ひょっとすると「相手がなにを言っても交渉には乗るな、それはこっちでやるから」と姜(きょう)さんに固く言い含められているのかもね。

 道具はものを考えるな、道具の義務をまっとうしろ、と言う在り方である。

 マジでこういうタイプが一番、相手にしにくいんだよなあ……。


「貴様ーーーーーッ!! そのデカい図体で麗央那を怖がらせるなーーーーーッ!!」


 翔霏も連続ワイヤー八艘ジャンプを決めて、急ぎ私たちの船に戻って来る。

 神業のような翔霏のアクロバットを見て、蛉斬はより一層、楽しそうな煌びやかな笑顔を放った。


「いやあ驚いた! 海の上でも吹雪は激しく舞うものだな!!」

「誰がいちいち上手いことを言えと言った!」


 翔霏も蛉斬のテンポに付き合わされるのは苦手のようで、苦虫噛みのへの字口で向かい合う。

 そうしているうちに蛉斬の部下が落ち着きを取り戻し、次から次へとこちらの船へ、梯子を渡して乗り込んできた。

 苦い顔でそれを見つめていたシャチ姐だけれど、ここで抵抗して殺される可能性を危惧したのか。


「キサマたち、武器を降ろして船首の方に行っているであります」

「へ、へい……」


 闘争の意志がないことを示し、部下たちを一か所に集めて蛉斬の兵と引き離した。

 シャチ姐が指揮するここ、母船の周りには、仲間の小型随伴船もいくつかいる。

 そのうちの一隻を緊急脱出用に想定して、隙あらば逃げようという作戦は、事前に話されてはいた。

 けれどその余裕もなさそうで、船は徐々に取り囲まれつつある。

 しかも私たちが逃げるかもしれない方向、東側を厳重に阻む形でだ。

 もっとも、シャチ姐は仲間を見捨てて逃げるとすべての信頼を失うので、その一手は採用しなかったと思うけれどね。

 厳つい人たちがピリピリした空気で対面する中、鶴灯くんが小声で呟く。


「母ちゃんの、し、刺繍、着て、くれて、るんだ」


 蛉斬の羽織っているマント? 外套? の中間的な長衣の背中には、見事な三本足の鳳凰が縫い込まれ描かれている。

 今にも命を得て羽ばたいて行きそうな躍動感は、センスに鈍い私でも十分にわかるほどだ。

 まったくよお、殺伐とした場面だというのに一人だけ明るくて華やかですこと!

 あれは鶴灯くんのお母さんの手仕事で。

 いやらしい話ですけれど、腰が抜けるほどの儲けになったらしいですよ。

 もともと蛉斬に憧れていた鶴灯くんは、そう言った事情もあり蛉斬への敵対心を持ちにくいだろうな。

 けれど私は性格が悪い女なので、あえてこう訊こう!


「な、なにか他に蛉斬の弱点とかないの? 今この場で採用できるようなさあ」


 私の小物ムーブに鶴灯くんは眉を顰め、ウーンと唸る。


「か、家族想い、ってのは、有名だ。他に、よ、弱味なんて……」

「それは私も知ってるよぉ。でもこんなところじゃ人質も取れないじゃん」


 我ながら最低なことを言いつつ、私は脳みそをウンウン捻りまくる。

 横では鶴灯くんが、どうでもいい蛉斬の情報を続けている。


「い、妹、さんが、十二人、いるって、話だ。み、みんな、気が強くて、蛉斬さまに、懐いてる、から、よ、嫁さんが、来ないって」

「なんだよそれ、ギャルゲー主人公かよ」


 口うるさい小姑が十二人、想像しただけで地獄である。


「あ、あと、お母さんの、ご飯が、す、好きすぎて、どこで、なにを、食べても、い、いちいち、比べてる、とか」

「うわ最悪、鳥肌立つわ。マジで絶滅した方が良い種の生きものでは?」


 蛉斬のやつが、イケメンでモテそうな割りに色っぽくないのはその辺の事情か。

 要らんよ、そんな明日にも使えそうにない無駄知識!

 お母ちゃんを大事にするのは素晴らしいけれどな、気持ちを表現するにしても、言い方とか塩梅ってもんがあるんですよ。

 などとバカ話に興じている横で、蛉斬を睨みつけている翔霏が高らかに宣言した。


「そう言えばこれから私は、日課の訓練に取りかからねばならん。障害物があるようなら勝手に蹴散らすまでだが、それは私の日課を邪魔したやつが悪いのであって、私にはなに一つとしてお前らに対する害意も敵対心もないと言っておかなければならないだろう」


 そして服の中に潜ませていた愛用の鋼鉄伸縮棍をシュバッと伸ばし、先端を蛉斬に突きつけた。


「まずは基本の左右打ちこみ素振りだ! 近寄ると怪我では済まんぞ!」


 叫ぶなり、翔霏は傍らに人などなきがごとしのテイで、ヒュオンヒュオンと棍を振り始めた。

 

「あ、危ねぇっ!!」

「こ、こいつ!? またいきなり暴れ出しやがった!!」


 理屈の通じない、極めて危険な獣に遭遇したように、蜘蛛の子散らしの有様で蛉斬の部下たちが逃げ回る。

 私やシャチ姐がなにか良い案を思いつくための時間稼ぎを、翔霏は買って出てくれたのだ。

 けれどそれで怯むような南川無双、柴(さい)蛉斬ではなく。


「はっはは! 毎日の課題なら仕方ないな! どれ、俺っちがお節介ながらもその特訓の相手をしてやろうか!」

「要らん! 邪魔だ! 帰れ! 大人しく寝てろ!!」


 ギィンギィンギィン! 

 眼にも止まらぬ翔霏の打撃を、蛉斬は笑顔を保ったまま槍の柄で受け止めて。


「突きを躱す練習はどうだ?」


 翔霏に対し、切っ先とは逆の石突の部分で、高速の踏み込み突きを放つ。


「ぬぐっ!?」


 ガンガンガンガン!

 あの翔霏ですら華麗に避けることのできない、防ぐのが精いっぱいという疾風怒濤の四連突き。

 マシンガンのように立て続けに、一回の挙動で四発の打撃音が聞こえるほどだった。

 

「よく防いだな! さあ次はお前の番だぞ! どんな特訓をするのか楽しみだ!」

「この……!!」


 歯ぎしりした翔霏が、強烈な片足の踏込でバキィッと船板を割る。


「食らえ大バカ野郎!」


 壊れた板を蹴り上げて目潰しを仕掛けた翔霏。


「おおっと?」


 それを難なく槍の柄で弾いた蛉斬だけれど、意識が上方向に持って行かれて、低い姿勢で横に素早く回る翔霏を見失っている。


「でぇい!!」


 死角となった膝裏を、翔霏は1シーズン50本以上はホームランが打てそうな見事なスイングで狙うけれど。


「うぉっそう来たか!」


 ゴィィン!

 蛉斬は即座に槍を地面に突き立ててそれを防ぎ、反動で後方にステップし距離を取る。


「ならこういうのはどうだ?」


 翔霏の攪乱戦術に触発されたのか。

 蛉斬は翔霏のお株を奪うような高速ステップで、左右に素早く移動しながら間合いを詰めて。


「とおりゃっ!!」

「がっ……!?」


 槍の前後を使い、強烈な上段振り降ろしからの、下段突き上げというコンボを炸裂させた。

 左右の動きに相手の眼を慣らせておいて、強烈な垂直方向の攻撃、しかも上下二連発。

 心理の死角を突くミスディレクションを、蛉斬も高い次元で操るのか!


「お、かすったか? 大怪我をしないのはなによりだ!」


 翔霏はなんとか上からの一撃目を棍で防ぎ、下からの二撃目をバク転して回避したけれど。


「くっそ、デカい図体で小賢しい真似を……!」


 うっすらと、左頬に縦長の赤みが差している。

 こいつ、分かっていたけれど本当に、想像をはるかに超えて強い!

 蛉斬は、自分の腕力と運動神経だけでゴリ押しして槍聖とまで呼ばれるようになったわけじゃない!

 極めて高度なレベルで、技術を磨きに磨き抜いた修練の痕跡がハッキリと見て取れるのだ!


「正直言って驚いているぞ! 今ので死ななかったのは紺(こん)、お前がはじめてだ! 自分が身に付けた技を、なんの遠慮もなくすべて使い切れるってのは、最高の気分だな! さすがは北方無双、天下の太原に吹き荒れる地獄吹雪だ!!」

「やかましい! 私はいつもの修練を邪魔されて、なにひとつ楽しくないぞ!」


 朗らかな蛉斬と、怒号を喚く翔霏。

 人並み外れて強いという共通点があるのに、まったく分かり合えていないのが凄いな。

 翔霏も若干、陰キャのケがありますからね、蛉斬みたいなのは苦手だろう、わかる。

 何度かお互いの武器をぶつけて鳴らし合わせ、距離を取った蛉斬。

 さっきまでより幾分か落ち着いた声で、翔霏に語りかけた。


「紺、俺っちは槍を修めようと思ったガキの頃から、いつか辿り着きたいと思っている境地があるんだ。今、お前とならその高みに至れるかもしれない。ちょっと付き合ってくれないだろうかな?」

「知るか、勝手に一人でどこへでも行って野垂れ死ね。私を巻き込むな」


 さすが地獄吹雪さん、絶対零度の反応である。

 気にせず言葉を続ける蛉斬の精神的タフさが羨ましくなってきた。


「そう言わず聞いてくれや。俺っちはな、槍の極意は先手必勝、一撃必殺、二の打ち要らずだと思ってるんだ。防御も牽制も、誘いや返し技も、それができないから仕方なく身に付けているに過ぎないんだってなぁ」


 しみじみ語る蛉斬に、翔霏含めその場の誰もが耳を傾けた。

 一撃、必殺。

 それは確かに武の神髄であり、最終到達点なのだろう。

 無駄なことが介在すればするほど、真理から遠ざかるというのはなにも武術やスポーツに限った話ではない。

 勉強でも仕事でも、きっと芸術や人間関係の世界でも、極限まで無駄を削ぎ落とし、嘘も誤魔化しも、混じりっけ一つないものは。

 きっと正しく美しい、唯一無二の真実なのだ。


「それができれば誰も苦労などしない。みっともなく無駄なことを繰り返して、どうにかこうにか『そのとき限りの本物』を一かけらずつ掴んで集めながら、誰だって生きているんだ」


 弱さの価値を知った翔霏は、そう答えた。

 理想は理想、届かないとわかっている。

 けれどもみんな、不細工に足掻きながらでも、届かないとわかっているその理想に少しでも近付こうと頑張るのが尊いのだ。

 最短最速、一切の無駄もなく至高の真理に届く人間など、どこにもいないのだし。

 届くやつはきっと、人間をやめている。


「届かないと弁えているお前、いつか届くと信じている俺っち。さあ今はどっちが正しいんだろうな? 神はどっちに微笑んでくれるだろうな?」


 そう言って蛉斬は中腰に構え、槍を引く。

 今から突くぞとアピールしているような、作戦もへったくれもない、真っ直ぐな構えだった。

 翔霏にとっても蛉斬にとっても、一足を踏み込んで跳べばお互いの攻撃が届く距離。


「ったく、どうして私がそんなことに付き合う必要がある……」


 なんて言いながらも、翔霏だって防御を捨てた攻撃重視の前傾姿勢で棍を構え直した。

 他の誰もゴーサインを出さない、当人同士の呼吸だけが合図の立ち合い。

 翔霏の一撃と、蛉斬の一撃と。

 どちらが「武の真理」により近いのか、それが今、証明される。


「キサマはどう見るであります」


 緊張した声色で、シャチ姐が用心棒さんに訊いた。


「相打ちだな。本気ならどっちも死ぬぞ」


 残酷な予言のすぐ後に。

 翔霏と蛉斬のどちらか、あるいは両方が船板を強く踏み蹴る音が響いた。

 私はただ、信じるのみ。

 今の翔霏は、決して最強ではないけれど。

 だからこそ、誰が相手だって、負けない。

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