二百五十六話 吹きすさぶ雪片と突き刺さる陽光
ぶっとい錐(キリ)のような鋭い穂先の槍を携えて、甲板の上に仁王立ちする大男、柴(さい)蛉斬(れいざん)。
南川(なんせん)無双、槍聖とまで讃え称される、昂国(こうこく)南部きっての腕自慢だ。
遠く離れた場所からでもその堂々たる巨躯がよくわかる。
ピクリともバランスを崩さない立ち姿はまさに、船と共に生きてきた年月を感じさせる。
武器にしている直槍と併せて、彼の生き様の真っ直ぐさを如実に表しているようだった。
「おおーー!? そこにいるのは翼州(よくしゅう)の、地獄吹雪じゃないかあーーー!! どうしてこんなところで、お前が東国の船に乗っているんだーーーーッ!?」
翔霏(しょうひ)が船尾に姿を現したのを見て、蛉斬が問うた。
なんと答えていいものか、そもそもこちらの声が向こうに届くものか。
と、苦い顔で私に目配せして黙っている翔霏。
頷いた私は、南の大男になんか負けねえよ、とばかりに気合いを入れて息を吸う。
数少ない、自慢できる得意技の大音量を、大海原に高らかと響かせた。
「この船に、やましいところなんてないんだよォーーーーーーッ! さっさと帰って仲良しのお友だちと、裸踊りでもしてやがれーーーーーーーッ!!」
叫びながら私は気付く。
少なくとも蛉斬は、私たちが東海の商人と組んで、海で資源漁りをしていることを、今の段階では知らない。
姜(きょう)さんが伝えていなかったのか、そもそも姜さんも私たちがそんなことをしていると知らなかったのか。
後者はないとして、やっぱり前者だろう。
「よくわからんが、とにかく止まれーッ! 話はその後ゆっくり聞いてやる! なあに知り合いのよしみだ! 悪いようにはしないから、安心しろーーーーッ!!」
実際こいつはバカ正直に、自分の仕事を全うしようという考えしか持っていないのだから。
余計な情報を与えて彼が逡巡する可能性を避けたかったのだと考えると、姜さんの取った対応はおそらく正しい。
「挟まれるな、このままだと」
私の横で凄腕剣客の用心棒さんが呟く。
蛉斬たちの船隊はV字の陣形を組んで、谷間に私たちを挟んで囲むように近付いて来ている。
私の悪い予感は当たっていた。
甲板には帆が立ち、船の横っ腹には無数の櫂(かい)が突き出ているタイプの、帆櫂(はんかい)併用船である。
きっと船底では数多の東海囚人が、明日の希望も微かに死ぬ気で船を漕がされていることだろう。
「このままあいつらに捕まると、どうなるんだ?」
蜻蛉を睨む視線を外さないまま、翔霏が周囲に尋ねた。
「間違いなく腿州(たいしゅう)に連れ戻されるであります。ワタシの予想では、つまらない罪をでっち上げられてブタ箱行きでありましょうかね」
「その後は哀れな連中と一緒に、やつらの船の底で櫂を握らされてるかもしれんな」
シャチ姐と用心棒さんが答えたものが、ほぼ百点満点の正解だろう。
私や翔霏はともかく、外国人であるシャチ姐たちに姜さんは容赦をしない。
姜さんが私たちの計画を知っているとすれば、それも瓦解させることができて一石二鳥だ。
シャチ姐とそのお仲間以上に、私たちの考える商業作戦を高いレベルで実行できる人材、組織など、もうどこを探してもいるわけがないからね。
「で、でも、相手は、く、国の、軍だ。戦ったら、余計に、まずい」
そう、鶴灯くんの言ったことが私たちにとって最大の泣き所である。
抵抗して戦闘して、蛉斬たちにダメージを与え、逃げる時間を稼ぐこと自体は不可能でもないだろう。
シャチ姐の船団も翔霏も、それくらいには強い。
けれどそんなことをすれば私たち全員が罪人になり、角州(かくしゅう)に鯨のお香を売りに行くどころの話ではなくなってしまう。
悩んでいる間に、相手の船はぐんぐんと近付いて来る。
波に揺れて上下する船尾の甲板。
「船を漕がされてる人たちが、今だけでもやる気をなくしてくれたらなあ」
馬鹿馬鹿しく、そしてあり得ないことを、私は思わず呟いた。
相手が勝手に調子を崩してくれれば楽なのに、と思ってしまうのは、良くない傾向である。
それを聞いた翔霏が、なにかを思いついたように言った。
「一つ話し合いに行くか。あくまでも平和的にな」
そして、船員さんの一人が握っていたバール状の鉤付き鉄棒を見て、頼んだ。
「少し貸してくれ。話し合いに必要なんだ。あくまでも話し合いにだ」
鉤の反対側は輪っかになっていて、長い縄に繋がっている。
引っかけて引っ張ることで、こっちの船と対象物を引き寄せることができる器具だ。
忍者映画で、お城を登るときなどに使われる鉤縄と似たような役割を果たす。
どう見ても話し合いの道具ではありません、本当にありがとうございました。
「エ、イイヨ。デモ……」
殺意しか感じられない曲がって尖った凶器を、船員さんからひったくるように受け取った翔霏。
縄の端を自分の腰に巻き付けて結び、安全帯のような状態に装備した。
お互いの声が十分に聞こえるくらいの距離に、一番近くの船が迫って来る。
「なにか誤解があるようだから、ひとまず私がそっちに行く! 話し合いだからな! 卑怯な真似をしていきなり攻撃してくるなよ!」
大声で呼びかけた翔霏に、蛉斬が返す。
「聞き分けてくれて嬉しいが、お前ではなく船長と話がしたいんだ! まあいい! 今そっちに横付けするから待ってろ!!」
その言葉を受け、先頭を進んでいた船がこちらに幅寄せのような格好で近付いて来た。
V字の陣形がわずかだけれど崩れて、描く谷間の入り口が狭くなった形になる。
横殴り気味の海風を受け、波に煽られ私たちのいる船尾が上下に揺れる。
その反動を、利用して。
「私の方から行くと、言ってるだろーー!」
助走をつけて。
甲板から船尾に猛ダッシュして叫び。
翔霏が、跳んだ。
自分たちの船から相手の船へ、海面を超えて飛び移るつもりだ!
「こ、紺、無茶だ! お、泳げないのに!!」
「うるさーい! 泳げないのがなんだーーー!!」
普段の翔霏は、十歩くらいの距離なら助走をつけずに一足飛びできる。
それが猛然と走って飛ぶことで距離は倍になり、さらに揺れる船の上下反動を利用して、船体から投げ出されるようにジャンプすることで飛距離はさらに倍!
その上になんと今回は、鉄鉤付きの長縄もあり。
「上手いっ! 帆柱に引っかけた!」
得られる最大距離は通常のジャンプの数倍から十倍に至る!
「どんなもんだーーーーっ! 海の上だろうが飛んでやるんだーーーーー!!」
私が手に汗を握って見守る中。
翔霏は目算しただけでも数十メートルはありそうな距離を、無事に蜘蛛男ムーブで飛び、蜻斬の部下たちが乗る船の一隻に降り立った。
きっと、小獅宮(しょうしきゅう)で空を飛んだ経験がなかったなら。
翔霏は今、こうして海原の上を翔けようとすら思わなかっただろう。
呪いで力を失っただけじゃない。
翔霏は弱くなった分、自分のできることを増やして、自分の世界を広げて行こうとする、新しい力を獲得したんだ!
自由に空を翔けてこそ、私たちの翔霏だよ!!
「無事なのは僥倖でありますが、一人で向こうへ行ってあの子はなにをするつもりでありますか」
私が興奮感激しているのと対照的に、シャチ姐が渋い声で言った。
「そりゃあ、しっかり話し合って分かってもらうつもりでしょう」
私の答えにシャチ姐は「お前はなにを言ってるんだ」という感情をまったく隠さず、能面のような真顔になった。
けれど私が言った通り、翔霏は自分が移った隣の船の上で、まずこう言った。
「お前らの船の甲板、腐ってるんじゃないか? ほら、この通り」
その場で足を鋭く踏み込んで。
バキィッ!
甲高い音とともに、板に穴が空いた。
とんでもなく強い踏み込み、いわゆる震脚(しんきゃく)と言うやつだろう。
「お、お、お前!? ななななにしてるんだーーーー!!」
蛉斬の部下が慌てて叫び、翔霏を拘束しようと掴みかかるけれど。
「私に触るな! 知らん男に触られるのは大嫌いなんだ!」
猛烈な下段蹴りを膝横にしたたかに打ち付けられ、哀れな水兵はつんのめってバランスを崩し、甲板をゴロゴロと転がった。
「て、て、抵抗しやがったな!? こうなっちゃ申し開きはできねえぞ!?」
「今のは不可抗力だ。嫁入り前のか弱い婦女子に、卑猥な狼藉を働こうとしたお前の仲間が悪い。尻でも撫でられるかと怖かったんだぞ」
そんな屁理屈を聞いて、今までむっつり顔で事態の推移を見守っていたシャチ姐が、抱腹絶倒した。
「あっはははははは! 確かに温和な話し合いであります! 翔霏さん、その調子で八隻の船みんなと、じっくり話し合いを続けてくださいであります!!」
「そのつもりだ! さあ次の船の連中とも、納得の行くまで話し合ってやる! あーーあーわざわざ寄って来なくてもいい、こっちから飛んで行くからな!」
船の兵たちが唖然とする中、翔霏は先ほどと同じ要領で足場の反動と鉤縄を利用し、次の船に飛び移った。
「お? この船にはネズミがいるな! よーしよし私が退治してやる! ネズミがいると変な病気にかかりやすいと言うからな!」
そう言って、笑顔でバールのようなゴツい鉤付き鉄棒を振り回し、甲板に次々と穴を空けて行く翔霏。
「こら、逃げるな! すばしっこいネズミだ! 甲板が穴だらけになってしまうじゃないか!」
バキィ、ベキィ、メキャァと、軽快に打撃破壊音がこだまする。
うん、船のような閉鎖された環境でネズミが保菌している伝染病なんかにかかっちゃ、洒落にならないからね!
小獅宮で学んだ医学衛生学が、身になってるなぁ、と私も嬉しい涙でホロリ。
「よよよよ、余計なことをするなァ!!」
「誰かこの女を止めろーーーーッ!!」
翔霏の真心から来る親切に、船団は阿鼻叫喚の渦と化した。
一つの船で「話し合い」を終えたら、また次の船での「話し合い」に移る翔霏。
「ん~~? なにか臭いな!? 船の底で食料でも腐ってるんじゃないか? 腹を壊すといかんから、私が確かめてやろう!」
「お、お頭ーー! どうにかしてくれー! この女、頭がおかしすぎて、手に負えねえーーーー!!」
悲鳴とも取れる懇願の声が響く。
楽しそうに船から船へと飛んで、余計なおせっかいを押し付けまくる翔霏。
軽やかに海を渡るその光景は、まさに源義経。
「は、八艘跳びだ……翔霏一世一代の、地獄吹雪東海八艘跳びやぁ……」
私はもう、生きている間にこんな光景が見られて、喜びの涙を怒涛のように溢れさせていた。
初恋はヤマトタケルだったけれど、その次に好きになった男性は源義経ですので。
両方、悲劇的に滅ぼされちゃうんで、側に付き従った女性はきっと大変なんてもんじゃなかったでしょうけれどね。
あれ、私って結構なダメンズ属性だったりする?
「隊列が崩れた。漕ぎ手も甲板での騒ぎが気にかかってるんだな。進みも遅いし小回りも鈍い」
私のようなバカ女をよそに、用心棒さんが冷静に海上の局面を言語化した。
綺麗なV字編隊で進んでいたはずの八隻が、翔霏の立ち回りのおかげでガッチャガッチャのカオスに乱れてしまっている。
そりゃ、頭の上でおかしな女の子が笑いながら暴れていたら、船底にいる漕ぎ手の皆さんも動揺しますわな。
「かなり密集しているでありますね。あれだと次の動きに移る際に他の船が邪魔になるであります。ここが好機でありましょうか」
シャチ姐は、敵がもたついているこの隙に、大逃げを仕掛けようとしているのだな。
ちょうど良い頃合いで、風は西から東へと吹いている。
昂国の陸地から離れたさらに沖へ逃げるには絶好の条件だ。
一旦は外洋の真ん中へ逃げるようなルートを採用すれば、櫂の漕ぎ手をメンテナンスしなければならない蛉斬の船を引き離すこと、諦めさせることができるかもしれない。
補給がないと、櫂船は文字通り力尽きるからね。
「おい、不味いぞ」
私とシャチ姐が希望的観測に胸を躍らせていると、用心棒さんが警戒を促す発言をした。
視線の先には、翔霏のわんぱくでしっちゃかめっちゃかになっている船が多数、なのだけれど。
「なるほど、そう言う手で来るのか! お前たちは本当に面白いな!」
最も西側にいた蛉斬の船だけが、周囲の混乱を完全に無視して、真っ直ぐ全速力でこちらに向かって来る。
位置的に追い風を受ける形になっていて、その速度から私たちの船が逃れるすべはない!
「ぶ、ぶつかる! みんな、伏せろ!」
鶴灯くんの言葉にハッとして、私は甲板に身を這いつくばらせる。
船の上で衝撃に見舞われときは、下手に立っていると海に投げ出されてオシャカなのだ。
ゴォォォォォン! と鈍く重い音が鳴り、甲板が鬼のように揺らされまくる。
蛉斬の船の先端に備えられた衝角が、シャチ姐の船の左後方に突き刺さった。
この船は内部の倉庫を厳重に隔壁で仕切っているので、多少の穴で沈没したりはしないけれど。
「よぉっ、と!!」
棒高跳びの要領で槍を使った蛉斬が、こっちの船にふわっと舞って乗り込んで来てしまった!
まさか仲間たちの混乱を無視し、それを立て直そうともしないで最短距離でこっちに突っ込んで来るなんて。
この北原麗央那とあろうものが、こやつの愚直っぷりを見誤っておったわ!
「船が狭くなるでありますから、さっさとお引き取りくださいであります」
想定外だったのはシャチ姐も同じなようで、悔しさに歯噛みした顔で言う。
マジで、そのデカい体が甚だしく目障りで邪魔なんだワ。
「そう言うな! さあみんなでじっくり『話し合』おうか! この船を隅から隅まで調べながらな!」
相変わらずの笑顔を崩さず、曇りのない瞳で蛉斬が高らかに告げる。
ああ、おそらく私は、私たちは。
この手の人間に、極めて相性が悪いのだ!
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