二百五十五話 裁くのは誰だ

 武装商船シャチ号とその随伴船団、帆にたっぷりの風を受けて北上中。

 もちろん、柴(さい)蛉斬(れいざん)率いる治安部隊に遭遇したくないという理由で、超必死である。

 会えば絶対に面倒臭いことになるに百万ペリカ。


「ワタシはちょっくら、捕虜の連中に『尋問』してくるであります。蜻蛉の部隊のどんな情報でも、今は喉から手が出るほど欲しいでありますからね」


 シャチ姐がそう言って船室奥へ向かう背中に、私は声をかけた。


「同席させていただいても、構わないでしょうか」


 私が申し出たのに対して、シャチ姐だけでなく、翔霏も驚きの顔を浮かべて注意を寄越した。


「麗央那、できれば外した方が良いと思うのだが……」


 シャチ姐は、捕虜を過酷に拷問する可能性がある。

 その様子を私に見せないように、二人は気を遣ってくれているのだ。


「大丈夫、決して邪魔はしません。でもなにか、わかることや気付くことがあると思うんです」


 私は表情を固くして、強く言う。

 翔霏は軽く溜息を吐いて、申し訳なさそうにシャチ姐に頼んでくれた。


「差し出がましいことはしないので、どうかお願いできますか」

「よろしいであります。まあ今さらなにが起きても騒ぐような子たちではないと、わかっているでありますよ」


 こうして私たちはシャチ姐の理解を得て、捕虜の海賊たちが押し込められている船底の貨物室に向かった。


「……う、ううう」

「俺たち、どうなるんだぁ?」

「後生だ、後生だから命だけは、命だけはぁ……」


 痛々しいまでに怯え切っている捕虜たちが、暗い船室で身を寄せ合っている。

 確かにこの空気は、キツイ……。

 けれど敵さんが素直に情報を吐いてくれれば、シャチ姐も無駄な暴力は振るわないだろうと信じて、私は端っこの壁際に静かに控える。


「お、俺、いても、いいのか?」


 念のためのアドバイザー兼通訳として、鶴灯くんにも同席してもらっている。


「もちろん。頼りにしてるからね」


 彼は東海の言葉も多少ならわかるので、シャチ姐と捕虜たちの会話を私と翔霏に連絡してくれるのだ。

 シャチ姐の、感情を滲ませない問いかけが始まった。


「ワタシが聞きたいのは単純であります。キサマらがちょっかいをかけた蛉斬の部隊、その兵員構成や船の仕組みなど、わかることはすべて洗いざらい、ここでぶちまけるでありますよ」


 捕虜たちはお互いに顔を見合わせて、何度か確認の頷きを交わした後で、言った。


「れ、蛉斬の隊は、あいつが直接に舵取りしている船の周りに、お、おそらく六、七隻の編隊を組んでいやす」

「中小型の船を並べて、敵を囲むやり方でありますか」


 さすがにシャチ姐は船の戦いを熟知しているようで、少ない情報から的確な想定を浮かばせた。

 主たる母艦が作戦と指揮を飛ばしてふんぞり返るのではなく。

 狼の群れが獲物を各自、じわじわ追い詰めるように、複数の船が連動して臨機応変に敵を討つスタイルなのだろう。


「ま、まさにその通りで。あっしらがぶつかったのは夜だったもんで、詳しくはわからねえんですが、蛉斬たちの船、恐ろしいほどの速さで、小回りも利きやがって」

「ここに来るまでに仲間の船は、全部……」

「入れ代わり立ち代わり、次から次へと別の船に囲まれて、行く手を塞がれながら襲われっちまって。まるでなにがなにやら、わからねえ始末でやんした」


 速さ、と捕虜たちは語った。

 姜(きょう)さんが作戦行動に入る際に、最も重要視しているファクターである。

 一般的に帆船(はんせん)は、風を受けたり海流に乗って進む。

 船を操る作業者の能力以外では、その運動性に大きな差は生まれにくいはずだ。

 それが、歴戦の海賊たちが目を見張るほどに速さの次元が違うというのは、どういうことだろう。


「青年、そんなに速い船の秘密を、腿州(たいしゅう)はいつの間にか手に入れていたということでありますか?」


 シャチ姐に問われた鶴灯くんは、首を振って瞬時に否定した。


「と、東海の、船と、そこまで、変わらない、はず。ぐ、軍船は、装備とかのせいで、む、むしろ、遅くなる」


 常識的に考えて、その通りである。

 必勝を期待されている姜さんの軍勢は、兵員の数も、武器や食料も、商船や海賊船とは比べ物にならないくらい、大規模で重い。

 それなのに、百戦錬磨の海賊、洋上のベテランたちより機動性の高い船隊を編成できる理由がわからない。

 あのモヤシ野郎、なにかチート技術とか使ってねえだろうな?

 私たちが考え込む中、翔霏が素朴な疑問を発した。


「海を往く船は、櫂(かい)で漕がないものなのか? この船も布を張って風で進んでいるだけのようだが」


 鶴灯くんが、それは現実的でないという理由を翔霏に説明する。


「が、外洋で、櫂を漕いで、船を、進ませる、なんて、誰も、やらない。内海と、違って、な、波の、抵抗が、凄いから」


 川面や湾の中のように波が穏やかで移動距離が短いなら、小舟や筏を櫂で進ませることは普通にあることだ。

 けれど海流が激しい外洋でそんなことに人的リソースを割いても、効果は低いということだろう。

 漕ぎ手だって人間だから、お腹も減るし休息も取る。

 簡単に言うと、疲れすぎて燃費が悪すぎるのである。

 そう、普通なら、損得を考えられる人間なら、やらないことだけれど。


「総司令官は、姜さんなんだ……」


 私は基本の大前提に立ち返って、あり得ない、けれどあの男ならやりかねないことに、考えを巡らせる。

 用意できる資源を、人材を。

 最も高い効果の発揮できる戦場へ配置する能力。

 それこそが、魔人と呼ばれ怖れられている大軍師、除葛(じょかつ)姜の真骨頂。

 あくまでも仮定だけれど、出てきた一つのやり口は。


「罪人や囚人を、船の漕ぎ手に使ってるんだ。帆を張って進むのと、櫂を漕いで進むのの両方ができる船で、風と海流と人力、すべてを使って動き回れる船を、姜さんはこの海に投入してる」


 ああ、これだな。

 あいつなら、罪人がいくら過酷な船漕ぎ作業で摩耗しようと、屁とも思わないに違いない。


「そんなことがありますので……いや、そうでありますか。ああ、なんとまあ」


 シャチ姐も私と同じ想定に届いてくれたようで、驚嘆の表情を見せる。

 その後の言葉を私は続ける。


「相浜(そうひん)の街を、東海の人が荒らしただとかいう事件。あれで逮捕されて罪に問われた東海人を、きっと姜さんは船の漕ぎ手として徴発しています。大方、武功を上げれば刑期を減らしてやる、その後の仕事も見つけてやるとでも言ってるんでしょう。だから彼らの漕ぐ船は、まともな人力の想定をはるかに超えて速く動けるんです。文字通りに、死に物狂いの速さを出せるんです」


 私の残酷に過ぎる見解を聞いた海賊捕虜たちは。

 しばし、驚きと恐怖に言葉を失い、そして叫んだ。


「あ、あ、あ、あいつが仕組んだ罪で捕まった俺たちの国の仲間が、あいつに踊らされて船を漕がされて、俺たちを襲ってんのかよ!!」

「にににに、人間じゃねえ……俺たちでさえ、そんなこと考えもできねえよ……」

「ああ、悪魔なんだ、魔人なんだぁ。俺たちみんな、除葛のやつにゴミみてえに殺されちまうんだぁ」


 愁嘆場と化した船室の中は、捕虜たちが泣き、嘆き、歯をガタガタと震わせる音に満ちてしまった。

 腕を組んで渋い顔をした翔霏が、ぽつりと私に声をかける。


「麗央那」

「なに」

「もう、殺すか。あいつ」


 どちらの国に肩入れするとか、正義がどこにあるのかとか、そう言う問題ではなく。

 翔霏は、純粋に不愉快の頂点を超えてしまったのだ。

 首狩り軍師、幼き麒麟と称された、若白髪の痩せた男をのやることを。

 人を人とも思わぬ、人の形をした正体不明の怪物への嫌悪感が、限界突破してしまったんだ。

 重ねて、強い言葉でさらに言った。


「生かしておいて、きっと天下のためにならん。こんな気持ちは覇聖鳳(はせお)に邑を焼かれて以来だ。私は政(まつりごと)はわからないが、あいつが死んだ方がみんな幸せになるのではないかと、わけもなく思うんだ」


 翔霏の声は、真剣だった。

 私は。

 心も体もまさに一緒に今まで歩んで来た、親友の本音を受けて。

 でも、だけれど。


「ごめん、翔霏。私にはまだ、そこまでは決められない」


 思い出してしまったのだ。

 夏の風が吹き込む中書堂で、姜さんと一緒に覇聖鳳のことを調べたときのこと。

 急な階段を重い本を抱えて、ヒィヒィ言って立ち往生していたモヤシ野郎のことを。

 神台邑(じんだいむら)を焼かれた私の身の上を静かに聞いて、鼻をぐずらせて優しい言葉をかけてくれたこと。


「私にはまだ、姜さんを殺しても良いとまで思える理由が、ないんだよ……」


 汗ばむ手を固く握り、涙が溢れそうな両の眼をきつく閉じて。

 私は、きっと私にとってのかけがえのない恩人を、殺さなくても良い理由を必死で頭の中から探り当てている。

 口ではあんなことを言ったけれど。

 正直、あいつは死んだ方が良い。

 誰に言われるまでもなく、それは万物を貫く自明の理のように思われた。

 けれど私の心は、私の想いは。

 私の中の、姜さんは。


「あの痩せたほっぺたに皺を作って、子どもみたいな顔で笑ってるんだもん……」


 ここで決断できない私は、なんと弱いことだろう。

 今までなにを学び、どれだけ成長してきたと言えるのだろう。

 そんな情けない、しょげて立ち尽くしているだけの私の肩を、無二の親友は優しく横から抱いて。


「わかった。なら拳骨を喰らわせて、尻をブッ叩いてやるくらいにしようか」

「うん、うん、ごめんね翔霏。ありがとう……」


 いつもの口調で、そう言ってくれたのだ。


「よ、良かった。憎しみで、こ、殺すのは、きっと、良くない、から」


 鶴灯くんも、安心したような穏やかな顔を浮かべていた。

 私たちが前科者であることは、今は言わないでおきましょう。

 けれどここは海の上、姜さんの手先と化した厄介な大男から逃げている最中のこと。


「なにやら上が騒がしいでありますね」


 甲板上の様子を気にしたシャチ姐が言う。

 ちょうどのタイミングで下層の船室に降りてきた、黒ずくめの用心棒さん。

 冷たく厳しい声で、短く報告した。


「合わせて八隻、追って来てるぞ。アホみたいな速さだ」


 私たちの船が、南川無双、柴蛉斬の船隊に補足された。

 慌ててみんな、甲板に出て南の方角を睨む。

 どうしてこの距離で、人の声が届くのだろうか。

 まったく理外の力とともに、轟音とも言える叫びが海原に響き渡った。


「その船、停まれーーーーーーーーーーッ!! 聞き分けんなら、痛い目を見るぞーーーーーーーーッ!! はーーーーーッはッはッはーーーーーーーッ!!」


 笑ってるよ、相変わらず。


「なにが楽しいんだ、あいつ。いい加減腹が立って来たな」


 呆れた翔霏が一人ごちて、敵の来る方向、船尾に屹立した。

 これからの私たちの運命は、分厚い雲に覆われた空のように、一つも見通しが立たない。

 やけに明るすぎる、なにも考えていないような蛉斬の大声が、たまらなく耳障りだった。

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