二百五十八話 勝負の意味、強さの意義
「雪、でありますか……」
両者がぶつかり合う直前、シャチ姐がぽつりと言った。
ちらちら、と本当にわずかながら、頭上の曇天から海面へ、雪の欠片が舞い落ちて来た。
温かい南部にいたから気にしていなかったけれど、季節はもう冬に差し掛かるのだ。
私もふと、上空を見て六方結晶の雪片を掌に受取ろうとした、その瞬間。
「ふっ」
翔霏(しょうひ)が短く息を吐き、真っ直ぐに踏み込んだ。
「おおぉっ!」
同時に蛉斬(れいざん)もドンっと音を立てて、砲弾のような速さと勢いで突進する。
「翔霏なら、大丈夫」
私は心の中で唱える。
隣にいる鶴灯(かくとう)くんも固く拳を握り締め、これから起こることを刹那も見逃さないという意志を表していた。
強力な磁石同士が引き合うように、翔霏と蛉斬が中空の一点に吸い寄せられるように真っ直ぐ飛んで行く。
風を切り裂き空気の壁を貫き、棍と槍の先端が寸分の角度の狂いもなく、水平方向に突き出される。
そう、1ミリ1度の誤差もなく、両者は極めて小さな一点に、同時に向かい、突き進んで。
「なぁっ!?」
蛉斬の叫びと、ベギィィン! と甲高く鳴る二つの武器の衝突音が、同時に空気を揺らしたのだった。
「チッ、さすがに手が痺れるな。このバカぢからめ……」
翔霏は自分の武器である鉄棍を甲板に放り投げて、両手のひらをプルプルと震わせた。
棍の先端が潰れてひしゃげていた。
「天心点の見切りだと……!?」
黒ずくめの剣客用心棒さんが、震えた声で言った。
その言葉を私は詳しく知らない。
けれど、翔霏は針に糸を通すような正確さで、蛉斬が突きを仕掛けた槍の先端、と言っても刃の反対側である石突の部分に、自分の棍をカウンターでブチ当てたのだ。
結果として、翔霏の棍はもちろん、使いものにならないほど半壊し、前半分が折れ割れて歪んでしまったけれど。
「……まさか、俺っちの槍を狙ってたとはな!」
蛉斬の直槍も、樹木でできた持ち柄の部分が竹ササラのように放射状に細く裂き割れて、槍としての機能を完全に失った。
翔霏の打撃は拳法で言う鎧徹し、別名で通背拳の効果を持っているので、ダメージは表面部分だけではなく物体の奥深く、内部にまで浸透するのだ。
持ち主である蛉斬の手も、痺れが発生したのか槍をがらんと落として、プルプルワナワナと小刻みに震えている。
両手を自分でマッサージしながら、翔霏が言った。
「お前が武だの一撃だのにどんな幻想を持っているかは私の知ったことではない。私にとっては闘争も勝利も、ただの手段でしかないからな。畑が得意なやつは畑を、金勘定が得意なやつは金勘定を。それと同じで、怪魔を退治したり邑にならずものが来たときに追っ払ったりするのが、得意としている私の役目だっただけだ」
そう、翔霏は今まで一度だって、闘争を楽しんだことも、強さを目的にしたこともなかった。
誰よりも上手にできるからやっていただけ、その役割がたまたま回ってきたというだけで、彼女自身は微塵も、武の神に人生を捧げたわけではなかったのだ。
もしも「ボタンひとつで悪いやつらを退治できる装置」が目の前にあったなら、翔霏は迷いなくそれを使用するタイプだ。
武術鍛錬をすぐに放り投げて、空いた時間を自由に、自分の楽しみのために使うに違いない。
温泉巡りをして美味しいものを食べ尽くしたり、高いところに登ってパラシュートで飛び降りたり、お母さんの勤めるお芝居小屋に足しげく通ったり、ね。
そんな都合の良い便利グッズはないから、翔霏は仕方なく戦っているだけなのだよな。
「……そうか、お前と俺っちじゃ、見ている景色が違うのか」
蛉斬もそのことを理解し、心なしか消沈した顔を見せた。
彼は純然たる勝負を、正々堂々の決着を付けたかったはずだ。
その中で二人が描く武の極限、強さという世界の向こう側を垣間見たいと、心から願っていたのだ。
けれど翔霏にとって、この場での闘争は単なる時間稼ぎである。
蛉斬の武器を破壊し、気勢を削ぐことができれば翔霏の目的は果たされたことになる。
あとの始末をどうするかは私やシャチ姐に託された仕事なのだ。
目的さえ叶えられるなら、最強なんて目指さなくてもいい、それ自体に価値はないと考える翔霏。
反面、最強を目指すことが目的となっている蛉斬では、同じ勝負の場にあっても、向いている方角がまったく違ったのだ。
けれど、寂しそうに項垂れる蛉斬に、仲間の兵たちが声をかける。
「か、頭ぁ、あんたは見せてくれたよ、俺たちにも。武の極地ってやつを、その切れっぱしをさあ」
「あんたを見込んで今までついて来たんだ。そりゃあきっと、今日このときのためなんだろうな……」
「じ、地獄吹雪を相手に一歩も引かねえんだ。あんたこそ、八州一の武士(もののふ)だぜ!」
私たちだけではなく、蛉斬(れいざん)の部下たちも。
目の前の純粋で美しすぎる勝負の余韻、それだけを味わっている。
領海警備だとか取調べだとか、有耶無耶にして逃げてしまおうだとか、そんなことは誰の頭からも、すっぽりと抜けていた。
翔霏(しょうひ)と蛉斬の交わす一撃がどういう結果を描くのか、どんな世界を見せてくれるのか。
そのことにしか意識が回っていなかったのだ。
翔霏の動機がどうであろうと、ただひたすら強いということは、これほどまでに人の心を惹き付け、忘我の世界に連れて行ってくれるものなのか。
感動しながらも私は、なんだか羨ましいな、二人ともズルいじゃんよ、と思ったりもした。
「でも本当に仲良いなあ、蛉斬とそのお仲間さんたちは」
「た、楽しいと、思える、人と、し、仕事するのは、大事だ」
私のなんてことない呟きに、鶴灯くんがとても深イイ金言を返した。
翔霏にとっては不本意かもしれないし、二人の想いはまったくすれ違っているとしても。
「良いものを見せてくれて、ありがとうであります。あの世へ持って行く土産話がまた一つ、増えたのでありますよ」
シャチ姐が満足げに言って、手を叩いた。
「スゴイ、ショウブ!」
「二人とも天下一だ! 東国にもこんな使い手はいねえよ!」
船首の方へ下がっていたはずの東海のみなさんも、遠巻きにこっそり覗き見していたようで、拍手が大量に鳴り響く。
「別に大した見世物でもないんだが……」
気不味そうに言いながらも、翔霏は手を軽く掲げて声援と拍手に応えた。
勝敗自体に価値がなかったとしても。
描いた景色に付随して人の心が動くのなら、それはきっと尊いことだ。
それくらいのことは、翔霏も分かっているんだね。
「大将、汗がひどい。羽織を預かろう。せっかくの一張羅だ。糸がほつれてないかも見ないとな」
「ああ、頼むぜ」
蛉斬も自慢の鳳凰マントを仲間に預け、一服の飲みものを口に入れた。
けれど甘美な名勝負の後味も喝采も、長くは続かない。
私たちは追われてる側であり、彼らは追う側なのだから。
それを踏まえて、蛉斬は落ち着いた声量で言った。
「俺っちには、お前たちがなにをしたいのか、正直言ってよくわからん。それを考えるのは俺っちの仕事じゃないと、司令官の姜(きょう)兄ぃにも言われてるからな」
私の予想した通り、蛉斬に与えられている情報は限定的だった。
細かいことを知ってしまうと、彼の速さと鋭さが損なわれてしまうことを、姜さんは深く懸念していたからだろう。
現に今、蛉斬は翔霏との肉体言語で分かり合うことはできなかったけれど、私たちを少しだけ、知ることができた。
さらに知ろうと、こうして話を持ちかけるほどに、彼の興味は膨らんでしまったのだ。
「だがな、俺っちはなぜかわかる気がするんだ。お前たちはきっと、なにか大きな、大事なことをやり遂げようとしているってよ。そしてお前たちのやりたいことは、きっとみんなのためになることなんじゃねえかと思うんだ。お前たちの眼には不思議と、他の海賊と違って、怒りも憎しみも見えないからな」
蛉斬の言葉は、相変わらず真っ直ぐ、わずかのブレもなくこちらに飛んできた。
思考ではなく直感でそこに届くとはなあ。
驚いている間にも蛉斬の話は続く。
「お前たちは、十分によくやった。だからもう、ここで納得しちゃあくれないか。一度、俺っちたちと一緒に腿州(たいしゅう)の港に戻って、お偉方とじっくり話し合ってくれよ。お前たちの扱いが悪くならないように、俺っちも全力を尽くすつもりだ。こんなところでつまらない喧嘩を続けても、お互いのためにならないだろう?」
正論オブ正論、ド正論である。
南部に名を馳せる英傑、柴(さい)蛉斬の口利きがあれば、確かに私たちへの対応が柔らかいものになる可能性は高い。
でも、ダメなんだよな、その話は。
私の代わりにシャチ姐が厳しい顔に戻って告げた。
「アナタは確かに義侠の人であります。その言葉に嘘はないのでありましょう。しかしワタシたちは、アナタの親分である除葛(じょかつ)と言う男をまったく信用していないのであります」
「どうしてだ!? 姜兄ぃは道理のわかる、頭の良いお方だ! お前たちの話に筋が通ってるなら、決してぞんざいにはしないはずだ!」
「ならどうしてアナタたちの船の底からは、東海の言葉で怒号や怨嗟が鳴り響いているのでありますか。使い捨ての道具のように人間を消耗する悪魔を、誰が信じるというのでありますか」
「そ、それは……」
指摘されて、蛉斬はハッキリと言葉を詰まらせ、顔を歪ませた。
そう、彼らが乗る船を漕いでいるのは、哀れにも罪を着せられた東海の人たち。
冷たさを保った声色で、なおもシャチ姐は詰める。
「ワタシも少しばかりは奴隷に似た商いをするものではあります。けれどそれも本当に困窮して行き場のない連中に、次の雇い主と雨風しのげる家を見つけてやると言う意味が含まれているのであります。ありもしない罪をでっち上げて人を虜囚の立場に落とし、ソイツらの首に輪っかをはめてこき使うなど、身の毛もよだつやり口でありますよ。この状況をあなたの義心はなんと説明するのでありますか」
「ち、違う! 俺っちも、姜兄ぃも、そんなことは……!!」
歯噛みし、拳をキツく握りながらも、蛉斬は反論の言葉を引っ込めた。
人情に篤い彼にとって、いくら罪を犯した外国人であっても、彼らを報いのない強制労働に駆り立てたことは、強烈な自己矛盾を発生させる要素だったに違いない。
翔霏との決着が不完全燃焼に終わってしまった蛉斬は、慣れない言葉の戦いでもシャチ姐に後れを取った。
もうひと押しすれば、折れる。
私は多くなってきた降雪の中、悪魔の囁きを脳内に聞きながら。
「そもそも蛉斬さん、こんなところでゆっくりしてる場合じゃないですよ」
蛉斬を帰路につかせるための、呪いの言葉を紡ぎ出すのだった。
もうあなたは、頑張って前に進まなくてもいいんですよ。
その理由を、口実を。
あなたが引き返さざるを得ない動機を、私が用意してあげますから。
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