二百五十三話 ありったけの想いかき集め

 出港した船が、徐々に陸地から遠ざかって行く。


「あれ、浪人の泉癸(せんき)お姉さんじゃん。見送りに来てくれたんだ」


 浜に近い築山の上から手を振る女性に気付き、私は手を振り返した。

 私たちと一緒に籍(せき)先生の三角州で勉強している、中書堂志望の学生ネキである。


「住んでいるところが近いのだろうかな。詳しい日時を知らせた覚えはないんだが」


 翔霏(しょうひ)も同じく手を挙げて礼を返す。

 籍先生からなにか聞いて、港の様子を見ていたのかもしれないね。


「いつも、顔が、げ、げっそり、してる、から、ちゃんと、メシ、食ってる、のか、心配」


 私も思っている感想を、鶴灯(かくとう)くんが訥々と述べた。

 勉強に夢中なのもいいけれど、自分の体のメンテナンスは大事ですよね。


「お嬢さまたち、陸(おか)と離れる感傷に浸るのは結構でありますが、海に出た以上は自分のことは自分でしてもらわないと困るのでありますよ。その上で尚且つ、船のみんなの役にも立ってもらう必要がありますのですから」


 船員さんたちにあれこれ小言を散らしながら、シャチ姐が私たちにも注意した。

 そうなのだ、船に乗せてもらった以上、役立たずはサメのエサになるしか道はないのである。


「心得ているさ。鶴灯、仕事を教えてくれ」


 翔霏の申し出に、鶴灯くんが笑顔で頷いた。


「じゃあ、まず、な、縄を、仕舞おう。甲板に、散らかってると、あ、足を、引っかけて、危ない」

「合点でぃす」


 鶴灯くんの指示教導の下、私たちは船を岸に係留していた縄をまとめて端に寄せたり、諸々の甲板上雑務に汗を流した。

 翔霏はみんなの護衛兼、敵が襲って来たときの戦闘要員。

 鶴灯くんは私たちのコーチと合わせ、水夫作業全般の助手。

 私は飯炊きアンド医療看護スタッフとして、船の上での役割を振られた。

 もちろん各々の仕事が暇なときは、周りにいる誰かの仕事を手伝うのが大前提である。


「い、一度、海に、出た、船は、それが、ひ、一つの、生きもの、だから」


 食料確保のために仕掛けた流し刺し網を回収する作業の中、鶴灯くんが言った。

 船体も船員も、中に積まれている荷物も全部含めて、それ自体が一つの生命なのだと。

 その中で私と言う細胞、構成要素の一つでも調子を崩せば、それは船全体のピンチになってしまうということだろう。


「船板一枚、下は死の国であります。たとえ話ではなく、船乗りは毎日、死神に横から肩を叩かれて生きているのでありますよ」


 網にかかった大ぶりのタイを笑顔で回収しながら、シャチ姐が海上での死生観を教えてくれたのだった。

 運命と戦っている人は、私の知らないところにもたくさんいるものなんだな。


「この大きな弩(いしゆみ)で、鯨を撃つのかあ」


 お昼ご飯の後、小休止の時間。

 風も波も安定しており、みなさんまったりと過ごしている。

 私は船首にデンと構えられたボウガンの化物、いわゆるバリスタとも呼ばれる大弩を見物していた。

 この弩で大型のモリを射出し、鯨やマグロなどの大型海生動物を仕留めるのだ。

 モリの尻側には長い縄が括り付けられていて、それは船体と強固に結ばれている。

 鯨の体にモリが命中したなら、船が鯨を引きずり回して体力を奪う仕組みになっているわけだ。

 モリの代わりに火薬矢なんかを仕掛ければ、船同士の戦いでも役に立つ、立派な兵器である。


「ソイツに興味を持ったようでありますね。なら一発、撃ってみるでありますか?」


 念入りに大弩の構造を観察していると、シャチ姐が声をかけてくれた。


「え、いえ、そんな。失敗したら大変ですし」

「モリは外れても巻き取れるので大丈夫であります。せっかくワタシの船に乗っているのでありますから、使い方を覚えてみるのも損にはならぬでありましょう」


 言われてみれば、まったくその通り。

 でも、せっかく撃つならなにかを狙ってみないことには、得られる学びも少ないだろう。

 そう思って海面、船の進む先の景色を注意深く眺めていると。


「向こうでなにか、白波が立ちました」


 目の悪い私には具体的なことはわからないけれど、船の進行方向になにかしらの水面の動きがあり、しぶきが立っているのを発見した。


「ふむ。一定方向に高速で進んでいる魚ではありませぬので、マグロではなくサメの仲間でありましょうか。仕留めて損はありませぬので、練習台にはちょうどいいでありますね」


 そう言ってシャチ姐は、弩の角度を変えるハンドル操作を教えてくれた。

 上下左右の角度を微調整して、シューティングサイトである輪っかを覗き、獲物を狙って引き金を絞る。

 目標をセンターに入れてスイッチ、と言うあれだ。


「距離が遠いでありますので、少し上方向を狙うように変えた方が良いであります」

「は、はいっ」


 ぐるぐるぐる、と手元ハンドルを回して、高度をさらに微調整。

 指の欠けた左手を私の背中に当てて、シャチ姐は優しく言った。


「ワタシが合図するでありますので、そこで引き金を引くでありますよ」

「わかりました。お願いします」


 船が揺れ、目標となる魚影が動き、狙いがぶれる。

 これは忍耐と集中力の勝負だなと思いながら、私はシャチ姐の合図を待つ。

 そのとき、彼女が小さな声で、私にだけ聞こえるように話し始めた。


「覇聖鳳(はせお)のクソガキに会ったとき、ワタシはあいつを殺した方が良いと、ちらりと思ったのであります。まだ若く未熟なうちに殺しておかなければ、きっといつか手の付けられぬ怪物に育ってしまうかもと考えたゆえのことであります」

「そ、そうなんですか。でもそれは正しい直感だと思います」


 シャチ姐は深くを語らなかったけれど、きっと両者の怨恨は根深いものがあった、それほどの決裂だったのだろう。

 話しぶりから、シャチ姐は自分が覇聖鳳を殺しておかなかったことを、後悔している感情が垣間見えた。


「ワタシはアナタたちの邑があのクソガキに滅ぼされたことも、聞き及んでいるのであります。あのときのワタシの半端な判断が、食料を求めて周辺を荒らしまわるあの化物を生んだのかもしれないのであります。アナタは、そんなワタシを憎むでありますか?」

「いいえ、決して」

 

 覇聖鳳も、そして私たちも、きっと十年前のシャチ姐も。

 

「みんな、そのときを必死で生きていただけですから」


 その結果、覇聖鳳は死んで、私たちは生きている。

 誰を恨むとか、誰のせいだとか。

 今さら考えたところで、なんの意味もないのではないか。

 なんの罪もない、ただ必死で生きているだけのサメを殺すために、弩の照準を合わせながら。

 私はとても清々しい気持ちで、そう考えたのだ。


「あっ」


 シャチ姐が短く叫ぶ。

 バチィン! と弩の弦が破裂音を鳴らす。

 シャチ姐の合図を待たずに、私は堅く引き絞られた弩の引き金を引いて、モリを発射したのだ。

 緩やかな放物線を描いて、風を切り裂き鋭利なモリの鋒(きっさき)が獲物を襲う。

 命中する前から、不思議と手ごたえがあったのを感じた。


「オ、オオ」

「アタッタ! オオモノ!」

「オジョウサン、ヤルネ!」


 シャチ姐に従って船に乗り込んだ東海の労働者さんたちも、私の腕前を褒めてくれた。


「えへへ、それほどでもぉ」


 ビギナーズラックだけれど、気持ちが良いね!

 急所である肝臓に命中したのか、サメは縄の先で少し、ジタバタ暴れただけで、すぐに大人しくなった。


「どっせい、どっせい!」


 みんなで力を合わせ、綱引きの要領で仕留めた獲物を船腹に手繰り寄せる。

 全長4メートルに満たないくらいの、まあまあ大きな青いサメだった。


「サメはさっさと調理してしまわないと臭くなるのであります。キサマたち、総がかりで急いで処理するのでありますよ!」

「もちろんでさあ!」

「しばらく食いもんには困らねえな!」


 シャチ姐に檄を飛ばされ、各自が有機的な細胞のように自然と動き回る。


「これが全部、肝臓か? とんでもない大きさだな」


 翔霏が肉を切り分ける。


「さ、サメは、その、肝臓で、み、水に、浮くんだ。な、中身は、ほとんど、あ、脂、だから」


 鶴灯くんがかまどに火をくべる。


「翠(すい)さま、サメのつみれが好きだったな。元気にしてるかな」


 私はそれをひたすら塩茹でしていく。

 船の上と言う限られた空間の中で、私たちはみんな繋がって、一緒に、必死で生きている。

 神台邑(じんだいむら)にいたときを思い出して、一人でこっそり泣いた。

 そんな、笑顔と熱気と汗と血の臭いしかない、ある意味での幸せな時間も長くは続かず。


「変な船影が見えるな。南からだ」


 用心棒さんが短く告げて、シャチ姐の眉間に皺が寄った。


「まさかこんなに速く除葛(じょかつ)の軍が来るわけはないのでありますが」

「違うな。東海(うち)の国のバカどもだ。大方、除葛の軍船に追い払われてここまで逃げてきたはぐれ海賊だろう。どこの領地の氏族連中かはわからんが、まあ流民の類だろうな」


 二人が話していると、船員の一人が叫んだ。


「アネゴ! イシ! トバサレル!」


 あろうことか、相手の船はこちらに投石器からの石つぶて、と言ってもほぼ岩のような大きさの塊を飛ばしてきた!

 ザボォン、と石は船に届く前に水柱を上げて海中へ沈む。

 けれどそれに続いて、二発目、三発目の攻撃がこちらに向かって飛んでくる。


「ワタシに喧嘩を売るクソッタレが、まだこの海に残っていたとは驚きであります。どこの田舎海賊か知らぬでありますが、後悔するヒマさえ与えずサメのエサにしてやるのでありますよ」


 毅然と言って、シャチ姐は用心棒さんが持っていた片刃の曲刀をジャキンと鞘から抜く。

 それを指揮棒のように中天へ掲げた。


「キサマたち、喧嘩の時間であります! 昂(こう)の国のお客さまたちに、ワタシたちのやり方をぜひともご覧に入れてやろうでありますよ!!」


 勇猛苛烈な船長の命令に、水夫たちが咆哮の返答を響かせる。


「うおおおおッッ!!」

「ヒャッハー! 出入りだぁーーーーッ!」

「コロセ! ウバエ! キリステゴメン!!」


 さっきまで笑ってサメの肉を茹でていた仲間たちが、殺意の獣に変身する。

 

「コレデモ、クラエーーーーッ!!」


 私が前に街中で助けたお兄さんが、船尾にも構えられている大弩を操って、超巨大な火薬矢をぶっ放す。

 吸い込まれるように相手の船の帆の軸に矢は命中し、轟音の後に炎と煙を昇らせた。


「チッ! カヤク、スクナカッタ!」

「バクハツ、チイサイ」

「シオ、アビスギタカ?」


 私と翔霏、鶴灯くんが唖然とする中、船は思いっきり舵を切って、敵船の方向に猛突進する。


「こんな舐めた真似をするようなバカは、いったいどんな顔をしているのでありましょうかね」


 甲板で仁王立ちするシャチ姐の顔。

 過去に殺すべき男を殺せなかった未練と後悔が、その奥に潜んでいるような気がした。

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