二百五十話 救難、而して更に難

 楽しく平和なはずのお祭り。

 その、はずだったのに。


「他の場所でも毒の被害が出てやがる! 軽螢(けいけい)! 薬を届けに行くぞ!!」


 椿珠(ちんじゅ)さんの怒鳴り声に、同じく怒りに満ちた顔で、けれど素直に軽螢が応えた。


「わかってるよー! ヤギ公、走れーーーーっ!」

「メエエエエェェェッ~~~~!!」


 ヤギの首に提げた道具袋には、なにかあったときのために傷薬や毒消しを中心にした、医療小道具が詰まっている。

 別の場所で苦しんでいる人たちに、なんとか間に合って届いてくれ!

 一方で、残された私たちは毒を飲んでしまった酔っ払い男性を、なんとか救助。


「う、うげええええ、おおぇぇえ……」

「おい! 私の言ってることがわかるか!? わかるなら手を握り返せ! もう十分吐いたから、苦しいのは今だけのはずだ!」

「あ、あぐ、あぐあぁ……」


 翔霏(しょうひ)が必死で呼びかけて、男性は苦しみに呻きながらも反応を示す。


「鶴灯(かくとう)くん、他にも怪しいものが転がってないか探そう! 絶対に障っちゃダメだってみんなに言って回らないと!」

「わ、わかった!」


 私は鶴灯くんの案内の元に、今いるお祭り会場から、隣の会場へと順々に回り、被害者がいないか、正体不明の毒物が置き去られていないかを探って回った。


「あああ、あんたあ、しっかり、しっかりしてよぉ……」


 縋るように呟くおばさまの隣に横たわる、痙攣した男性。

 嘔吐の痕跡があるので、すでに軽螢と椿珠さんが処置をして、次の被害者の下へ走ったのだろう。

 私は男性の脈拍と呼吸、顔色や眼球の反応を確認して、おばさまの手を握り力強く言い渡す。


「もう大丈夫だと思います。意識が戻ったらまたこの薬を飲ませてあげてください。すぐにお医者さまを呼んできますから」


 ポチ袋から丸薬を取り出して、おばさまに渡す。

 正直言うと、どんな毒かがわからない限り、私の持っている薬で効き目があるかもわからないのだけれど。

 今は、気休めだとしてもこう言うしかないのだ。


「ありがとう、本当にありがとうねえ……」


 泣いてすがるおばさまを見て、私は自分の心臓がぎゅむっと鷲掴みにされたような苦悶を味わう。

 ジュミン先生、私はあなたから教わったことを、ちゃんと学べて、実践できているのでしょうか?

 二つ三つと会場を回って、誰が持って来たのかわからない飲食物を集めている中で、鶴灯くんが教えてくれた。


「く、薬に詳しい、ねえさんが、あっちに、住んでる。で、出掛けてる、かも、しれない、けど」

「ダメ元で行ってみよう。たとえ不在でも近くにいるかもしれないし」


 走り出す私たちに、最初の男性の処置を終えた翔霏が追い付いて来て、言った。


「麗央那、こんなときだから当然だが、ものすごく嫌な気配がする。肌にべったりまとわりついてくるような、なんとも言いようのない感覚だ」


 翔霏が言うのだから、それはきっと確かな事実なのだろうけど。

 私はあまり深く考えず、こう返した。


「誰かに私たちが見られてる、付け回されてるってこと? きっと乙さんとか、尾州(びしゅう)の使いっぱしりどもだよ。気にしない方が良いって」

「もちろんそいつらもいるものとして考えているが。とにかく気を付けた方が良い。私から離れるな」


 厳しめに言われたので改めて気を引き締め直し、私たちは鶴灯くんの案内で薬師の女性の家に着いた。

 しかし、ああ、けれども。

 本当にクソッタレなことに。


「い、家が……私の家が!」


 こじんまりとした一軒家が、右から左から炎と煙を噴き上げて、無残にも炎上していた。


「ね、ねえさん、危ない! 近寄っちゃ、ダメだ!」


 鶴灯くんに抑えられている、家の主と思わしきお姉さんが頭を抱えて叫ぶ。


「たくさんの人が倒れてるのに、部屋の中の薬がないと! ああ、どうしてこんなことに……お祭りに浮かれてないで、もっと多くの薬を持ち歩いておけば良かった……!」


 後悔と罪悪感に濡れて、薬師のお姉さんは地面に突っ伏した。

 違う、違うよ!

 あなたのせいじゃない、そんなわけがあってたまるもんか!

 すべての元凶は、あのにっくき腐れモヤシ野郎なのだから!!


「これがお前の正義なんかよおおおーーーーッ! てめえはこの仕打ちの先に、どんな未来を見てやがるってんだーーーーーーーッ!!」


 動転する街の人が泣き、叫び、走り回る路地裏に。

 チンケな女の、魂からの怒りの声がこだまする。

 私はこのとき。

 叫ぶしかできない自分の無力に、八つ当たりするような気持だった。


「これはどうも、困ったことになったのでありますね」


 騒動が落ち着き、相浜の街が静まり返った真夜中。

 私たちはシャチ姐が確保しているアジトの一つで顔を突き合わせ、今後の方針を話し合っていた。

 せっかくの美しい顔を歯噛みしながら歪ませて、椿珠さんが報告する。


「街のあちこちに、東海の人を中傷する落書きが見えるようになった。毒を仕掛けたのがそいつらだって、根拠もなく思い込んでる連中が多いんだろう」

「真犯人が見つからない限り、やってないことを証明するのは不可能だからな」


 目を閉じ腕を組んで、深刻な声の翔霏がコメントする。

 そう、私たちがいくら「除葛(じょかつ)姜(きょう)と言う男が陰で仕組んだ情報戦術なんです。東海の人たちには罪なんてないんです」と言ったところで、誰も聞き入れてくれるわけはない。

 なにせ今の姜さんは、南部諸都市のために寝ないで海賊退治に勤しんでいる、文字通りの英雄なのだから。

 余所者の若僧である私たちなんて、持ってる発言力はゼロに等しいのだ。

 ふむーと息を吐き、左手に嵌った手袋の指先を弄ぶシャチ姐。

 横後ろに立つ、黒ずくめの用心棒さんに水を向けた。


「キサマ、ちょっくら死んでみるでありますか?」

「あんたがそうしたいなら、俺はどうでもいい」


 物騒な発言が出て、そしてはじめて用心棒さんの声を聞いて、私たち全員が面食らう。

 なにを言っているんだこのお姐さんは、と言う顔で軽螢が尋ねた。


「なんでその兄ちゃんが死ななきゃならないんだよ。悪くないのに悪者扱いされてるのはあんたらなんだぜ? あべこべにも程があンだろ」

「メエ! メエ!」


 素直な疑問に、子どもに優しく説くような面持ちでシャチ姐は答えた。


「毒を撒いた犯人が見つからぬのでありますから、街の人は血気に逸っているのであります。ここでコイツの首を転がして、みなさまの前で『コイツが犯人であります。悪は討たれたのであります』とでも言っておけば、人々の怒りも少しは慰撫されるでありましょう」

「そんなやり方は、ダメです!」


 思わず大声で否定した私を、場にいる全員が見た。

 中でもシャチ姐は怪訝そうな顔で、私の意図するところを問うてきた。


「なぜ良くないと思うのでありますかアナタは。ワタシの手下が死のうが死ぬまいが、さほど関係のない話でありましょうアナタには」


 私はその問いに、感情ではなく理屈、算数を引っ張り出して毅然と答える。


「姜さんの仕掛けはこれで終わりなわけはありません。次から次へと似たようなことを仕向けられたときに、一々罪のない人が死んで人身御供になってしまっては、シャチ姐さんと椿珠さんの商売に注ぐ貴重な人材が失われて行きます。私たちの目的を叶えるためにも、シャチ姐さんには消耗戦に陥って欲しくないんです」


 単純だけれど一分の理があることを説かれて、シャチ姐さんは明らかに、面白そうな顔を浮かべた。


「なるほど、こんなつまらぬことでいちいち死んでいては、目的を果たす前に全滅であります。アナタは怒り狂っているように見えたのでありますが、冷静さも持っているのでありますね」

「いえ、もちろん誰も死んで欲しくないという感情が最優先ですけど。そこに屁理屈を乗せるとそうなります、と言うだけで」


 正直な私の物言いを気に入ったのか、シャチ姐はハハッと楽しげに笑って、言った。


「でありますれば、予定外に早まりましたけれどさっさとこの街を出て、海の仕事に移りたいと思うのであります、ワタシたちは。鯨だのなんだのを荷受けしてくれる角州(かくしゅう)の港の準備は、いつごろになりそうでありますか?」


 シャチ姐の質問に、椿珠さんが首後ろを抑えて、気まずそうに答える。


「早馬は飛ばしているんだが、具体的な日程は約束できないというところだ。強めに頼んでいるから、先方も無下にはしないだろうが……」

「しっかりしてくれないと困るのでありますよ」


 シャチ姐に少しキツく言われてしまい、椿珠さんは目に見えてシュンとした。

 さあ、ここが考えどころだ。

 私たちの計画を順当に進めるためには、海で採れたお宝を快く受け入れてくれる、大きな港の存在が必要不可欠である。

 それは東海の人への差別感情が、きっとまだ強くないであろう、北東部の角州しか考えられない。

 角州の都、斜羅(しゃら)の街には私たちの知り合いも数多くいるので、段取りさえできればシャチ姐たちの船団が獲得した商品を、大量に捌くことはできるはずだ。

 けれど、そこに至るまでの最大の懸念事項があることを、翔霏が指摘する。


「姐御どのが今、海に出ると言うのなら、それを狙って除葛の率いる軍船が押し寄せて来るんじゃないのか。仮に戦いにまでならなくても、のんびり鯨獲りなどしてられない状況になるのは自明の理だろう。全力で邪魔をしに来るに決まっているぞ」

「陸も地獄、海に出ても地獄でありますか」


 絶望しかない言葉を、それでも平気な表情でシャチ姐は吐露した。

 もう本当に、なにからなにまで姜さんの動きが速すぎるのが悪い!

 誰か、今だけ、一度でいいからあのモヤシを出し抜ける妙案を私たちに授けてくれ~~~!!

 天井を仰いで頭を掻き毟っていると、鶴灯くんが私や翔霏を心配そうな目で見て言った。


「く、首狩りの、大軍師や、蛉斬(れいざん)、将軍たちと、紺(こん)たちは、た、戦わなきゃ、いけないのか?」


 難しい顔で翔霏が返す。


「私たちのやりたいことの前に、あの腑抜けたモヤシがいちいち立ちはだかるんだ。誰が好きであんな妖怪の相手などするものか。バカ大男はこの際どうでもいいが」


 まったくその通り。

 毟っても毟っても生えてくる葛の葉のように、姜さんの痕跡が私たちの行く手を邪魔するのだ。


「ん?」


 今なにか、自分でいろいろ考えてる中、大事なことに気付きかけたような……。 

 邪魔をされているのが、私たちで。

 邪魔をしているのが姜さんで。


「どうした麗央那。なにか思いついた様子だな」


 翔霏に促されて、私は頭の中でカオスに入り乱れる思考を急いでまとめる。

 そうだよ。

 なんで私たちばかり、邪魔されなきゃいけないんだ。


「翔霏、私たちもシャチ姐さんの船に乗ろう。一緒に鯨とかマグロとかを獲りに、海に出よう!」


 自然と、その言葉が口を突いて出た。

 私の意図するところを素早く汲み取ってくれたのか、翔霏が笑って言った。


「麗央那が乗っている船を、モヤシはまさか沈めにかかっては来ないだろうからな。なにせこっちは国の仕事で南方に来ている。それも翼州公(よくしゅうこう)からお墨付きの、国策で学問をしに来ているんだ」


 翔霏の言う通り、シャチ姐の船に私たちが乗ってさえいれば。

 姜さんは絶対、こっちに手出しできない!

 これだ、これだよ、これしかない!


「今度はこっちが、お前の邪魔を全力でしてやるからな!!」


 ここから私にとって何度目かわからない、一世一代の賭けが始まるぞ。

 姜さんが私たちの命を、もしも軽く見積もっていたら。

 そのときはみんな一緒に、海の藻屑と消えて流れるだろう。

 さあ、姜さんの弾くそろばんでは、私の命の価値ってどれくらいなんだろうな?

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