二百四十八話 空虚を殴る

 椿珠(ちんじゅ)さんと、そのお伴をしている鶴灯(かくとう)くんだけではなく、私の方もこれから慌ただしくなってくる。


「まずは角州(かくしゅう)の得さんに、海からの商売の門戸を広く開いてもらわないとね……でも私が直接言えることじゃないし、まずは玄霧(げんむ)さんか翠(すい)さまを通して口を聞いてもらわないといけないなあ」


 翌日、私はひとまず、翠さまのご実家である司午(しご)本家へ手紙を書く。


「東南の海からの品物が美味しい商売になります。ぜひ州公どのともご相談されたし」

 

 という内容の、ざっくりとした基本指針を連絡するためのものだ。


「玄霧のダンナ、実家(いえ)にいるかどうかもわかんねけどな。忙しい人だし」

「メエ」


 軽螢(けいけい)の見解に、翔霏(しょうひ)も頷く。


「角州も海賊の害が皆無と言うわけではあるまい。玄霧どのの部隊が海岸線や港の防備に駆り出されていてもおかしくはないな」

「確かにそれはあるかもだねえ。なるべく早いうちに、連絡が州公の得さんまで届いてほしいんだけど」


 こればかりは私たちにどうにもできない、運否天賦の領域だ。

 祈るような気持ちで私は手紙を仕上げて、それを出しに行くついでに市場へカボチャを買いに行く。


「すまないね、お遣いさせてしまって」

「いえいえ、食べたがってたのはそもそも軽螢ですから」


 籍(せき)先生に見送られ、中州から筏に乗る。

 渡し守のおじさんが、いつものように巷間の噂話を知らせてくれる。


「今までバラバラに好き勝手やってた海賊連中が、昂国(こうこく)の軍に対抗するためにまとまり始めたらしいぜ。こうなるといくらあの魔人軍師さまでも、手こずるんじゃねえかなって、みんな心配してらあな」

「それは、不安ですね」


 なんて、軽く返事をしたものの。

 街の人たちが心配していることと、私が危惧していることは、まったくベクトルが違う。

 中小の海賊を各個撃破して回れば、残った勢力が徒党を組み連合することくらい、姜(きょう)さんには想定の範囲内だ。

 私の予想通りなら姜さんは「ひとまとまりになった海賊の連合体を、一度にまとめて壊滅する作戦」を脳内に描いているはずである。

 細かい戦場をプチプチと潰しながら、慣れない海上に長く居座るよりも、そっちの方が効率が良いと考えるに決まってるからね。

 あの人、本質的には面倒臭がりの横着マンなので。

 けれど、問題はその後なのだ。

 その「大勝利」の余勢を駆って、姜さんは「悪党と手を組む可能性のあった東海人たち」を、問答無用のなし崩しで撃滅し始めるに違いない。

 攻撃対象の中には、シャチ姐たちのような中立的武装商船も含まれるだろう。

 昂国の近海で活動している、許可なく武装している船はすべて敵勢力なのだと、決め打ちして襲い掛かる姜さんの目論見。

 それを止める力はこの土地、腿州(たいしゅう)の海岸には存在しない。

 首都の河旭(かきょく)から遠く離れているせいで、河旭から命令が届く前に姜さんは好き勝手に動けているのだし、それこそが彼が意図して狙っているアドバンテージなのだから。


「……あんなにしつこく値切って、どうにかなるものなんだな」


 市場でお買い物を終え、翔霏が呆れと感心の混じった声で言った。


「そもそも店の人がちゃんと値札を付けてるのに、値切るって発想が俺にはあんまりねーよ」

「メェエ……」


 数字や金額に疎い翔霏だけではなく、軽螢も街で買い物することに決して慣れてはいないので、私が代表して支払いや店員とのやりとりを担ったのだ。

 ド素人め、そんなことじゃ都会の買い物戦争は生き残れねえんだよォ……。

 頑張った甲斐あって、最初の値の七割でカボチャなどの野菜や穀物を入手し、オマケに三人分のおやつとなる完熟柿もつけてもらえた。

 椿珠さんなら、もっとお得にいろいろと入手できたかもしれないけれど、今はこれが精いっぱい。


「柿は売れ残ったらもう腐っちゃうし、処分品だと思うよ。でもこれくらいが一番甘くて美味しいんだよね~~」


 べっこう色に輝くじゅっくじゅくのヤワヤワ柿にがぶりと噛みつき、幸福至極の私。

 暴力的とも言える甘味の波状攻撃が、脳や血糖値にガツンと直撃してくるぜ!

 あ~~腹いっぱいドカ食いして気絶したい。

 完熟の柿が持つ甘味こそ、水菓子の至高なのだ!

 さて、完璧なおやつタイムを終えた私たちだけれど、実はもう少しだけ街中でやりたいことがある。


「蛉斬(れいざん)たち、蹄湖(ていこ)の義賊のことを、もう少し詳しく調べよう」


 指を舐めながら言った私に、軽螢が微妙な顔でクレームを入れる。


「そんなの、顔色の悪い浪人姉ちゃんに聞けばいいじゃんか。地元が近所なんだって話してただろ」


 けれど翔霏が私の意を汲んで、軽螢にこう説明してくれた。


「同じ相手から集中的に情報を仕入れること自体が良くないし、なにより私たちの物騒な立ち回りにあの書生さんを巻き込むわけにもいかないだろう。街中で無責任な噂を集めた方が良い場合もあるんだ」

「面倒臭ェこと考えてるんだな、二人とも」

「メェ……」


 ヤギを撫でて、納得したのかしていないのかわからない風に漏らす。

 正直なところを言えば、私は軽螢にもあまりきな臭いことに足を踏み入れては欲しくないと思っている。

 そもそも攻撃的な性格をしていないし、彼にはこれから先、邑を立て直すという大事な役目があるからね。

 こう見えて調和と創造こそが軽螢の本質である以上、私や翔霏のような怒りんぼガールズに一々付き合って、危ない橋を渡る必要はないのだ。

 ある程度、籍先生から作物のことを学んだら、一足先に神台邑(じんだいむら)へ戻ってもらうつもりだし。


「とりあえず、甘い柿を食べちゃったから余計に喉が渇いちゃった。お茶を飲めるお店でみなさんの噂話でも……」


 情報収集にふさわしいくらい、適度に盛り上がっているお茶屋さんを探す私。

 どの店が適当かきょろょきょろと見比べて迷っていると、軽螢が通行人のおじさんを捕まえて質問した。


「なあなあ兄さん、俺ら、ちょっと遠くの出身なんだけどさ。蹄湖の近くから来た連中が集まってる茶店って知らない? 噂の大将軍の話を聞きたくて」

「おお、それならちょうどいい場所がある。俺も寄ろうと思ったんだ、付いて来いよ」


 一発で目的の店に辿り着けそうで、私は驚いて軽螢に小声で尋ねた。


「え、なんでこのおじさんが知ってそうだって思ったの?」

「川で会った蛉斬たちに、服の雰囲気が似てたからだよ。相浜(そうひん)の連中はもっと派手に着飾ってるだろ?」


 言われてみれば確かに、軽螢が声をかけた男性は薄着で、労働者風の素朴な無地の上下服を着ている。

 相浜の人たちはゆったりした長衣、それも綺麗に染め抜かれたり刺繍が入っているものを好むので、その差異に軽螢は気付いていたんだ。


「よく観察してるねえ」

「麗央那が気にしなさすぎなンだよ。人の顔とかも覚えるの遅ぇし。本ばっかり読んでちゃダメだって。目も悪くなるぜ」

「うるせー! 生意気に説教すんな! 目なんてとっくに悪いわ!」


 なんて、言葉の上では反発しちゃったけれど。

 まだ「軽螢ばなれ」できないのは、きっと私の方なんだろうな。

 悔しいけれど頼りにしちゃってる自分がいることは、認めなければならないよね。

 言われた通りに私は、言語や数字として記録しにくいことを覚えるのが苦手な方だし。

 軽螢に比べると、人間そのもの、あるいは他者という存在に対する興味が、きっと私は薄いのだろう。

 ちなみに私の近視、視力低下は今も絶賛進行中で、中学を卒業したころは裸眼ではっきり見えていたはずのあれこれが、最近はずいぶんとぼやけるようになった。

 具体的に言うと、私は夜空の月を見上げても、光と輪郭がぶれて二重三重に見えてしまうので、満月なのかどうか自分では判断できないくらいなのだ。

「今夜は満月だぜ」と横で教えてくれる軽螢のような人が、私にはこれからも必要なのかもしれないな。


「おおいみんな、蛉斬たちに憧れてるって若いモンを連れて来たぜ。いろいろと聞かせてやってくれよ」


 おじさんが案内してくれたお店に入ると、日のあるうちからお酒の香りが鼻に届いた。

 あまり若者の教育によろしくない感じの、雑な飲み屋さんのようだ。

 客席には働いているのかいないのかわからない雰囲気のお兄さんたちと、彼らが連れて来たらしい、一癖二癖ありそうなお姉さんたちが笑顔で杯を交わしていた。

 どうやらここはもう少し内陸部、河川の上流域から来た人たちのたまり場らしい。


「なんだいなんだい、柴(さい)ンとこの坊主のことならあたしに聞きなよ」

「あいつの家はまだ、ひいひい爺さんが元気にしてるんだ。もう百近いはずじゃなかったか?」

「あんな図体してる割りに、ムカデが嫌いなんだぜ。小さい頃に噛まれたんだってよ」


 などなど、ソース不明な実に他愛ない話が、集まる集まる。

 その中で一つ、私の意識を強く惹く話題があった。


「蛉斬の母ちゃん、肺の具合を悪くしたらしくてな。腕の良い医者に診せなきゃならねえってんで、前より張り切って稼ぐようになったはずだ。海賊退治を請け負ったのもそれが理由だろうさ」


 他の人もその話題を補強する情報をくれる。


「内陸は底冷えが厳しいから、冬になる前に相浜(こっち)に連れて来るかもしれねえってよ」

「母ちゃん思いなんだな」


 軽螢が何気なく言ったことに、女性の酔客が絡む。


「あら、坊やだってお母ちゃんは大事にしないとダメよ。男も女も、誰だってみぃんな、お母ちゃんのまたぐらから生まれたんだからね」

「そりゃそうだな。邑に帰るときはなにか面白いお土産探しておくかあ」


 母を含めた自分の家族はもう死んでしまい、この世にはいない。

 それをわざわざ反論しない軽螢が、ものすごく大人に見えて、私はなんだか泣きたくなった。


「真偽は不明にしても、興味深い話がいくつか集まったな」


 店を出て、帰り道に翔霏が言う。

 話題のジャンルにまとまりはなくても、今までおぼろげだった蛉斬とその仲間たちの実像が、徐々に色濃く浮かび上がってきたように思う。

 事前の予想通り、家族を愛し、仲間を愛し、故郷を愛する快傑集団ではあったのだけれど、出身地や家族の詳しい情報が手に入ったのは大きい。


「折を見てまた、あの店には行ってみようか」


 ひとまず手頃な情報源をゲットできて私は気分良く手応えを感じていたのだけれど。


「ところで麗央那、帯になんかゴミ挟まってるぜ。紙切れかな」

「メェ、メェ」


 自分でもまったく覚えのない紙片が、外套を留めていた帯の間、左腰の後ろにくっついていることを軽螢に指摘された。

 人の多いところを歩いていたし、知らない間に押し付けられたんじゃなかろうか。


「やだな、子どもの頃に背中に『妖怪女』って書かれた紙を貼り付けられて、一日過ごしちゃったこと思い出しちゃった」

「途中で気付けよ……」


 軽螢が呆れる中、私はくっついている紙切れを手で取って。

 捨てようか、ヤギに食わせようか、ほんの一瞬だけ考えたときに、そこに書かれている文字に気付いた。

 癖のある右上がりの文字、書きなぐったような筆跡で。


「央那ちゃん、フラフラと余計なことをしてないで、しっかり勉強しなさい」


 半ば予想できる「誰かさん」からの警告が、そこには短く書かれていた。


「メェ?」


 私はその紙をぐしゃっと握り潰し、ヤギに食べさせた。

 ったく、よく働く連中だよ、本当に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る