二百四十七話 ふるさとは遠し

 会談が無事に成功した。

 けれども天気が崩れそうなので一旦は解散することになった私たちと、シャチ姐さん。

 去り際に私たちに、世間話を振って来た。


「ワタシとあなたたちを引き合わせてくれた三人が、前に居酒屋で入店を断られたという話がありますです。そのことはご存知でありましたか?」

「はい、私たちの泊まっていた宿のすぐ近くでしたので、実際にその現場を見ました。入店を断った店員は次の日の朝に殺されていたんですけど」


 痛ましい事件であると同時に、謎も多い。

 けれどその闇の中にシャチ姐さんは一筋だけ、解明の光を照らした。


「実はワタシ、あの店員がどのように殺されていたのかを間接的ではありますが知っているのであります。同胞に舐めた口を聞いてくれた店員を少しばかり驚かせてやろうと思い、コイツに夜中にこっそりと尾行させて様子を窺っていたのでありますが」


 シャチ姐は親指でお伴の黒ずくめ用心棒さんを指した。

 彼があの夜に、なにが起こったのかを目撃していたということか。

 発想がマジで怖いことは、ひとまず突っ込まないでおこう。


「コイツが言うには、顔を隠した中肉中背の女が、店員が悲鳴を上げる暇もなく背中や喉を鮮やかに小刀で突いたり裂いたりして、水路に捨てたということであります。下手人は瞬く間に逃げて行ったらしいので、それ以上の情報はないのでありますが」


 私と翔霏は、嫌な予感を共有していることを確信し、渋面を向い合せた。

 ナイフを使うのがやたらと上手い、見た目だけは普通の女の人。

 ああ、嫌になるほど思い当たる節があるからだ。

 シャチ姐はあくまでも推測だという前提で、彼女なりの考えを示唆してくれた。


「おそらくはワタシたち東方の人間が、諍いの末にやらかした事件だと思わせるための、情報工作の一環でありましょう。こうしたいざこざを大小あまたにでっちあげることで、この街での東方の人間の評判はすっかり地に堕ちているのであります。余計なもめ事を起こしても得はありませぬので、ワタシはなるべく店に入らないようにしているのでありますよ」

「賢明な判断ですが、それだとなおさらに商売上がったりでしょう」 


 椿珠(ちんじゅ)さんの言葉に、シャチ姐は笑って手袋をはめた左手を振る。


「幸いにもこれからはよく働いてくれそうな左手にいろいろ任せられそうであります。追って連絡するでありますので、次は腰を落ち着けて話したいでありますね」


 爽やかな余韻を置き去りにして、姐御は河川敷を海のある方角、すなわち川下へ歩いて行った。


「私たちは他にやることあるからあんまり手伝えないけど、しっかりやってね、椿珠さん」

「ああ、任せとけ。あの姐さんと一緒なら、デカい祭りをブチ上げられそうだ」


 邪気のない誇らしげな笑顔で言って、さっそく段取りに走り回る椿珠さんが、いつもより何倍も頼もしく見えたよ。

 けれど、けれども。

 シャチさんの報告と、私たちの推測がもしも、確かならば。


「姜(きょう)さん、さすがに調子に乗りすぎたね。もう笑って済ませてあげられないよこれは」


 私は海の方を睨んで、重々しく呟く。

 いくら自分の策略に必要だからって、同じ国の仲間を。

 普通に暮らしているだけの一市民を、その手にかけるなんざあ。

 そこにはいったいぜんたい、どんな大義があるって言いやがるんだあ!?


「海の上にいる限り、殴りにも行けないしな。嫌な気分だ、まったく」


 ペキペキと拳の関節を鳴らしながら、翔霏が愚痴る。

 そもそも姜さんが自分の計画のために大義なき殺人を実行したのは、これが最初ではない。

 白髪部(はくはつぶ)の先代の大統、阿突羅(あつら)さんのお葬式でおイタをした生臭坊主、星荷(せいか)さん。

 彼を、姜さんは手下の乙さんを使って問答無用でぶっ殺した。

 あのときは混乱していて追及の余地がなかった。

 けれど、私は姜さんと星荷が裏でなにか繋がっていて、都合の悪いことを喋られるといけないから口封じに殺したのではないかと疑っているのだ。


「姜さんには今すぐに届かなくても、この街でなにかできることはあるはずだ」


 私は昨日よりも固く深刻な決意を胸に抱え、学び舎である三角州へと戻った。


「へえ、ねえちゃんはあの蛉斬(れいざん)と故郷が近いんか」

「メェ、メェ」

「そうなのよ。邑の同じ年頃の男の子たちは『俺も蹄湖(ていこ)で蛉斬さまに仕えるんだー』って言ってたものだけど、今はそんなこともなくみんな真面目に田んぼ作ってるよ」


 軽螢(けいけい)とヤギ、浪人女学生の泉癸(せんき)さんが和やかにトークタイムである。

 こいつ本当にすぐ誰とでも仲良くなるよな。


「泉癸さん、きょうは昼から来たんですね」


 軽く会釈して私たちも会話に加わり、卓を囲む。


「ええ、端っこで自習しているからあなたたちの邪魔はしないので、安心してください」


 いつも彼女は夕方にここに来て、自分の勉強の添削を籍(せき)先生にしてもらったのち、塾の端っこで仮眠して朝の筏で帰っている。

 完全に昼夜逆転生活をしているから、顔色も悪くなるんじゃないかなーと私は思っている。

 っと、それよりも重要なことを話していたように聞こえるぞ。


「柴(さい)蛉斬の故郷や家族のことを、詳しく知っているんですか?」


 私の問いに、いやいや、と軽く手を振って泉癸さんは遠慮がちに言った。


「個人的な付き合いはないです。ただほら、有名人なんで、ね。大小さまざまな噂話は見聞きしているというだけ。年に何回かは私の邑にも、治安の確認だぁー、とか息巻いて、手下を引き連れて顔を出していたし」

「鬱陶しいバカ男だ。大きな体が邪魔だと言って追い返せばいいんだ」


 翔霏の発言にくすっと笑って、泉癸さんは続けた。


「でもああいう人が田舎の小さい邑にまで顔を出して頑張ってくれると、それだけでみんななんとなく、明るく穏やかに暮らせるんですよ。早く海の仕事なんか切り上げて、湖と川に帰って来てくれと思っている地元の人たちは多いんじゃないかな」

「故郷を愛して、故郷にも愛されてるんですね」

 

 マイルドヤンキーの王さまみたいな感じだもんな、蛉斬。

 つくづく、あいつと姜さんが仲良くコンビを組んで同じ仕事をしているのが信じられない。

 いや、むしろ細かいことを考えない豪快な男だからこそ、姜さんとはぴったりハマるのか。

 変に頭が良い人の方が、姜さんと反りが合わないだろうからな。

 イケメンの新大統、突骨無(とごん)さんとかが好例。

 蛉斬と仲間たちのことは、もう少し詳しく調べる必要があるかもしれないな。


「さ、今日も一日、しっかり学ぼうか。一日学ぶことの積み重ねだけが、大きく高く学ぶことを実現できるのだ。応(おう)くんも、気になることがあるならなんでも言ってくれたまえよ」


 籍先生が教室代わりの庵に顔を出し、私たちは本来の役目に戻る。

 授業の始まりの掛け声が、小獅宮(しょうしきゅう)にいたジュミン先生の言葉に似ていて、少し懐かしくなった。

 飛び入りの生徒なのかオブザーバーなのか知らないけれど、軽螢が同席することは先生的になんの支障もないらしい。


「うーい。頼むぜおっちゃん。ところで俺、南瓜(なんか)ってのを食ってみたいんだけどナ。浪人ねえちゃんが、団子にすると美味いって言ってたんだ」


 カボチャ団子かあ、私も久し振りに食べたい。

 鍋料理に入ってるとテンション上がる。

 

「今は在庫がないが、海賊退治が順調に進んでいるようだし、市場に行けば問題なく入手できるだろう。近いうちに用意するよ」

「やったー」

「メエェェ」


 カボチャは皮も食べられるからね、ヤギの割り当てなんかないよ。

 私たちはその日、コンニャクを作るのに没頭した。

 まずはガッツリ長時間かけて茹でたコンニャク芋を、水で冷やして表面の皮を剥ぎ取る。


「手が荒れますからね、豚革の手袋を使うんですよ」


 先生の奥さまのご教導の下に、ごっしごっしとタワシ状の器具で表面の皮を取り除いたら、芋をすり鉢で細かく潰し、ペースト状にする。

 ぐじゅぐじゅになった芋に、藁灰を水に溶かして作った上澄み液、文字通りの灰汁(あく)を少しずつ注ぎながら、手作業でよく混ぜて練っていく。


「中々の重労働だなこれは。軽螢も見てないで手伝え」

「いやぁ、ここは正式な生徒さんである翔霏にやってもらわないと」


 調子のいいことを言ってサボりを決めている軽螢をよそに、コンニャクは私たちがよく知るあの弾力を見せていく。

 灰汁の濃さや水分量で、出来上がりのプリプリ感が異なるらしい。

 適度な弾力になったと判断したら、小さく丸めて成型していく。

 私は食べやすい大きさの小玉コンニャクが好きなので、ちまちまと小さめに成型する。

 軽螢はわらじハンバーグみたいな巨大で平べったいコンニャクを作った。


「形ができたら、これをもう一度茹でるのよ。お鍋にも少しだけ灰汁を足すの」


 大釜にぐらぐら沸いたお湯で、大量のコンニャクを茹でる。

 茹で上がったコンニャクを、さらに冷水に晒してしっかりと灰汁のえぐみを除去して、完成~~~!!


「たくさんできたなあ、こりゃあ食いでがあるぜ」

「メェ~~~!」


 山のようなコンニャクを前に、軽螢もヤギも上機嫌。


「これだけあれば腹も膨れるだろう。早く食べたい」


 何度も火を使う仕事をしたせいで翔霏はすっかり汗だくになって、食欲しか口にしなくなった。

 けれど、私はもちろん知っています。

 これから籍先生が私たちに教えるであろう、その残酷な真実。

 コンニャクの、正体を。


「みんなに頑張ってもらって悪いが、実はコンニャクを食べても、体の力にはならないのだよ。腹は膨れるが、本当にそれだけだ。水で腹を埋めてるのと大差ないな」「はぁ!?」


 翔霏が叫ぶ。

 重労働の果てに得たものが、なんの滋養活力にもならない空虚な幻想の食事であることに、怒りすら見せている。

 そう、コンニャクはほぼゼロカロリーなので、食べても血肉にならないし、運動するためのエネルギーを補給できない。

 腸を綺麗にしてお通じが良くなるという利点もあるし、各種ミネラルも摂取できるけれど、あくまでも補助的栄養の範囲にとどまる。

 コンニャクが美味しいからって、そればっかり食べてお腹を満たしていると、人はいずれカロリー不足で餓死するのである。


「腹の足しにもならねえなら、どうしてこんなに一生懸命、手間をかけてわざわざ作るんだよォ。他のもの食ってりゃいいじゃねえか」

「メェッ!」


 不満そうな顔を並べている軽螢とヤギに優しく説くように、籍先生は言った。


「かさ増しをして、いっときだけでもお腹を満たす、それが必要なことなのだよ。毎日毎食、美味で滋養に富んだものばかり食べられるわけではないのだ。たまには力にならなくても、腹を満たして空腹を誤魔化すだけのものも食べなければいけない。そもそも、米や麦で粥を作るのだって、あれは水で分量を増やしているようなものだからね」

「体ではなく、心を満たすために食べるものなんですね」


 私も以前、コンニャクってカロリーにならないのに、どうしてここまで面倒なことをして作るのだろうと疑問に思ったことがある。

 社会が豊かで贅沢を許容できるのなら、ダイエットとか食感とか、見た目涼しげなコンニャクの刺身とか、おやつとしてのコンニャクゼリーが、栄養以外の価値で市場に受け入れられているというのはわかるけれど。

 食うや食わずのギリギリの時代、決して豊かでない地域でも、コンニャクは伝統的に食べられ続けていたはずだ。

 それはきっと籍先生が言うように「とりあえず今のところは」と、お腹を誤魔化して膨らませることが、人々には必要だったのだ。

 活力にはならないとしても、気力を保つために。

 そう言われても釈然としない顔の翔霏に、奥さんが笑顔でコンニャクを差し出す。


「私はあまじょっぱいタレを絡めて食べるのが好きなの。ぜひ試してみて」


 楊枝が刺さった小玉コンニャクを、訝しながらも翔霏は口に入れる。


「ん……これは不思議な感触で……美味いな」

「煮込んだり揚げたり、干してから調理したり、いろいろな食べ方があるのよ。きっと南方を開拓していた大昔の人たちが、貧しかった時代から食べ続けていたものなんでしょう。土地の魂がコンニャクの中に宿っていると思うと、ありがたい気持ちになるんじゃないかしら」


 故郷の邑を再建し、これから田畑を一生懸命に作らなければいけない私たちにとって、その言葉は重かった。


「土地の魂か……」


 もぐもぐと噛みしめるようにコンニャクを食べ続ける翔霏が、北の方角を見つめて呟いた。

 新生神台邑の魂の味は、なにになることだろうね。

 私としては、大豆であれば嬉しいと思っている。

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