二百四十六話 交渉
おっかない東海の姐御、シャチさんと二回目の会談の朝である。
「堂々とした人、って以外に翔霏(しょうひ)はなにか気付いたことある?」
早めに待ち合わせに来るシャチさんに合わせて、私と翔霏も約束のタイミングよりずいぶんと早い時間に出発した。
道すがら、独自の鋭い人間観察力を持っている翔霏の意見を聞いてみたかったのだ。
「喧嘩なら、私の方が強いな。用心棒に立っていた男も含めてだ」
「そりゃあ、わかるけどぉ」
まず暴力が基準、と言うその発想。
もう年ごろの淑女なんですから、少し改めた方が良くなくって、翔霏さん?
私が微妙な顔を見せていると翔霏は面白そうに笑い、別のことも話した。
「おそらくは、子どもが何人かいるのだろう。足腰の運びに出産を経験した『母』の面影があった」
経産婦である、と言うことか。
独特の雰囲気に気圧されてしまって、私はそのことに気付かなかったな。
「肝っ玉お母さんなんだろうねえ、きっと」
どこぞの映画で天空の城に挑んだ、空賊のママみたいに。
思い出したら巨大なローストビーフを丸かじりしたくなって来たわ。
「どうかな。実は家に帰れば子煩悩かもしれない。まったく読めない瞳をしていた。そのくせこっちは心底まで見透かされているような」
確かにシャチ姐さんの強過ぎる視線は、まるで私たちを丸裸にして凝視観察しているような、肌にまとわりつく感触があった。
説得をするにしても、下手な小細工は意味をなさないばかりか、却って彼女を怒らせてしまうだろう。
わからない相手が一番怖いという真理を、私は胸にしかと刻んで目的の場所へ向かった。
虚心坦懐。
私たちは椿珠(ちんじゅ)さんのオマケ、添え物なので、出しゃばらず、静かに誠意を見せるだけだ。
「よう、ずいぶんと早いな」
途中、宿で待っていた椿珠さんと合流。
この宿もじきに引き払って、椿珠さんは鶴灯(かくとう)くんが住んでいる長屋の近くに滞在先を変える予定だ。
「って椿珠さん、寝てないんじゃないのその顔」
目が赤いし、眠たいのかしきりに瞬きを繰り返している。
大丈夫かよ、重要な話し合いの当日だってのにさあ。
「ちょいと夜なべして慣れない作業をしてたもんでな。茶でもガブ飲みしておけば大丈夫だ」
そう言って彼は愛用のひょうたんから、濃いめのお茶をぐびぐびと飲んだ。
確かにお酒臭くはないし、今日のために彼なりになにか真面目な準備をしていたのだろう。
しっかり決めてくれよ色男、と私は心の中でエールを送る。
おそらくは先にもう、シャチ姐さんが待っているかもしれない場所へと急いだ。
相変わらずお店に入りたがらない彼女に合わせて、今日のデートスポットも人の少ない河川敷である。
前回と場所は近いけれど変わっていて、小舟で来たわけではないようだ。
「みなさまこんにちは。一雨来そうなのでありますから、話は早く済ませてしまおうと思うところでありますね」
やはり先に来て待っていたシャチ姐さんと、お伴の黒服の男性。
一人ずつ順に礼を返して、まず私が先日に言いそびれた話題を持ちかけた。
「姐御さまが沸(ふつ)の教えに親しみを感じておられるのでしたら、ぜひとも受け取って欲しいものがあるんです。これは椿珠さんに出した交渉条件とは関係なく、純粋に私からの贈り物です」
そう言って私は愛用のポチ袋から、飴状の小粒丸薬を取り出した。
包み紙の中のそれを見て、シャチ姐さんが率直な感想を口にする。
「血のように赤い飴玉でありますね」
「はい、私の血を薬として成形したものですから」
お伴の男性がピクリと動き、渋い顔をこちらに向けた。
少し興味を引かれたように片眉を吊り上げたシャチ姐さん。
その反応を確認して、私は続ける。
「西方にある小獅宮(しょうしきゅう)という沸教(ふっきょう)の施設で、私は少しの間、お勉強させてもらったことがあるんです。そのときに痘瘡(とうそう)の流行り病に対応するために作った治療薬なんです」
ほお、と明確な関心を示してくれたシャチ姐さん。
「西の内陸であばたの病が流行りかけたという噂は、ワタシも耳にしたところであります。いつの間にか収まったと聞いたのでありますが、効きの良い薬が作られたのでありますか。小獅宮で学ばれたとは、お若いのにご苦労なことでありますな」
「いえいえ、楽しいところでした。けれどこの薬は飲み薬ではなく、体に傷をつけて埋め込まなければ効果を発揮しないんです。そのせいもあってか昂国(こうこく)の人たちはあまり使ってくれません。沸の教えに理解のある姐御さまなら、抵抗感も少なく使ってくれるのではないかと思いました」
昂国の人たちは、自分の体を自分で傷付ける行為を、かなり明確に嫌う。
だから皮膚を切り裂いて予防接種を施すことへの抵抗感も激しいし、刺青なんてもってのほかと思っている人も多い。
先祖から、親から受け継いだ大切な体を、意図的にあれこれいじるようなこと、傷付けたり損壊させたりすることは、不孝不忠だと考えているのだ。
斬首や八つ裂きが最も重い刑罰として定められているのも、おおむねその道徳観に基づく。
単なる死亡よりも首狩りの方が次元を超えて恐ろしいので、姜(きょう)さんも魔人と呼ばれるのだよな。
けれどシャチ姐はその固定観念がおそらく薄い人だろう。
左右の上腕に見事に彫り込まれた、沸教の命題を意味する熟語の刺青から、私はそう思ったのだ。
丸薬と私の顔を慎重に見比べているシャチ姐へ、翔霏が自分の肩口をめくって見せた。
そこには小さな点々が、まるでワクチン接種のハンコ注射の痕跡のようにハッキリと浮かび上がっている。
「これが実際にその薬を埋めた痕だ。私もこの薬のおかげで西方で病に倒れずに済んだ。薬を打った後はしばらく高熱と悪夢にうなされるが、まあしばらく寝ていれば大丈夫だな」
私たちが嘘デタラメを言っていないとシャチ姐は判断したのか、軽く頷いて薬をお伴の男性に渡した。
「ワタシもあちこち飛び回る商売をしているものでありますから、流行り病への対策は考えているところでありました。いつか使う機会が訪れるかもしれないのであります。ありがたく受け取っておくのであります」
とりあえずファーストコミュニケーションは無難に済んだようで、私は一安心。
さて、後は椿珠さんの立ち回りに任せるしかない。
正直言うと、椿珠さんが彼女にどんな商品を売り込もうと考えているのか、純粋に興味があるんだよね。
環家(かんけ)の三弟、その本領を見せてもらおうじゃないのさ!
「なんだか俺の前にずいぶんといいものが出ちまったみたいな気がするな」
恨めし気な目でボヤキながら、一歩前に出た椿珠さん。
なにさー、これで交渉が失敗したからって、私のせいにしないでよねー。
前置きもなく手短に、椿珠さんは抱えていた小包を開いて中身をシャチ姐さんに見せた。
「これは、手袋でありますか。刺繍が実に美しいのでありますね」
彼女が言うように、椿珠さんが用意した品は、繊細な刺繍、花と蝶の模様が施された手袋であった。
蝶は私も好き、それは良いのだけれど。
「俺がこの街に来たとき、一番最初に見つけたお宝がこの刺繍です。それを姐御どのが使いやすいように少しだけ、手直ししました」
椿珠さんが笑顔でアピールする。
なにかしらの工夫の跡があり、普通の手袋と大きく異なる点がある。
夜通し作業していたと言っていたのはこれかな。
しげしげと品物を眺めて、触って握って確認したシャチ姐は。
不快とも愉快とも判別しかねる、けれど無感情ではない複雑な声色で言った。
「ワタシの欠けた指を補うように、手袋の中に綿が詰められているのでありますか」
そう、椿珠さんが用意したのは、義手ならぬ義指手袋。
もちろんからくり細工などないので、本物の指のようには動きはしない。
けれどその手袋をはめている分には、彼女の左手に指の欠損があるとは誰も思わないくらいの、自然な形の、半握りに形作られた見た目は完璧に美しい手袋だった。
「鶴灯のお母さんの刺繍か……」
翔霏が呟く。
一目見たときから椿珠さんはこの刺繍にべた惚れで、どんな些細な失敗作、練習作でもいいから引き取らせてくれと拝み倒したほどだ。
彼の審美眼に適うものなのだから、本当に素晴らしいのだという保証はあるだろうけれど。
「ふうん……」
言葉少なに手袋を眺め、なにかを考えている風のシャチ姐さんを見て、私は背筋に冷たいものが走った。
もしも椿珠さんが「姐御の指が潰れてなくなったのが可哀想だ」と思っているなら。
それは、彼女の自尊心を、大きく傷つけることになりかねない!
プライドが高い人ほど、自分が「弱く足りない存在で、憐れまれている」と言う状況に、我慢できないものなのだから!
秩父のおじいちゃんも、ちょっと調子を崩して入院したとき、私がお見舞いに行き過ぎるので「ワシはまだ死なんのじゃ、ちゃんと家で勉強せんか!」と怒鳴ったくらいだ。
身体障害者だからと言って、なんでもかんでも気を遣われて、優しくされて、可哀想な存在扱いされることに、我慢ならない人はいくらでもいるのだ!!
椿珠さんに任せると言った以上、私は余計な口を挟めないけれど。
不用意に踏み込み過ぎているのではないかと、私は上手く息が吸えないくらいに、動揺している。
椿珠さんの真意をはかりかねているのは、シャチ姐さんも同様らしい。
彼女は丁寧に手袋を観察したのち、真っ直ぐにこう尋ねた。
「なぜワタシに、これを?」
私だけではなく、隣で推移を見守っている翔霏にも緊張が走ったのがわかった。
その答え次第では、ただでは済まさない。
甘く見られて黙っている雌シャチはこの東の海にいないのだと、鋭すぎる視線が告げていた。
今、この場の武器も乏しい喧嘩なら翔霏に分があるとしても。
これから先、シャチ姐を怒らせて彼女の恨みを買うことになってしまっては、私たちの行動予定は激しく音を立てて瓦解する確信がある。
このお姐さんが、敵に対して容赦しない人であるのは、勘の鈍い私にもビンビンに伝わっているのだから!
しかしその剣呑な空気を、少し眠たげな目で柔らかくいなし、椿珠さんが言った。
ぽつりと。
どこか、恥ずかしそうに、こう言ったのだ。
「……この南の地で見つけた、最も美しいものだからな。あなたにはよく似合うと思ったのさ。それだけですよ」
一生懸命、考えて考え尽くした。
短い時間、限られた条件で、できる限りの努力をした。
その果てにある自信や誇り、その裏にある真っ直ぐすぎる好意。
ああ、そうか。
椿珠さん、シャチ姐に、惚れたな。
この手袋を受け取って欲しいと、本当にただひたすら純粋に思っていて。
自分がプレゼントした宝物を、彼女が身に付けてくれる光景を、心から望んでいるだけなんだ。
「はあ」
その機微を読み取れないシャチ姐さんではない。
きっとそれなりに男性とも愛し合い、そして得た愛する子を産んで育ててきたであろう彼女が、椿珠さんの気持ちをわからないわけはない。
用心棒の男性が冷たい目で私たち、特に椿珠さんを見る中。
少し困った顔で、シャチ姐は言った。
「ワタシはこの品に値を付けられないのであります。そうなるとタダでいただくしかないのでありますが」
「商人としては負けですが、一人の男としては本懐です。それで構いません」
なんとも洒落たキザな言い回しで。
けれどまったく不自然ではない、本心からの言葉を椿珠さんも返した。
商人ではなく一人の人間として、椿珠さんはシャチ姐さんにぶつかって行ったのだ。
うんうんとシャチ姐は頷き、早速その花蝶の刺繍入り手袋を、左手にはめた。
優雅で、でもどこかしっかりと力強くて。
本当の彼女の指、失われた三本が中に納まっているような自然さで、他に二つとないほど美しい手袋は、自分のあるべき場所を勝ち得たのだった。
「これからも、よろしくお願いするのであります。楽しい商売になりそうでありますね」
今までで一番柔らかい笑顔で、シャチ姐はそう言ってくれた。
椿珠さん、笑いながら少し泣いてた。
損得だけじゃない、きっと楽しいのだろうという予感が、シャチ姐さんの気持ちを動かしたのだろう。
そう思うと、私もこれからのことが楽しみなのであります。
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