二百四十五話 三人の山男
翌日、椿珠(ちんじゅ)さんは早くから、鶴灯(かくとう)くんを連れてお買い物に出た。
シャチの姐御さんと約束した「彼女が喉から手が出るほど欲しがる」品を探し求めるためだ。
と言っても、この街で手に入るものの大半はシャチさんなら自分で入手できるはずだ。
別の方向で得がたい、珍しいものを探さなければいけない。
椿珠さんも市場で目ぼしいものが見つかるとは本気で思っておらず、思考の助けにするためにいろいろと物色しておきたいだけだろう。
「上手く行くだろうかな」
翔霏(しょうひ)が窓から、街の方角を見て案ずる。
私たちは買い物に付き合わずに本業のお勉強中、相変わらず種子のスケッチ。
もっと手を貸して関わってもいいのだけれど、今はあえて生温かく応援しながら静観している。
私たちがあれこれ尽力するのが当たり前になってしまうと、椿珠さんとシャチ姐御の今後に良い影響はないからという理由だ。
この先、椿珠さんは私たちと別行動で東海の人たちと、半ば独立独歩で交渉しなければならない機会が増える。
再会の約束をした明日は、私と翔霏も付き合う予定。
けれどそれが終わって、首尾よくシャチ姐の協力を取り付けられれば、椿珠さんは私たちを置き去りにする勢いで忙しく立ち回らなければならないのだ。
「信じて任せよう。どの道、この手がダメならもう完全に姜(きょう)さんに先を越されて、なにをやっても後の祭りにしかならないし」
開き直りと信頼が半々で同居する心持ちで、私は言った。
なにせ信じられないくらい、姜さんの動きと仕掛けが早すぎるのを、今日の朝も街の噂で思い知らされたのだ。
ここ腿州(たいしゅう)からざっくり地図を見た場合、海の様子は南部の小さな群島が散らばっているエリアと、北部の島が少ないエリアに分けることができる。
南部の諸島域はもともと昂国(こうこく)の領土なのか、それとも東南海の別の国の領土なのかわかりにくい地点が散在していた。
そんな所属曖昧な島々の半数近くを姜さんは、海上電撃作戦を敢行して、瞬く間に手中に収めてしまったのだ。
「まず出会い頭に叩いて抑えてしまえば、後はその島々が補給拠点になり、防衛の前線にもなる。戦(いくさ)は少しばかり拙くても速さがなにより肝要だということを、除葛(じょかつ)は骨の髄まで理解しているのだろう」
自身も恒教(こうきょう)と泰学(たいがく)に精通している籍(せき)先生が、そう解説してくれた。
一度でも入手した拠点は、圧倒的な防御力と言うアドバンテージを持って敵に対する盾に早変わりするのだ。
加えて言うには。
「しかし書物の訓戒では分かっていても、現場の将兵をまるで自分の手足のように動かし、苦しい中で鼓舞して作戦を実行できるかどうかは、また別の話だ。私などではまったく理解できない神通力のようなものを、除葛は天性か経験の賜物かで、身に付けているのだろうね」
「言われてみれば……」
私は昨年の今頃、秋が深まったあの日に、後宮の外塀で覇聖鳳(はせお)と姜さんが対峙した場面のことを、詳しく思い出した。
あのときは玄霧(げんむ)さん率いる当時の翼州(よくしゅう)左軍の一部隊を姜さんは引き連れて、荒らされる後宮を颯爽と救出に来てくれたのだけれど。
「覇聖鳳にぶつけるなら、神台邑(じんだいむら)の骸を数多く見た玄霧の部隊以外にはありえない」
姜さんがあらかじめ、そう考えて仕組んだ戦場だとすれば、どうだ?
邑人の無数の死体を目の当たりにして、覇聖鳳たちへの憎しみを直接に受け付けられた彼らなら。
味方の士気はこれ以上ないくらいに高く、多少の損害で怯むようなことも後退するようなこともない。
なにせあのとき玄霧さんは、自分が死んででも覇聖鳳はこの場で殺し切る、と決断していたほどなのだから。
私は籍先生にそのときのことを話し、こうまとめた。
「姜さんは、味方の将兵が『なんのためなら死ねるのか、どんな戦場であれば実力以上のものを発揮できるのか』を、きっと知り尽くしているんだと思います。あの人は勉強家ですから、敵のことも仲間のことも、徹底的に調べ尽くします。ふさわしい兵力や人員を、ふさわしい戦場へ送ること。それが姜さんの奥義であり、真髄なのではないでしょうか」
その見解に籍先生は。
明確に不快そうで、沈痛な顔を浮かべた。
溜息の次に吐かれた言葉は、まさに姜さんを形容するのにふさわしいものだった。
「喜んで死にに行くような若者を大量に生み出すような存在、それは死神としか呼べないのではないか……」
言葉にして肯定してしまうことを怖れた私は、黙って野菜の種を写生する作業に戻った。
「おっしゃー、完成だー!」
「メエエエェェェーーッ!」
庵の外で、軽螢(けいけい)とヤギの爽快な声が響いた。
私と翔霏が寝泊まりする仮小屋の建築が終わったらしい。
「あいつなりに頑張ってくれたことだし、今日くらいはたっぷり甘やかして労ってやるとするか」
「そうだね。どんな感じになったのか楽しみ」
私と翔霏は休憩を兼ねて、完成された小屋を確認に行く。
いい時間だしみんな一緒にお昼にしようかな。
って思ってたら。
「……どうしてヤギの小屋があるんだ?」
「メェァ」
翔霏の疑問に「あってなにが悪いんだ」とでも言いたげなヤギの反応。
見れば、私たちが寝泊まりする用の建物の隣に、もう一人くらいは軽く雨風を凌げて、ヤギも十分に寝られそうな小部屋が作られていた。
ご丁寧に寝ワラまでしっかり完備されている。
まさか軽螢のやつ、なし崩し的にこの三角州を拠点にするつもりではあるまいな?
「ああ、麗くんと紺(こん)くんには言い忘れていたかな。あと一人くらい増えても大した問題ではないと思ったから、応(おう)くんの分の寝床も構えて問題ないと言っていたのだよ」
今になってトボケたことを言う籍先生であった。
カタブツそうな感じだけれど、意外と話が分かるし臨機応変な人なんだな。
横に立つ奥さんも、ニコニコとした顔で被せる。
「たくさん食べてくれる若い人が増えて、食事の支度にも張りが出ますねえ」
「へへへ、しばらく世話ンなるぜ。おばちゃんのメシは美味いからなあ。最近太っちまった」
生来の人たらしの気がある軽螢は、いつもの屈託ない笑顔で効果的に籍夫妻の心に入り込んでいたようだ。
他ごとや勉強で忙しかったので、すっかりノーマークだったぜ。
誰にも警戒されないって、改めて考えると凄い能力だよなあと変に感心してしまう。
こいつだって今までずいぶんと切った張ったの傍らにいたはずなのに、纏うオーラにまったく険しいものがないのは、昂国七不思議の一つである。
なんてことを思いつつ、世間の喧騒から離れた中州でのランチタイム。
「ほほう、応くんのご先祖は北部の野山を一から開拓した移住民であるのか」
「そうらしいって話だけだよ。じっちゃんが生まれた頃には、邑はちゃんと出来上がってたみたいだし」
「翼州(よくしゅう)の北は、土地も痩せて川の流れも急だと聞く。いくら国策と言えど、よくぞその環境で、立派に邑作りを成し遂げたものだ」
籍先生と軽螢が、農業トークに花を咲かせている。
神台邑(じんだいむら)のある場所は油断するとすぐに鉄砲水に襲われる、起伏に富んだ地形なので、今いるこの相浜(そうひん)の街とはまるで別世界だ。
まあ、燃やされちゃったんですけれどね、その邑も……。
けれど軽螢はそんな哀しみをすでにすっかり乗り越えており、明るくこう自慢する。
「じっちゃんは白髪部(はくはつぶ)の土地にも麦とかキビの畑作りを教えに行って、州公サマに表彰されたくらいの名士なんだ。俺もいつか翼州で一番でっかい大豆畑を邑の周りに作りてえなあ」
「大豆かね。運悪く未成熟のまま収穫してしまった大豆は、そのまま肥料として畑に鋤き込めば次の作物が太く育つ。一度大豆を作った場所を、翌春に麦畑や水田に転用するのが良いだろう」
窒素固定と言うやつだな。
土壌に窒素の塊を肥料として施せば、次に植える作物は実入りが良くなる。
それは動物の死体や食事の生ごみ、糞尿から作った堆肥でも同じなのだけれど、せっかく大豆を作ったのなら余ったゴミをそのまま肥料に流用しようというやつだ。
窒素成分が高すぎるとかえって作物がくたびれるので、細かい調整は籍先生からじっくり学ぶとしましょう。
動植物の残滓である窒素成分以外に、田畑の肥料として重要なものと言えば。
「リン鉱石や硫黄も農業には重要ですよね。後宮にいた頃は物品管理でよく目にしていましたけど、一般の農家さんは使っているんでしょうか?」
私は朱蜂宮(しゅほうきゅう)で働き蜂をしていた時期を思い出し、籍先生に訊いてみた。
去年の今頃は後宮の中で、火薬や爆発物、毒劇物のことばかり考えていたし、物品庫にはそれらの資材がまとまって保管されていたのでとても身近だった。
一般学生に戻った今、その手の化学物質に若干、縁遠くなった気がする。
私の問いに少し難しい顔をして、籍先生が教えてくれる。
「それらの鉱物は西の尾州(びしゅう)が主な産地なのだが、あの地は大乱の影響で今も商業規制が強くかかっているからね。尾州産の燐(りん)や硫黄が国に出回る量は限られているのだ。それで不便をしている農民が多いことを、私も役人時代になんとかできないかと思って何度も上奏していたのだが……」
「ああ、姜さんの故郷は山がちの土地だって言ってたっけ」
だから金銀や水銀、硫黄の大産地になっているのだね。
それらの重要物資を売って儲け資金で旧王族が反乱を起こしたので、二度とそう言うことが起きないように経済封鎖をされているんだな。
同じ昂国と言っても、東西南北で色々違うなあと今更強く思い知らされる。
えーと、そもそも私が南部に来て農業を勉強している最も重要な理由はと言えば。
翼州北部の自活自衛、屯田政策のため、農業生産力の改善が至上命題だ。
「新しい神台邑の収穫量を劇的に向上させたいなら、尾州の鉱石も今よりもっと自由にたくさん使えないと無理なんじゃないかな」
ぽつりと言った私の言葉に、翔霏が冷めた顔で答えた。
「偉い人たちに泣きつくしかないんじゃないか。麗央那の得意技だろう」
「その言い方、ちょっとどころじゃなくて棘があるゥ~」
前途は多難である。
結局その日は、椿珠さんは顔を出さなかった。
あの酔っ払いめ、シャチさんの説得を諦めて遊んでたりしねえだろうな……。
酒呑みをそもそも信用していない私。
軽螢が作ってくれた仮小屋の中で、結局は一睡もできずに次の朝、シャチ姐との二度目の会談を迎える羽目になった。
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