二百四十四話 海虎の眼光
約束の相手、シャチの仇名を持つ女傑とは、人気の少ない河川敷で会うことになった。
要するに敷物を広げて、ピクニック気分の会食である。
お互いをまだ信用していない関係である以上、どちらか片方の部屋、拠点に足を踏み入れるのは難しいという判断からだ。
シャチの姐御は自身の仕事や用事で昂国(こうこく)と海上を常に行ったり来たりしているらしい。
たまたま所用でこちらに立ち寄った機会を上手く使い、今回の会談が成立したのだ。
「誰かが先に来て待っているな。二人だ」
視力の良い翔霏(しょうひ)がまず気付いて、私たちに報告する。
遠くに小さな人影が見えて、一人は川岸に直立している。
用心棒とか、付き人みたいな人だろう。
もう一人、肝心のシャチ姐さんは……?
「あれ、男の人しか見えないよ」
私の目には、黒ずくめの服を着て静かに佇んでいる男性の姿しか見えない。
翔霏が河原のさらにその先、川の上を指差して教えてくれた。
「浮かんでいる小舟の上に、女がいる。釣りをしながら私たちを待っていたらしい」
よく視ると確かに、川面に一艘の丸木舟がたゆたっていた。
そこに座りながら微動だにしない人物の姿を、私の目も捉えることができた。
遠いのでどんな人かはまだわからない。
けれどそこに流れている空気感が、まるで山水画を思わせるほど静かで超然としたもののように感じた。
「アネゴ、クル、ハヤイ」
「イツモ、ヤサシイ。オコラセル、コワイ」
「レイサン、キット、スカレル、ダイジョブ」
顔繋ぎを務めてくれた東国の三人はそう言うけれど、私の緊張は一気に高まっている。
これは、想像していたほどに柔和な話し合いでは済まないのじゃないだろうか。
声が聞こえる距離まで近づいた私たちは、まずこちらから挨拶を述べた。
代表して話すのは、もちろん商売の主任者である椿珠(ちんじゅ)さんだ。
「お待たせしてまことに申し訳ない。俺は毛州(もうしゅう)の生まれ、商家の息子の環(かん)椿珠と言うものです。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます」
よそ行きの顔をちゃんと使い分けられる椿珠さんは、いつものだらけた雰囲気をすっかり引っ込めて、丁重に恭しく礼を重ねた。
お近付きのしるしとしてそれなりにお宝のお土産も用意しているし、これでダメ出しされるならもうどうしようもないわ。
舟に乗ったままこちらをゆっくりと振り向いた、シャチの二つ名を持つ彼女。
まるで虎のようにぎょろりと見開かれた瞳で、私たちの姿をしばらくの間、じぃっと観察した。
「晴れて良かったのであります。あまり店には入りたくないのでこの場を指定したのでありますが、後悔することにならずに済んで僥倖でありますです」
独特ではあるけれど流暢な昂国(こうこく)の言葉でそう言った。
足元が濡れるのも構わず、舟の縁をジャンプで飛び越して降りて、じゃぶじゃぶと水を掻き分けて川岸に歩いてくる。
岸に上がった彼女は、場に来た私たち全員を順繰り、相変わらず光の強い眼で睨むように見つめる。
「極めて重大なお話と言うことで身構えて来たのでありますが、みなさんずいぶんとお若いのでありますね」
ようやく、わずかながら口角を上げて笑顔を見せてくれた。
確かな経験と年輪を感じるその表情からは、しかし不思議と若さの輝きもあり、実年齢はまったく不明だ。
私たちより年上なのは間違いないけれど、30代、40代、50代、どの年代を言われても納得してしまう、正体不明の貫録と溌剌さが同居していた。
もう秋で肌寒いというのに、上半身はサラシ巻きで胴体を隠しているだけ。
左右それぞれの腕に「一切(いっさい)皆空(かいくう)」「生滅(しょうめつ)流転(るてん)」という刺青の文字が見えた。
沸教(ふっきょう)の門徒、信仰者なのだろうか。
「指が」
翔霏が小声で言いかけて、その言葉を引っ込めた。
シャチさんの左手には、親指と人差し指しかなく、それ以外はおそらく怪我かなにかで失われている。
失礼だったかもしれないその発言と驚きを咎めることなく、シャチさんはなくなった指を私たちに軽く見せて、言った。
「クソッタレの海賊どもに潰されたのであります。まだ若く、未熟な頃の話でありました。今では百倍返しで連中の指を潰して回っているのであります。いえ、どんな人間も指はワタシの百倍もありはしないのでありますが」
冗談なのか真実なのかわからない、滑らない話を披露し、雌シャチがにっかりと笑った。
こ、こ、こ。
怖ェよこの人!!
今までに出会った誰とも違う、正体が捉え切れない不気味さがある。
私は今すぐにでも、翔霏の背中に隠れたいし、おしっこ漏れそう。
威圧され竦んでしまったのは椿珠さんも同様だ。
けれど彼には、ここで怖気づかれても困る。
この姐さんを相手になんとかお互いウィンウィンになる商売上の納得を成立させ、直ちに仕事に取り掛かってもらわなければいけないのだ。
んんっと咳払いをして喉を開いた椿珠さんは、本題に入る前にまず用意した手土産を差し出した。
「挨拶代りのつまらない品ですが、どうぞお受け取り頂きたい。北方と西方のものをいくつか見繕ってみました。気に入っていただけると嬉しいのですが」
お品書きは黒狐の毛皮マフラー、アンモナイトの化石、ハヤブサの羽ペンとか、他に小物と金銀宝飾をいくつか。
私のコレクションからも提供しているので、喜んでもらえるといいな。
「これはご丁寧にありがとうなのであります。あなたたちの誠意に対してワタシはまず、自分が何者なのかをはっきりと伝えねばなるまいと思う次第であります。海賊狩りの女船長と思われているのでありますれば、それは少々の誤解があると言わねばならないのでありますから」
お伴の男性に敷かせたゴザの上にどっかりと腰を掛け、シャチさんは私たちにも車座になるように手で促した。
青空の下、川のせせらぎと涼風を背景に、私たちは彼女の話を謹んで聞く。
「まずワタシは決して義理や人道で海賊を潰しているわけではないのであります。あの連中がワタシの商売の邪魔をするものでありますから、虫や火の粉を払うようにクソッタレどもを船ごと海に沈めているだけなのであります」
なんとも殺伐とした恐ろしいことを、平然と言ってのけるお姐さんだった。
「失礼、無知を承知でお尋ねしますが、姐御どのの本来の商売とは、いったいどのような?」
椿珠さんの質問に、シャチ姐は私たちを案内した東国の三人を見て、説明してくれた。
「ワタシはこいつらのように、昂の国で働きたいと望むものたちを、船賃を取って無事にこの国まで連れてくるのが元々の仕事であります。時勢が良ければ仕事の斡旋をして上前をかすめることもするところでありますが、今はどうもそっちがはかどらずに困っているのであります」
「なるほど、人足(にんそく)出しの親分さんでしたか」
ははあと納得して椿珠さんが言った。
要するにシャチの姐さんは、人材派遣会社をやっているわけだ。
物資が豊かで政治的にも安定している昂国へ、東の人たちを派遣してその中間マージンを貰うのが、彼女の本業なのだな。
東海の人への反感が強い今は、仕事の紹介まで手が回らないのか。
続く説明では、こうだ。
「そのワタシの船の道に、邪魔くさく頭のおかしい海賊どもがうろちょろするようになったのであります。挙句の果てにはワタシの船まで襲う始末でありますので、やむにやまれず返り討ちにしていたら、いつの間にか海賊どもを潰して得られるゼニの方が多くなったという、笑えもしない話なのでありますよ」
「豪傑過ぎる」
途方もない人物を紹介されてしまったと、私と椿珠さんは口を半開きにするばかり。
淡々と、まるで感情がないように機械的な話方をしているのが、なおさら恐怖だ。
翔霏だけはなにか感銘を受けるところがあるのか、ウンウンと頷いていた。
しかしそんな彼女の武勇伝もすべてが順風満帆とは行かないらしく、少し表情を陰らせて漏らした。
「しかしこれからは海賊潰しの実入りも減るはずなのであります。鬼とも魔とも知れぬ途方もない狂人が、ワタシの獲物になるはずの海賊を片っ端から海に捨てて沈めているのでありますから。この商売にもそろそろ見切りを付けないと、ワタシが海賊の仲間と思われて巻き添えで沈められてしまいそうであります」
「除葛(じょかつ)のことか……」
椿珠さんがそう呟いたように、海賊狩りのシャチさんの競争相手として、姜(きょう)さんと言う大型オールドルーキーが、この東南の海にデビューしてしまった。
昂国と言う巨大なスポンサーがバックに付いている姜さんは、予算も人員も潤沢に使えるまさに鬼に金棒状態で南部の海を無双しまくっている。
いくらシャチ姐さんに実力があっても、圧倒的な規模と物量の差には勝てないだろう。
彼女はそれを正しく自覚しており、冷静さを崩さずにこう言った。
「ならばこそワタシは、新しい商売を見つけなければいけないのであります。ワタシが稼げなくなりましたら仲間はワタシを船長の座から引きずり降ろし、船の上で擦り切れるまで慰みものにされ、飽きられたらサメのエサにでもされるのが落ちであります」
さらりとえげつねぇこと言ってて、うぶな私、閉口。
「もちろん、そんなことにはさせません。そのために俺たちは姐御どのに、今日はこうして話を持って来たのです」
任せて安心してくれ、と言わんばかりに胸を張って、椿珠さんが強く言った。
シャチさんは。
最初にそうしたように、強すぎるその視線でじぃーっと椿珠さんを数秒間見つめて。
期待も失望もない、フラットな雰囲気で、こう返答した。
「あなたたちが誠意ある人だというのは、ワタシもおぼろげにわかるのであります。しかしだからと言ってあなたたちと商売をして上手く行くという信用と信頼が、ワタシの側にはまだ一つもないのであります。要するにあなたたちは人の善いだけの役立たずではないかと疑っている気持ちがワタシにはありますです」
「いやいやこれは、正直な人だな」
失礼とも取れる台詞を投げかけられて、なぜか翔霏は笑っていた。
実際、彼女の言い分はわかるよ。
椿珠さんがやり手の商人だと自分の目で確かめない限りは、信用できないもんね。
ここの問題を解決するために、シャチ姐さんはとても明快で分かりやすい課題を、椿珠さんに出した。
「次は明後日に会いたいと思うのであります。そのときまでにあなたたちは、ワタシが有り金全部をはたいてでも買いたいと思えるような商品を、なにか一つでも用意してくれると嬉しいであります。ワタシと一緒に商売をしたいのなら、まずワタシと言う客を満足させることがあなたたちには必要なことでありましょう」
言い放って、シャチ姐さんはお伴の男性と一緒に、丸木舟で川を下って去って行った。
あの男性、最後まで結局一言も言葉を発しなかったな。
手を振って見送っている私の横で、呆れたような、感心したような声色で翔霏が嘆息した。
「凄いなあの女。最初から最後まで、自分のことや自分の都合だけ喋って帰って行ったぞ」
「あ、言われてみれば確かに。でも不思議と、イヤミな感じはしなかったね」
きっとシャチさんの話には、事実と正直な気持ちしかなかったから、そう感じたのだろう。
なにひとつ虚勢を張らない人と言うのは、手強い。
こちらの虚飾やハッタリも、きっと通用しないのだから。
「これは、思いがけず難題が降って来たな……」
シャチさんが見えなくなるまで見送り続けた椿珠さん。
帰り際に一言だけ、弱音を吐いたけれど。
「魅力的な女性の期待に応える仕事なんだから、張り切って行きましょうよ」
私がそう言って励ますと、いつものシニカルな笑顔を取り戻した。
「だな。まったく海の街には、良い女が多い……」
内陸育ちの私と翔霏が、同時に軽く椿珠さんのお尻をキックした。
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