第二十九章 すれ違いの対決
二百四十三話 急げ、海風よりも速く
話の分かる海の民と昂国が正式に通商を結べば、海賊被害も減るのではないか。
それを見た荒々しい海賊たちも、まともに稼ごうと思い直すのではないか。
私たちの目指す道と、椿珠(ちんじゅ)さんが一儲けできる展望が同じ線で重なった。
「そのためには鯨だけじゃなく、東南の海だからこそ得られる魅力的な品の獲得が必須だな。入手の目途がついた先から都の貴族たちにどんどん根回しするのも、同時進行でやらねえと」
翌日から早速エネルギッシュに動き出した椿珠さんは、鶴灯(かくとう)くんを連れ回して市場や港での商品の出入りを注意深く観察するようになった。
まだ先の話だけれど、商品を入手するルートが確定したら、商売の拠点は腿州(たいしゅう)ではなく、翠(すい)さまの地元である角州(かくしゅう)にするつもりだ。
なんとか翠さまや玄霧(げんむ)さんに口を聞いてもらえれば、州公である猛(もう)犀得(せいとく)閣下、愛称では得さんも嫌とは言わないだろうと見越してのこと。
東海の人々への忌避感が強い南部腿州よりも、万事スムーズに運ぶだろう。
小屋作りをしてくれている軽螢(けいけい)以外の面子で、買い物と情報収集を行っていた街中でのこと。
「ほ、他に、珍しい、品物なら、か、川真珠とか、砂金とか、あ、あるけど」
鶴灯くんのアドバイスに、椿珠さんはフムフムと目を爛々光らせて頷く。
「鶴のお母さまに、宝石をあしらった刺繍を作ってもらうのはどうだ? 袍衣なんかの長物なら、都の貴族は二十金以上を出して買い求めるぞありゃあ」
その価値、現在の日本円にして、約百万円以上……!
散りばめられた宝石の量、使う布地次第では、その価格はさらに天井知らずで上がることだろう。
実際、海に出陣する前の蛉斬(れいざん)も、鶴灯くんのお母さんが刺繍したマント風の長衣を受領して、さぞかしご満悦だったという噂を聞いた。
そうそう、海賊退治をしている男たちのことについても、軽く触れなければなるまい。
「なんとかって言う無人島にたむろってた海賊連中を、一昼夜で壊滅させちまったってな。さすが蛉斬さまと四鬼将たちだぜ」
街の人たちの噂では、海上に乗り出した討伐軍は、首尾良く最初の戦いを勝利で終えたらしい。
「あらあんた、知らないのかい? それもすべて除葛(じょかつ)軍師の計略のおかげなんだって話だよ!?」
「相手が油断して休んでいるところを急襲して、昼も夜もなく交替で攻め続けたってなあ。兵士たちは攻撃を終えたはしから順繰り順繰り、後ろに下げた船の上で休息を取ったんだってよ」
「うひゃあ、敵さんは寝る間もなく一日中、攻められっぱなしだったってえのかい。そりゃあ気力も体力も保てねえよなあ。ぞっとするぜ……」
まさに、戦場に在っては鬼神の如き、姜(きょう)さんの働きぶりである。
船団をいくつかに分けて、交代で休息を取らせていたとしても、きっと姜さんは寝ないで陣頭指揮を執り続けたのだろう。
覇聖鳳(はせお)が戦に酔うタイプなら、姜さんは戦に憑りつかれているタイプだ。
それが合理的、効率的で確度の高い戦術だと判断したなら、どんな悪条件があっても構わずそれを実行してしまうんだな。
姜さんたちの武勇伝を楽しげに、そして誇らしげに語る人々たちの声には、一つの共通点があった。
「まるでみんな、あのモヤシが敵でなくて良かったと、安心しているような話しぶりだな」
一緒に横を歩きながら、人々の話に耳を傾けている翔霏が言った。
私も同感で、彼らはみな姜さんを英雄と讃えながら、同時に無意識下で恐怖しているのだ。
海賊の害に対しても消極的だったくらいに平和に慣れ切った南部の民にとって、動き出せばすなわち死体が増えて行く姜さんのような男は、宇宙人のような存在なのだろう。
「なにせ姜さん、戦に勝ってもいちいち港に戻らないで、離れ小島に停泊しながら休息してるみたいだからね。港から来た船の補給物資だけ受け取って。そうやって少しずつ制海権を広げて行くつもりなんだと思う。さすがに配下の兵隊さんたちは、交代で街に帰還させてるみたいだけど」
要するに姜さんは、山育ちで不慣れな海戦であるにも関わらず「現地駐屯」しつつ、外から補給を受けたり海賊の持ってた物資を奪いながら、次の戦いに向かっているのだ。
三国志の時代、魏(ぎ)の国を相手に北伐戦争を敢行した折り、前線基地で田畑を作りながら戦を継続した諸葛孔明という軍師がいた。
その、海バージョンである。
船団には職人も同行させているので、船の破損なども停泊休憩中に直しちゃってるんだろうな。
多少なりとも書物での学問やお役所の仕事で「補給と戦争」を知っている籍(せき)先生は、そのやり方を聞いて、端的にこう評したことがある。
「まともな人間が考える戦い方ではない。陸ならともかく、海でなど……」
だからこそ、魔人と呼ばれるんだよね。
ちなみに蛉斬も一度も帰港せず、姜さんにぴったり付き従っているらしい。
ウマが合っているのか、怪我をしたときに受けた恩からか。
もしくは姜さんから優れた将兵のなんたるかを少しでも学びたいと思っているのかもね。
みんなに愛される地元のヒーローがそうまでして頑張っているおかげで、海賊討伐に志願する若者の数もうなぎ登りだそうだ。
街にある兵士募集の役所も、志望者が多すぎて受け入れをストップしたくらいに。
「鶴灯も、あのバカ大男にはずいぶんと憧れていたのではなかったか」
つまらなそうな顔の翔霏に、そう水を向けられた鶴灯くん。
にっこりと笑い、陽の気を全開に放ってこう答えた。
「い、今は、こ紺たちと、一緒が、た、楽しい、から」
眩しくて灰になった陰の住人、麗央那でありました。
いい人生だった!
二度目の死、いや三度目かな?
たちまち蘇生した私が目にしたのは。
「ま、まあその方が安全だろうな。兵の数は足りているのだろうから、わざわざお前まで危ない海に出て戦う必要もあるまい」
一瞬の氷解を垣間見せた、地獄吹雪さんの気不味そうな横顔だった。
「あれ? 翔霏ちょっとデレた? 耳赤くない? って痛い痛いつねらないでそれマジで痛い痣になっちゃうからやめて本当にごめんなさい」
「どうした麗央那。悪いものでも食べて中ったか」
物理的暴力で黙らせられてしまった私は、しぶしぶながら話題を変えた。
「それにしても、姜さんの動きが予想していた以上に速すぎるね。まさか帰港しないでずっと海の上で戦い続けるほどイカレてるとは思わなかった。これだと私たちの作戦にも支障が出るかも」
「どういうことだ? 海域が安全になれば、鯨漁にとっても好都合なんじゃないのか?」
翔霏の質問に、確信を持って首を振る。
「たちの悪い海賊を掃除し終わったら、姜さんはまず間違いなく、中立で日和見を決めている東海の船乗りたちを標的にするよ。その後にはとうとう、なにも罪を犯していない真面目な東海の人たちも攻撃しはじめるはず。現に今、それに近い空気が浸透しつつあるからね」
そうなったら、話の分かる人たちに鯨の捕獲を依頼するどころの話ではなくなる。
私たちの想定は、根底からひっくり返されてしまうのだ。
「そこまでして次から次へと敵を作って戦い続けて、あのモヤシになんの得がある? あいつはいったいなにがしたいんだ。単なる戦争狂なのか?」
微妙に近いとは思うけれど、おそらく本質はちょっと違う。
姜さんにとっていつも闘争は手段の一つでしかなく、だからこそ必要最低限の殺戮しか行わないという線引きが彼の中にはあるはずだ。
犠牲にしても良いと考える数量的基準が多くの人と違うから、物騒な二つ名を付けられているだけでね。
「まだ姜さんが最終的に望んでいる光景は私には見えない。けど、今回に限って言えば海賊討伐の戦いを拡大して、それに付随する自分の名声の高まりを強く必要としていることだけはわかるよ。この腿州で誰よりも尊敬されて畏れられる人間にならなきゃいけない理由が、きっと姜さんの中にあるんだよ」
あちこち見回っていて私たちの話を半分も聞いていないであろう椿珠さんが、途中から戻って来てこう言った。
「そこだけ聞くと、除葛のやつはこの州の公爵さまにでもなりたいんじゃないかと思えるな。南部四州は州公の座も世襲ではないわけだし、あながち突飛な話でもねえだろ」
確かにこの地で武名を上げまくれば、次の州公にという民衆の声も大きくなるだろう。
けれど私は、後宮や中書堂で聞いたいくつかの話を根拠に、その考えを否定する。
「旧王族の除葛氏は、永遠にどこの州公にもなれないはず。傍流の姜さんでも無理だよ」
前王朝の末裔に大きすぎる権力を握らせないための方策の一つである。
彼らにしてみればその仕打ちに対する不満も、過去の内乱の一因になったのだろう。
それを聞いた椿珠さんは、あくまでも冗談という口調で、軽く笑ってこうも言った。
「ならやっこさん、南部を根拠に反乱を起こして王になろうとしているか、だな。それなら辻褄は合うだろ」
「まさか。姜さんは筋金入りの愛国者ですよ。自分から昂王朝の敵になることはないです」
私は即座に断定して答えた。
そう、彼はきっと、私とは違う方向性で、この国を心の底から愛している。
だからこそ、敵になる可能性のあるやつらは、徹底的に叩き潰さないと気が済まないだけなのだ。
それが北方や東南海の外国人であっても。
きっと、同じ昂国の人々であっても。
敵を誅し国を守るのが自分の使命だと理解している彼は、そのためにどんな手段を使おうとも自己を正当化できるはずだ。
自分の敵は国家の敵という確固たる信念があるからこそ、彼の戦いには一切のためらいも逡巡もないのだろう。
買い物を終えて帰ろうとしたタイミング。
三角州へ渡る筏のおじさんが構える小屋の近く、人気のない路地で、異国の友人たちが待ってくれていた。
「レイサン、カンサン、コンニチワ」
「モラッタヨ、ヤクソク」
「本当ですか?」
椿珠さんに任せた仕事のとっかかり、東海の中立的な有力者との会談。
その第一歩に繋がる予定を、彼らはなんとか取り付けてくれたのだ。
「へえ、どんなやつなんだい。お前さんたちの紹介なら、きっと優しい御仁なんだろうかな?」
椿珠さんの質問に、三人のうちで最年長らしいお兄さんが笑って言った。
「シャチノアネゴ、アッテクレル。ハナシ、ワカルヒト」
「シャチ? それが名前か? 姐御ってことは、女なのか」
「ソウ、アネゴ、ナマエ、シャチ。デモ、アダナ」
椿珠さんの顔が明確に、驚きと喜びの色に変わった。
彼らが姐御と呼ぶんだから、きっといい歳したオバサンだと思うけど~?
あ、椿珠さんは年上のマダムも全然イケる人だったっけ。
そして彼ら異国の友は、私たち全員が驚くシャチさんの素性を明かした。
「アネゴ、カイゾク、タオス、カイゾク」
「コウコク、オソワナイ。ワルイ、カイゾク、ネラウ」
「カイゾク、サメ。サメヲクウ、シャチ」
海賊だけを狩る海賊。
昂国民を人、悪い海賊をサメに見立て、人を襲わずサメを喰らうシャチに例えられる義侠の女海賊が、私たちの交渉相手。
想定していなかったタイプの大人物に辿り着き。
「鯱(しゃち)か。こっちが、食われないようにしないとな……」
椿珠さんが身震いし、引き攣った笑いを浮かべる。
会談は明日、私と翔霏も付き添う予定だ。
鬼が出るか蛇が出るかと思っていたけれど、メスのシャチとは恐れ入りました。
けれどその反面。
どんな人だろうとワクワクしている自分がいることに、私は自分一人で面白くなっていた。
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