二百四十一話 私は私、あなたはあなた、じゃあ彼は?

 昂国(こうこく)南部は腿州(たいしゅう)の都、相浜(そうひん)の街。


「てめーらみてえなのがいると、街が汚くなるんだよ!」

「そうだそうだ! さっさと自分の国に帰りやがれってんだ!」


 閑静な住宅街に似合わない怒号、そして骨肉を叩く鈍い打撃音。


「ヒィ、ヤメ、ユルシ、クダサァイ……」

「ナニモ、ワルイ、シナイ、ワタシタチ……!」


 重ねて泣き声、そして哀れな懇願に引き寄せられるように、私と翔霏(しょうひ)は路地裏を駆ける。


「せっかく私が手当てしてやったというのに、また怪我をしてるのか」


 小さな騒乱の現場を前に仁王立ちした翔霏が、明らかに不機嫌な声で言った。

 そう、リンチを喰らっているのは、いつか会った東海からの来訪者。

 あの後にはぐれていたお仲間とも合流できたようだけれど、決しておめでたい話ではない。

 三人揃って、五人の地元の若者らしき男性たちから、袋叩きに遭っていたのだから。

 私は無性に、なんだかもういろいろな感情がぐちゃぐちゃで、泣き出してしまいそうになったけれど。


「お、なんだ? ねえちゃんたちも一緒にやるか?」

「へへへ、抵抗しなくていい玩具だぜ、こんな連中はよォ」


 その汚い言葉を聞いてしまったせいで、すべてを仕舞い込んで怒りだけを抽出し、叫んだ。

 初手で威嚇して威圧してビビらせる、そのための大声を駆使するのが、北原流!!


「こんの卑怯もんどもがーーーーーーッ! 多勢に無勢で弱い者イジメなんかしやがってよォーーーーーッ! 昂国の男子として恥ずかしくねーのかテメーらァーーーーーーーーーッ!!」


 ついでに、浪人の泉癸(せんき)お姉さんへのお土産で買ったはずの魚肉フライを、思いっきり相手に投げつける。


「おぶっ」


 べちゃっと紙袋ごと相手の顔に当たり、ダメージなどほぼないけれど。

 私は道の脇に落ちていた、建築用の切石ブロックを拾い直し、重ねて若者たちに怒鳴りつける。


「次はこいつを喰らわせて脳天かち割ったるぞォ!? 私がわけわかんなくなる前に散れ! 散りやがれ! 二度とそのツラ私の前に見せるんじゃねーーーーーーッ!!」


 脅しだけれど脅しじゃない、本気なんだと思い知らせるためにわざと見当違いの方に石を、今度は全力で投げつける。

 ゴガッ、と関係ない人の家の塀にぶち当たり、その箇所がえぐれて凹む。


「ななな、なんだこの女、バカみてえにデカい声出しやがって」

「……狂ってやがる。目が飛んじまってるよ」

「き、気味悪ぃや。もう行こうぜ」


 恐怖ではなく、狂人を目にした不安感で、男たちは害意を引っ込めておずおずと後ずさりした。

 ま、結果オーライです。

 私の後ろで成り行きを見守ってくれていた翔霏が、去りゆく男たちの背に投げかけた。


「お前たちの顔は覚えたからな。月のない夜は水路の近くを歩かんことだ」


 翔霏の凍える視線に止めを刺された五人。


「ヒッ!?」

「な、なんなんだよォ、お前らぁ……」


 足早にその場を駆けて逃げて行った。

 暴力を暴力以外の手段で解決できて、私の機嫌は少しだけ上向く。

 平和が一番!


「マタ、タスケ、クレタ、アナタ?」


 けれど、体中にあざを作り、鼻血と涙を流しながらも私に笑いかける外国人を見て。


「う、うう、うううう~~~~!」


 こらえていた涙が、一気に溢れた。

 ああ、私は本当にこの国が好きだから。

 この国に生きている人たちが、たくさんたくさん、大好きだから。


「あ、あんなやつらばっかりだと思わないでね~~~~! あなたたちが悪くないって、私はちゃんとわかってるから~~~~~! 本当に、本当にごめんね~~~~~~~!!」


 この国を、ここで暮らす人々を、嫌いにならないでください。

 どうか、この国に来たことを後悔しないでください。

 この国に、絶望しないでください。

 昂国に来たからこそ、何度も命を拾い、自分を見つけることができた私。

 今、その想いだけを喚きながら、みっともなく泣き散らすのだった。

 私、無意識のうちにこの国をここまで好きになっていて、それだけ期待していたんだなあ……。

 好きな人の、たまにある嫌な部分を見るととてもショックを受けることって、あるよね。

 人生の苦みをまた一つ多く詳しく知って、大人に一歩だけ近付いた麗央那であります。


「アナタ、イイヒト、ワカッテル」

「トモダチ、バンザイ、コウコク、バンザイ……」


 異国の隣人は傷付いた手で、涙に沈む私の手を優しく握ってくれたのだった。


「カッコよく助けようと思ったのに、みっともなくベソベソしてしまってどうもすみません」


 しばらく泣いて、落ち着いた私。

 彼らの傷は翔霏が持っていた傷薬とお酒で応急処置を施した。

 囲んでいた暴漢たちに本気の殺意はなかったようで、傷自体は深くなかった。

 遊びで人を傷付けるのだって、感情的に極めて腹が立つけれどね。


「イイエ、セイギ、アナタ」

「ユウキ、タダシイ、ココロ、モッテル」

「ウレシイ、ワタシタチ」


 やめてよね、優しくするのは。

 また泣きたくなっちゃうじゃないのさ。

 激おこぷんぷん丸から一転して、激かなしくしく姫になって感情が忙しいのに、嬉し泣きまで重なっちゃったら頭がフットーしちゃうよォ。


「そんなんじゃありません。私は自分が腹が立ったら怒鳴って喚き散らさなきゃ気が済まないだけの子どもなんです。びぃびぃ泣いてる赤ちゃんと本質は同じなんです」


 過去のいろいろを思い出したのか、翔霏がフフッと実に朗らかに笑った。


「言ってきかないときは、確かに赤ん坊のようでもあるな、麗央那は」

「ばぶぅ。一日中泣いて寝て遊んで暮らしたいぶぅ」


 私の乳幼児ニートギャグに微妙な苦笑いを浮かべた異国の人たち。

 彼らの現状に、感傷を交えずに翔霏が冷静に質問した。


「ここまでの扱いを受けていて、どうして国に帰らない? 東の内戦とやらは終わったのだろう?」


 彼らは顔を見合わせて、寂しそうに返答した。


「ワタシタチ、マケタ、イクサ」

「トラレタ、イエ、ハタケ……」

「ウミ、オオイ、カイゾク。シゴト、ホカ、ムツカシイ」


 ああ、彼らは故国の内乱で負けた側だから、そこで今までのように生きて行くのが困難なのか。

 勝者が東国を平定しても、兵隊が大量にリストラされて海賊に身をやつしているくらいだ。

 なにもかもを奪われた敗者である彼らは、海賊稼業の仲間入りすらできないわけだな。

 それならぐんと平和な昂国で真面目に仕事を探した方が、展望も見えるのかもしれない。

 私もその選択を、個人的には大いに応援したいけれど。


「とにかく東の人たちへの悪い感情が蔓延しちゃってるからねえ。他はともかく海の玄関口である腿州がこれじゃあ、なんともかんとも」


 私がボヤいたように、目の前に立ちはだかる壁はデカい。

 翠(すい)さまの地元であるもう少し北部の角州(かくしゅう)も港街だけれど、ここまで特定外国人に対する排外、差別感情は高くなかったはずだ。

 翔霏もそのことに少し疑問があるのか、こう言った。


「身元が確かであるという役所の札は持ち歩いているのだろう? それなのにおかしなちょっかいをかけられるという理屈がわからん。お国が認めていることに対し、なにを文句があるんだ」

「それだよ!」


 私は思考に風穴があいた感触を得て、大声を出す。

 本来、昂国の人々は、法と規定を穏やかに守る傾向にある。

 お上が決めた秩序の中で平和に暮らすことを、全体的に愛し受け入れている、調和のとれた人々のはずだ。

 それは州が変わっても大差なく、国民はおおむね皇帝や貴族を尊重しているし、法令を遵守し、それを破った「悪いやつ」が処罰されることを喜んでいる。

 小さな悪さくらいは誰でもしているだろうけれど、大きく社会秩序を乱す存在に対しての嫌悪感と忌避感が、国民全員の傾向として、とても強いのだ。

 だからこそ解放的で派手な土地である南部でも、正義の湖賊である柴(さい)蛉斬(れいざん)とその仲間たちが喝采を浴びるのである。

 けれど今、ここ相浜の街ではそれが歪められている。

 海を荒らす海賊も、まともに身分を明かして大人しくしている東海人も、みんないっしょくたにして「悪いやつ」と思い込む気持ちが浸透しつつある。

 それは秩序と良識、分別を無視する行為であり、本来の昂国民に宿る自然な習性ではないはずだ。

 元々は存在しなかった「混沌」を、この地に持ち込み、広めようと意図しているやつの正体、それは。


「……姜(きょう)さんは、南部での東海人への差別感情まで時間をかけて煽っていたのかもしれない。元々あの人、不和離間工作は得意技中の得意で、そのせいで白髪部(はくはつぶ)の内輪揉めは戦争一歩前ってところまで行っちゃったんだから」

「またモヤシのせいか。もうなにがなんでもあいつのせいということでいいな。椿珠(ちんじゅ)の酒癖が悪いのも、軽螢(けいけい)の背が伸びないのも、全部あいつが原因だと押し付けてしまおう。そうすれば私が退治するには十分の動機になる」


 冗談か本気かわからないことを言いながら、翔霏が指の関節をパキポキと鳴らす。

 けれど、もちろんこんな憶測で翔霏を姜さんへのヒットマンとして飛ばすようなハイリスクなことはできないし。


「私に良い考えがあるの。翔霏も、東のみなさんも協力してくれる? 上手く行けば、みなさんのお仕事も見つかるかも」

「いちいち確認しなくてもいいぞ」


 ズッ友の翔霏がそう言ってくれるのは、まあわかっていたけれど。


「ワタシ、チカラ、ナリタイ、アナタ」

「トモダチ、イッショニ、ガンバル」

「デキルコト、ワカラナイ。デモ、ウレシイ」


 全員の理解と協力を得られて、私は下を向いていた顔を強く上げる。

 おそらく今の私が姜さんの土俵で立ち向かったとしても、歯牙にもかけられず、あっさり払い除けられるだけだ。

 だからもう、あいつが陰でごちゃごちゃなにをしてようと、気にしないことにした。

 私は、私の舞台で踊り、私の海で泳ぐことにする!

 その結果として、なぜか不思議なことに姜さんが「ぎゃふん!」と言うはずであり。

 尚且つ「央那ちゃん、もう堪忍したってえな~~~」と泣きついてくる未来を、私なりのやり方で引き寄せてやる!

 私は私の勝手な戦いを始めて、その流れと過程で姜さんの真の目的も見抜いてやるんだ!


「そうと決まったら忙しくなるぞ~。勉強だって疎かにできないからね。足りない手はヒマな男どもをボロ雑巾のようになるまで使い倒してやるからな~!」

「麗央那、やっと目つきが戻ったな」


 翔霏に指摘されたことは、ちゃんと自覚している。

 姜さんのことで心と頭が占拠され過ぎていたせいで、最近の私はずっと目の光を失っていたんだろう。

 ご心配をおかけしました。

 さて、とりあえずなにから始めようか。

 いろいろありすぎて迷っちゃうけれど、まずは一つ。


「美男子をおだてて、樹に登ってもらおうかね。あの人が好きそうな、途方もない高い樹に」


 最初に大きな仕事を任せるのは、椿珠さんに決めた!

 豪商の妾の三男坊、気楽でモラトリアムな酔っ払いを演じる、けれど誰よりも強く自分を探しているキザ男よ。

 私があんたを「他のなにものでもない、自分自身」にしてやろう!!

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