二百三十九話 転校先でキャラ変を企む陰キャ

 宿への帰り道。

 私たちは通行人の噂話を耳で拾いながら歩く。


「東の賊は荒々しくて、理屈もへったくれもない連中だって言うぜ」

「そりゃあ、物の道理がわかってる人間なら、海賊稼業になんざ身をやつさねえだろうよ」

「蛉斬さまたち、大丈夫かしら。川と海では勝手が違うでしょう?」

「沖が物騒だと、春のサワラ漁がなあ。なんとか上手くやって欲しいなあ……」


 不安半分、期待半分という市民の感情がそこかしこに溢れている。


「まったく、誰も彼も同じことしか話してやがらねえな。まあ規模のデカい話だから仕方もないが」


 呆れたように椿珠さんが言う。

 見えないところで行われる作戦と言っても、成否いかんで街の人の将来が左右されるのだ。

 私と翔霏(しょうひ)の勉強や、椿珠(ちんじゅ)さんの商売にだって、なにかしらの影響が及ぶのは確実だからね。


「実際のところ、モヤシと大バカ男は海賊とやらに勝てそうなのか? 私には海の上のことはさっぱりわからないからな」


 翔霏が椿珠さんに、ストレートな質問をぶつけた。

 大バカ男というのはきっと蛉斬のことだろう。

 大バカな男なのか、大きいバカ男なのか、ニュアンスはわからないし、両方の意味を兼ねているのかもしれない。

 椿珠さんは可愛らしい口元の付け髭を指でしごきながら、フムと呟く。


「蛉斬はともかく、除葛(じょかつ)についてはお前さんらの方が詳しいだろう。それを踏まえた上で言うなら、まあ楽勝だろうな。一人残らず撃滅できるわけはないだろうが、海域から賊を追っ払う分には問題なく進むだろうさ」


 私も同意の頷き。


「ですね。船団の装備を見ただけでも、今回の姜(きょう)さんは本気中の本気で、遊びや油断は微塵もないってわかります」


 そもそも姜さんが出て来た時点で「確実に勝てる戦」であり、段取りもすでに終わっているに違いない。

 あの人の性格を考えれば、わざわざ負けるような戦に自分から出向くことは有り得ないからだ。

 話を聞いて、なんの気なしに軽螢(けいけい)が言った。


「そんなに鮮やかに勝っちまったら、逆にあの軍師のオッサンの名前は上がらねえだろうな。元々有名なデカブツの蛉斬はともかくとしてさ」

「どういうこと?」


 私は彼の見解が気になり、詳しいことを訊く。

 完勝してしまったら評判が上がらないとは、果たしていかなる意味だろう。

 一から十まで俺ツエーして無双して勝っちゃった方が「さすが除葛軍師です」とみんなに大絶賛されるのではないのか。

 軽螢はそんな私の認識とは違った解釈を持っているらしく、こう説明した。


「芝居で考えてみろよ。主役たちが『危ない!』ってときに、それを乗り越えて逆転した方が盛り上がるじゃんか。あんまりあっさり勝っちまったら『なんだ、敵が弱かっただけか』って思われるだろ。なあヤギ公もそう思うよな」

「メェ、メェ」


 分かった風なしたり顔で首肯するヤギが、生意気でウザい。

 きみは私たちの温情と気まぐれでたまたま生かされている存在だということを、自覚しているのかね?

 ご両親が役者である翔霏も、軽螢の論に賛成して補足した。


「母さんも前に、舞台の演劇には『波』が必要なんだと言っていたな。下がるからこそ上がったときが爽快で、上がるからこそ下がったときの絶望も深い。その落差に見ている人の心が動かされるんだと」


 なるほど確かに。

 苦戦して逆境に立たされ、それでもなんとかかんとかして勝つ、という流れの方が、人々の興味関心を惹くかもしれない。

 私の好みで言えば、各地に散っている仲間たちが終盤で大結集するシチュエーションが最高です。

 って、その通りではあるけれどさあ。


「いやいや、面白おかしくするためのお芝居じゃないし。真剣な仕事だし。わざわざしんどい場面を誰も演出したくないでしょ」


 私は手を顔の前で横に振って言った。

 もちろんそのことは軽螢にもわかっていて、その上でのたとえ話だろうけれどね。

 けれど一連の会話を聞いた椿珠さんは、やけに難しい顔をして。


「風評か……」


 重い声色で、そう漏らした。


「なにか気になるの?」

「いやなに、お前さんらの言うような『筋書き』がもしもあるとしたら、蛉斬たち湖の義賊が予期せぬ窮地に襲われたときに、除葛の策が見事にハマってそれを打破した、なんてことになると、そりゃあ面白おかしく巷でも語られるんだろうなと思っただけさ」


 仮定の、バカバカしい妄想だと言うように、椿珠さんは頬をぽりっとかいて苦笑いした。

 椿珠さんは結構な現実主義者なので、あまり空想の物語とかに夢中にならないフシがあるんだよね。

 少し考えて、私もその考えが荒唐無稽なものであると結論付ける。


「姜さんの方に、わざわざ危険を冒してまで南部で自分の名声を高めたいと思うような動機は、ないと思うけど」

「だろうな。お前さんらの話を聞く限り、自分が他人にどう思われようと屁でもないという考えの男であるようだ。戯れ言だから忘れてくれ」


 なんて話をしてその日は終わったのだけれど、後日。


「た、たた、大変だ! れ、蛉斬さまが、蛉斬さまが!!」


 私と翔霏が籍(せき)先生の庵で、植物の子房や種子を分解してスケッチしているところに、息せき切って鶴灯(かくとう)くんが駆けこんできた。

 今まで見たことのないくらいに動転している。

 ちなみに翔霏は絵も上手いのでズルい。

 天は彼女にいったい何物を与えるのか……。


「どうした、とうとう門の梁(はり)にでも頭をぶつけて死んだか、あの大男」


 翔霏が冷静にひどいことを言った。

 いくら背が高いからって、そんな間抜けな死に方するやつおらんやろ。

 あうあう言いながら鶴灯くんの伝えるところによれば、こうだ。


「ち、ちがう。蛉斬さまたちが、み、港に寄ってか、買い物、してたら、い、いきなり、が、外国の、男が、走って来て、蛉斬さまを、さ、刺して……」

「死んだのか? ちょっとやそっと刺されても死にそうにない男だがな」


 翔霏はどういう流れであっても蛉斬が死んだことにしたいようだけれど、鶴灯くんは首を振る。


「こ、小刀が、足を、か、かすった、くらいで。で、でも、毒が、刃に、ぬ、塗られて」


 私と翔霏は思わず、無言で顔を見合わせる。

 蛉斬にまったく恨みなんてないし、私はむしろあっぱれな好漢だと思っているけれど。

 もし、仮にあいつと敵対することがあれば、私たちは迷わずに毒殺という手段を選択するだろう。

 なにせ翔霏がドつき合いで勝てないかもしれないほどの使い手なのだ。

 私も翔霏もその考えを言葉にせずに共有していたので、まさかそれを実行するやつが他にいたとは、という驚きが私たちの中にあった。

 けれど冷静に考えれば、そこまで驚嘆するほどの話でもないのだよ、ワトソンくん。


「東の海賊たちが、殺し屋を飛ばしたのかな」

「おそらくはそうだろう。まあ常套手段だな。正面からのぶつかり合いで勝てない相手なのだから、他に選択肢もあるまい」

 

 私たちが冷静に状況を話しているので、鶴灯くんはぽかーんとしていた。

 ついでに建物の戸口でその話を聞いていた籍先生も、言葉を失って唖然としていた。


「で、大男が死んで、海賊討伐になにか変更がありそうなのか?」


 黙っている鶴灯くんに翔霏が訊く。

 あまりにもこっちの態度が普通なので、鶴灯くんも「焦っている自分がおかしいのかな」と思ってくれたのか、少し落ち着いて続きを話してくれた。


「れ、蛉斬さま、い、生きてる。ど、毒は、すぐに、ち、治療、できたって」

「なんだ生きてるのか。つまらん。あいつの葬式ならさぞ派手なものになるだろうから、勉強の気晴らしに見物してやろうかと思ったのに」


 一度くらい、成り行きで拳を交えたからと言って、特定の誰かにライバル心を抱くことなどまったくない翔霏。

 うるさい大男の生き死によりも、今日の夕食の方がよっぽど重い問題なのだよ、彼女の中では。


「ちょっとくらいの毒なら、死にそうにないもんね、あの人。少し休めば復活するんじゃない?」


 元々、姜さんや蛉斬の率いる船団はここ相浜(そうひん)の街で物資の補充をしつつ、訓練の最終仕上げをする予定だったという。

 多少の毒で蛉斬が数日くらい伏せっていても、作戦行動に大きな支障はあるまい。

 むしろみんなに愛される親分がたちの悪い殺し屋に狙われたことで、味方の士気が爆上がりしちゃっているかもね。

 そのことに関して、街で流れている噂を鶴灯くんは教えてくれた。


「れ、蛉斬さまが、さ、刺された、とき、ま、真っ先に、軍師のじょ、除葛さまが、ど、毒を、自ら、す、吸い取った、らしい」

「え」


 三十路四十路の男二人が、思いがけず濃厚接触!?

 いや、大事なのはそこじゃねえ、冷静になれ北原麗央那。

 まだ慌てるような時間じゃない、慎重に鶴灯くんの話を聞くんだ。


「そのあとも、ず、ずっと、蛉斬さまを、き、気遣って、せ、精のつく、食いものを、じ、自分で、市場に、さ、探しに、行ってる、って。すす、素晴らしい、大将さまだって、ま、街で、噂、広まってる」

「それ姜さんの自作自演だーーーっ! 街のみんなも蛉斬も、騙されちゃダメーーーーーーっ! 殺し屋までひっくるめて姜さんの書いた台本じゃねーかよぉーーーーーーーっ!?」


 大人しくしていようと思ったのに、この街に来て初めての大絶叫が出てしまいました。

 ちょっと前に、バカな話だと切り捨てた可能性が、ここでにゅっっと顔を出してきやがった!!

 あのモヤシ野郎、なりふり構ってやがらねえな!?

 昂奮する私をよそに、翔霏が慎重な顔で考えを述べた。


「誰が仕掛けたかはともかく、あのモヤシ軍師は実際に今、弱っている大男を気遣っているんだな。軍団の統率としてはもちろん正しい行いだが、そこまであからさまな人気取りを、街の人たちに見せつけるようにやっているということは……」

「そうだよ、理由はわからないけれど、姜さんはここ南部で、明確な意図を持って、自分の名声を高めようとしてる! 海賊討伐も、蛉斬を看病するのも、全部そのことに繋がってるんだ!」


 一つ、深いところへ近付いた。

 私たちがぼんやりとしか見えていなかった「姜さんの動機と目的」の一端を、蛉斬暗殺未遂事件という寒い脚本から、わずかに引き寄せることができたぞ。

 姜さんは。

 今までの自分を脱ぎ捨てて。

 嫌われものの魔人、落ちぶれた旧王族の傍流、なにを考えているかわからない、幼い麒麟というペルソナから脱却して。

 南部で『英雄』になろうとしている! 

 海賊も、蛉斬も、そのための道具でしかない!

 この地で得ることになる栄光と名声を足掛かりに、なにかさらなるとんでもないことをしようとしているんじゃないか?


「ふ、二人とも、な、なんの、話を、して、いるんだ……?」


 私たちと姜さんの間にあったことを詳しく知らない鶴灯くんが、おずおずと聞いた。

 彼を巻き込むのは不本意だし、こんな純粋で善い人を姜さんのような厄モノに近付けたくはない。

 なにかを直接に頼むことはしないけれど。


「匿名で蛉斬に手紙を出したいんだけど、どうすればいいと思う?」


 多少の知恵を借りるくらいはいいかと思い、私は尋ねる。

 蛉斬が姜さんに心酔しきってしまう前に、せめて目を醒まさせるくらいはしないと。

 あんな腹黒いやつを信用するなと、ビシッと言い聞かせてやらないと。

 きっとこの先いずれ、想像もつかないくらいのえげつないことが起きるに決まっている。

 私の予感は、それが私たちにとって好ましくないものになると、強烈に告げている!


「お、お、俺が、せ、船団に、わ、渡しに、行くよ」

「絶対にダメだ。お前は蛉斬にも除葛にも近付くな。いくら憧れていても遠巻きに見るだけにしておけ」


 鶴灯くんの申し出を、かつてない表情と口調でぴしゃりと拒否する翔霏。

 私も同じ気持ちです。

 あんなタチの悪い怪物に、自分から近付いて行く人間なんて。

 少なければ少ない方が良いに、決まってる。

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