二百三十七話 陰からの視線

 帰りの筏の上。

 渡し守のおじさんも、街で話されているホットな話題を教えてくれた。


「柴(さい)たちの船団が、海に出る前に相浜(そうひん)にも寄るらしいな。なにせあれだけの人気者だ、お祭り騒ぎになるんじゃねえか」


 入り江の街である相浜は、内陸から外洋に出るための重要な中継地点である。

 訓練や実戦の海賊討伐が本格的に始まれば、物資の補充などで街もかなり潤うだろう。

 もちろん掃討作戦が成功すれば、周辺の海域は治安が守られ、船の荷物順調に届き、外洋に出る漁師さんたちも大喜びだ。

 そう、この街にとっては、いいことだらけなのだ。

 なのに私は素直にそのことを喜べず、複雑な気持ちのまま宿への道を歩いていた。

 私の懊悩を察してくれた翔霏(しょうひ)が、思考の手助けとなる言葉をくれる。


「麗央那は、あのモヤシ軍師が海賊退治だけのために東南の海へわざわざ出向くとは考えていないんだな」

「うん。そんな殊勝なタマじゃない。他になにか、姜(きょう)さんなりの目的っていうか、本当にやりたいこと、得たい収穫があるはずだよ」


 それがなんなのか、今の私には情報も見識も少なすぎて、ハッキリと掴むことはできない。

 ああ、嫌な、実に忌まわしい感覚だ。

 わからないからこそ、後手に回り驚かされるこの感覚を、私は今までさんざんに味わい、そのたびに煮え湯を飲まされてきた。

 火事に巻き込まれたり、迷子になった矢先にいきなりデカい化物に襲われたり、楽しかった邑が焼かれたり、後宮で姿の見えない敵を追いかけたり。

 厳粛なお葬式の場で、みんな錯乱して殴り合いを始めたりしたのは、微妙に面白かったけれどね。

 その最中に死にかけたしなあ。


「宿に戻ったら男連中にも軽く聞いてみよう。意外と役に立つ情報を街で仕入れてくれているかもしれん」

「そうだね。まあ期待し過ぎない程度に」


 なんて話しながら宿の一階、食堂兼ロビーに入ると。


「だからさ、槍聖(そうせい)だとか偉そうに言っても、翔霏にみっともなくコロコローって舟板の上を転がされてたんだぜ。大したことねえよ、あんなやつ」

「そ、そんな、れ、蛉斬(れいざん)さまが……」


 真実とデマの境界を跨ぐような怪情報を、軽螢(けいけい)が鶴灯(かくとう)くんに吹き込んでいた。

 今日会ったばかりだろうに、仲良くなるの早いですね、きみたち。


「おう、遅かったな。メシは適当に買って来たから、あるものを好きにつまんでくれや」


 何杯目かわからないほどにお酒を飲んで、顔を赤くしている椿珠(ちんじゅ)さん。

 卓上に並ぶおかずを指して言ってくれた。

 美味しそうなものが並んでいるのは、純粋に嬉しい。

 けれど翔霏にとって面倒臭い噂話を撒き散らされるのは、ノーサンキューである。


「なんせ翔霏の蹴り一発で、蛉斬ってやつの腕は痺れて使いもんにならなくなったんだぜ。南北対決はやっぱり俺たち、翼州(よくしゅう)神台邑(じんだいむら)の勝ちってことなンだよ」


 話に夢中になっていて、まだ私たちに気付いていない軽螢の頭を、音もなく忍び寄った翔霏のゲンコツが襲う!


「あいって! うわ、帰ってたんか。なんで殴るんだよォ、翔霏の武勇伝を正しく伝えてただけだぜ?」

「うるさい、おかしな話を撒き散らすな。誰かが聞き耳を立ててたらどうする。宿に変なやつが寄ってくるぞ」


 さすがの地獄吹雪さん、なんて冷静で的確な判断力なんだ。


「紺(こん)、お帰り。れ、麗も。あ、新しく泊まる、ところ、さ、探してるから、もう少し、まま、待ってて」

「ん、ああ。世話をかけさせて悪いな。早く帰らないとお母さんが心配するぞ。こんなバカどもに付き合ってダラダラ飲んでいることもないんだ」


 にこやかに告げる鶴灯くんと、まだなにかばつが悪そうに心理的障壁を作る翔霏。

 ユー、いい加減素直に仲良くなっちゃいなヨー!

 椿珠さんと軽螢も、ひょっとしたら喧嘩したのかなって雰囲気が朝にあった割りにはニコニコしているし、まずは一安心。

 私は椿珠さんの向かいに腰を下ろし、米粉の皮で包んだらしき餃子的春巻的な完全食に箸を伸ばす。

 お腹を満たしながら、情報の交換とこれからの相談だ。


「ところで聞いた? 姜さんが蛉斬たちを引き連れて海賊退治に行くって噂」

「もちろんだ。街中いたるところ、その話題で持ちきりさ。除葛のやつはあまりこの辺りでは嫌われても怖れられてもいないらしい。大きな乱を鎮めた偉い軍師、くらいの認識しか持たれていないな」

「バキバキに嫌われてるのは、北の方だけの話なのかあ」


 おそらくは朝廷と中書堂に近いエリアの方が、姜さんの妖怪伝説が広まりやすかったのだろう。

 若手官僚時代から、孤独な変人として名が知られていたのかしらね。

 だいたい想像つくけど。

 私と椿珠さんの話に、鶴灯くんと翔霏も混ざって来た。


「す、凄いな。どっちにも、会った、こと、あるんだ」

「どうせこの街の港にも寄るという話なんだから、会いたいなら見物にでも行ったらどうだ。私は行かないが」


 翔霏が言うように、今はまだ私も、姜さんには会いたくない気持ちが強い。

 自分の中で色々と解釈しきれていないわだかまりを多く抱えているし、それを超えた縁がもしあるなら、意図せずとも会えるだろうという確信があるからだった。

 それが望ましい再会にはならないであろうことを、私は強く予感している。

 椿珠さんは別の考えがあるようで、こう言った。


「俺はお前さんたちほどには除葛のやつを詳しく知らないからな。会える機会があるなら一度会っておこうと思っている。必要なら変装もして、素性が悟られないようにするさ」

「そっか、椿珠兄ちゃんは会ったことないんか。俺も遠くからちょっと見たくらいしか知らんけど」


 言われてみれば男連中は、姜さんが実際に軍勢を動かして、持てる知略を動員して戦っている場面をその目で見ていない。

 私と翔霏が固唾を飲んで見つめた、覇聖鳳(はせお)と姜さんのぶつかり合いを体験していないのだ。

 椿珠さんが彼の実体を自分の目で確かめたいというのなら止めはしないけれど、私は一つ、気にして欲しいことだけを忠告した。


「姜さんは椿珠さんの顔を知らないかもしれないけど、配下の乙さんには顔は割れてるんだから、不意に接触してややこしいことにならないでね」


 姜さんの厄介な点は、自分の能力を過信せずに凄腕の諜報員をしっかり使い倒す慎重さにも及んでいる。

 スパイを各所で有効に使うことからも、自分の推測や思い込み以上に「現場から上がってきた情報を重視する」という、彼の性格が透けて見えるというものだ。

 けれど私がそう心配しているのに、椿珠さんはドヤ顔で返してきた。


「大丈夫。あの間者の姐さんにも、俺の素顔は見られてないはずだ。たまたまいつも、顔を別人のように作ってるときに出くわしたからな」

「あ、そうだっけ」


 言われてみると、確かに。

 乙さんと遭遇したタイミングで、常に椿珠さんは女性に変装していたり、敵勢力に紛れていたりしていたもんな。

 阿突羅(あつら)さんのお葬式のときも、普段と違って髪もきっちり真ん中分けで整えて、いつもよりかしこまった服装をしていたから、別人のようにシャッキリして見えたのだ。

 元々の顔のつくりが癖のない系の美男子だから、服装、髪形、化粧で驚くほど雰囲気変わるんだよね。

 一方で軽螢は、幸せそうにフゴフゴといびきをかいて寝ているヤギのお腹を撫でながら、少しつまらなさそうに言った。


「俺の顔なんて向こうさんは気にしてないだろうけど、ヤギ公が目立つから一緒には行けねえなあ。口の悪いねえちゃんもさすがにこいつのことは覚えてるだろうし」

「ヤギを連れて行かなければいいんじゃないの……」

「ま、このヤギ公も魔人とか言われてるおかしなおっさんになんて会いたくないだろうし、いいけどな」


 私の正論は、ないものとして完璧に黙殺された。

 なんだろう、軽螢とヤギはすでに不可分、ニコイチの生命体になってしまったのだろうか。

 そのうち物質転送装置のトラブルで、怪奇ヤギ男に二身合体するかもしれない。

 ヤギ版のケンタウルスとか、強いのか弱いのかわからないな。

 話し合いの中で、翔霏がふと致命的な想定を口にした。


「すでに私たちの行動はモヤシに筒抜けかもしれんぞ。あの間者の姐さんなら隠れてこちらを窺っていても不思議はない」

「だよね。上手いこと向こうの目を躱す手段はないかなあ」


 私たちがウーンと頭をひねっている中で、状況を把握しきれていない鶴灯くんが質問した。


「こ、紺たちは、だ、誰かにお、追われ、てるのか」


 むっつり顔で腕を組んだまま、視線を合わせずに翔霏が答える。


「おかげさまでモテるんでな。おかしなやつに付け回されることが日常茶飯事なんだ。イイ女はツラい」

「こら翔霏、そんな嫌味な言い方しちゃいけません。ちゃんと謝って」


 明らかに鶴灯くんへの当てつけだからね。

 けれど鶴灯くんは気にしていない顔で朗らかにハハハと笑い、こう提案した。 


「な、なら、籍先生の、さ、三角州に、紺と麗が、ね、寝起きできる、仮小屋を、た、建てよう。じ、事情を、話せば、きっと、わ、わかって、くれる」

「鶴灯くんそれめっちゃ名案。塾に通う時間も短縮できるし」


 私は思わずノータイムでリアクションしてしまった。

 籍先生の庵がある中州は、外界や街の喧騒から完全に隔離されているため、プライバシーを保つのに最高の条件がそろっている。

 あそこに筏を渡しているのは近隣のおじさん一人だけだから、もし他に人の出入りがあったときも把握しやすい。

 庵は島のてっぺん、台地部分に建てられているので、見慣れない舟が周囲から近づいてきてもすぐに気付くことができるのが素晴らしい。

 さすがの乙さんだって、夜中にこっそり泳いで水浸しになってまで、中州の様子を探りに来ないだろう、そう思いたい。


「なら俺たちはどうすンだよ。小屋を作るくらいは手伝いに行けるだろうけど、さすがに部外者の俺たちはその中洲に泊めさせてくれないだろ」


 軽螢の疑問にも、鶴灯くんはしっかりフォローできる答えを持っていた。


「い、筏のおっさんに、聞けば、あ、あの近所の、空き家とか、教えて、くれる。きっと、すぐ、近くで、良い建物が、み、見つかる」

「確かにそれが実現できれば最善だな。俺たちの都合や条件が全部いっぺんに片付くってもんだ。冴えてるじゃねえか、鶴よう」


 その方針で段取りを進めることを確認し合い、椿珠さんは当座の必要経費を鶴灯くんにポンと手渡した。


「こ、こ、こんな大金、お、俺、持ったこと、ななない……」


 金額の多さに鶴灯くんは目を白黒させていたけれど。


「いや、余ったら返せよ。無駄遣いはするな」

「わ、わかった」


 椿珠さんに冷静に釘を刺されて、落ち着きを取り戻した。

 鶴灯くんにお世話かけっぱなしの現状に不本意な感情があるのか、翔霏だけはずっとブスっとした顔をしていた。


「私も私のやることに集中しなきゃな」


 環境が移り変わろうと、私の中身と役割は変わらない。

 辛~い生姜の丸焼きを齧って、自分の目的を見失わないように気を引き締めた。

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