第二十八章 溶岩と瀑布

二百三十五話 荷は来ず、しかし波は来る

 鶴灯(かくとう)くんが私たちの行動を陰日向にサポートしてくれることに決まった。

 私と翔霏(しょうひ)の農学研修も本格的に始まり、名実ともに新しい日々のスタート、というワクワクを感じる。


「新しい逗留先のことも、鶴(かく)のやつと話し合っておくよ。お前さんらは余計なことを気にせず、しっかり勉強を頑張るんだな」


 すっかり相棒気取り、あだ名で鶴灯くんを呼ぶ椿珠(ちんじゅ)さん。

 反対に軽螢(けいけい)は、寝不足なのかどんよりとした顔で、こう呟いた。


「畑作りの先生なら、俺も麗央那たちと一緒にそっちに行きてェなあ」

「メェ」


 そう言われてもな、と私は若干の申し訳ない気持ちで説諭する。


「私たちが籍(せき)先生のところに通うのは、きちんとお役所を通したお国の仕事でもあるからさ。いきなり軽螢が『ちぃーっす』って入って行っても、先生が混乱しちゃうよ」

「そっかあ」


 不貞腐れながらも、納得した軽螢。

 なんだろ、昨夜の椿珠さんとの言い合いが喧嘩にでも発展したのかな?


「見学くらいなら邪険にはされないだろう。先生には話しておくさ。お前が知っておくのも邑の再建には必要なことだからな」

「頼むわ~」


 たまにはお姉さんとして気を遣えるところを見せびらかすかのように、翔霏が優しく言い、軽螢も納得した。

 いつものほほんとしているようで、彼もまだ年頃の男子なんだし、難しいことの一つや二つあるか。

 今日の夜ご飯もなにか美味しいものを考えておけば、気を持ち直してくれるでしょう。

 楽観的にそう考えて、私と翔霏は川中の三角州、籍先生の庵がある場所へと向かうのだった。


「今日は実際に、この街の市場でよく売り買いされる作物を見に行きましょうかな。買い物の後にそれぞれの作物の特性を説明するとしよう」


 穏やかな佇まいで私たちを待っていた籍(せき)重狛(じゅうはく)先生は、早速の社会見学を提案してくれた。

 どうやら奥さんが街で買い物をしたいので、そのついでらしい。

 けれど私たちは大人なので突っ込まず、相変わらず仲良さげな熟年夫婦を生温かい目で見つめるのみ。

 男どもの夕食のネタも、市場へのお出かけで探しておこうかしらね。

 果たしてやつらに夕焼けのクロスを広げて待っている情緒があるかどうか知らんけど、ボナセーラ。

 いくつか開かれている市場の中で、海岸線に最も近いところへと私たちは向かった。


「南方でなにより人々に食べられているのは、まず米を置いて他にない。北の人たちが食べる麦と似たようなものと思っていいかもしれんね」


 お米などの穀物と、その粉末を量り売りしているお店の軒先で、籍先生が説明する。

 白く脱穀精米したお米と、茶色がかった玄米と、そして米粉が売られていた。

 麦も取り扱っているようだけれど、圧倒的に種類も量も少ないの。

 この地域の人たちの主食が、まさにお米であることが一目でわかると言うものだ。


「どうしてそんなに米ばかり食うのですか? 麦だって美味いと私は思いますが」


 翔霏らしい質問に、籍先生はよくぞ聞いてくれました、という顔で答える。


「同じ面積の田畑なら、麦より米の方が多く収穫できるのだよ。その分、米を作る水田は麦畑よりも管理に手間がかかるがね」

「麦は極端な話、撒いてほったらかせば勝手に伸びるくらいですからね」


 なるほどと私も納得。

 田んぼは水量が足りな過ぎると作物が育たない。

 かと言って台風とか豪雨で水量が多くなり過ぎても稲穂が全部倒れてしまって、やっぱり不作になる。

 デリケートでか弱いお嬢さん、それが米である。

 その点で麦は強く逞しい作物の代表格であり、その生命力を讃える歌やことわざ、名台詞なんかは洋の東西を問わず多く存在する。

 踏まれても強く伸びる麦のような女でありたいと強く思う、北原麗央那でありました。

 いや、嘘つきました、ごめんなさい。

 そもそも踏まれたくない。

 米じゃ!

 お米のように周りから大事に可愛がられて、ちやほや育てられるお嬢さんでありたいんじゃ!!


「ですが米ばかり作っていては、冷害や作物の病気が流行ったとき、他に食うものがなくなって大変ではないのですか?」


 実際に幼少期の頃、深刻な冷害水害を神台邑(じんだいむら)で体験した翔霏が尋ねた。

 答え甲斐のある質問が続き、すっかり気を良くした籍先生は、しきりにウンウンと頷いて教えてくれた。


「まさにそれが私の専門だ。もしも米が凶作だったとき、代わりになる作物はないか、そればかりを研究していたときに見つけた作物のひとつが今も市場に並んでいる。それをお見せしよう」


 自信ありげに歩き出した籍先生に従い、私たちも次の露店へ。


「まあまあお父さんったら、若い女の子が相手だからって張り切って」


 笑顔だけれどどこか棘のある奥さんの発言に、少しだけ籍先生の両肩がしぼんだように見えた。


「おう先生、悪ぃが今日は南からの入荷はないぜ」


 次に訪れた、トロピカルな果物と野菜が数多く並ぶ店。

 けれど間の悪いことに、籍先生の求める品物は入荷されていないと、店員さんが無情にも告げた。


「なんだって? ついこの間、少し遅れるが大丈夫そうだと言っていたばかりではないか」


 せっかく紹介したかった作物が店に並んでいないと知り、籍先生は目に見えて落胆している。

 店員は説明する。


「こればっかりは仕方ねえだろう。なんでも海賊騒ぎのせいで、船を出したがらない連中が多いって話だ。それか賊に襲われないよう、可能な限り近海をちまちま寄港して進んでたりな」

「参ったものだなあ。せっかくだから生の状態を先ず見せたかったのだが。うちの倉には乾燥させた種子があるから、とりあえずそれを見てもらうとしよう」


 シュンとして言った籍先生は別の品をいくつか奥さんと買い集めて、市場での用事を終えた。

 私たちも奥さんのおススメでおかずをいくつか買っておく。

 小魚の焼き干しや塩漬けが、お粥のお伴に最高なのだそうだ。

 あとはヤギくんが海藻を食べるかどうか実験してみたいので、一山いくらで売られている謎のアオサ的モズク的ななにかをたんまり買っておく。

 イギリスの海沿いに生息している羊は昆布を食べることがあるらしいから、ヤギも大丈夫でしょ。

 一説によると海藻をエサにした羊は、肉質も美味になるという、じゅるり……。

 あまり珍しいものを買い入れることはできなかったけれど、気を取り直して籍先生の庵に戻る。

 その途上、比較的に裕福な住民たちの家屋が並ぶエリアの、細い路地でのことだ。


「イ、イギギ、ウゥゥ……」


 家と家の隙間に生じた狭い空間から、なにかが呻いているような音声が聞こえた。


「先生、少し下がっていてください。血の臭いがする」


 翔霏が先頭に立ってその異変を確かめる。

 

「だ、大丈夫なのかね、紺(こん)くん」

「ご安心を。慣れていますので」


 軽く言い放った翔霏の後に続き、私もなにごとが起きているのを覗く。

 見えたのは建物の塀に体を預け、苦しそうにうずくまっている男性の姿だった。

 

「おい、大丈夫か。ってお前、居酒屋で断られていた東海の人間だな。なにがあった? あのとき一緒にいた仲間はどうした?」

 

 さすがの翔霏は一目見ただけで、相手の顔を思い出したようだ。

 私たちが着いて初日の夕食を取るために訪れたお店に来て、門前払いを受けていた外国人客の一人だった。

 苦痛に歪んだ顔から、相手はポツリポツリと自分のことを話す。


「ナ、ナカマ、ハグレタ……ワタシ、イ、イキナリ、ナグラレタ、ボウデ、イシデ……」


 よく見ると頭皮、そして服の背中に血が滲んでいて、足も痛めたのか立てないようだ。

 私はやり場のない怒りに、唐突に襲われた。

 怪我の状態から見てこの人は、後ろから複数人に襲われている!

 いったい誰だ、そんな汚い真似をする連中は!!


「まず怪我の手当てをしよう。お役人さんにも知らせて、お医者さんに見せなきゃ」


 煮えたぎる血液をなんとか抑え込んで、私はしゅるりと手拭を取り出す。

 念のために痛み止めや傷薬はいつも持ち歩いているので、それが功を奏したな。


「ふ、二人とも、あまり東の人間に関わるものでは……」


 心配そうに言う籍先生。

 奥さまも遠巻きに私たちを見ているだけで、こちらを手伝おうとはしない。

 きっとこの街に住む彼らなりの嫌悪感情が、特定地域の人たちに対して強く存在するのだろう。

 事情を知らない私たちのような余所者のお客さんが「そんな差別は良くない!」と声高に叫ぶことはできない。

 それでも私は、私のできることをするだけだ。


「お二人は先に戻ってください。今日はもう塾に行くのは無理そうなので、続きの講義は明日以降ということでお願いします」


 私が少し冷たい口調でそう言うと、籍先生は渋面を作ったのちに。


「……知り合いの医者が、近くに住んでいる。半々で断られるだろうが、話すだけ話してみるよ」


 意外にも、極めてありがたい協力を申し出てくれた。


「お、お父さん、良いのですか……?」

「言うな、あんな若い女の子たちが義を見て勇を為しているのだ。私が怯んでいては、金輪際あの子たちに先生と呼ばれる資格も失ってしまうだろう」


 奥さん相手には微妙にカッコつけているところが、なんだかおかしくて翔霏と目を合せて笑った。


「ウ、ウウ、ア、アリガト、アリガトデス。コウコク、バンザイ……」


 まるで、人の温かみに触れたのが随分と久し振りだとでも言いたそうなほどに。

 手当をされている間、東海の男性はぽろぽろと涙を流し、私たちへの感謝と、昂国への賛辞を、たどたどしい言葉で並べ立てた。

 私だって、もともとは右も左もわからない外国人の迷子だったのだ。

 そのときの寂しさと、翔霏が助けてくれたときの喜びを思い出し、私も少し泣いた。

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