二百三十四話 人の縁は川の流れと繋がりに似ている

「み、道案内、か?」


 お昼下がりの牧場。

 私たちは鶴灯(かくとう)くんに頼みたい仕事の話をして、彼の返答を待つ。

 補足的に椿珠(ちんじゅ)さんが、自分たちの置かれている状況を詳しく話した。


「せっかくはるばる南方までやって来たってのに、今この街は不逞の東海人のこともあって物騒だろう? フラフラ歩き回って事件に巻き込まれるなんざ、まっぴらごめんなもんでな。土地勘のあるやつに一緒にいて欲しいんだよ」


 ちなみに椿珠さんの上着は鶴灯くんがごしごしと川の水で洗ってくれた。

 休み時間だってのに、申し訳ないのう。

 ちゃんと反省してくださいね椿珠さん!

 え、汚したのは他でもないおまえだろって?

 忘れたよ、そんな昔の話は……。


「に、兄さんも、そ相浜(そうひん)に、勉強に、き、来たのか」


 鶴灯くんに聞かれ、いやいや、と手を振って椿珠さんが答える。


「俺は商売人でね。美味い儲けのある商品を探すのはもちろんだが、南側の商売のやり方そのものも、この機会に知りたいと思ってる。特にここいらは外国の産物が船で多く行き来してるって言うからな」

「そ、そ、そうか。皇帝さまのみ、都は、海で他の国と、つ、繋がって、ないんだな」


 鶴灯くんにとって日常の、生まれたときから当たり前に身の周りにある環境も、椿珠さんや翔霏(しょうひ)にとっては未知の世界である。

 自分が知らない世界を知っているというのは、それだけで価値があることなのだ。

 彼が仲間になってくれれば話が早くて良いのだけれど、翔霏はまだ納得しきれていないようで。


「お前も忙しいなら、別に断ってくれてもいいんだぞ。なにより私たちはそれなりに危ない橋も渡る日々を送っている。気の良いお母さんを心配させるわけにもいかないだろう」


 などと、水臭いことをこの期に及んで言うのだった。

 しばし思慮深げな顔を覗かせて、黙考した鶴灯くん。

 太陽を真正面に浴びた満面のスマイルで、こう言った。


「こ、紺(こん)たちが、あ、危なくないように、する、仕事なら、俺、や、やりたい」


 なんとも純度100%の性格イケメンである。

 闇の住人である私なんかは一緒にいるだけで息苦しくなるほどだ。

 そう言われてしまってはもう否定材料を見つけられない翔霏、口をへの字に曲げて黙ってしまった。

 椿珠さんがパンと膝を叩いて、話がまとまったことを告げる。


「よっしゃ、そう言ってくれて嬉しいぜ。ならあとは細かい段取りや条件だが……」

「きょ、今日は夜まで、牛小屋のし、仕事、あるから、明日、ま、また、話そう。あ、朝に、宿まで、い、行く」

「そうしてくれると助かるよ。忙しいところ時間を取らせて悪かったな」


 服を綺麗に洗ってくれたからか、すっかり機嫌を直した椿珠さん。

 鶴灯くんと気安く握手を交わし、肩をぽぽんと叩く様はすっかりマブダチ、アミーゴのようだ。

 恐ろしく速い気持ちの切り替え、私も見習いたいね。

 椿珠さんってネチネチしてるんだかさっぱりしてるんだか掴みにくい、二重人格的なところあるよなぁと、どうでもいいことを思いました。

 今日の相談はここで切り上げ、私たちは再度、鶴灯くんのお母さんの下へ挨拶に向かう。


「親御さんにも不安がないように、しっかり説明しておかないとな。大事な息子さんをお預かりするんだ」


 椿珠さんは偉そうにそう言っていたけれど、セクシーな艶女(アデージョ)に理由を付けて会いたいだけだろうということはこの麗央那、まるっとお見通しだ。

 二回目の訪問であるために私たちの声がわかったのか、はいはーいと気軽な感じでお母さんは戸口に迎えに出てくれた。


「ふふ、二度目のいらっしゃい。鶴には会えた?」

「おかげさまで。詳しいことは明日にまた詰めますが、ひとまず承諾してくれたので奥さまにも挨拶をと思いましてね」


 愛想良く述べる椿珠さんに、お母さんも「あらあら良かったわあ」とニコニコしている。

 なんだかんだ、イケメンと話すのが楽しいのかしらね。

 私も同じ年頃で同じ立場だったら、そう思っちゃうかも。

 報告を終えた椿珠さんが室内を不躾にぐるりと見渡して、別の話題に移った。


「ところで奥さま、売り物にしないような練習台の刺繍品、あるいは余剰在庫なんかがもしあるなら、ぜひ俺に引き取らせてくれませんか。これは見る人が見れば、是非にと喉から手が出るほどに欲しがりますよ。決して損はさせませんので」

「会って初日の相手にゼニ儲けの話か。少しは弁えてくれ。一緒にいる私たちが恥ずかしい」


 げんなりしている翔霏をよそに、椿珠さんの熱弁は続く。


「針の腕も確かだが、なによりこの、力が発散しているような色彩の輝きが良い。普通、刺繍ってのは布の中で小さくまとまっちまうもんだが、奥さまの仕事は平らな布から外の世界へ飛び出しそうな勢いに満ちている。せめて俺個人の思い出の品を一つだけでもいいから、どうか譲ってくれないだろうか」

「え、ええ~~? そうねえ、あげちゃっても良い練習の切れ端なら、いくつかあると思うけど……」


 超絶熱心に口説かれて、まあまあ困ったわ、と言いつつホクホクのニヤケ顔でお母さんは在庫を漁り始めた。

 あれま、椿珠さんってば本気だなこりゃ。

 綺麗な女性相手にリップサービスを使っているのではない、真剣な顔をしている。

 南の街に、針の名人在り。

 彼女の手による仕事は至宝に達す。

 それを大々的にプロデュースして、河旭(かきょく)の街にも売り込む気だ。

 ま、彼は商人なのでそれが本業だし、私たちに止める筋合もない。


「とりあえず、このあたりなんかは処分しようと思ってたものだから、持って行っていいわよ」


 両手のひらサイズの刺繍布を数枚ほど渡されて、椿珠さんの目が「ギラギラッ!」と音を鳴らしそうなほどに輝いた。


「これは、蛇に睨まれた蛙か……今にも逃げ出したい蛙と、今にも食らいつきたい蛇の緊迫した睨み合いが、見ているこっちの肌までひりひりさせるようじゃないか。こっちの、一本ヅノの牛みたいなのはなんだ?」


 椿珠さんの手元にある刺繍を私も覗き見て、そこに描かれている動物を教えてあげる。


「犀(サイ)じゃないかな。ほら、角州公の犀得(せいとく)さんの名前の元になった、南国のごっつい動物だよ」

「こ、これが犀か……!? いやあ、これはどんな牛でも馬でも勝てそうにない、それくらいの力強さが刺繍からも伝わってくる。見たこともない獣が、今この場にいるような気すらしてきたよ」


 椿珠さんは元々感受性の強い人なので、音楽や美術品などの抽象化された表現物から具体的なイメージを受け取る能力が高いのだ。

 彼がいつも酔っ払っているのは、鋭敏なシラフのままでずっと過ごしていると、気疲れがひどいからでもある。

 無頼を気取ってる割りには意外と他人に感化されやすいって言うか、感情移入して涙脆くなったりするところがあるからね。

 もちろんその優秀で感度の高いアンテナが、良いものを安く仕入れて高値で売り捌く生き様を助けているのだけれど。


「あまり褒められたら恥ずかしいわ。針の仕事にこんなに興味を持ってくれる男の人なんてはじめて……あ、もう一人いたわね」

「もう一人? 別の商人に先約で品物を卸しちまってるのか?」


 自分が発掘した宝物が既に他人の所有物であると知ったかのような、情けなく泣きそうな顔で椿珠さんが問い詰める。

 ウフフと笑いながら首を振って、お母さんが説明する。


「そんな大それた話じゃないのよ。あたしが刺繍を営んでるって聞いた偉い武人さんがね、会ったこともないのに一品だけあたしに仕事を注文してくれたの。ほら、この鳳凰さまの袍衣(ほうい)がそれよ」


 最初に私たち全員の目を奪った、三本足の炎の鳥の刺繍。

 常人が着るにはやけに大きい衣服に縫われた、これまた情熱的で見事な大作は、当然ながら買い手が既に決まっているという。

 なんだか先の展開が予想できるような気がするけれど、私はあえてその依頼主の名を聞いた。


「いったいどこの名士が、こんな素晴らしいものを注文なさったんですか?」


 カネや地位があるのはもちろんだけれど、こんな派手な衣装を羽織りそうな伊達ものを、私たちは一人しか知らない気がする。


「北の人に言ってわかるかしら。西の蹄湖(ていこ)を本拠にして周辺の河川の安全を護っている、柴(さい)蛉斬(れいざん)という方よ。南の地では誰でも知ってる英雄なの。うちの鶴(かく)も子どものころから憧れてて、お仕事を貰ったときは母子二人で大喜びしたわ」


 案の定という解答を聞いて、翔霏が「うげっ」と言いたげな顔を見せる。


「そんな気がしていたんだ。いちいち私たちの前に名前を出して来るやつだな。この刺繍を見ているだけであの男の馬鹿みたいな笑い声が頭に響く気がする」

「まあ、刺繍に罪はないし……」


 私が翔霏を宥めているのを見て、お母さんが「柴将軍に会ったことがあるの!?」と盛り上がってしまった。

 宿で一人待っている軽螢(けいけい)のことを忘れて、ついつい長居してしまう私たちでありましたとさ。


「やっーと帰って来やがったよ。なんかお土産はあるんだろうなァ?」

「メエェ……!」


 夕飯どき、宿に戻った私たちを軽螢とヤギの恨めしい視線が出迎えた。

 暇だったのでヤギのトリミングとブラッシングをしていたらしい。


「牛農家さんから絞りたての牛乳を貰って来たよ。念のために温めて飲もう。ヤギはそのまんまでいいか」

「メェッ! メメェッ!」


 私が出した新鮮濃厚ミルクに、一気に機嫌を取り戻したヤギ。

 畜生は楽でええのう。

 その夜はちょっと張り切ってしまい、麗央那特製ふっくらふわふわパンケーキをみんなに振る舞った。

 卵粥も捨てがたかったけれど、明日の朝に食べよう。


「この分厚い卵焼き、甘くて美味えなあ」

「パンケーキだし! 卵焼きって言うなし!」


 相変わらず、軽螢は細かいことを分かっていなかった様子。

 卵をたっぷり使ったせいもあり、小麦粉や牛乳の存在感が薄くなってしまったのね。

 けれどその晩、寝る前のことである。

 お花を摘み終えてから自室に戻る途中、軽螢と椿珠さんが部屋の中でなにやら刺々しい口調で言い合っていたのが、戸板越しに聞こえたのだ。


「……えぇ!? それなのに決めちまったのかよ!?」

「大丈夫だって。俺たちが気を付ければ済む話だろう……」


 それ以上はモゴモゴ聞こえるだけで内容はわからなかったけれど。

 私はなんだか胸にモヤっとする良くないものを抱えた気分になり、けれど睡魔には勝てずに床に入った。

 明日から、籍(せき)先生の塾で本格的にお勉強が始まることだし、しっかり寝ておかなくちゃ。

 落ち着いたところに宿を移せば、危ないことなんてそうそうありはしないさ。

 まるで言い聞かせるように、脳内で繰り返した。

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