二百三十三話 陽光を浴びた母と潮風を浴びた息子

 今後喫緊の方針として、相浜(そうひん)の街を案内してくれる気の良い若者を仲間に引き入れよう、ということになった。

 白羽の矢が立ったのは添(てん)鶴灯(かくとう)という若い男性だ。

 翔霏(しょうひ)をいきなりナンパした挙句、道案内してくれてカニまでご馳走してくれた、南国風味の金髪ナイスガイである。

 年の頃はハッキリ聞いていないけれど、きっと椿珠(ちんじゅ)さんと近い年代だろう。

 ちなみに軽螢(けいけい)とヤギはなんか寝坊してたので宿に置いてきた。

 ゆっくりカニの夢でも見ていてほしい。


「確かこの辺りに住んでるはずだよ。適当に聞けば分かるんじゃないかな」


 初日に入った居酒屋の裏通り。

 水路に面している住宅群の中に、鶴灯くんの住んでいる家があるはずだ。

 通行人のおばさんに尋ねると、思った通りにすぐ近くであることを教えてくれた。


「鶴灯の家? だったらほれ、軒先に花の刺繍の入った反物が下がってる家があるだろ。あそこに母ちゃんと住んどるよ」


 おばさんが指差す先には、確かに綺麗な花の刺繍が施された布が、看板や表札のように垂れ下がった家がある。

 独立家屋ではなく、長屋の一画だった。

 私たちはおばさんにお礼を言って、その部屋の門戸を敲く。


「ごめんくださーい。添さんのお宅でしょうかー?」


 コンコンとノックして呼ぶと、中からモソモソ動く音が聞こえる。

 ちょっと間があって、キイィと開き戸が動き、女の人が顔を覗かせた。


「はいはーい、ちょっと今は立て込んでるんで、新しい針のお仕事は難しいんだけど……」


 応対に出て来たのは、金髪碧眼巨乳巨尻の、どエロいマダムであった。

 部屋着も薄布を前で合わせた一枚だけで、まさに「南国の女!」というフェロモンがぶりんぶりんに放出されていた。

 これは熟女性癖のない一般男子でも、一発でノックアウトされちゃうよ!

 あーだめだめ、危険物陳列罪です!!

 リオのカーニバルとかで踊っててもまったく違和感のない褐色金髪美女、それが鶴灯くんのお母さんであった。


「いきなり押しかけて申し訳ありません、奥さま。俺たち、鶴灯くんの知り合い、いや友人なんですがね。ちょいと話がありまして」


 美魔女を前に一気に元気を出した椿珠さんが、早速挨拶する。

 本当にこいつはよォ、特定の条件がそろったときだけフットワークが良いなあ畜生め。


「え、鶴のお友だち? あらあらまあまあ、こんな汚いところへ来させて申し訳ないわねえ」


 嬉しそうな、それでもちょっと困ったような顔で、ひとまずお母さんは私たちを中に招いてくれた。

 部屋の一角には針仕事の途中なのか、刺繍が施された布がいくつも重なっている。


「これは、ご自身で作ってられるのですか」


 翔霏の質問に照れ笑いしながら、お母さんは答える。


「ええ、近所の人に頼まれて、内職みたいなものなの。お金を取るほど巧くもないって言ってるのに、みなさん良くしていただいて」

「いやいやなにをおっしゃる奥さん、これは見事なもんだ。俺もまとめて買い付けたいくらいだぜ」


 決してお世辞ではない称賛が椿珠さんの口からも出される。

 審美眼のない私でもわかるほど、刺繍は細かく丁寧で、尚且つ色彩鮮やかでダイナミックだ。

 中でも私の目を引いたのは、木綿の長袍衣の背中にどんと大きく縫われた動物の模様である。


「三本足の炎の鳥、これは鳳凰ですか?」


 今にも服の中から飛び出しそうなほどの躍動感。

 生命の力強さと美しさ、そして神秘を完璧に兼ね備えた、見事な鳥の刺繍だった。


「ええそうよ、南の神さま。あたしの故郷でも赤い鳥は神さまだったの。こっちの国でも同じように大切にされてると知って、嬉しかったわ」


 ほうほうと話を聞きながら、私たち三人はあまりにも素晴らしいその刺繍の出来栄えに感心する。

 特に執心しているのは、やはり価値の高く珍しいものへの興味がひときわ強い椿珠さんだ。


「北の方だと、まず尊ばれるのは一にも二にも龍神さまだ。鳳凰はあまり重きを置かれる神さまってわけじゃないよな。やはり土地が違うと文化も違うものなんか。物知りなお前さんなら、その辺についてもなにか一家言あるか?」


 急に質問が飛んで来たので、私は適当に思いついたことを無責任に並べ立てる。


「北の方で水の神さまである龍が重要視されるのは、きっと治水工事をしないと農作物が上手く育たないからだと思うよ。曲がりくねって、ときには氾濫して暴れる川はまさしく龍みたいでしょ」

「確かに龍の神は荒ぶる川の化身だ。なんとか暴れずに俺たちに恵みをもたらしてくれるよう、必死で祈ることが龍への信仰の根っこってわけか」

「そうそう。でも南の地域の川は高低差が少なくて、あまり氾濫することがないから、この土地の人たちは川に祈る機会が少なかったんだと思う。私たちが舟で移動してるときもずっと流れは穏やかで安全だったから。その代わり、太陽と日照りの神さまである鳳凰を崇める気持ちが強くなったんじゃないかな」


 私の講釈に、いつの間にか鶴灯くんのお母さんも居住まいを正してご清聴していた。


「そう、そうなのよ。ここらは温かい分雨の日も多いから、気持ち良く晴れてくれることをみんな毎日、必死で祈っているの。夏や雨季の間なんて、お空が晴れたってだけの理由であちこちでお祭りが開かれるのよ。その気持ちが形として現れるのが、太陽と炎の神さまである鳳(おおとり)への祈りなの」


 お母さんが熱っぽく語ることに、翔霏も翔霏らしい感想を挙げる。


「確かに鳥の卵は、昇る朝日のようでもありますね。今日の夕飯は卵粥にするか……」


 食欲から意識を離すことができないのが可愛いね。

 たくさん食べるきみが好き。

 マジで私も卵粥が無性に食べたくなって来たわ。

 なんて欲望に忠実な話はともかくとして、私はこの土地で太陽の神である炎鳥が信仰されている文化的要因の一つを、あくまでも個人の想像の範囲として総括する。


「太陽の動きは暦(こよみ)と密接に関係してるから、きっと南部の土地では北部より早い段階で天文学に則った一年の周期を理解してて、それを農業に生かしてたんだと思う。北の龍はいろんな動物を複合した要素のある神さまだから、農耕民の神であると同時に狩猟採集民の神でもあるんだけど、太陽を司る鳥の神は明確に農業と暦の神さまのはずだから」


 私の説明に、お母さんはポカーンと口を開けて。


「ず、ずいぶん学があるのねえ、あなた。そんな子たちがうちの鶴に、いったいどんなご用?」


 雑談に夢中になってついつい忘れていた本題を、思い出させてくれたのだった。

 ちょっと恥ずかしくなってしまった私に変わり、椿珠さんが説明する。


「俺たち、用があってこの街にしばらく留まることになったんですがね。道案内や諸々の仕事を手伝ってくれるやつがいないか探していたんです。そのときに息子さんの話が出まして」

「はあー……今日は牛小屋の手伝いに行っているから夜まで帰って来ないと思うけど。あの子に勤まるのかしら」

「ご安心を、無茶はさせません。時間が空いたときにちょこちょこっと力を貸してくれるだけで十分なんでね」


 ほえー、とわかったのかわかっていないのか曖昧な顔を浮かべて、お母さんは言った。


「あたしがここで気を揉んでても仕方ないわね。牛小屋は川沿いを遡ればすぐに目に付くから、とりあえず行って話してあげてちょうだい」


 こうしてお母さんに場所を教えてもらった私たちは、徒歩で水路脇を上流に進む。


「お母さん、優しそうな人だったね」


 私の意見に椿珠さんが深く頷いた。


「親を見れば子がわかるって言うからな。まだ会ったことのない俺でも、鶴灯って兄ちゃんが間違いのない人柄だってのが伝わったよ」


 一方で、翔霏は複雑な顔をしている。


「あの奥さんは、軽螢には会わせない方が良さそうだな……」

「ははは、確かに軽螢の好みど真ん中の、色っぽい人だったかも。頭に血が昇ってトチ狂っちゃいそう」


 なんて雑談をしながらしばらく歩く。

 途中で大きな川に合流し、河べりを更に上流へ歩いていたら、確かに牧場の臭いが鼻に届いた。

 目的の牛小屋は、河原の脇に構えられていたのだ。


「へえ、河川敷がそのまま放牧地になってるのか。賢いやりかただ。無駄に土地を遊ばせておくよりずっといい。多少増水したところで牛どもにとっては屁でもないだろうしな」


 のどかな景色だというのに、椿珠さんはいちいち合理性や効率を考えなければ気が済まないようだ。

 彼の言うように目の前に広がる河川敷の草地が、そのまま牛のエサ場兼遊び場になっていた。

 丸々と肥った黒毛の牛さんたちがのんびりと草を食みながら日光浴し、ブモーと啼いている。

 平和という言葉を絵にできるなら、まさに今、ここにある景色の他にないだろう。


「鶴灯のやつは、小屋の中かな」


 翔霏がずんずんと先へ進み、私たちも続く。

 牛さんたちの脇をちょっと通りますよと潜り抜け、小屋にお邪魔する。

 汚れや臭いがつくのを嫌ってか、椿珠さんは出入り口の外で待っていた。

 まったくカッコつけの金持ちはこれだからよ、逞しさが足りんわい。


「あ、あれ、どど、どうして、ここに?」


 果たして鶴灯くんは牛舎の掃除に専念していたらしく、草だらけ泥だらけおそらく牛の糞だらけの様相で、私たちの来訪に驚いていた。

 翔霏が淡々と事務的に来た用向きを告げる。


「少し頼みたいことがあってな。仕事が忙しいなら終わる頃にまた出直すが」

「こ、これ、終わったら、一服、する、から。すす、少し、待ってて」


 鶴灯くんは幅の広い地ならしトンボみたいな器具でわっさわっさと牛舎内の汚物を掻き出し、スコップと桶でそれを肥溜めへと運ぶ。


「せっかく来たんだし手伝うか……」

「そうだね。今日は他にどうせ予定もないし」


 は~い牛ちゃんハウスをキレイキレイにしましょうね~。


「そ、そんな、よせ。よ、汚れる」


 私と翔霏が平気な顔で作業に加わるので、鶴灯くんはアワアワしながら心配の声を上げる。


「気にするな。どうせ服は毎日ちゃんと洗ってるし風呂にも入ってる」

「絞りたての牛乳とか、分けてもらえるかなあ」


 肉体労働も汚れ仕事も平気な邑娘の私たちは、この程度のことならなんでもないのです。

 困りながらも嬉しそうに苦笑いする鶴灯くんと一緒に、私たちはやっさやっさと牛舎のゴミを肥溜めへと放り込んで、仕上げに床一面を水洗いした。

 やっぱり掃除は良いね。

 場所だけでなく、自分の心も綺麗にできる気がするから。


「お、やっと終わったか。お前さんが鶴灯だな。俺はこいつらの兄貴代わりで世話人をやってる環(かん)椿珠(ちんじゅ)ってもんだ。以後よろしく頼」

「なにもしてないくせに偉そうに仕切るんじゃねえ!!」

「ぶげっ!?」


 私のショルダータックルを喰らい、牛糞があちこちに転がる草地へと椿珠さんがバンザイダイブした。


「あぐうう、な、なんてことしやがる、高いんだぞこの上着……」


 泣き言を漏らしながら服の汚れに拘る金持ちイケメンであった。


「だ、大丈夫、か、川に飛び込めば、すぐ、落ちる」

「寒いわ! もう秋だぞ!?」


 決して分かり合えない同年代の男二人を見て、翔霏が笑いをこらえていた。

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