二百三十一話 水の住人

 腿州(たいしゅう)の都、相浜(そうひん)の住宅街。

 繁華街から少し離れて、お金持ち向けの邸宅が並ぶ川沿いに、不似合いなほど粗末な渡し筏(いかだ)と、小屋がある。


「お、おっさん。三人、往復、たた、頼む」


 道案内をしてくれる地元の金髪青年、鶴灯(かくとう)くんが小屋の中にいるおじさんに声をかけた。


「なんでえ、鶴(かく)じゃねえか。女連れとは恐れ入った。めでてえから二人分に負けてやらあ」


 腰と背中の曲がったおじさんはそう言って、私たちから銀銭二枚を徴収した。

 片道ではなく、往復でこの値段らしい。

 埼玉から東京の高校に電車で通うより安い値段設定かもな、と私はどうでもいいことを考えた。

 どちらに流れているのかわからないほどに緩やかな川面を、おじさんのオールに引いて押されて筏は進む。


「そっか、川の流れと潮の力がぶつかり合って、水はどっちにも流れて行かない時間帯があるんだ」


 標高の低い土地ではよくある現象、月の引力による潮汐(ちょうせき)というやつだ。

 なんなら高潮のときには、海から川の上流方向へ水が逆流することだってある。

 アマゾン川のポロロッカ大海嘯(だいかいしょう)が有名だよね。

 私の独り言に渡し守のおじさんが感心して言った。


「ほお、服装や化粧から北の内陸の人に見えたが、嬢ちゃんも海辺の生まれかい?」

「あー、故郷は海の隣の地域だったので、多少は知ってるだけです」


 私の地元、埼玉には残念ながら、海はない。

 それでも湾岸の街である東京には足しげく通っていたし、なんなら年末とお盆には必ず埠頭エリアに行かねばならない使命があったので、海自体は身近だ。


「せ、籍(せき)先生の塾に、か、通うなら、渡し賃をまとめて、ま、前払いした方が、おっさん、や、安くして、くれる」


 空いているもう一本のオールを手に、渡しの仕事を手伝いながら鶴灯くんが言った。

 手つきが慣れているのは、さすがに水の街の住人だな。

 北の戌族(じゅつぞく)にとって馬が自分の足の延長であるのと同様に、この地域の人たちにとってはまさに舟や筏が自分の足なのだ。

 川を半分ほど渡り、島と呼べるほど大きな三角州が眼前に迫る。

 ふと、おじさんが鶴灯くんに世間話を振った。


「鶴よう、お前の家の近くで、殺しがあったそうじゃねえか。四の辻にある飯屋の三男坊だってなあ」

「う、うん。く、首が斬られて、む、胸と、脇腹と、せ、背中と下っ腹を、刺されてた。き、近所のみんなも、集まって来て、こ、怖がってた」


 私と翔霏は驚いて目を合わせる。

 昨日の夜に私たちが食事をした店、そこの店員が死体となって水路に浮かんでいた事件のことだ!


「鶴灯くん、死体を見たの?」


 私の質問に、こくこく、と人形のように何度も頷いて、鶴灯くんは詳しいことを教えてくれた。


「お、俺の家、死体が上がった、すぐ、近く。朝起きて、窓、開けたら、人が浮いてるの、見えた。む、昔から知ってる兄さんだったから、か、哀し、かった。悪い人じゃ、ないのに」


 はぁーと息を吐いて、私のおじさんは噛み煙草を口の中でねぶりながら言った。


「ンなことするやつぁ、どうせ東海の連中に決まってらぁな。お上はなんだってあいつらの出入りを止めねえんだ? この前だって、なんとか言う金持ちのお嬢さんが夜中によお」

「き、き、決めつけるのは、良くない。関係ないかも、しれない」


 たどたどしくも真摯な口調で鶴灯くんがそう言うので、おじさんは憶測の罵倒をやめた。


「翔霏(しょうひ)、どう思う?」


 私の質問に翔霏は、朝に事件の概要を聞いたときと打って変って真剣な顔つきになり。


「話が本当なら、妙だな。急所ばかり刺している。素人の喧嘩や衝動的な取っ組み合いじゃない。ただのごろつきの仕業とは思えん」


 翔霏ならではの見解を口にした。

 私もそう思った。

 突発的で感情的な、腹いせの果てに店員さんは殺されたわけじゃないのだ。

 高い確率で、訓練を受けた軍人なり殺し屋なりの、プロの関与を疑わざるを得ない。


「おっと、もう着くぜ。降りるときは足元にご注意を、ってな」


 私と翔霏が考えを巡らせていると、筏は目的地の中州に到着した。

 平地というよりは台地であり、多少くらいなら川の水が増えても水没しないであろうと思われる島だった。

 夕方になる前に、筏のおじさんがもう一度迎えに来てくれることになっている。


「じゃ、じゃあ、俺はこれで。は、話せて、良かった。最近、物騒だから、心配だった」


 私たちを無事に目的地に送り届けたからか、自分の役目はもう終わったと言わんばかりに、鶴灯くんは手を振っている。

 ムーン、と翔霏は眉根やへの字口の下に皺を深く刻み、実に不本意だと言わんばかりの渋面のまま、言った。


「どうせヒマなんだろう。帰りも宿まで送らせてやる。あとで筏に乗って迎えに来い」


 ぽい、と鶴灯くんの方に団子などのおやつが入った巾着袋を放り投げて、帰路のエスコートを一方的に命じた。

 呆気にとられながらも、袋をキャッチした鶴灯くんは。


「ま、また、来る!」


 川面に反射された陽光の中、満面の笑顔で元気良く答えた。


「へっ、もう秋も終わるってのに、ここだけ春になっちまいやがる」

 

 それを見ていたおじさんがにやけた顔で、煙草を噛むのだった。

 私も同感です、いったいなにを見せられているんだ。


「これはこれは、こんな世捨て人のところへはるばるよくいらっしゃいましたな」


 島の中央にぽつんと構えられた、さして広くもない田畑に囲まれた庵。

 主である初老の男性、籍(せき)重狛(じゅうはく)さんは、快く私と翔霏を迎えてくれた。

 この籍先生の下で、私たちは南方の野菜や穀物について学び、その知見を翼州(よくしゅう)の開拓に生かすのが目下の使命なのだ。


「凄い数の鉢植えですね」


 翔霏が室内を見渡して感嘆した。

 部屋の中は所狭しと鉢植えが置かれていて、冬も近いというのに色とりどりの花が咲き誇っている。


「ははは、これは学問とは関係なく、かみさんの趣味でね。今も市場に種だか苗を買いに行っているはずだ。ごちゃごちゃしていて申し訳ない」


 花だらけの部屋の真ん中にお年を召した男性が毅然と座っている光景が面白く、私の気分も楽しくなってきた。

 南国トロピカル空間でこれからの勉強の進め方を籍先生と話している最中に、奥さんがお戻りになられた。


「あらあら、お国の仕事で若い人が来るというのは聞いていましたけれど、本当にお若いのね。お父さん、下品なことを言ってはいけませんよ」

「人聞きの悪い。普段からそんなことは言ってないだろう」


 仲の良いご夫婦のようで、見ているこっちもほっこりする。

 けれど奥さんは買い物帰りの荷物を整理している中で、溜息を吐いて籍先生にこう愚痴った。


「船が届かないとかで、目当ての花の種が買えなかったんですよ。市場の周りもなんだかわけのわからない言葉を喋っている人たちが増えて、怖くなっちゃって。ゆっくり見て回れませんでした」

「それはいけないね。これからはちょっとした買い物でも一緒に行こうか」


 スマートな愛妻家らしいセリフが、さらっと出てくるなんて素敵やん。

 夫婦生活を営むなら、こうでなくちゃいけねえよなと思わせてくれる、幸せな空気が流れている。

 けれど口にする話題は不穏な影を引きずっていて。


「船が港に来ないというのは、海賊がどうのという話と関係があるのでは?」


 翔霏の質問に、籍先生は腕を組んで答えた。


「確かに、昔に比べて東海の賊が増えている気はする。向こうの国の政情次第で増えたり減ったりはしたものだけど、ここ数年は特に多い。予定していた荷物や文書が届かないというのが、州庁に勤めていた頃からの厄介ごとでね。それだけで仕事が前に進まなくなってしまうから……」

「襲われた船だけの問題じゃなくて、みんなの暮らしに直結する害があるんですよね。そりゃそうか」


 改めて、他人事ではないのだなと私も認識し直す。

 なんなら私たちの勉強に必要な、外来の植物やその種子もすんなり入手できない可能性だってある。

 籍先生とこの日の話し合いを終えて、中州で帰りの筏を待っている間。

 私と翔霏は海賊や街中の殺人事件のことを話題に上らせた。


「水の上のことは私にはよくわからん世界だが、海賊というのは簡単にやっつけられないものなのだろうかな」


 川の上、遠くで動く漁船や渡し船を視界に捕えて翔霏が疑問を口にする。


「多分だけど、陸に近い沿岸部を取り締まるための船と、外洋にまで海賊を追いかけることのできる船との違いが問題なんじゃないかな。近海でしか動かせない船だと、海賊が遠くの外海に逃げたら追いかけられないから」

「船にもロバと駿馬のような違いがあり、同じ駿馬でも単騎と馬車では速さが変わる、ということか」

「そんな感じ。きっと昂国(こうこく)は外洋船をあまりたくさん持ってないんだと思う」


 腿州に旅立つ前、玄霧(げんむ)さんがちらりとその話をしていたのを思い出した。

 私たちが住む昂国には「沿岸警備の軍」は存在するけれど「海軍」は存在しないのだと。

 その事実は、この国が外洋に進出して領土や権益をさらに拡張する野心を持たない、典型的な内陸性国家であることを示している。

 周辺国とは最低限のお付き合いと、物品の輸出入をしていればそれでいいというスタンスだね。

 そもそもが豊かな国なので上手く回っていたのだろうけれど、今まさに、その豊かさにつけ込まれる形で海賊たちが暴れ回っているのだろうか。


「お、筏が来たぞ。添(てん)のやつもいるな」


 夕陽が沈む前、約束通りに渡し守のおじさんが筏を中州に回してくれた。

 もちろん鶴灯くんも一緒に乗っているけれど。


「なんであんなにずぶ濡れなんだろ」


 水も滴る金髪青年と化していた。

 接岸した筏の上で、にこにこしながら鶴灯くんは、両手にぴちぴち、うねうねと動く生きものを掲げ、笑ってこう言った。


「か、カニ、獲ってきた。い、今の季節は、メスが、た、卵持ってて、美味い」


 よく視ると竹編み籠の中に、ワタリガニ的な甲殻類がいくつも入れられて、もぞもぞと蠢いていた。


「私たちを待っている間、漁にでも出ていたのか? よくこの短い間でこんなに獲れるものだな」


 翔霏の質問にぷるぷると首を振って水しぶきを散らし、鶴灯くんは答える。


「こ、こんなの、そこらを、も、潜れば、いくらでも、手、手で掴んで、獲れる」

「天国はここにあったんだ」


 私は自分の知る狭い常識が、良い方向に破壊されるのを感じ、神に感謝した。

 その辺を散歩する感覚で、タダでいくつもカニが手に入るとか。

 いや、ズルいわここの人たち!!


「おいおい嬢ちゃんたち、勘違いして鶴の真似しようとするんじゃねえぞ。引き潮に体が持って行かれちまうからな。普通はカニなんて、籠罠か刺し網で獲るもんだ」

「む、やはり泳げなければいかんのか……」


 活きの良いカニを見てゴクリと喉を鳴らした翔霏だったけれど、自分は真似できないと知ってかなり寂しそうだった。


「うううう、美味しそう。生で食べちゃ駄目かなあ?」


 生粋のスシ・ネイション・ピープルである私は、新鮮過ぎるのにも程がある目の前の海鮮を見て、鶴灯くんに聞いてみたけれど。


「むむむ、無茶、するな。な、生のカニなんて、地元のやつでも、く、食わない」


 明確に危険だと制止されてしまい、悔しくしょっぱい涙を飲むのだった。

 いつかこの街で、極上の生チラシ寿司、あるいは海鮮丼を作らねば、帰るに帰れないな。

 昂国腿州に飛ばされた私が故郷の伝統料理「寿司」を作り、現地住民相手に無双する物語。

 第一幕がこのとき始まったのである……!!

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