二百三十話 意識の外から打たれるのが一番効くと言う
物騒な話から始まった朝餉(あさげ)。
「それって、入店を断られた東の人たちが、腹いせでやったってこと?」
私の質問に椿珠(ちんじゅ)さんは首を振る。
「詳しいことは俺にはわからん。道端で噂話を拾って、上がった死体がどんなもんか水路を覗きに行っただけだからな。別の件で誰かと揉めて殺されたのかもしれんし、情報が少なすぎる」
死体はすでに州の官吏に片付けられていて、実際に見ることはできなかったようだ。
「なにせはじめて来る街だ。私たちがわかることの方が少ない。あまり気にしても仕方がないだろう」
もともとドライなところのある翔霏(しょうひ)は殺伐な話題も気にせず、イカの塩辛をお粥に乗せて食べていた。
北の方で一般的に食べられている麦粥とは違い、長粒種のお米だけを使った白粥である。
ああ、少し埼玉を思い出してしまって、泣きそう。
お爺ちゃんが一回目のガンで入院してたときに「お粥ばっかり食わされて治るもんも治らん!」と怒っていたんだよ。
惨殺死体の考察はいったん打ち切られて、私たちの勉強のことにテーマは移った。
「とりあえず私と翔霏はお役所に必要な手続きをしに行くけど、その足でお世話になる先生にも挨拶すると思うんだよね。椿珠さんと軽螢(けいけい)はどうする?」
私の問いに、たまに慎重派な面を覗かせることがある軽螢(けいけい)が、重い表情で言った。
「海賊がどうのとか、外国から来たろくでなしがどうのとか、その辺ちゃんと調べてえよ。場合によっちゃ泊まるところ変えた方が良いかもしれないだろ」
「メエ、メエ」
確かに周囲の治安に不穏なところがあるなら、もう少し繁華街を離れたところに逗留した方が安心かも。
なにせ私たちが本格的に勉強の日々に突入したら、男子二人は翔霏と別行動を取る時間が長くなる。
二人ともそこまで喧嘩が強いわけではないので、危険な要素は可能な限り遠ざけないとね。
椿珠さんも同じ考えらしく、軽く頷きながら答えた。
「なにはなくとも、一人で行動することがないように、だな。せっかく南部に来たばかりだってのに、白目剥いて水路に浮かびたくはないってもんだ」
自分は一人で散歩して来たくせに、無事に帰って来てやっと怖さが襲って来たのだろうか。
「不吉なこと言わないでよ。言霊思想って知ってる?」
「コトダマかヒトダマか知らんが、お前さんらを見たら裸足で逃げ出すだろうさ」
乙女に向かってないよその言い方、失礼しちゃうわね、ホントにモー。
ともあれこういう運びで私たちは、女子二人男子二人に別れてこの日の行動を開始した。
ヤギは旅荷物を運んで少し疲れた空気を出していたから、お留守番させとこう。
私と翔霏は州のお役所に朝一で向かい、留学生として無事に到着した手続きに入る。
首都からあらかじめ、私たちについての詳しい連絡が腿州(たいしゅう)の農政を司る部署に届いているはずなので、窓口でしばし次の呼び出しを待つ。
私たちが来た建物は「余所から働きに、あるいは勉強に来た人たち」の受付をする部署らしく、仕事を求める人たちの喧噪でごった返していた。
「おで、チカラ、つよい、にもつ、はこべる」
そう語る男性は、自分の背嚢すらまともに抱えきれず、地面に引きずっていた。
「邑に一隻しかない漁船が壊れちまってさあ!? 州庁がなんか補助とか補償とかしてくれるって聞いたんだけど!?」
あっちの人は漁師さんだろうか。
その割に全然、日焼けしてないけど。
「私が中書堂の州試験に落ちたのはなにかの間違いです。採点官の見当違いです。私を中書堂に入れまいとする組織の陰謀です。女が学を得て権力を握ることに抵抗する根強い勢力が社会の闇に存在しているのです。というわけですので合格通知を早くこの私に、どうか、どうか」
顔色の悪いお姉さんが、抑揚のない口調でブツブツ言っている。
そんな陰謀も組織もないので、顔を洗ってしっかり食べて、勉強をやり直せと言いたい。
というように、様々な事情のありそうな人たちが口々に自分の都合ばっかり並べて、お役人さんたちを閉口させていた。
もっともこの手の厄介さんは全体で見ればごく一部であり、多くのみなさんは明るく笑い合いながら、各々の仕事に関する情報を交換し合っている。
仕事を頼みたい人と仕事を探している人が自然にこの場所に集まるので、お役所を通す前に当事者同士で話を付けたりしているようだ。
「翠(すい)貴妃のご実家、角州(かくしゅう)もそうだったが、港街というのはやはり独特の活気があるな」
待っている間、ヒマなので人間観察をしている中、翔霏が感想を述べる。
「そうだねえ。司午(しご)本家がある斜羅(しゃら)の街はもう少しお行儀良いって言うか、騒いだり遊んだりするのにも秩序やお約束が存在するけど、ここはもっと解放的で混沌としてる感じ」
私の目にまだ見えないだけで、この街にもきっとこの街ならではの「定まった空気」はあるのだろう。
滞在している間にそんなものも掴むことができるだろうか。
「河旭(かきょく)からお越しの麗さん、紺(こん)さん。お待たせいたしました。担当の者から詳しい話があります」
楽しげに考えていたら私たちの名前が呼ばれ、別室へ案内された。
私たちが皇都から来たと聞いて、何人かが注目してこっちをじっと見ていた。
「役人を引退した学者の開いている塾、か」
説明を聞き終えた私と翔霏は州の政庁を離れ、地図で指定された別の場所へ向かっている。
私たちが教えを請うのは、個人が開いている私塾の一つだった。
腿州の農司門(のうしもん)という部署で働いていた年配の官僚さんで、引退後は地元の若者たちを集めて農業を勉強させたり、中書堂志望者の受験対策をしているらしい。
「でもこの場所、川の中州になってるよね? 舟じゃないと行けないのかな」
私は地図上に、目的地へ至る橋や道が描かれていないことに気付く。
この相浜(そうひん)の街は東京の有明エリアやニューヨークのように、川中の島、中洲だらけの地形なので、そのすべてにいちいち橋なんか架けていられないのだね。
「ま、そのあたりのことは地元の人間に聞いてみよう」
そう言うなり、翔霏は突然に後ろを振り向いて。
「なあ、道くらい知っているんだろう? なにか用があるならついでに聞いてやるぞ?」
建物の陰に隠れている人物に、声をかけた。
勘の良くない私でも気付いていました。
州庁舎を出たあたりから、誰かにずっと後を付けられていることを。
「あ、あう……」
「逃げても無駄だぞ。私は足が速いからな。ま、川に飛び込むなら追いかけはしないが」
「追いかけられない、の間違いではなくて? カナヅチの翔霏さん」
私の突っ込みはスルーされた。
観念したのか、隠れていた人物は気不味そうな顔で私たちの前に姿を現した。
二十代か、それより若いか。
それなりに体格のいい、まさに海の男という感じの、小麦色の肌を持った男性であった。
けれどなにより目を引いたのは。
「わ、金髪だ。昂国に来て初めて見たよ」
私が思わず漏らした通り、彼は黄金のように見事な輝きを持ったブロンドの頭髪を、後ろ流しに撫で付けていた。
眉毛の色まで薄いから、染めているわけではなく地毛なのだろう。
「流石に知らない土地、珍しいものにいくつも行き当たる。で、なにか用か?」
ずいと翔霏が詰め寄ると、目の前の金髪男子はあわあわと手で空中ろくろを回し始めた。
意識高そう。
「言葉が伝わらないか? それとも昂国(こうこく)の人間ではないのかな。あいにくだが私たちも南海の果ての言葉はわからんぞ」
「こ、言葉、わかる」
金髪青年はおずおずと答えた。
とりあえずコミュニケーションに支障はないようで、一安心。
翔霏は威圧するでもなく、かと言って優しくもない事務的な口調で質問を重ねた。
「なら聞くが、なぜ私たちを付け回している? あいにくと金持ちではないから、なにも御馳走してやれん。仮に金があったとしても、見ず知らずの他人に施しはしないがな」
正直なことを言えば、私たちには朝廷と椿珠さんという太いスポンサーがついているので、金銭的には今回の旅路、かなり余裕がある。
もちろんそんなこと知られても良いことはないので、なるべく質素な服装で普通の若者の姿で過ごしているけれど。
金髪くんはあうあう言いながら手と首を振り。
「ち、ちがう、物乞いじゃ、ない」
少し悲しそうな顔でそう返した。
いきなりタカり野郎扱いされれば、誰だって傷付くかもね。
けれど翔霏にそのあたりのデリカシーはないので、ずけずけとした尋問を続けるのだった。
「ならなにが目的だ? 女二人程度なら暇つぶしの悪戯相手にできるな、とでも思ったか? あいにくとその手の考えを持った愚かな連中は全員、今ごろは後悔の海に溺れている真っ最中だ。そいつらの仲間入りをしたいというなら」
「か、髪が」
言葉に割り込むように、青年が食い気味に被せて言った。
翔霏はなんのことかわからず、首を傾げる。
「髪がなんだと言うんだ、この髪になにか文句があるのか。今日も麗央那が早起きして頑張って編んでくれたんだ。言い分次第では容赦しな」
「と、とても、きれいだ! 長く、つやつやで、きれいに結われていて、す、すばらしく、すてき、だ!」
赤面しながら叫んだ金髪青年の言に、私、唖然。
いや、今日は街中を歩くからと、いつも以上に丁寧にしっかり翔霏の髪をキレイな三つ編みにしたので、それを褒められるのは嬉しい、すごく喜ばしいのだけれど。
そういう問題じゃないですね、うん。
翔霏も、呆然。
いきなり予想外の方向から慣れない攻撃を喰らい、さしもの翼州(よくしゅう)の地獄吹雪も今ばかりは大人しく、無風になった。
こういうとき、どんな顔をすればいいかわからないの、といった有様だ。
笑えばよろしかろうと、小生は愚考します。
けれど無言のままボッ立ちしていても相手に主導権を渡すだけだと気付いたのか、気を取り直して言葉を投げ返した。
「そ、それだけのことを言いに、女の尻を追いかけまわしていたのか? お前はよもや、変態というやつか?」
「ち、ち、ちがう! あ、あまりここらの道を、わかっていないようだったから、お、教えようと……」
要するに道案内系のナンパか。
相手の困っているポイントを突いて颯爽と助けたりする技は、古今東西問わず効果的ですからね。
下心があったとしても、善意は善意、善行は善行なので、私は案外それらの手段に対して否定的ではない。
相手が喜ぶことをする、それはコミュニケーションの王道ですから。
翔霏も少し難しい顔をしたのちに、手に持っている地図を相手が見えるように掲げて質問した。
「なら、この中洲に住んでいる『籍(せき)先生』という方の塾に行きたいんだが、どう行くかわかるか?」
「さ、三角州への行き方なら、みみ、南の岸から、筏(いかだ)が、行ったり来たりしてる。ち、小さい方の銀貨一枚で、渡れる。お、大潮のときは、筏のおっさんが出たがらないから、わ、渡れない」
少しどもっているのは緊張しているからではなく、もともとらしいな。
訥々と、けれど自信を覗かせて語る彼の言葉に、曖昧であやふやな点はない。
相手が素直に教えてくれるのも、翔霏にとってはやや想定外だったらしく。
「……どうする麗央那? こいつの言うことを信じて行ってみるか?」
「今はそれしかアテがないし、行ってみようよ。もし出鱈目だったらまた自分たちで調べ直そう。おかしな路地裏に連れて行かれないように気を付ければ大丈夫じゃないかな」
私の案に渋々ながら同意した翔霏。
謎の金髪くんに向かい、威嚇するようにぶんぶんと拳を縦に振り降ろしながら。
「ひとまずは、信じてやろう。お前が前を歩け。おかしな真似をしたら、ひどいぞ。わかってるな?」
刺々しく、そう命じた。
強がっている割に混乱しているのか、語彙力が低下していた。
ひとまずの信用を勝ち得た青年は、ここではじめて笑顔を見せて。
「ま、任せて。お、俺、名前、添(てん)。添、鶴灯(かくとう)。かか母ちゃんが南の、遠い国の生まれだから、こ、こんな頭、してる」
朗らかに、自己紹介を述べた。
挨拶は大事、泰学(たいがく)にもそう書いてある。
「私は麗。名前は央那だよ」
「翼州(よくしゅう)の紺(こん)だ」
私たちが名乗りを返すと、鶴灯くんは少しの驚きと疑問にぽかんとした表情を浮かべ。
「で、伝説の地獄吹雪と、同じ、名前、お、同じ州だ」
ついうっかり、触れてはならない禁忌を口走ってしまった。
「二度と私の前でその話をするな。明日の朝に白目を剥いて川に浮かぶことになる」
そのせいで翔霏から、純度100%の殺意を向けられてしまうのが、見ていてとても可哀想でした。
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