二百二十九話 南都の歓迎

 豪快な陽キャ、柴(さい)蛉斬(れいざん)からの誤解も解けて、目的地への川下りを続ける私たち。


「しなくていい運動をしたせいで腹が減った。なにかおやつはあったかな」


 落ち着きを取り戻した舟の上で、翔霏(しょうひ)が自分の持ち物を漁る。


「あ、小腹を埋めるのに丁度いいのがあるよ」


 私は砂糖たっぷりの腐りにくいお団子を準備していたことを思い出して、翔霏に手渡す。


「おお、ありがとう。美味そうだ。疲れたあとは甘いものに限る」


 にこやかに言っった翔霏。

 けれど、渡されたのを受け取り損ねて、ポロリと舟板の上に団子を落としてしまった。


「しょ、翔霏、その手……?」


 真っ赤に腫れて充血している翔霏の右腕。

 物を掴むことができないくらいに、プルプルと小刻みに震えていた。


「大丈夫だ、折れてはいない。あの馬鹿ぢからめ、たった一発防いだだけで、手の自由が持って行かれた」

「ああ、だから蹴りしか使えなかったンか」


 軽螢(けいけい)が納得したように言った。

 勝負の途中から翔霏は手をまったく使っておらず、足払いや蹴り技だけで蛉斬の猛攻を凌いでいたのだ。

 左手でお団子を拾い直し、ぱっぱと汚れを落とす翔霏。

 それを食べようとしたとき、ふとなにかに思い当たった顔をして、椿珠(ちんじゅ)さんをジト目で見て言った。


「あの大男に一服、盛っただろう。転んで立ち上がるときに、ホコリを落とす振りをして肩や手に触れていたな」

「おっと、気付かれたか」


 イタズラがばれてしまった子どものように、舌をペロンと出す椿珠さん。

 私たちが観戦している場所に蛉斬が突っ込んで来たとき、椿珠さんは起きるのを手伝ってあげて、体の汚れも払い落としてあげていた。


「まさか、痺れ薬ですか? あの一瞬で?」


 私が驚いて訊くと、フフンという感じのドヤ顔で椿珠さんは手に隠しているものを見せた。

 いや、なにも持っていないように見えるけれど。


「特注で作らせた極細の毛針だ。上手くやれば相手に痛みを感じさせずに、少量の毒をブチ込むことができる優れものだよ」


 説明する彼の手には、確かによく視ると髪の毛ほどの極めて細い針が握られ、風に揺られていた。


「あ、それであのデカい兄ちゃんも手が痺れちまったんか。汚いなさすが椿珠兄ちゃん汚い」

「……メェ~」


 軽螢とヤギくんは、そのあまりにもダーティーなプレイに抗議の気持ちがあるようだった。

 相手があんなに真っ正直に、真っ向から勝負を申し出ているのに、そのやり口はどうなんだろう、ということか。

 けれど椿珠さんには彼なりの理屈があるらしい。


「ただでさえ相手が有利な舟の上で、こっちは旅の進行までも人質に取られちまってるんだぞ。ズルいのは向こうなんだよ。こっちが多少仕掛けたところで、文句を言われる筋合いはないはずだ」


 その言葉に、しぶしぶ納得したような顔で翔霏も頷いた。


「あの大男、なにかおかしなことをされたのはおそらくわかっていただろう。それでも私たちの身分に怪しいところがなかったから、ゴネずに先を行かせてくれたわけだ。ああ見えて意外と考えているのかもな」

「次に会うことがあったら、ちゃんと謝らないとね」


 豪快なだけではなく度量の広さも見せてくれた、まさに快なるかな蛉斬。

 確かに半端じゃない強さだったけれど、翔霏も不利な条件を多く抱えていたため、両者の力量に優劣をつけるのは難しそうだ。

 そして椿珠さんは、まだ話していない彼の情報を私たちに言って聞かせた。


「あいつの本領は槍や薙刀なんかの、長物の類だ。素手の戦いって時点で、あいつにとっては手加減の範疇なのさ。お互いに底をまだ見せていないって意味でも、今回は引き分けの痛み分けってことだな」

「あのガタイで、武器まで達者に使えるんかよ? とんでもねえバケモンじゃんか」


 軽螢の驚いた声。

 やっと緊張と恐怖から解放された真面目そうな乗員のお兄さんが、私たちの会話を拾い小声で返す。


「南川(なんせん)に槍聖(そうせい)あり、武と侠に則り民を安らぐ。舟乗りの間では、有名なお方です」

「ふん、あいつもご大層な二つ名を貰っているわけだ。槍の聖仙か……」


 くくっと笑い。


「似合わん。ま、敵でなければなんだっていいがな、あいつのことなど」


 言い捨てて、翔霏は痺れていない左手でお団子をモリモリと食べていた。

 その後はトラブルもなく、舟は無事に腿州(たいしゅう)の都、相浜(そうひん)の街に到着した。

 着いたらまずは州の庁舎に寄って、留学生としての身分登録とかをしなきゃいけないはずなのだけれど。


「もう夕方だな。役所に行っても追い払われるぜ。適当に飯屋でも探そう」


 椿珠さんがそう言うので、私たちは宿のチェックインだけ済ませて荷物を預け、相浜の街を散策することにした。

 土と石で建物を造る河旭(かきょく)の街とは趣が大きく違って、木造建築物が非常に多い。

 道も狭く建物も密集しているので、火事が起きたら大変だなあと素朴な感想を抱いた。

 海も大河も近い街なので、頑張ればすぐに消火できそうだけれどね。

 なによりこの街は、運河による水上移動が非常に発達している。

 建物の隙間に蜘蛛の巣のように張り巡らされた水路とその上を優雅に進む小舟が、住民の移動手段として定着しているのだ。

 手頃な舟に乗り、繁華街を眺めて良さげな店を比較検討していたとき、軽螢が見慣れぬ看板を見つけて報告してきた。


「なんか『犬猫豚、及び東海の夷族(いぞく)お断り』って書いてる店が多いんだけど、どういう意味だあれ? ヤギは大丈夫なんかな?」

「メェ?」


 いや、ペットがダメなら多分、ヤギもダメなんじゃないかな……。

 と思う横で、椿珠さんが説明してくれた。


「相浜の街は大河と海が繋がる大きな港だからな。東海や南海の、異国の商人が舟で多く出入りするんだよ。東海の連中だけ入店禁止にする理由は、ちょっと俺にはわからんが」


 さすがの椿珠さんも、南部地域の最新情報までは正確に掴んでいないようだ。

 私たちはヤギも入れてくれる土間の店を見つけ、腰を落ち着けて食事とこれからの方針を確認する時間を取る。

 沼トカゲの塩釜香草焼きも食べられるそうで、早速注文した。


「全然臭くないな。身も厚くて食い応えがある。イワダヌキよりよっぽどいい」


 翔霏もすっかりご満悦だ。

 私も食べてみたけれど、正直言って鶏胸肉との違いがよくわからなかった。

 ま、美味しいからなんでもいいか!

 雑になんでも美味しく食べられる方が、人生楽しめるってもんさ!

 絶対に「俺ってばグルメだからさあ」とかほざく男とは結婚したくない女、麗央那であります。

 出されたモン黙ってニコニコして食えや!!


「ほー、白ぶどう酒に花を漬けたのか。やっぱり南部は花の国と言われるだけあって、花が食卓にも多く出て来るんだな。これは玉楊(ぎょくよう)のやつも喜ぶかもしれん」


 香り高い花のお酒をぐびぐび飲みながら、自称グルメの椿珠さんが手当たり次第に酒のつまみに手を伸ばす。

 一口飲んだだけで説明も聞かずに成分や製法がわかるってすごいな、どんな舌をしてるんだろう。

 結婚したらいちいち手料理をジャッジされて分析される毎日が続く、最悪のパターンが待ってるやつだ。


「野菜くず貰えてよかったな、ヤギ公」

「メエエエエェェ~~~!」


 ヤギも普段から食べている道端の雑草とは一味違う晩餐に在りつけて、ずいぶんとご機嫌である。

 軽螢は地元のこと以外ぶっちゃけよくわかっていないので、今食べている沼トカゲが本当にトカゲなのか、魚の一種なのか、どちらでもない未知のサムシングなのかすら気にしていないだろう。

 せっかく一生懸命に趣向を凝らしたものを作って夕食に出しても、違いに気付かずまったくわからない系男子ですね、間違いない。

 なに食べても「うん、ウマい」しか言わないやつ~~。

 私が「どう、美味しい?」って聞いたときは、3ワード以上を使ってコメント返せやああああ!


「麗央那、さっきから顔が険しいが、いったい今度はなにと戦ってるんだ?」


 くだらないことを考えすぎたせいで、翔霏に心配されてしまった。


「私が戦っている敵は、私を取り巻くすべての不自由、かな……」


 会ったこともない架空のダメ男を頭の中で想定して、勝手に腹を立てているだなんて、正直に言えるはずもない。


「自由のために戦うのは大事だな」


 なんだか翔霏は、良い方向に解釈してくれたようだ。

 ともあれ、その日の夕食も美味しく楽しく、店の雰囲気も明るく賑やかで、さすが南方の地は解放的だなあと感心していると。


「ちょーちょっちょっちょ、お客さん、困るよ~! 東海の人だろ? ご遠慮くださいって張り紙、わかんないかな?」


 店の入口で店員さんと、新しく来た客らしき集団が押し問答していた。


「オ、オカネ、アル!」

「メシ、クウ、アナタ、ツクル!」

「ヘッタ、ハラ、シヌ、ワタシ……」


 どうやら外国人らしく、言葉がたどたどしい。

 店員さんは譲るつもりはなく、入り口で通せんぼしながら言い放つ。


「ほかの店に行ってくれよ~。もっと裏路地に入れば、あんたたちでも入れる店があるからさ? あんたたちみたいなのを一度でも店に入れちまうと、評判ってもんがねえ」


 あくまで差別的な拒否姿勢を崩さない店員に、外国からの客たちはなおも食い下がる。


「カイゾク、チガウ、ワタシ!」

「コウコク、トモダチ!」

「コウテイヘイカ、バンザイ! バンザイ!」


 切実な声で訴えかける姿が、見ていてなんだか痛々しかった。

 

「入れてあげられないのかなあ。きっとここの美味しい料理が食べたくてはるばる来たんだよ」


 私の牧歌的な感想に、無表情を貫いて翔霏が忠告する。


「それは店の主人が決めることだ。私たちにはどうしようもないよ」


 うんうんと頷いて椿珠さんも続ける。


「東海の連中を排除するのにも、なにかしら理由なり事情があるんだろうからな。海賊がどうとか聞こえたし、明日にでもじっくり探ってみるさ」


 結局は店の奥から用心棒のような怖いお兄さんが出てきて、外国人客たちは追い払われた。


「へっ、いい気味だぜ」

「あんな連中がいたら、酒が不味くなっちまわあ」


 他の酔客も、店の対応を肯定していた。

 のんびりと食事を楽しみ終えて、宿に戻りさらに翌朝のこと。

 早起きからの散歩を終えた椿珠さんが、朝食の席で報告した。


「居酒屋の店番、殺されて水路に浮かんだらしい。俺たちがいた店の、東海の客を追っ払ってたあいつだよ。体中が滅多刺しだとさ」


 とんでもない街に来てしまったぞ、と私は背筋を寒くしたのだった。

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