二百二十八話 太陽の申し子

 デカい声を撒き散らし、ずっかずかと歩み寄って来た、精悍な大男。

 三十歳前後に見える、健康的に日焼けした快男児である。

 巨漢と言っても彼の体は痩せて引き締まっていて、まるでアメリカのバスケット選手を彷彿とさせる。


「本物の紺(こん)なら、数々の伝説が真実なら、俺っちとの勝負も受けてくれるんだろうな!? 北方無双、地獄吹雪の紺であるならば!!」

「その恥かしい呼び方をやめろ。地獄だの吹雪だのは知らん。そもそもあんたとやり合う理由が私にはない」


 クールに拒否する翔霏(しょうひ)を前にしても、柴(さい)蛉斬(れいざん)という男は豪快な笑みと、やたらデカい声による口上を止めなかった。


「お前たちを信用できない以上、俺っちは州公から頼まれている公務として、お前たちを足止めしなきゃならないからな! 書面通りにお前が本物の紺翔霏だとわかれば、すんなりここを通してやろうじゃないか!!」

「ふむ……」


 翔霏が周囲の様子を窺う。


「大兄(たいけい)、やる気だぜ……!?」

「広がれ広がれ、邪魔をしちゃあいけねえ、もっと端に寄れ」

「俺も前で見てえよぉ……」


 蛉斬の言葉に嘘はないようで、手下の男たちは私たちの舟の乗組員を穏便に解放し、格闘ができる程度の多少の空間を作った。

 タイマンに水を差すカス野郎は、この場にはいない、ということらしい。

 彼らなりの美学哲学があるのだろうな。


「それであんたが納得するなら、仕方がない。受けてやろう」


 翔霏は服の中に隠していた伸縮棍や小刀、目潰し用の砂利、その他暗器を私に預けて、蛉斬の前に立って構えた。

 やや後ろ重心気味のサウスポー構えで、上体も深く沈めている。

 これは翔霏にとっての「防御、回避重視」の構えであり、相手の実力がわからない現状では手堅い選択肢と言えるだろう。


「よっしゃ、そう来なくっちゃなあ! なら俺っちから行くぜェッ!!」


 蛉斬もアメフトや相撲のタックルのように姿勢を低くして、静かに待ち構える翔霏に。


「なっ?」


 その巨体から想像もできないような高速の突進を仕掛け、左の掌打、いわゆる突っ張りを放った。

 ばちぃん!! と肉を叩く音が響き渡り、かろうじて右腕でガードした翔霏の体が後方に吹っ飛ぶ。


「ウッソだろおい」

「メ、メエェ……?」


 翔霏がどれだけ以前と比べて弱ってしまったのかを知らない軽螢(けいけい)が、まずその初動を見て驚いた。

 いくら相手が強くて速くても、翔霏なら華麗に攻撃を躱しているはずだからね。


「やっぱりあの頃より、数段強くなってやがるか……」


 私と並んで観戦していた椿珠さんが、臍を噛んだような渋面で言った。


「前になにかあったって言ってましたけど、どんなことが?」


 私の質問に椿珠さんは、彼の若い頃の思い出を語って説明してくれた。


「俺がまだガキんちょだった十年ほど前かな。俺の実家が南方の金持ちたちを招いて、大宴会を開いたことがあったんだ。その客の一人が連れて来た地元の若い衆の中に、あの柴蛉斬もいたんだよ」

「さすがお金持ち、付き合い広いですね」


 国の北側で最も権勢を誇っていた豪商、環家(かんけ)である。

 遠い地域の名士を招いて社交界を開くくらいのことは、当然やっているだろう。


「酒の席でうちの親父どのが、やたらと馬鹿デカい若者だった蛉斬を見て面白がってな。うちの屋敷でも力自慢を雇っているんだが、ひとつ勝負させてみないか、と言いやがったのよ」

「ま、まさかそれって」


 私が知る、想像できる「環家に縁のある、力自慢の巨漢」は一人しかいない。


「そう、もちろん巌力(がんりき)のことだ。親父どのの言いつけとあっちゃ断れないからな。巌力は屋敷の中庭で蛉斬と相撲を取った」

「さすがに巌力さんなら、素手の取っ組み合いで負けはしなかったでしょう? あの蛉斬って人はかなりいい線まで喰らいついた、いい勝負をした、ということですか?」


 私の想定と周りから聞いた情報が確かなら、十年前と言うと巌力さんは十八歳前後。

 その頃からすでに大きくて牛のようにバカ強かったと、椿珠さんも玉楊(ぎょくよう)さんも証言している。

 蛉斬も似たような年頃の青年だったはずで、お互いに条件が十分なら巌力さんが負けることは有り得ない。

 しかし椿珠さんは首を振って、こう答えたのだ。


「立ち合い一発、さっき見せたような左の張り手を横っ面に喰らって、巌力は膝を突いちまった。後にも先にも、素手で巌力が他人に後れを取る姿なんて俺は見たことがない。屋敷の人間もみんな、目玉を剥いて驚いていたのをよく覚えてるよ」

「あの巌力さんが、たった一発で……!?」

 

 信じられない話を聞いてアホ面を下げている私に「しかしだな」と椿珠さんは補足した。


「そのときの巌力は元々、遠くから来てくれた客人に花を持たせるつもりだった。ある程度は相手の攻めをわざと受けて、良い勝負に見せかけながらも負けるつもりでいたんだ」

「なんだ、じゃあ負けたうちに入らないじゃん」


 片方だけがわざと負けるつもりでいることを、片八百長(かたやおちょう)と言ったりする。

 相手は事情を知らないので実力で勝ったと思い込み、喜んでくれるという、大人の社交術だね。

 スポーツやゲームの「接待プレイ」というものに近い。


「俺も一度はそう納得していた。しかしな、宴が終わって客が帰ったあと、巌力は俺と玉楊にだけ、本当のことを教えてくれた。最初の一発を喰らったのはわざとだった。その一発があまりに速く凄まじかったから、これ以上やっても勝てないだろうと巌力は思ったんだ。だからいち早く負けを認め、自分から勝負を終わらせたんだとな」

「それもそれである意味、巌力さんらしいと言うかなんと言うか。冷静な人ですからね」


 要するに「最初から本気じゃなかったけれど、舐めてかかって遊んでたら大怪我しそうだからいち早く切り上げた」という話である。

 あの巌力さんにそこまで思わせる、この蛉斬という男。


「避けてるばかりじゃあ勝負にならねえぞ!?」


 決して拳を握らず、単純な張り手だけの攻撃なのに。


「クッ、この暴れ馬め……!」


 あの翔霏が右へ左へと逃げ回り、防戦一方を余儀なくされている。

 呪いの余波で全盛期の力が出せないことはもちろんだけれど。


「揺れる舟の上というのがそもそも不慣れだし、もし川に落ちたらって考えちゃって動きが鈍ってるのかなあ」


 見守りながら、私は有り得そうな要素をコメントする。

 相手は舟乗り、舟の上はホームタウンだけれど、翔霏にとっては完全にアウェーだからね。

 まあ仮に落ちちゃっても、私が木製浮き輪を抱えて助けに飛び込んであげるけれど。


「ちぃっ、少しは大人しくしろ!」

「うおっとっとっと!?」


 なんて考えていたら、翔霏に足を引っかけられてバランスを崩した蛉斬が、つんのめって私たちの方に転がって来た。


「ははは! まるで追いかけっこだな! 俺っちが鬼か!?」


 陽キャ100%みたいな顔で、楽しそうに額の汗を光らせている。

 立ち上がる蛉斬の服に付いた土をぱんぱんと払ってあげながら、椿珠さんが声をかけた。


「相変わらず、身体だけ馬鹿デカいガキみたいなやつだね、お前さんは」


 どうやら十年前から、蛉斬の印象は変わっていないのだろう。


「んン!? どっかで会ったか!?」

「覚えてないならいいさ」


 ぽん、と椿珠さんに背中を押された蛉斬は、ふぅーと眺めの息吹を放って間合いと気合を整える。


「逃げ回ってるだけじゃあ、お前を本物の紺と認めてやるのは難しいなァ!?」

「抜かせ。ならお望み通り、目にもの見せてやろう」


 一段階、ギアを上げ直した翔霏も、先ほどより前傾姿勢で攻撃的な構えを取る。

 あ、ちょうどいいタイミングで、雲が舟の真上で威張っている太陽を隠しそうだ。

 一気に周囲の視界がどんよりと黒くなり、この場にいる全員の目がまだ光の増減に対応しきれていない、その瞬間。


「少々」

「痛いが」

「我慢しろよっ!!」


 空気を揺らし、三人に増えた翔霏が蛉斬に向かって猛然と走り寄る。


「う、うおおおおっ!?」


 バチバチィンッ!! と地上二人の翔霏が、まったく同時に蛉斬の両太腿にローキックを放ち。


「でぇぃやああっッ!!」


 相手のガードと意識を下方向に集中させたその隙を縫って、三人目の翔霏が上段、こめかみめがけて竜巻の如き飛び後ろ回し蹴りを炸裂させた!

 親分が攻撃を喰らい、周りの子分たちもどよめき立つ。


「な、なんだぁ今のは!?」

「こ、これが『翼州(よくしゅう)の地獄吹雪』なんかよォ……!?」


 やめろ、その単語を出すな、笑っちまうだろ!

 翔霏は白っぽい私服を選択することが多いので、なんか妙にマッチしてるかもと思っちゃうからマジでやめろ!


「チッ、その図体で、よく反応できるものだ……」


 見事なコンビネーションを決めて、分身を解く翔霏。

 しかし彼女の言葉通り、蛉斬は逞しい両腕を高く上げて、蹴りの威力をブロックしていたのだ。


「はっはっは! 今のは驚いたな! いったいどんな術を使ったのか、さっぱりわからん! いやあ天下は広い! はっははは!!」


 蹴られた足もまったく平気なようだ。


「まるで大木を蹴っているような感覚だ。舟板に足から根でも降ろしているのか?」

「俺たちは物心つく前から、舟に乗って生きているからな! 北のお嬢さんにはやりにくいか?」


 翔霏が驚くべき技を持つ使い手であることは十分に理解したはず。

 それでも蛉斬は勝負自体が楽しくなってしまったのか、まったく切り上げる気配もなく構え直す。

 開いた両手を前に出し、再び翔霏の体を捕えにかかろうと腰を落としてダッシュの勢いを付けようとした、そのとき。


「おや?」


 先ほど翔霏の回し蹴りをブロックした右腕が、かくんと力を失ったように下がった。

 詳しく観察すると、蛉斬の右腕、肘から先がプルプルと小刻みに震えている。

 かぁー、と悔しそうな笑顔を浮かべる蛉斬。


「受け損なっちまったか~、腕が痺れていけねえ。いやこれは参った! さすが噂に名高い地獄吹雪! 俺っちの熱情まで凍らせちまうとはな!!」


 素直に自分の負けを認め、翔霏を称えた。


「その呼び方を金輪際やめろ。聞いてる私が寒くなる」


 ガチで嫌がっている翔霏は、まったく嬉しくなさそうだった。


「いやいや、お前たちの人別帳(にんべつちょう)も舟の許可証も、どうやら間違いはないようだ。俺っちのワガママを聞いてくれて感謝するぜ、翼州の紺と、お仲間さんたち。ささ、どうぞ気兼ねなく旅の続きを楽しんでくんな」


 そう言って蛉斬率いる河川警邏隊らしき若者たちは、私たちの舟の拘束を解き、全員が丁重に一礼してきた。


「まさか、大兄から一本取っちまうとはな!」

「腿州に来たんなら、沼トカゲは食ってみろ。飛ぶぞ!?」

「お、俺の女房がもうすぐ赤ん坊を産むんだけどよォ、名前に『霏』の字を貰ってもいいかなァ!?」


 まるでアイドルのような扱いを一身に受ける翔霏。

 ちょっと思い込みが激しくて単細胞気味ではあるけれど、悪い人たちではないらしい。


「ワンワン! クゥ~ン?」

「メメェッ!?」


 お互いの舟が離れていく間中、犬とヤギが舟の縁に寄って、私たちにはわからない会話を繰り広げていた。


「勉強、頑張れよーーッ!!」


 そんなところからも声が届くのか、という遠い距離から、蛉斬の声が聞こえ、私たちを励ましていた。

 粗にして野だが、卑にあらず。

 まさにその言葉通りだった大きな男、柴(さい)蛉斬(れいざん)との出会いが、腿州(たいしゅう)の旅の始まりであり。

 私と彼らに関するこれからの、想像もしなかった因縁の端緒となるのであった。

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