⑨-9 フェルドでの決意②

 遠い目で空を見つめる。青々とした空は、まるで誰かの瞳のように青い。


「どこかで生きていて、笑っていてくれたら。俺はそれでいい」

「……アルブレヒト」

「だから、お前と同じなんだ。もうマリアのことで何も言わないよ」

「諦めるのか?」


 その言葉は、アルブレヒトが問おうとした言葉だった。それでも、親友は己のためにその言葉を紡いでいく。それはラダ族の紐に使われる、蝶の繭のように、一つ一つが丁寧に紡がれてゆく。

 レオポルトという男は、真面目な男である。


「諦めきれるのか?」


 重く圧し掛かる言葉。


「それでいいのか? その女も、それを望んでいるのか?」

「どうしたんだ。今日はやけに語るじゃないか」

「俺はお前に話している」


 レオポルトはティトーの入っていった建物をぼんやりと見つめる。そこには、マリアが居る。


「俺はそれでも構わない。自覚したのも最近だ。俺の運命に、彼女を巻き込みたくない。特に不安定な情勢なんだ。色恋沙汰に、うつつを抜かしている暇など無い」

「マリアならついてくるだろう」

「僕は、君の話をしている」


 レオポルトは眼帯を外し、その瞳で親友を見つめた。

 煌めきのあるルゼリアの重き血脈、青い瞳。そしてセシュールが民族、ラダ族である緑の瞳。


「それだけ長い間想っている相手を、お前は諦めきれていない。だから今もその銀時計を持っているのではないのか。焼き付いて離れないのだろう。その女のことが」


 レオポルトはその瞳を煌めかせる。心理を突いた言葉だ。アルブレヒトにとって、今一番の衝撃を与える言葉であった。

 レオポルトは迷っていない。自身の目的のためなら、マリアの事を諦められるとでも言わんばかりの決意だ。


「君は、その女が他の男に奪われても、なんとも思わないのか」


 それは悲しく、遠い瞳。

 

「お前は執念深い男だ。諦めきれない女のことを、何年も思い続けている癖に」

「……」

「いいか、アルブレヒト」


 レオポルトは瞳を閉じ、再びその瞳を輝かせる。


「今の僕に、その覚悟はない。僕は中途半端が嫌いだ。大戦や国の事を中途半端に、女にうつつを抜かそうとは思わない。僕には白鷺病のこともある。そう長く生きられないだろう。彼女を一人にしたくはないし、させるつもりもない。だから、その間に彼女が幸せを見つければ、喜んでその幸せを祝える。それに、彼女は僕を好きにはならないだろ」

「お前……」

「だが君は違う。君は僕じゃない」


 レオポルトはアルブレヒトの胸を軽く押した。アルブレヒトはその手を自身の手で受け止める。


「君は生きている。その女も生きているのだろう。共に生きたいと、もがき苦しんでいる。思わなければ、成るものも成らぬぞ。それが、セシュールの、ケーニヒスベルクの教えだ」


 レオポルトはそれだけ言うと、自身たちの休む建物へ入っていく。残された男は一人、遠いケーニヒスベルクへ背を向ける。

 そこには、エーディエグレスが聳え立ち、周囲の森が色濃く鬱蒼と岩山を守っている。まるで自身の心と同じだ。


「だから、ケーニヒスベルクは美しいんだな……」


 男はその呟きを一人で流すと、とある決意を秘めて瞳を閉じた。



 ――力なく項垂れる女性。

 ――冷たく、重く硬くなっていく身体。

 ――息など、とうに止まっていた。

 ――絶望が全身を包み、ズブズブと熱く重い沼へと引きずり込んでいく。



 ――――絶望の支配。自身への怒り、憤怒の覚醒。



 ふと、小さな声が聞こえる。


 ――「君は元に戻れる。だって、ボクをこんがり焼かなかった!」

 ――――「力のコントロールがわからなくて不安なんだろう? 大丈夫だ。ボクが教える。何度だって」

 ――――――「ほら、またボクを焼かなかった。これくらいの火傷、ボクにはどうってことないからね。大丈夫。ほら……」





「怖がらないで、自分を信じて、か――――」



 アルブレヒトは再び霊峰へ眼を向ける。青々と茂る緑に包まれた霊峰ケーニヒスベルク。王の山。

 かつて聖女は言った。王の山だなんて呼ばないで。それは、実に聖女らしい言葉だ。



「狐の涙、か。セシュールへ行ったら、読ませてもらおう」

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