⑨-8 フェルドでの決意①

 レオポルトは手を振る小さな妹を見送りながら、親友へ警告を入れる。その言葉で何かが変わるとは思っていない。アルブレヒトは自立した人間だ。レオポルトは親友として何か出来ないものか、ずっと模索していた。


 ティトーは心配そうに振り返ると、マリアたちに連れられて建物へ入っていった。名残惜しそうにその手を下ろし、兄は親友、アルブレヒトへ向かった。


「お前言ってたろ。過去に悲しい想いをさせた女の、形見のようなものだと」

「時計の町で、あいつが夜に外へ出てた時に交換していたことを謝って、元に戻したよ」

「そうだったのか」

「俺のは俺で持ってるよ」



 アルブレヒトは銀時計を取り出し、霊峰ケーニヒスベルクが遠く聳え立つのを見つめた。銀時計は、一つ寂しく輝いた。


「ティトーは気付いていたよ」

「それはそうだろうな。だが、その女性は君の想い人なんだろう。どうしてそんなことをした」

「…………」

「ティトーの持つ銀の懐中時計も、その女性と何か関係があるのか?」


 ケーニヒスベルク。それは常に遠くに聳え立ち、決して個人では手に入らぬ、美しい山脈。そんな山を欲しがった所で、手に入ることはない。


「そうだな。セシュールに着いたら、ルクヴァさんを交えて説明する。お前には聞いておいてもらいたい話だ」

「ラダ族に関係あるのか?」

「そういう事じゃなくて、ただ。友人の一人として、聞いて欲しいと思っている」

「そうか」


 レオポルトはアルブレヒトを見据える。重苦しい表情のアルブレヒトは、どこか遠い存在に感じる時が多い。それでも、友人と謳ってくれるのであれば、やれることは一つだ。


「友人だからって、全部話さなければいけないわけではない。話したくない事なら、無理に話さなくていい」


 それでも、親友を信じ続けられる友でありたい、と。


「レオ……。ありがとう。ただ、この話は聞いてもらいたいんだ。ルクヴァさんも、コルネリアさんも知ってる話だから」

「マリアは?」

「マリアは……、覚えてないだろうな。酷く昔の話なんだ」

「マリアは知っていたのか」

「そうだ。意外だったか?」


 レオポルトのため息は、何のためのため息なのか。野暮なことを思い浮かべ、そして消えていく。



「いや……。それより」

「なんだ?」



「お前の好みが、偉い年上だったってことか」

「同年代の女っていう発想はないのか」

「酷く昔に片思いした女なんだろ。読書が趣味で、ピアノが上手くて、料理が上手くて。その女、幾つの設定のつもりだったんだ?」

「んがが。ちょっと、レオポルトさん、あの……」


 アルブレヒトは赤面させると、慌てて訂正を入れようとした。だが、言葉が出て来ない。全ては親友へ話した真実だ。


「情緒が不安定だったのは病気のせいで、本当は愛らしく笑って心を掻っ攫う。あれは魔性だと言っていたが」

「ちょっとレオポルト様、それ以上は辞めていただけませんかね」

「そんな女が居ながら、よくお前はマリアと婚約出来たな」

「あー。お前なんだ。嫉妬か?」

「どうして君に嫉妬する必要がある」


 レオポルトは理解出来ないと肩をすくめた。仕方がない。

 アルブレヒトはもう正直にぶつけなければならない。二人の友人として。


「お前、マリアのこと好きだろ」

「だから、お前は……。マリアに失礼だと何度も」

「お前が一目惚れしてたのに気づかないとでも思ったのか?」

「なッ……」


 レオポルトは青白い肌であり、赤面させたところで、それは相手によく伝わらないだけだ。友人であるアルブレヒトはそれを感じ取りつつ、顔が真っ赤であろう友人へその言葉をぶつける。


「殺そうと近づいてきた女、暗殺しようとしてたやつがたまたま美人で、可愛いからってお前それはちょっと」

「…………」

「それこそ、お前はまじめだからな。見た目だけで惚れてしまったと罪悪感に苛まれ、実際の性格も割と良くて気に入って……。お前それはもう」

「馬鹿野郎! それ以上言ったら許さないぞ」

「お前もそういう顔するんだなあ。初めて見たぞ。あれか? 初恋か?」

「アルブレヒト……!」


 大笑いするアルブレヒトに、レオポルトもついに笑みが零れる。自覚がないのではないかと感じていたが、どうやら取り越し苦労であったようだ。安堵するとともに、二人の友人の仲を願わずにはいられない。


「マリアには、何も言わないで欲しい」

「そりゃ言わないが。どうしてだ」

「マリア嬢は、血筋を気にはしないだろう。それでも、俺は君の国を滅ぼしている」

「レオポルト、それは」

「頼む。俺はもう、そういう想いが出来ただけで十分だ。マリア嬢に、これ以上辛い役を負わせたくはない」


 諦めるのか。その言葉を投げかけることが出来ず、飲み込む。


「マリアが幸せでいてくれれば、それでいい」

「そうか……」

「……なんだ。言い返さないのか?」

「言い返してほしいのか」

「お前はどうなんだ。その女のことは」

「俺? 俺は…………」


 アルブレヒトは遠くを見つめる。そこには巨大な月の幻影があり、常に人々を眼下に見下ろしている。この月を何度、憎たらしいと思っただろうか。それでなくとも、月の幻影があるだけで胸が締め付けられるというのに。それは真実を知らない間から、ずっとだ。

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