④-9 バルカローラ①

 ウトウトする目をこすりながらティトーが目を覚ますと、目の前にはアンリだけが座っていた。火の番をしている。


「起きました」

「まだ寝て居なさい」

「でも……」

「顔を洗いに行くなら、ついていく」

「ありがとうございます。お願いできますか?」

「ああ」


 アンリはぶっきらぼうに立ち上がると、先になって茂みへ入っていった。ティトーは慌てて靴を履くと、よろけながらもアンリへ向かって走っていった。それでもアンリは歩きやすい道を選び、背の高い生い茂る草を踏みつけながら進んでいく。二人は川辺までやってくると、川へ手を差し出そうとした。


「それだと、水にさらわれる」


 アンリは川の端に腰から小さなスコップを取り出し、穴を掘った。少しずつ水を逃がしながら、水たまりを作り出した。


「もう少ししたら、水の濁りが収まる」

「ありがとうございます」

「なあ、ティトー」

「はい」


 ティトーは返事をしながら、顔を洗うために水に手を浸した。冷たい水が心地よく、全身にまで行き渡るようであった。


「エーテルの補充が必要か」

「え?」

「エーテルが足りていないのでは、ないのか」

「……ぼーっとするのは、エーテルが足りないせいですか」


 ティトーは力なく発すると、そのまま水に両手を浸した。アンリは無言のままその手を上から両手で、ティトーの手を覆いかぶせた。


「アンリさん、それじゃあ濡れちゃいます。いえ、もう濡れてますけど……」


 アンリのエーテルが、ティトーへ流れ込んできた。心地よく、暖かく、そして緑と青と茶のエーテルが、ティトーへと流れ込んでゆく。


 ティトーがゆっくりと呼吸したのを見ると、アンリはゆっくりと手を離した。ティトーは嬉しそうに笑いながら、アンリへ微笑み返した。その表情が、夢にまで見た母の微笑みであった事を悟られないよう、アンリは目を閉じた。


「大丈夫なら、顔を洗いなさい」

「は、はい。アンリさん」


 顔を洗い、ハンカチを取り出そうとする少年に、アンリは自らのタオルを差し出した。柔らかな布地には、金色の刺繍が入っている。


「兄さんでいい」

「はい、兄さん……」

「転ぶといけない」


 ティトーへ手を差し伸べたアンリは、優しく微笑んだ。


 ティトーがタオルを手渡すべきか、手を繋ぐべきか悩んでいると、アンリは声を上げて笑った。


「右手にタオルを持ち、左手でティトーと手を繋げばどうだ、解決しないか」

「それでは、お兄さまは剣を。帯剣を抜くことが出来ません」

「なんだ、ティトーはそんな事を気にしていたのか」

「気にしますよ! 魔物、出てくるかもしれないです!」

「いいか、ティトー。俺を」


 アンリはティトーから手を離すと、近くの葉っぱを千切り、タオルと共に空へと舞い上げた。そして、剣を抜き取ると舞い落ちていた葉っぱだけを切った。静かに、音も無かったのだ。一瞬だったのだ。瞬きしていれば見えなかったであろう。そして、何事もなかったかのように、タオルを剣で収まった鞘で受け取った。剣をもう収めていたのだ。


「舐めてもらっては困るな。一応、迅速と呼ばれた身だ」

「はわわわ! 兄さま、カッコイイ!」

「当然だろう。ティトーの、兄だからな」


 ティトーはアンリの足元をギュッと抱きしめると、そのまま顔を埋めた。泣いているわけではないものの、嬉しさのあまり顔をすぐには上げられなかった。

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