④-2 ちいさな花との出会い②

 グリットは頷きながら、すぐに自身の銀時計を取り出したのだ。


「少年、名は?」


 青年は帯剣から手を離すと、そのまま剣を近くの卓上へ晒した。


「怖いんだろう。まあこの距離なら、直ぐに抜けるんだが」

「ひいい」

「脅かすなよ。ほら、名前名乗って……」

「あ、はい。あの」


 ティトーは尻餅をついていたため、起き上がると改めて男へ向き直った。痩せ細っているのは少年だけではなく、目の前の男もそうだ。そして、左眼から覗くのは緑の美しい瞳だ。


「ぼくは、ティトー。です。ネリネ歴947年6月14日生まれです」

「947年…………。6歳か」

「はい」

「お前、947年頃に何があったのか、知っているか」


 間髪入れずに青年は聞き返したが、少年は分からない様子で首をかしげると、思案へ入った。


「知らないなら、いい」

「ごめんなさい」


 ティトーはしょんぼりとして俯き、眼を潤ませた。その様子に怯んだ男だったが、それでも牽制の姿勢は崩さない。


「なあ。その辺でやめてやってくれ。兄の事も、何も聞かされていないそうなんだ」

「よくそんな不確かな情報で、俺を呼んだな。グリット」

「………………お前も、名を名乗れよ」


 青年はティトーを睨みつけたが、ティトーは俯いたまま瞳に涙を貯め、必死で零れないように耐えていた。


「名乗っても偽名だが、それでも構わないか。まだお前を信用したわけじゃない」


 ティトーはこくんと頷いた。その拍子に、頬を涙が伝う。


「んぐ……。悪かった、ああもう泣くな。事情があり、俺もこいつも本名を名乗ることができないんだ。子供なら尚更、間違えて呼ぶこともあるだろう」

「俺も、本名は教えていない。黙っていて悪かったな」


 グリットは屈むとティトーを抱きしめるように、腕を回した。ティトーは嗚咽を上げながら、胸に顔を埋めた。グリットの猫癖毛をしっかり掴みながら、とうとう泣いてしまった。。


「ううん。本当のお名前じゃないの、そうじゃ、ないかなって。思っていたから」

「そうか。ごめんな」

「…………きっと、ぼくの名前も、ぼくのじゃないの」

「そうだな。コルネリアさんが、与えた名前だもんな。きっと親御さんが付けた名があるよ」


 ティトーは力強く頷くと、銀時計を男へ向け差し出した。


「手に取って、見てもらっても構いません……。本当に、これしか、ないんです」

「見てもわからん」

「おい……」


 そっぽを向いてしまった男に、ついにティトーは銀時計を引っ込めてしまった。力なく、両腕が垂れ下がる。


「アンリだ。アンリ・チェイニー」

「! あ、あんり、さん」

「………………アンリ。えらいぞ!」


 ばちん!と大きな音が鳴り、屈んでいたグリットがアルビノの男・アンリに引っ叩かれた。少年の眼には叩く瞬間も叩き終わる瞬間も、腕が動く様子もちゃんと見えなかった。それほど早く、一瞬であった。

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