③-2 その知識を得た先に②

 翌朝の朝日を眺めつつ、グリットは微かに煌めく星々を眺めていた。そして、その空の下に大きく大地を眺める月の幻影。そして、霊峰ケーニヒスベルク。月がケーニヒスベルクに迫る勢いで膨張しているなど、誰も気付かない。


「寝れたのか?」


 先ほどからあった気配が声を発する。寝ぐせを直しながら大旦那が現れた。薄暗い夜明けは大旦那の朝仕事の時間を知らせている。


「ああ。ありがとう。眠れたよ」

「浅い眠りだな」


 大旦那は夜遅くまで、グリットの部屋の照っていたのを知っている。グリットは眠そうに目をこすると、頬を軽く叩いて眠気を覚まそうとしているようだった。それでも表情は明るく、顔色も以前より良くなっていた。


「今日、立つのか」

「ああ。予定より長く居座ってしまったな」

「何、良いってことよ」


 大旦那は煙草を吸おうとマッチを擦ろうとしたが、グリットが手をかざしたため、マッチを胸ポケットへしまい込んだ。そして煙草は音を立てて燃えあがり、灯った。


「なんだよ、珍しいな」

「着火魔法は便利だろ。火種がなくても、燃えるものがあればいける」

「怖い怖い、とんだ火事野郎だ」

「さすがに何かを燃やせば魔法憲兵が黙ってないさ」

「あのタウ族構成員、五月蠅いんだよな」


 あのタウ族構成員とは、食堂を出入りしているアイツの事である。人望がありながら、豪快な男は次期タウ族族長になるだろう。

 頷きながらグリットが屈むと、大旦那は屈みながら煙草を差し出したが、グリットは首を横に振った。恐らく一度も吸ったことが無いだろう。


「煙草はもう吸わないのか」

「やめてくれ、何時の話だよ。……今は飴玉の方が好みだな」


 乾いた笑いを控えめに繰り出すと、大旦那は調理場へ入っていった。すぐに入れ替わりで女将が水を汲みに来るが、横にはティトーが並んでいた。



「おはようです!」


 ティトーは声高らかに挨拶をすると、女将が笑いながら挨拶を重ねた。


「おはよう、グリット。眠れたの?」


 ティトーはニコニコしながら、水桶を握っている。まだ朝方の6時だが、ティトーの身支度は完璧だった。恐らく起き出したティトーの身支度を女将が手伝ったのだろう。


「水汲み、マスターしてくるです! セシュールの井戸も使いこなしてみせるよ!」

「ああ、頑張ってな」

「朝ごはんまでに、せめて寝ぐせ直しなさいよ」


 女将の言葉に、大旦那は笑いをこらえずに大笑いしたが、グリットは慌てて自室へ戻ると服だけ着替えたのだった。出発の時間まで、残りわずかだ。



🔷



「ティトーちゃん、忘れ物は無い? 全部持った?」

「ばっちりです! おかみさん、ありがとう! 緑と白のリボンすごいかわいい!」


 ティトーは真新しいリュックにリボンを結んでもらうと、大切な荷物を背負い、グリットの横へ並んだ。食堂の前の食事配布が始まる前の朝7時、早めの出立である。


「ティトー、気を付けるんだぞ。必ずお兄さんに会えるからな。諦めるなよ」

「うん! おじさんも、可愛い素敵な女将さんと仲良くね!」

「言いたいことは一つあるが、後半は褒められたセリフだ! 達者でな!」

「じゃあ、二人とも。またな」


 出迎えの二人と固い握手を交わすと、コッソリ物陰から眺めて号泣しているタウ族を背に、二人は旅立った。とはいえ、8時から始まる露店街で買い物をしてからの出発だ。ティトーの願いのため、噴水広場の近くの民家までやってくると、グリットは家の扉をノックした。


「すみません、いらっしゃいますか」

「おへんじないね。留守かな。井戸のところ、いなかったけど」

「おや。井戸に並んでた、坊やじゃないか。お隣さんなら、昨日ルゼリア領へ向かったよ。新しい羽織が出来たとかで。用事かい」


 隣から子供連れの母親が声を掛けてきた。母親はくたびれた服を着ているが、子供たちはセシュールの織物と刺繍が施された自慢の服を着こんでいる。猫の刺繍が入っているため、猫を守護獣に崇めるマヌ族のものだろう。


 母親と手を繋いでいた子供は、グリットを見るや否や母親の後ろへ隠れてしまった。


「こらこら。失礼だろう」

「ごめんな。俺が怖いんだろう」

「そんな。復興事業の担い手さんだろう。ほら、やめなさい」

「いや、怖いなら無理はしないでもらって。復興事業の振りをして、良からぬ連中が町に入り込んでいるみたいですし」


 グリットはティトーの手を握りながら、ティトーの様子を見たが、ティトーはグリットを安心させようと微笑んだ。


「こちらの方は留守なんですね」


 屈みながらティトーの頭を撫でつつ、小さな家へ視線を移す。子供たちはそんな様子のグリットを見て、少し前へ出てきた。指しゃぶりをする事もは、ティトーのケープを指さしている。


「ああ、ケープはお隣さんの作ったものだったのか。知り合いならそう言ってくれたらよかったのに」

「俺は知り合いではなかったので面識もなくて。修繕のお願いも受けてくださったとかで、お礼を伝えたかったのですが」

「あーそれは入違ったね。羽織を届けに出かけたばっかりなのよ。一週間くらいは帰れないんじゃないかね」

「あ~そうか、検問か」

「検問?」


 ティトーが訪ねると、グリットではなく子供の母親が答えてくれた。


「セシュールからルゼリア領へ渡る人はね、三日目に通過許可が下りるんだよ」

「み、三日!?」

「報告があがって荷物検査だろう。二日目で問題が無ければ申請が通って、三日目に降りるんだ。面倒なことこの上ないよ。行って帰って来るだけで、一週間かかるんだ」

「商人も足止めですからね。ルゼリアからの商人なら、そんなことはないんだからな」


 母親だけでなく、子供たちまでもが母親を真似て頷いた。


「まあ、戦後だからね。じゃあ私らは水汲みさ。またね、ぼくちゃん」

「またね、教えてくれてありがとう!」

「ありがとうございます。足元気を付けて」

「……ばいばい」


 母親に促され子供が手を振ると、ティトーも振り返した。ティトーは残念そうにい絵を眺めると、家の前に置いてあった椅子を撫でた。


「パイ、ダメにしちゃったから。謝りたかったの」

「そうか」

「羽織のお礼もね、言いたかったの」

「また今度来よう、な」

「うん」


 ティトーはブラウスに仕立て直してもらい、刺繍の美しいベストを着ている。そのベストは、羽織のリベイク品だ。ボロボロに引き裂かれたものを、女将がこの家の主に頼み込み、修繕してもらったのだ。


 ティトーは一度だけ、民家を振り返った。名残惜しそうに見つめながら、手を繋ぐ手をしっかりと握り返した。


 旅をするために、再び修繕しリベイクされたのがベストを着たティトーは誇らしげに歩きだした。魔法耐性も毒耐性も施されているため、女性は地属性を持っていると思われる。良い使い手であるとグリットは感じていた。


 グリットとティトーはそれぞれ家へ一礼すると、露店街へ向かった。

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