①-2 では、ひとつのやくそくを②

 宿の窓を開けると、暖かな風が部屋に流れ込んできた。セシュールの風の心地よさは大陸一である。何故なら、彼らにとって最も尊い存在である霊峰ケーニヒスベルクから流れてくるものが、風であるからだ。この風はセシュールの大半を占める山脈、ケーニヒスベルクが浄化し、大地に降り注がれる。


「本当に良く晴れたな」


 男はだらだらとつぎはぎのある服に着替えると、いつも通り鏡に映る自身の姿を確認する。


「うーん。年齢的にも、ぎりぎり若者と言えるような風貌だな。これで立派な髭こそ蓄えていれば……。おっさんだな」


 それなりに年齢を重ねたようにも見える、曖昧な境界。自らの高身長や恵まれた体格もそれらを後押ししているだろう。

 無理なく納得できる素材だったことについては、感謝するしかないだろう。報酬の為ならどんな依頼も受けるような、流れの傭兵の完成である。


 窓を閉めると、部屋を出る前にもう一度鏡を見る。本日も問題なく、この町に溶け込めるだろう。この風体でなければ、部屋から出ることもかなわない。


「今日はいつになく完璧だな」


 うんうんと頷くと、自信たっぷりに部屋を出る。かなり遅い出勤であるため、当然主人がいれば、御得意の絶対零度視線を浴びせられるであろう。だが主人はここにはいない。


 その主人との合流の為に、情報を仕入れ終える必要がある。

 せめて主人には穏かな日々を過ごして欲しい。自身に出来ることがあれば、どんな事でもすると決めた。



 🔷


 知り合いの経営しているこの宿屋は、木材の香りがよく、全体的に程よく古めかしい。大戦のあった戦場からは一番遠いはずのこの街は、他国からのならず者によって、無残な状態になっていた。ギシギシと鳴る階段を修繕したのは、誰だったか。


 宿屋の一階は食堂だ。昼時の店内は、いかにも力自慢のある男達で溢れている。彼らは大戦後の復興事業の担い手だ。集められた労働者や、便利屋を称する冒険者にとって、この食堂は大切な場所であった。長い冬季、そして春の長雨で遅れていた大戦復興は、彼らに重くのしかかってしまった。


 大国ルゼリアのある、ルゼリア大陸。その大陸の北西、山岳地域一帯がセシュールだ。かつてこのセシュール国が大国の属国だったなど、もはや誰も信じないであろう。比較的に小さなこの町はセシュールにとって重要な拠点である。それはこの町を出て数キロ南に進むだけで、大国との国境があるからだ。



 男は食堂の空いているテーブルを探した。いつも座る、入口から一番遠い席はまだ埋まっているようだ。ホールで接客をしている女将と目が合った。女将は、慌てて傍のテーブルを片付け始めた。女将からの冷たい視線を浴びながら、男は主人を思い浮かべた。


 案内された席は、カウンターに程近い、窓からは一番離れたテーブルだ。急かしたわけではないのだが、遅れてきて席が空いてないと訴えているように見られたのであろう。


 女将は男の前髪を指さし、首を振った。男の猫癖毛は、いまだ前髪で自由にしていたようだ。慌てて前髪を直していると、女将が席までやってきた。


「や、やぁ女将、おはよう。今日は良い天気になったね。…………昼食をもらえるかな」


 会話しながら目が泳いでいく男に対し、女将はため息をついた。


「昼食ねぇ。朝食と云ったら、締め出すところよ」

「…………こわいこわい」


 男はうなだれた。数年前までは少々ふくよかな女将だったが、今は痩せてしまっている。

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