第11話
部屋へと戻る。
鈴ママにはもう何度頭を下げたことか。ごちそうさまから始まって、一歩歩く度に「美味しかったです! めっちゃ美味しかったです!」と感謝の気持ちを伝えていた。
鬱陶しいかな。鬱陶しいかもしれないな。
と、今更になって反省する。
「三川さん」
「あいあい」
「もしかしてだけどさ」
さっきまでなにを突っかかってこなかったのに、部屋に戻って一息吐いたところで突然鈴は声をかけてきた。
なんとなく。理由はわからないけど、嫌な予感がした。過ぎる。
思わず警戒して身構えてしまう。
中身が変わっていることがバレたのかもと不安になりながら。
「うん」
と、頷き次の言葉を待つ。
来て欲しいような、来て欲しくないような。
二方向の矢印が交差する。
「三川さんさ、嫌いだよねーナス」
なにを言い出すかと思えばそんなことだった。
キョトンとしてしまう。
拍子抜け、だ。
もっと重たいことを覚悟していたので、軽すぎて笑ってしまう。ふわふわ飛んでいきそう。
「嫌いだね、ナス」
「やっぱー。すごい顔してたもん、ナス食べる時」
「ほんと?」
バレないように意識していたつもりではあったのだが、バレていたらしい。
「ほんとほんとー! だって、こーんな顔してたもん」
ニッと白い歯を出して、もがくような演技をする。
どうやらそうやって食べていたらしい。誇張し過ぎでは? そんなの最早化け物じゃん。
「というか、バレてたかな。嫌いなの」
「うーん、どうだろ」
唇に指を当てて数秒後黙ってから「わかんなーい」と声をあげた。
「でも良いんじゃない嫌いでも――」
「南陽さんはトマト大っ嫌いだもんねー」
弱みを握られたまってのはなんとなく癪だったので仕返し。
「そうだけどー……って、なんで知ってんの!」
「まぁそういう顔してるし」
「そういう顔ってどういう顔」
珍しくまとも過ぎるツッコミを入れられた。
その設定つけたの私だし……とは言えないのでその説明になってない設定で勘弁して欲しい。
「なんで嫌いなの?」
追いかけられても困るのでさっさと逃げる。
「うーん、あれだってさぷにぷにしてるし、ばちーんって口の中で弾けるし。食感が嫌。ゼリーみたいじゃん。ゼリーじゃないのに」
「あれが美味しいんじゃないの?」
ふるふふと激しく首を横に振る。
本当に嫌いなんだね、トマト。
この設定をつけた深い意味はない。なんとなく「トマトが嫌いな女の子って可愛いかも」って思ったのが理由だ。というか、ネットで「鈴ってトマト嫌いそう」という書き込みを見つけて逆輸入した。
まぁこの設定のせいでケチャップとか作ってる会社とリアれてはコラボできなくなっちゃったんだけどね。編集さんが「トマトは嫌いだけどケチャップは食べられる設定にしましょう」とか言っていたのが懐かしい。編集さんも色々大変なんだなぁと思いながら、その設定加えることなく完結させちゃったけどね。
というか、好き嫌いなんてどうでも良い。
嫌いなものは嫌いだし、好きなものは好き。それで良いんだから。
そんなことよりももっと重要なことがある。
「さっき私のこと下の名前で呼ばなかった?」
食卓で、サラッと鈴は私の名前を言ったような気がした。
こちらとしてもしっかりと意識していたわけじゃないので、聞き間違えじゃない? と言われればそうかも……納得せざるを得ない。
確証はない。かもしれない。その程度。あまり自信はないのだ。
でも言っていたような気がする。
小さいようで大きな一歩だ。わかるのならばだが。
「ん、言ったけど」
「やっぱり!」
なにか不味い? みたいな反応だ。
そりゃそうか。
私にとっちゃ重要過ぎる話だが、彼女にとっては当たり前の一ページに過ぎない。
むしろなんでこんな大袈裟な反応をしているのだろうか、と不思議に思っているはず。ゴホン、良くないね。興奮し過ぎた。
「下の名前で呼んでくれるの……すごい嬉しかった」
とりあえず興奮していたことに正当性を持たせたい。
ただ興奮していたんじゃヤバい奴だからね。
鈴はふーんという反応をしてから、ニヤニヤし始める。
「それで? それで?」
彼女は楽しそうに微笑みながら、ベッドで頬杖を突く。
その笑みの裏にはなにがあるのだろうと、少し考え込んでしまう。
ただの笑み。そうだと言われればそうなのかもしれないと納得するしかないんだけど。
でも南陽鈴という人間を作りだした私の脳みそには言葉にし難い違和感が駆け巡る。
わからないのでどうしようもないが。
「名前さ、もう一回呼んで欲しいなって」
もう良いか。なんだって。
私の知っている鈴は敵になることはない。味方だ。
誰の味方とかではない。
全員の味方だ。
「えー」
悪魔のように笑顔を見せる。いいや、悪魔じゃないか。小悪魔かな。
イタズラっぽさの中にも可愛らしさがどうしても残ってしまう。それが南陽鈴という世界的なヒロインだ。理想的で、優しくて、時折抜けていて、それですべてを包み込むように可愛くて。
「日菜ちゃん」
私の名前。
心にすとんと落ちる。
結構普通の名前。珍しさの欠片もない。
だからだろうか。心に落ちたその名前は雪が解けるように心の壁に染み込んで消えていく。
それが妙に心地良い。
「うん、良いかも」
私は三川日菜。
なんの取り柄もない、普通の女子高生だ。
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