第9話

 リビングらしき部屋へと招かれる。というか連れてこられた。もっと詳細かつ鮮明で正しい表現をするのなら引き摺られた、になる。

 部屋に入って一番目が奪われるのは大きなテレビ。何インチ……とかは見ただけではわからない。見る人が見ればわかるのかもしれないが、私はそこまで詳しくないし。でもデカイ。自分の身体だけでは表現できないほどの大きさ。大きすぎて、夕方のニュース番組所々画質荒かったりする。映画とか観たら気になりそう。

 そんな大きなテレビの向かいにあるのはこれまた大きなソファ。四人が腰掛けても十分スペースが取れそうな大きさだ。

 そしてテレビとソファの間にあるテーブル。ダイニングテーブルというには小さいが、ちゃぶ台というには大きい。なんというか絶妙な大きさである。

 ソファのすぐ後ろにはカウンターがある。細いカウンターを挟んだ向かいにはキッチンがあって、そちらに目を向けると背の高い女性と目が合った。


 「おじゃましてます」


 彼女に見覚えがあった私はすぐさま頭を下げる。


 「いらっしゃい。とくになにもないけれど、ゆっくりしていってね」


 じゃーっという水道の音に紛れながら、彼女はそう私に声をかけた。


 「はい、ありがとうございます」


 言葉を受け取った私はまた頭を下げる。

 そのやり取りを見ていた鈴は不思議そうに首を傾げた。


 「知り合い?」

 「違うよ」

 「でもなんか知り合いっぽい会話だった」


 純粋な表情。

 まぁ少し油断していたのかもしれない。


 「鈴ー。こういうのはね、人として当然のことなのよ」

 「人として当然のこと?」

 「そ、知らない人に対して『この人知らないし……』って適当な態度をとるのは失礼なことだから。警戒していても心の奥に隠すべきだし、失礼な態度をとらないようにって意識するのも必要ね」

 「そうなの?」

 「そうよ。そうすれば第一印象良くなるわ」

 「なるほどー」


 鈴はおーっと感嘆の声を漏らす。

 完璧に手懐けられているなぁなんて思う。

 でも当然か。

 だってこの人は鈴の母親なわけだし。

 容姿だけ見れば、年の離れた姉妹に見えるけど。親子である。

 リアれてに主要キャラクターとしてではないものの、時折出てくるからね。


 「紹介遅れたわね」


 蛇口を捻った彼女はタオルで手を拭きながら、こちらへとやってくる。


 「鈴の母親よ」

 「どうも、お世話になります。三川です」


 三回目のぺこり。


 「成り行きで来ちゃったのでお菓子とかなにも用意できてなくて申し訳ないです」

 「そんなの気にしなくて良いのよ。高校生なんだし。なんだか色々大変そうだしね。自分の家だと思ってゆっくりしていきなさい」

 「は、はい。ありがとうございます」

 「それよりも嫌いなものある?」

 「嫌いなもの……ですか」

 「そう。晩御飯用意しちゃったから、苦手なものあるなら除いておこうかなと思ってね」

 「そういうことですか……」


 言われて悩む。

 私として嫌いなものは結構あるのだが、三川としてはどうなのだろうか。

 この舌は三川が持っていたものなわけで、好きな味とか嫌いな味とかそういうのって絶対に変化しているはず。

 ただ現状じゃわからない。

 お昼だって購買にあった無難なおにぎりを食べただけだし。


 「特にないです。なんでも食べられます!」

 「気遣ってない?」

 「大丈夫です。セロリとかもペロッと食べちゃうくらい好き嫌いないので」


 と、答える。

 わかんないけど、多分大丈夫だろうという達観。

 それに鈴ママはめっちゃ料理が上手という設定持ち。

 例え苦手な料理が出てきたとしても、全く食べられない……なんていう申し訳ないオチにはならないはず。


 「そう、それなら良かったわ」


 仮に嫌いなものがあっても言えるわけねぇーよなぁなんて思いながら、洗面所で手洗いうがいをして、鈴の部屋を案内してもらったのだった。

 部屋の扉を開ける。オープン・ザ・ドア。

 私の視界に入ってくるのはごくごく普通の部屋。モデルルームとかへ見学に行くと展示されているような。そんな在り来りな個室。敢えて言葉を選ばないなら面白味のない部屋。

 女の子らしさというのは一切ないが、清潔感はあって、自分の家じゃないのにホッとする。

 ベッドにちょこんとおかれている大きめなイルカの人形が可愛らしい。抱き枕みたい……というか抱き枕なのかな。

 ちょっとよれよれで部屋の雰囲気的にもミスマッチというか、異彩を放っている。


 「あ、それ気になる?」


 私の視線に気付いたのか、彼女は若干照れくさそうにえへへと笑う。


 「イルカだけ古そうだなぁって」

 「古そうじゃなくて古いんだよ」

 「やっぱそうなんだ」

 「うん。小さい頃に買ってもらったやつだから。いつ買ってもらったのかさえわからないくらい小さい頃にね」

 「物心つく前ってやつだ」

 「そーそれ! 三川さんむずかしー言葉知ってるよね」

 「え、難しい……かな?」


 基準がわからない。

 今ので難しいなら世の中の言葉ぜんぶ難しい認定されちゃうんじゃない? そんなんで現代文点数取れてるのかな。不安だ。

 というか、それよりも私はこのイルカを知らない。

 自分の作ったキャラクターなのに……。まぁそういうこともあるか。


 「イルカ好きなの?」

 「好きだよー。水族館のイルカショーとかすごいじゃん」


 やっぱり彼女は根本的な語彙力が欠如している。女子高校生らしいっちゃらしいけど。

 女子高校生という生き物は「やばー」「すごー」「神じゃん」「泣いたわ」だいたいこの四つで会話を成り立たせている。

 ある意味私たちより頭が良いのかもしれない。

 人の心を読むという行為一点に関しては。


 「ちっちゃい頃に買ってもらってからずっと一緒に寝てるの」

 「一緒じゃないと寝れないとか」

 「ってことはないけどー。でもやっぱり安心はするよね」


 私は知らないけど。

 でも彼女の性格をしっかりと象徴するものかなぁとも思う。


 「大事なんだね、それ」

 「うん、とっても」


 鈴の表情はとても明るい。

 天衣無縫さを表情だけで表していて、心の中にある闇が光に変わっていく。

 まぁうん、シンプルな言葉を選ぶなら可愛い。これに尽きる。


 「二人ともご飯できたわよー」

 「はーい」


 危なく浄化……なんなら成仏するところだった。

 良かった。本当に危なかったわ。

 このタイミングで鈴ママに呼ばれなかったらマジで笑顔に殺されるところだった。

 一回死んでるからこそわかる。あ、これ、死ぬやつだ……ってね。

 部屋にぽつんと置いてかれた私はとてとてと鈴を追いかけた。

 リビングに顔を出す。

 机に並ぶ夕食たち。

 一般家庭の晩御飯という感じでとても感動してしまう。

 ここ最近はずっとコンビニ弁当か、ドラックストアで買ったパンたちだった。

 明らかに不健康だなぁと頭では理解していても、自炊する気力はないのでそうなってしまう。家には自炊しようー! と意気込んで一人暮らしの時に買った調味料とキッチン用品の数々はあるんだけどね。あるだけ。

 だから、こうやってなにもせずに手料理が出てくる。

 それほどに感動することはない。

 と、同時にこれってとんでもなく幸せなことなんだよなぁと思う。

 鈴は当たり前みたいな顔をしている。実際問題彼女にとってはそれが当たり前なのだろう。子供なんてそんなもん。独り立ちしてから初めてそのありがたさに気付くのだ。

 こうやって偉そうにあれこれ語っている私もその一人なわけだし。


 「豪勢ですね」

 「あら、三川ちゃんはお世辞が上手ね」

 「み、みかわちゃん……」

 「あら、嫌だったかしら。ごめんなさいね」

 「あ、いえ、大丈夫です。突然だったのでビックリしただけで」

 「そう?」


 心配そうにこちらを見つめる鈴ママ。私はこくこくと頷くと安堵したのか優しく息を吐く。


 「本当に豪勢ですよ」


 と、改めて褒める。

 お茶碗に盛られている白米。その付け合せの肉じゃが。緑の野菜も忘れずにと言わんばかりにキャベツを千切りにして、名もわからぬ細々とした野菜が入ったサラダ。それだけじゃない。日本人の王道、味噌汁もあるのだ。


 「そう? ふつーの夜ご飯って感じじゃない?」


 鈴はこてんと首を傾げる。

 お箸を持って、ぱしんと手を叩き、いただきまーす! と威勢良い声を出す。

 それから白米に手をつけ、口に運び、頬が蕩けそうなほど美味しそうな表情を浮べる。口内に唾液が溜まる。そんな顔されたら早く食べたくなってしまう。


 「普通が難しいんだよ。とても」

 「どーゆーこと?」

 「なんでもない」


 私も座って、箸を手に持つ。


 「本当にいただいちゃって良いんですか?」


 向かいにいる鈴ママへ再度確認。

 まぁここまできてやっぱりダメとか言われたらそれこそ困るんだけど。


 「沢山食べてちょうだい。おかわりもあるわよ」

 「ほんとですか」

 「ママ張り切ってんね」

 「鈴が友達連れてくるなんて珍しいしね。張り切っちゃうわよ」


 えへんと鈴ママはドヤ顔を浮かべた。

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