第1話

 えーっと、はい。

 私は死にました。自殺ってやつです。


 私が生きることで家族に迷惑をかける。それだけはどうしても避けたかった。だから死んだ。自分で自分の命を絶った。まぁ良いでしょ。世間もそれを望んでいたわけだし。結果オーライ。私は家族を守れて、世間は喜ぶ。これを世の中ではウィンウィンという。


 死に場所は色々迷った。樹海の奥深くとか、電車に飛び込むとか。結局は自宅で首吊りを選んでしまったが。早く死にたかったから。仕方ない。


 それはさておき、なぜか意識がある。

 もう一度言おう。

 なぜか意識がある。


 ここは天国なのだろうか。 いや、自死なわけだし地獄落ちか。親孝行する前に死んでしまったし。せめて親孝行はしとくんだったなと今更になって後悔してしまう。

 地獄で私のことをぶっ叩いていた奴らを待つことにしよう。もっとも天国ないし地獄であるとは限らないのだが。視界は暗く、視覚以外の感覚もまともに機能していない。真っ暗闇な密室にぽつんと置いてかれたような感覚。


 なんなんだこれは……と現状況を把握しようとすると同時に雪解けするみたいに五感が現れていく。


 「――」


 聴覚。


 喧騒とした感覚が鼓膜を震わせ、全身に伝わる。


 その騒がしさを言語化することはできない。私の語彙力のなさは関係ない。純枠に聞き取れないだけ。



 視覚。


 瞼を貫通して光を感じられる。


くただ瞼を開くだけの力がないようで瞼の奥になにが見えるのか。そこまでは不明。



 触覚。


 手のひらに走るひんやりとした感触。


 フローリングのように滑らかな手触り。つーっと手を動かすとその感覚は突然失われる。触っていた対象が消滅する。来た道を戻れば感覚は復活する。そこそこの大きさのなにかを触っているらしい。もっとも触覚だけじゃそれがなにかまでは判断できない。



 嗅覚。


 この香りは……なに? ラ・フランスかな。うーん、香水っぽい。


 決してキツイ匂いじゃないんだけど、ちょっと執拗さは否めない。なんというか香水初心者が沢山付けちゃったみたいな感じ。



 味覚。


 何も食べていない現状で、んなもんはない。



 まぁ冗談はおいておいて、真面目な話、どうやら私は死んでいないらしい。五感なんて死んでたら働かないと思うから。

 絶対にそうとは言えないけど。天国とか地獄で五感が働くってイメージはない。

 言ってしまえば偏見だ。

 とりあえず自死は失敗に終わった。

 なるほど、つまりここは病院ってわけか。にしては騒がしいような気もするが。

 ふむふむ……ん、わからん。

 さらに身体の感覚は冴え渡っていく。

 重かった瞼も徐々に自由が効き、靄がかかったようだった聴覚も使えるようになってきた。


 「メソポタミア文明とはティグリス川とユーフラテス川流域に誕生した人類の歴史上最古の文明であると言われており――」


 聞こえてくるのは世界史の内容だった。


 視覚情報として入ってくるのも黒板。黒板みたいなものじゃなくて黒板。

 これじゃあまるで教室で授業を受けているみたい……てか、状況的にはそうであると言わざるを得ない。

 黒板の前に立ってチョークを持つ年配の男、学校の机と椅子がずらっと並びそれに座って授業を受ける少年少女。

 雰囲気は懐かしさを纏っている。

 数年前まで当たり前だったこの空気感。大人になってからは味わうことのできない独特の雰囲気。

 やっぱりどう考えてもこれは学校だ。


 「なにこれ……」


 少し考えてみたが、答えは見つからない。謎に謎が折り重なるだけ。

 走馬灯ってやつだろうか。

 死ぬから私の中で一番記憶に残っているものが夢のように蘇っている。

 ただ頬を引っ張ったらしっかりと痛みが伴うので現実だ。

 夢でもなければ、幻覚でもない。意味がわからない。これなら夢とか幻覚であってくれた方が色々と受け入れやすかった。

 これじゃあさ、まるで高校生時代にタイムスリップしたみたいじゃん。でも、世界史の授業をしている教師は初めましてだし、窓の外も見知らぬ風景が広がっている。こんな教室知らない、私。隣の席に至ってはなぜか空席だし。机の上には教科書がある。荷物も脇にかかっている。休みというわけじゃない多分。

 これらの少ない情報から推察するに、私の高校生時代に戻ってきたという線は考えにくいなぁってところ。

 だから意味わかんないんだよなー。

 なんだこれ。マジで。

 驚きや恐怖、不安よりも困惑が勝った。



 意味がわからない。

 そういう状況は休み時間で一気に解消されることとなった。

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