「石亭」余話②―佯降

 「石亭の戦い」の契機になった、周魴の「偽降」(佯降)であるが、これを信じて、敗北を喫した故に、曹休には愚將という印象があり、それが彼への評価にも影響しているかに見える。

 しかし、都督と刺史について見た際に引いた滿寵傳の記述の様に、曹休の事例を熟知していた筈の王淩も孫布の「詐」によって、「步騎七百人」の過半を失っている。同傳を今一度引用すれば、以下の如くである。


 其明年、、辭云:「道遠不能自致、乞兵見迎。」刺史王淩騰布書、請兵馬迎之。寵以爲必詐、不與兵、而爲淩作報書曰:「知識邪正、欲避禍就順、去暴歸道、甚相嘉尚。今欲遣兵相迎、然計兵少則不足相衛、多則事必遠聞。且先密計以成本志、臨時節度其宜。」寵會被書當入朝、敕留府長史:「若淩欲往迎、勿與兵也。」。初、寵與淩共事不平、淩支黨毀寵疲老悖謬、故明帝召之。既至、體氣康彊、見而遣還。(滿寵傳)


 同様の事例は他に、少なくとも四例確認できる。


 景元二年、襄陽太守表、基被詔、當因此震蕩江表。基疑其詐、馳驛陳狀。且曰:「嘉平以來、累有內難、當今之務、在于鎮安社稷、綏寧百姓、未宜動眾以求外利。」文王報書曰:「凡處事者、多曲相從順、鮮能確然共盡理實。誠感忠愛、每見規示、輒敬依來指。」。(王基傳)


 是歲(赤烏十年)。權出涂中、遂至高山、潛軍以待之。退。(吳主傳引『江表傳』)


 嘉禾六年、簿。城外有溪水、去城一里所、廣三十餘丈、深者八九尺、淺者半之、諸軍勒兵渡去、桓自斷後。時廬江太守李膺整嚴兵騎、欲須諸軍半渡、因迫擊之。及見桓節蓋在後、卒不敢出、其見憚如此。(朱桓傳)


 (赤烏)十三年、。異表呈欽書、因陳其偽、不可便迎。權詔曰:「方今北土未一、欽云欲歸命、宜且迎之。若嫌其有譎者、但當設計網以羅之、盛重兵以防之耳。」、與異并力、至北界、。(朱異傳)


 これ等の事例のうち、実際に被害があったのは、滿寵傳の王淩のみで、曹休の事例は数少ない成功例と言える。しかし、事前に「詐」を見抜いていたのは、滿寵と王基、そして朱異(朱桓子)であるが、滿寵は王淩の独断、朱異は孫權の詔によって兵を派遣している。諸葛誕や、朱桓と全琮も被害こそ出していないが、誘い出されてはいる。

 これは、「偽降」の策が有効で、その真偽を見抜く事の困難さを示している。殊に、朱桓・全琮、そして朱異に「迎」を命じた孫權は、王淩と同様に曹休の事例に関わっているにも拘らず、「降」を信じている、或いは、否定しきれないでいる。また、諸葛誕が同じ都督揚州諸軍事であった曹休、「石亭の戦い」について、無知であったとは考え難い。

 従って、周魴の降伏を信じた曹休の情勢判断が格別に甘かったという事にはならない。むしろ、曹休の判断力を鈍らせる程に周魴の「書」が周到で、情勢に合致していたという事である。


 ところで、曹休以外に被害を出している王淩の事例であるが、滿寵傳の記述は「詐」を見抜いていた滿寵の見識を称揚する内容となっている。だが、考え様によっては、結果論であったと言えるかもしれない。

 と言うのも、王淩が独断で派遣したのは、「一督將步騎七百人」でしかない。曹休の「步騎十萬」には遠く及ばず、朱異と呂據の「督二萬人」と比べても遥かに少数の兵である。

 滿寵傳では「將」とされるのみの孫布が如何なる人物であったかは不明だが、吳主傳では「中郎將」とある。

 吳における「中郎將」の地位は一概には言えず、詳細も措くが、郡を「領」する(孫奐・孫承・孫韶など)、或いは、数千規模の兵を擁する(顧承・步闡・駱統など)、又は、山越などの討伐に従事する(吾粲・賀齊・呂岱など)、など一定程度の軍事力を有した將を云う。

 孫布も、少なくとも「一督將步騎七百人」を上回る兵力を有していたと思われる。従って、孫布には油断しているであろう「步騎七百人」を討つ事は容易であったであろう。

 一方で、真実、孫布に降伏の意思があった場合、「步騎七百人」というのは護衛として少数に過ぎ、名も記されない「一督將」の出迎えは期待度の低さとも言える。つまり、「一督將步騎七百人」を見て、孫布が意志を違えた、という可能性も考えられ、逆に、単独でその軍を撃破する事も容易である。

 この際、孫權に対しては誘き寄せ迎撃したと報告する事ができる。従って、孫布の降は「詐」ではなく、滿寵の措置が結果的にその事態を招いたという可能性もある。


 因みに、吳主傳では、以下の如く、王淩自身が出向き、吳も孫權自ら「以大兵潛伏」していたが、王淩が察知して退却した事になっている。


 。冬十月、權以大兵潛伏於阜陵俟之、。(吳主傳)


 この記述に従えば、孫布の「詐降」は事実であり、滿寵の洞察力の正しさを証明する事になるが、計略を仕掛けた側の吳が戦果を得られなかった事を記し、「詐」を見抜いていた筈の魏が王淩の独断とは言え、被害を出した事を記すという奇妙な事になっている。

 これは滿寵の見識を強調する一方で、王淩の不見識を示す意図からと思われ、これまで見てきた滿寵傳の記述に関する問題の一つと言える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る