「石亭」関連史料考④
太和二年に関わる部分は既に述べた通りであるが、滿寵傳には他にも細かな疑問が散在している。例えば、先に挙げた「屯新野」に関連する記述である。
文帝即王位、遷揚武將軍。破吳於江陵有功、更拜伏波將軍、屯新野。大軍南征、到精湖、寵帥諸軍在前、與賊隔水相對。寵敕諸將曰:「今夕風甚猛、賊必來燒軍、宜爲其備。」諸軍皆警。夜半、賊果遣十部伏夜來燒、寵掩擊破之、進封南鄉侯。黃初三年、假寵節鉞。五年、拜前將軍。
「文帝即王位」は曹操の死を受けて、曹丕が「魏王」となった建安二十五年(三月改元延康)(220)二月であり、同年六月に「辛亥、治兵于東郊、庚午、遂南征。」と確かに「南征」は行われている。
だが、この「南征」は七月に「孫權遣使奉獻」があった事もあり、同月に譙(豫州)、十月に曲蠡(豫州)に至っているが、同地の繁陽亭で「禪代」が執り行われ、実質沙汰已みになっている。つまり、「南征」の実は無く、「大軍……到精湖」という事は確認できない。
また、その前段の「破吳於江陵」なる戦闘も記録には見えない。但し、こちらは曹仁傳に「(文帝)即王位……孫權遣將陳邵據襄陽、詔仁討之。」、曹休傳に「文帝即王位、……孫權遣將屯歷陽、休到、擊破之、又別遣兵渡江、燒賊蕪湖營數千家。」と見える同年中かと思われる戦闘と関連があるだろう。
「大軍」が至ったという「精湖」は蔣済傳に「車駕幸廣陵、……車駕即發。還到精湖、水稍盡、盡留船付濟。」と見えるが、これは黄初六年十月「行幸廣陵故城、臨江觀兵、戎卒十餘萬、旌旗數百里。」の際である。しかも、文帝紀は「是歲大寒、水道冰、舟不得入江、乃引還。」と続けており、やはり戦闘は行われていない。
以下の記述が「三年」とあるので、この戦闘は黄初二年とも考えられるが、同年には「南征」は見えず、しかも、同年の後半は劉備の「伐吳」が行われており、名目上は孫權が魏に降っているので、「南征」が行われる事はない。
地理的に言えば、滿寵が太守である筈の汝南は豫州、吳を破った江陵は荊州中部、屯した新野は荊州北部、「南征」に従って赴いた精湖は徐州と、転戦していたにしても広範囲に亘っている。
従って、この黄初初頭の滿寵の活動は他の記録からの裏付けが全く取れず、虚偽とまでは言えなくとも信用性を欠く記事という事になる。
太和三年(229)以降に、滿寵は都督揚州諸軍事と為り、曹休の後任として魏東南方の鎮撫を担う事になるのだが、青龍元年(233)に上疏して、合肥が吳の攻撃を受け易い一方で、壽春から遠く、救援するのが困難であるとして、「西三十里」に「新城」を築く事を求め、許されている。
なお、この事は吳志の黄龍二年(230)正月条に「魏作合肥新城」として見えるが、これは、おそらく魏の青龍二年を吳の黄龍二年と誤ったもので、二年(234)正月に「新城」が成った事を云うのだろう。
続けて滿寵傳は同年(青龍元年)中に孫權が「欲圍新城」とするも敗退した事を記し、更に以下の如く続ける。
明年、權自將號十萬、至合肥新城。寵馳往赴、募壯士數十人、折松爲炬、灌以麻油、從上風放火、燒賊攻具、射殺權弟子孫泰。賊於是引退。
この「明年」は青龍二年(234)、吳の嘉禾三年であり、明帝紀の五月条に「孫權入居巢湖口、向合肥新城、又遣將陸議・孫韶各將萬餘人入淮・沔。」、吳志も同じく五月条に「權遣陸遜・諸葛瑾等屯江夏・沔口、孫韶・張承等向廣陵・淮陽、權率大眾圍合肥新城。」とある記事に当たる。ここで、滿寵は合肥新城の救援に赴き、「壯士數十人」を募って吳軍を火攻めにして、撤退させている。
ところが、明帝紀の記述によると、六月に滿寵は「拔新城守、致賊壽春」と、防御の為に築いた筈の合肥新城すら放棄して、壽春で抗戦する事を請うている。対して、明帝は許さず、「敕諸將堅守、吾將自往征之、比至、恐權走也」として、七月に「親御龍舟東征」している。
そして、孫權は新城を攻めるも抜けず、「帝軍未至數百里」に遁走している。吳志も「(明帝)自率水軍東征。未至壽春、權退還、孫韶亦罷。」と同様の記述をしている。ここに滿寵の関与は見えない。ただ、孫泰はこの時に戦死しているので、滿寵傳に見える戦闘はあったのだろうが、瑣末事としての扱いしか受けていない。
その瑣末な功績を取り上げ、明帝紀に見える滿寵の消極性が記されないのは、紀と傳の性質の違いというものではある。ただ、この違いは、滿寵傳の信頼性に係わるものではないとは言え、同傳が滿寵の功績を顕揚する方向で記述されている事の証左と言えるのではないか。
これ等の疑問点は個々では他に類例もあり、殊更問題視する必要はないのかも知れない。しかし、滿寵傳の場合、問題が多岐に亘っており、編纂の不備が顕著である。その背後に何らかの作為の影響があると考える。
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