曹休考③

 曹休は周魴の降服をどの様に見ていたのであろうか。無論、それに応じて、「深入」せんとしているのだから、基本的には信用していた筈である。ただ、問題としたいのは、何ゆえ、そう判断したのか、何を根拠としたのかである。


 周魴傳では「魴初建密計時、頻有郎官奉詔詰問諸事、魴乃詣部郡門下、因下髮謝、故休聞之、不復疑慮。」と、当時、周魴が譴責を受け、「下髮」して謝罪しており、曹休がそれを聞いていた故に疑わなかったとする。これは吳の側の情報であり、事が単純化されているが、一つの要因ではあろう。

 なお、『三國志演義』(嘉靖本)に於いては、「曹休兵臨皖城、周魴來迎、逕到曹休帳下。」と、皖に至った曹休を周魴が「來迎」しており、その際、歸服の真偽を疑われた周魴は二度に亘り「自刎」せんとし、更に「魴乃用劍割髮擲於地」と、落髪してその「忠心」を示している。しかし、周魴が曹休に見えた事自体が虛構であり、曹休が欺かれた事を強調する為の演出である。


 曹休が周魴の上書に至る事情を知っていたという事は、彼が吳の現状を正確に把握していたとも言え、その情報の下に判断を下したと考えられる。

 その吳の状況であるが、周魴の「書三」では、「魴所代故太守廣陵王靖、往者亦以郡民爲變、以見譴責、靖勤自陳釋、而終不解、因立密計、欲北歸命、不幸事露、誅及嬰孩。」と、周魴の前任者である王靖がやはり譴責を受けて、魏に歸せんとした事が露見し、誅殺されたとある。当然、曹休はこれも把握しており、情報が一致した故に信用したと考えられる。

 また、曹休傳には「吳將審悳屯皖、休擊破之、斬悳首、吳將韓綜・翟丹等前後率眾詣休降。」とあり、他ならぬ曹休が吳將審悳を皖に撃破した事で、韓綜・翟丹等が相次いで降ったとある。審悳の撃破は黃初七年(226)八月に「征東大將軍曹休又破其別將於尋陽」とある記事を云うと見られ、韓綜・翟丹については吳主傳黄武六年(227)条に「韓當子綜以其眾降魏」、同七年(228)条に引く『江表傳』に「是歲將軍翟丹叛如魏」とある。賈逵傳にも「太和二年」の直前に「吳將張嬰・王崇率眾降」と、経緯などは不明だが、吳將の來降が記されている。


 更に言えば、廬江の対岸、周魴が太守たる鄱陽郡では、彼自身もその鎮圧に係わった「鄱陽賊彭綺」が黄武四年(225)十二月に「自稱將軍、攻沒諸縣、眾數萬人」となり、同六年(227)正月に平定されるまで、一年余りに亘って抵抗を続けている。

 当に、文帝崩御から太和二年(228)に至る期間の事であり、『江表傳』には続けて「權恐諸將畏罪而亡」ともあり、賈逵傳に云う「北方之虞」無き様とは裏腹に、吳から魏への「亡」が相次いでおり、その内部に統制の乱れがあった事が窺える。曹休は、この投降・叛乱の相次ぐ様を、吳侵攻の好機と見て、周魴の來降に乗じて、それを果たさんとした、と考える。

 なお、曹休が審悳を撃破した事で、皖を奪還していた可能性もあるが、是儀傳(吳書十七)に「黄武中、遣儀之皖就將軍劉邵、欲誘致曹休。」とあり、皖には「將軍劉邵」が入っている。

 同傳が「休到、大破之」と続く事からすれば、これは太和二年の時点を云うと見られ、劉邵は審悳の後任だったのだろう。つまり、曹休は会戦で審悳を撃破したのみで、皖の攻略は行わずに撤退していたのではないか。


 この吳や周魴に対する認識は、洛陽の朝廷、明帝周辺でもある程度一致していたと考えられ、為ればこそ、曹休の上表により、「伐吳」の戦略が変更されたと言える。

 実際のところ、周魴の「偽降」を懸念する言は全く見えない。危惧されているのは、賈逵が「逵度賊無東關之備、必并軍於皖。休深入與賊戰、必敗。」とし、蔣濟が「深入虜地」する事を「未見其利」とする様に、曹休が「深入」する事であり、滿寵傳にも「寵表未報、休遂深入。」と、曹休が「深入」した事が問題とされている。

 この他、孫禮傳(魏書二十四)にも、「從大司馬曹休征吳於夾石、禮諫以爲不可深入、不從而敗。」と、琅邪太守孫禮が「深入」すべきでないと諫めたが、曹休は従わず敗れたとある。

 何れも、周魴の降服の真偽は問題とされていない。曹休の権勢故に、異論が憚られたという可能性もあるが、結果的に偽りであった事が判明しているのだから、事後的に言及があってもおかしくはない。

 降服が真実であろうが、偽りであろうが、吳軍の迎撃を受けるという点に変わりはない故に、問題とされていないとも考えられるが、その場合、曹休や朝廷でもある程度は織り込み済みであり、その故に、賈逵への「合進」が指令されたとも言える。

 その点で言えば、賈逵の「休深く入り賊と戰ふ、必ず敗れん」は、彼が合流しない事、曹休が皖に先行している事を前提としており、自らへの「合進」の指令が何ゆえ出されたかに対する認識が不可解である。


 ところで、曹休は何ゆえ、自ら「深入」したのであろうか。

 周魴は「書三」にて「若し明使君 萬兵を以て皖從り南して江渚にむかはば……以て内應を爲さん」と、曹休自身が「江渚」に至る事を望んでいるが、本来であれば、必ずしも彼自身がそれを為す必要は無く、麾下の將を派遣しても良い筈である。にも拘わらず、曹休自らが赴いたのは、「征吳」に対する思い入れが強かった故と想像される。

 曹休は吳への滞在経験があり、曹丕の下で「征吳」に從事してきており、魏に於いて先に吳を討つべきとする、先吳派とでも言うべきものの筆頭であったと考えられる。そして、幼時から親しく、その思いを共にしていたであろう曹丕が四十という年齢で早世した事で、言わばその遺志を継ぐといった意味合いもあったと思われる。

 なお、曹丕が賈詡に対して「吾欲伐不從命以一天下、吳・蜀何先」と問い、賈詡が「未見萬全之勢」なる故に「今宜先文後武」、今は武事を控えるべき、乃ち何れを討つのも時期尚早であると応えた事が賈詡傳(魏書十)に見える。

 当然ながら、曹丕はこの応えに満足せず、「征吳」に傾注しているが、それを果たせていない。これは、賈詡の云う「萬全」に欠けるものがある事を証しているとも言える。


 一方で、「征吳」への思い入れは他の諸將に共通していたとは言えない。董昭傳(魏書十四)に、黃初三年(222)の征吳に於いて、曹休が「願將銳卒虎步江南、因敵取資、事必克捷。若其無臣、不須爲念」と、自ら渡江せんとして、文帝の詔によって止められた事が見える。

 この際、董昭は「今者渡江、人情所難、就休有此志、勢不獨行、當須諸將。臧霸等既富且貴、無復他望、但欲終其天年、保守祿祚而已、何肯乘危自投死地、以求徼倖」と、臧霸等の「諸將」が、危地に臨む事を願わないだろうとして、いざ「敕渡之詔」が出ても、遅疑して進まないだろうとしている。

 そして、後に暴風によって吳軍が營下に吹き寄せられ、溺死、或いは斬獲される者、數千となるも、「詔敕諸軍促渡。軍未時進、賊救船遂至。」と、その時になって、渡江を促されたが、機を逸して果たせなかったと云う。

 吳主傳には「曹休使臧霸以輕船五百・敢死萬人襲攻徐陵、燒攻城車、殺略數千人。將軍全琮・徐盛追斬魏將尹盧、殺獲數百。」と、曹休が臧霸を渡江させているが、全琮・徐盛によって、その將尹盧が斬られたとある。

 諸將の遅滞によって、速やかに救援を送り込めなかった、或いは、「徼倖」を求めない臧霸が早々に撤退してしまったとも考えられる。

 何れにせよ、「諸將」の中には積極的な「征吳」を望まぬものも多く、曹休としては黃初三年とは陣容が異なるにせよ、余人に当たらせて、吳征服の好機を逸する事を危惧し、自ら事に当たらんとしたのではないか。


 また、当然ながら、功名心の類いもあったであろう。曹操ですら果たし得なかった吳の制圧を成し遂げるというのは、抗いがたい誘惑であっただろう。

 そして、この太和二年の年頭には「街亭の戦い」にて、諸葛亮の「北伐」が撃退されており、直接には街亭にて蜀將馬謖を撃破した張郃の功績だが、諸軍を督してその迎撃に当たったのは大將軍曹眞である。

 曹眞は「收養與諸子同、使與文帝共止」、「使將虎豹騎」、「領中領軍」と、曹休とよく似た経歴を有しており、大將軍は形式的には大司馬に次ぐが、事実上、同格である。

 曹休にとって曹眞は、無視し得ない、対抗心を抱くべき存在であったと思われる。その曹眞が守禦の功を挙げたところで、それを上回る外征の功を望むのは自然な心情とも言える。


 更に言えば、司馬懿がその戦いの前哨戦とも言うべき、孟達の討伐に於いて「神速」とされる用兵を見せている。この司馬懿の鮮やかすぎる手並みに対しても、曹休は対抗心と共に、警戒の念を抱いたのではないか。

 夏侯尚の死後に司馬懿が荊州の軍権を掌握したのは、本来、それを担うべき宗室曹氏や準宗室とも言うべき夏侯氏に適任者が不在であったという一面もある。

 曹休の子肇や、曹眞の子である曹爽は、その官歴からして、嘉平六年(254)に「時年四十六」で刑死する、乃ち建安十四年(209)生まれの夏侯玄(夏侯尚子)と同年輩で、やや年長としても、太和年間(227~233)には二十代前半と見られる。曹休が子等の経験不足を危惧し、己の代で吳征服を決定付けようとしたとも想像される。


 以上から、推測も多いが、曹休には「征吳」に逸るべき事由が多く、吳がそれをどこまで見越していたのかは不明だが、結果的に見事に功を奏す事となったと考える。

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