「伐吳」の計④
曹休上表後の詔、乃ち魏軍の戦略に変更があった時点で、各軍が何処にいたのかは確定できないが、その後に必要とされる里程などを鑑みると、朝廷と各軍の間に互いの位置、状況に関する齟齬があったかに見える。
この齟齬に関連して、先に保留した蔣濟傳(魏書十四)について見ておきたい。同傳の関連部分は以下の如くである。
大司馬曹休帥軍向皖、濟表以爲「深入虜地、與權精兵對、而朱然等在上流、乘休後、臣未見其利也。」軍至皖、吳出兵安陸、濟又上疏曰:「今賊示形於西、必欲并兵圖東、宜急詔諸軍往救之。」會休軍已敗、盡棄器仗輜重退還。吳欲塞夾石、遇救兵至、是以官軍得不沒。
事の経緯だけを見れば、大司馬曹休が皖へ向い、その軍が皖に至ると、吳は安陸に兵を出した。曹休が敗走すると、吳は夾石を塞ごうとしたが、
ただ、「遇救兵至」というのは、滿寵傳にも「會朱靈等從後來斷道、與賊相遇。」とあるが、偶発的な遭遇を思わせ、「及夾石之敗、微逵、休軍幾無救也。」と、賈逵の救援を強調する賈逵傳の記述とはそぐわない印象を受ける。
だが、ここで問題としたいのは、蔣濟の認識についてである。「吳出兵安陸」以降の上疏については、吳が「西」(安陸)に兵を出したのは、「東」、曹休迎撃に総力を挙げる為の陽動であるから、速やかに救援を出すべきというもので、一応問題はない。安陸は魏の江夏郡で、この方面での魏の最前線である。
問題なのは、それ以前の「表」に見える「而して朱然等上流に在り、休が後に乘ず」という部分である。「深入」して、孫權の「精兵」と対峙している曹休の後背を危惧しているという点では、既に見た滿寵の上疏に通じる。だが、蔣濟はその後背に「乘」ずるものとして、「朱然」の名を挙げている。
では、この「在上流」という朱然は何処にいたのであろうか。これは先に述べた様に、江陵であり、朱然傳(吳書十一)には明記されていないが、これ以降の赤烏五年(242)・九年(246)にも、その北方の柤中を攻めており、赤烏十二年(249)に死去するまで、江陵に鎮し続けている。太和二年の時点に関しては、周魴の「書三」に「諸葛瑾・步騭・朱然到襄陽」とあり、襄陽に達しうる地点、乃ち荊州に在る事が記されている。
この文は「江邊諸將無復在者、才留三千所兵守武昌耳」と吳の防備が手薄な事を述べ、曹休の来寇を誘うものだが、同年秋に死去する呂範の動静がある事、「命諸葛亮進指關西」とある事、「東主中營自掩石陽」とある事などから、滿寵傳に見える「春、降人稱吳大嚴、揚聲欲詣江北獵、孫權欲自出。寵度其必襲西陽而爲之備、權聞之、退還。」という記事の時点を述べているかと思われる。
但し、滿寵傳のこの記事は「(太和)三年」とあり、別の問題があるが、これは後に見る。なお、孫權は前々年の黄初七年(226)にも石陽を攻めている。
ともあれ、太和二年の時点で朱然が「在」ったのは荊州南郡の江陵であったと見て間違いはない。そこは確かに曹休の「上流」ではある。だが、朱然が「休後」に乗じようとすれば、荊州の重要拠点である江陵を離れ、江水を遥かに下り、夏口・鄂を過ぎ、孫權の至っていた皖口方面、或いは更に下流の濡須口方面から曹休の後背に出るという事になり、甚だ不自然である。
実際に曹休を迎撃したのが、江陵の更に上流、西陵(夷陵)に在った陸遜であった事を思えば、不自然ではないとも言える。但し、蜀に備える意味もある西陵の守備は、吳・蜀の修好が成り、蜀が魏に敗れた直後であるこの時点では必要性がやや薄い。魏からの攻撃もあり得るとは言え、江陵の朱然の存在を前提として、陸遜が任地を離れる事は考えられなくもない。
しかし、その逆は可能性が低い。江陵は対魏の防衛が必要であり、実際、司馬懿の向かう先として見え、濡須など揚州方面の軍が行えばよい「乘休後」を、江陵の守將が行う必然性は少ない。
太和二年に朱然が兵を動かしたとするならば、「出兵安陸」に当たるものであろう。従って、この「表」には明らかに現状認識に齟齬がある。これが蔣濟独りに原因するならば、問題は少ないが、『三國志』に記録されている以上、それだけとは考え難い。
また、蔣濟は文帝期に尚書と為り、明帝即位後、關內侯の爵位を受け、この後に中護軍に遷ったとあるので、当時は洛陽にあった筈である。従って、蔣濟の認識は洛陽における認識、洛陽で受け入れられた認識と言える。
また、この齟齬は何らかの誤記、或いは『三國志』やその原史料、又は書写の段階での脱落などによって生じている可能性もある。例えば、単なる誤記であれば、朱然ではなく、同姓の朱桓と誤った可能性が考えられる。
朱桓は黄武元年(222)以前に周泰に代わって、濡須督となり、同年の戦役で曹仁と濡須をめぐる攻防を繰り広げている。その功によって、奮武將軍・領彭城相となるが、彭城郡(國)は魏領であるから、遙任であろう。
以後、傳に太和二年の時点までの明記は無いが、周魴の「書三」に「全琮・朱桓趨合肥」とあり、曹休の迎撃にも当たっている事から、引き続き合肥に程近い吳領、つまり、濡須に在ったと見るべきだろう。その朱桓が「休後」に乘じるというのは自然である。
なお、この朱桓には、その傳(吳書十一)に以下のような言がある。
休本以親戚見任、非智勇名將也。今戰必敗、敗必走、走當由夾石・挂車、此兩道皆險阨、若以萬兵柴路、則彼眾可盡、而休可生虜、臣請將所部以斷之。若蒙天威、得以休自效、便可乘勝長驅、進取壽春、割有淮南、以規許・洛、此萬世一時、不可失也。
「夾石・挂車……若し萬兵を以て路を柴がば、則ち彼の眾 盡くす可し」と云うが、この「夾石」は当然ながら、これまで見てきた夾石と同地である。
「挂車」については、集解に『元豐九域志』を引いて「舒州桐城縣北有掛車鎮、有掛車嶺、鎮因嶺而得名。」とあり、夾石からも近い。この地を「柴(塞)」ぐ事は滿寵・蔣濟等が危惧する事でもある。
だが、この計は「權先與陸遜議、遜以爲不可」の故に行われなかったと云う。「塞路(斷道)」そのものが行われなかったとすると、賈逵傳などの記述と矛盾するので、これは朱桓によって実施される事が無かった、或いは、その後の壽春への侵攻が行われなかったという事であろう。
この朱桓の発言を蔣濟が知っていたとは思えないが、曹休の「後」に乘じるのは朱桓が相応しい事を示している。但し、朱桓が濡須督であれば、曹休が如何なる位置にいたとしても「在上流」とは言い難い。
脱落などに関しては適当な解を得ないが、朱然が後背を扼すとすれば、それは曹休のではなく、司馬懿のであろう。
だが、書写の誤りによるものでなかったならば、この齟齬は朱然の位置、或いは曹休の位置について、蔣濟が誤認していた可能性がある。朱然については上記の朱桓との混同などが考えられる。曹休についての誤認は考え難いが、西、荊州方面から皖へ向かっていると考えれば、朱然が「後」に乘じるという発想が出てくるだろうか。
ここでやや、気になるのは、王昶傳・潘璋傳に見える「夾石」である。この「夾石」は荊州の地名であるが、それを廬江の夾石と混同していれば、或いは誤認が生じるかもしれない。但し、蔣濟は「楚國平阿人」とあり、壽春の北ではあるが、九江郡(楚國)の出身であり、隣郡の地名を取り違えるとは考え難い。
ともあれ、こうした誤認が蔣濟、延いては洛陽の朝廷にあったとすれば、問題は甚だ大きいが、可能性は低いかと思われる。しかし、こうした誤認がない、つまり、その可能性はさて措き、朱然が江陵にあり、曹休の後背を扼す危険があったとしても、問題は残る。
と言うのも、この危険に対して、蔣濟は「宜急詔諸軍往救之」と、救兵を発する事を述べている。無論、それはそれで必要であり、同傳の記述は、その救兵が至った事で、曹休の軍は壊滅しなかったという流れである。
だが、江陵は司馬懿の当初の攻撃目標であり、戦略の変更によっても、司馬懿は夏口を攻める筈である。司馬懿が江陵を攻めていれば、当然ながら、守將の朱然が東に向かう事はできない。江陵でなく、夏口であっても同様で、「後に乘」ぜられるのは朱然となる。
これは救兵の要が無い事は意味しないが、司馬懿の進軍によって、朱然の行動を掣肘できると言える。にも拘らず、蔣濟は何も述べていない。或いは、蔣濟の「表」は、「深入虜地」と言っている点から、司馬懿への「駐軍」指令が出てからのもので、司馬懿の「駐軍」によって、朱然への掣肘が無くなる事を言っているのかも知れない。
とは言え、司馬懿には、なお夏口攻撃の予定があった筈であるのに、それによって、吳軍を牽制する事が全く顧慮されていない。逆に言えば、司馬懿の進軍が無い事を前提にしている様にも見える。
また、朱然が既に「東」へ向かっているのならば、当然、江陵の守備は手薄になっており、奪取する好機である筈だが、その点についても全く言及されていない。
このように、蔣濟の認識には曹休・司馬懿の実態、或いは、予想される吳の対応との齟齬が見られる。そして、その蔣濟の認識が受け入れられたという事は、洛陽の朝廷と曹休・司馬懿等前線との間に齟齬があったという事でもある。
以上のように、司馬懿・賈逵の行動は、明らかに曹休との連動を欠いており、朝廷の認識も一致していない。これは、相互の連絡、或いは意思の疎通に何らかの齟齬があった事が想像される。曹休の敗退そのものは、彼自身の責任に帰せられるであろうが、それ以前の戦略の段階で、既に破綻していたと言えるのではないか。
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