「伐吳」の計②

 曹休との合流を命じられた賈逵の経路は如何なるものであっただろうか。当初は、「潦口」から西陽を経由して、「東關」に向かっていた筈で、概ね、宋代の光州から黃州に至る「南至本州界一百八十里、自界首至黃州三百六十里」という経路を辿っていたと思われる。


 晉代の弋陽郡は大別山脈の支脈が中央部を東西に横断しており、概ねその北が魏の弋陽郡、南が吳の蘄春郡に当たる。この一帯、旧江夏郡に於ける太和初の情勢は不分明である。

 魏の江夏郡は、荊州の故將である文聘が太守として、曹操以来「在江夏數十年、有威恩、名震敵國、賊不敢侵」であったが、太和元年(227)正月条に「分江夏南部、置江夏南部都尉。」とあり、これは文聘の死を受けた措置と考えられる。江水縁辺の吳領については、賈逵傳にある如く、「東關」の孫權が統轄していたと見られる。


 賈逵は西陽を経由して南下し、「五將山」にて曹休の上表を受けた詔により、「東」へ向かった筈である。

 「五將山」の所在は不明であるが、賈逵が「東關」(鄂)へ向かっていたのなら、西陽と鄂を結ぶ線、大別山脈の西、弋陽・蘄春の界周辺に、東關(巢湖)方面に向かっていたのなら、西陽・合肥間の大別山脈の北にある筈である。『續後漢書』に従えば、前者となる。

 後者であった場合、「東」するという指令が冗長となるが、そのまま東に向かい、合肥から南に向い皖を目指すという経路になる。或いは位置によっては、大別山脈を越えて、直接に皖へ向うという経路も考えられる。

 『元豐九域志』の舒州(皖)には「西北至本州界一百二十里、自界首至壽州五百一十里」とも見え、これは「北至本州界一百二十里、自界首至廬州一百七十里」という廬州(合肥)を経由せずに、直接壽州(壽春)方面に向かう経路があった事を示す。これは「州南二百一十里」と云う六安を経由するものと考えられる。但し、この経路では賈逵が最終的に達している合肥・皖間の夾石を通らない筈である。

 因みに、光州(西陽)から壽州は、壽州に「西南至本州界三百四十七里、自界首至光州二百二十里」、光州に「東至本州界二百一十里、自界首至壽州二百四十里」、「東南至本州界二百五十里、自界首至壽州二百一十里」とあり、方角、里程が一致しないが、光州の「東南」は概ね六安に当たるので、そこを経由した経路と考えられる。従って、西陽から六安経由で皖までは、光州界から六安の距離が不分明だが670(宋)里強となる。

 大別山脈の北は基本的に魏領であり、夾石又は皖周辺に至るまでは比較的安全な経路と言える。ただ、この経路は、合肥から皖へ向かう曹休の後を追う態になり、曹休が上表時にどの地点に居たかにもよるが、彼が停止しない限り、賈逵が追いつく事は困難であろう。

 実際に、曹休は皖に至るまで軍を止めたという記述は見えず、賈逵も追いついていない。その意味では、実際の経路がこの通りであった可能性はあるが、指令としては不備がある。


 一方、前者の場合、考え得る賈逵の経路は大きく二つある。一つは、一旦後退して、上記の経路を辿るというもの。ただ、この場合、当然ながら上記以上に長距離を移動する事になり、合流は更に困難になる。また、その経路が「東」すると言えるのか、疑問が残る。

 いま一つの可能性として、「五將山」から「東」、東南方面へ前進して、大別山脈の南側を皖へ向かうという経路が考えられる。この場合、皖へ「合進」すると言うより、皖で「合」して「進」むという事になるが、明らかに「東」しており、曹休が軍を止めなくとも合流が可能である。

 但し、この経路では吳領である蘄春郡を横断しており、側背に攻撃を受ける可能性がある。その点では、この経路をとるとは考え難い。また、最終的に賈逵が夾石に現れている事を考えると、この経路や、山越えで皖に向かう経路は、皖周辺で吳軍と戦う曹休を無視、或いは、敗走する曹休を追い抜いて夾石に向かった事になり、不自然である。


 以上のように、何れの経路をとっても不可解な点が生じる。改めて賈逵傳の記述を見ると、以下の如くある。


 乃部署諸將、、得生賊、言休戰敗、權遣兵斷夾石。諸將不知所出、或欲待後軍。逵曰:「休兵敗於外、路絕於內、進不能戰、退不得還、安危之機、不及終日。賊以軍無後繼、故至此;今疾進、出其不意、此所謂先人以奪其心也、賊見吾兵必走。若待後軍、賊已斷險、兵雖多何益!」乃、多設旗鼓爲疑兵、賊見逵軍、遂退。


 賈逵は夾石に至る以前に、全行程ではないが、凡そ二百里に亘って、「水陸並進」したと云う。ところが、大別山脈の水系は概ね北側では南から北へ、南側では北から南へ流れており、淮水或いは江水まで行かなければ、「東」へ並進できるような河川はない。

 当然ながら、淮水・江水まで出れば、賈逵はより長距離を移動する事になる。但し、南側は湖沼も多く、水上を行く事も可能かもしれない。北側でも渠水の類があれば、東行は可能である。また、東西の流れとしては、夾石の北方から巣湖に流れる龍舒水もあるが、「東」すれば巣湖に出てしまう。なお、先の六安から皖に出る経路ならば、皖に流れる皖水などの水系を辿る事になるが、「水陸並進」できるかは疑問も残る。

 この様に、「水陸並進」したという賈逵傳の記述は地形的に疑念が残る。


 因みに、二百里というのは、『元豐九域志』で廬州に「南至本州界二百三十里、自界首至舒州一百九十里」、舒州に「北至本州界一百二十里、自界首至廬州一百七十里」とあり、廬州の「南」二百三十里は州南部の舒城が「州西南一百一十里」である事を鑑みれば「一百三十里」の誤りではないかと思われるが、廬州(合肥)・舒州(皖)からそれぞれの州界までの距離に近い。

 そして、夾石は賈逵傳集解に「桐城縣北四十七里」とある様に舒州の「州東北一百二十里」の桐城の北、廬州との州界一帯であり、舒城の南に当たる。


 賈逵は「二百里」行軍した後に曹休の敗北を知り、「兼道進軍」した夾石に於いて、皖から敗走した曹休の軍と会合している。「兼道」は「倍道兼行」、「道を倍して兼行」する、通常の倍速で進軍する事だが、通常、何日も続けられるものではない。

 曹休等が敗走する速度も、形振り構わぬという点では同様と考えられる。従って、曹休の敗北は、賈逵がそれを知った時点から、然程前では無い筈であり、賈逵が「二百里」の行軍を終える以前、なお二百里程の行程を残している時点で、曹休は皖近郊に到達していた事になる。


 西陽・合肥間は『元豐九域志』の光州「東南至本州界二百五十里、自界首至壽州二百一十里」、廬州「西至本州界一百五十里、自界首至壽州二百里」がそれぞれ、壽州南部の六安を経由した経路と考えられる事からすれば、それぞれの「州界」までの400(宋)里に、「州界」から六安までの距離を加えた里程になる筈である。ただ、それぞれの「州界」から壽州への里程が「州南二百一十里」と云う六安と同じ二百里程度というのは、或いは、この場合の「州界」は六安を指すとも考えられる。

 そして、合肥・夾石間が桐城まででも170~200(宋)里あるので、西陽・夾石間は合肥経由で600(宋)里、合肥を経由しないで直接、舒城方面に向かえば、 400(宋)里強で済むと思われるが、それでも550里程は移動する必要がある。


 ところが、曹休は壽春から合肥を経由して皖へ向かい、吳軍に敗れて夾石まで後退したのだから、壽春・皖間の475(宋)里に、皖から「州東北一百二十里」の舒州までを加えた595(宋)里、夾石までなら600(宋)里程を移動した筈である。これは上の西陽・夾石間の距離とほぼ等しい。

 つまり、両者の移動距離だけで言えば、賈逵が「水陸並進」する「二百里」の起点にいた時点で既に、曹休は皖近郊に至っていた事になり、両軍が合流する事は不可能であったと言える。


 これには両者の進軍の起点や、そもそも同時期に進発していたのか、或いは、曹休の上表から朝廷が対応するまでの期間、その間に曹休が一時停止していた可能性、皖での滞陣期間、皖周辺での戦闘時間などの要因が絡んでくる。

 また、曹休が合流の期限を待たずに前進したという可能性もある。ただ、合流を受けるべき曹休は兎も角、賈逵に「東與休合進」せよという詔を出した朝廷は、賈逵が曹休に合流できる位置にいると認識していた筈である。そうでなければ、命令の意味がない。

 ところが、実際に、賈逵は夾石に至るまで合流を果たしておらず、彼が詔を受けた「五將山」の位置、そして、それを受けた時点については、使者や軍の移動速度、地形条件や、上記の要因など、不確定要素が多く、確定する事は出来ないが、その経路共々、朝廷や曹休の認識との間に齟齬があったと考えられる。


 賈逵傳に引く『魏略』には「休怨逵進遲」とあり、同じく『魏書』には「以後期罪逵」とし、少なくとも曹休は賈逵が合流してしかるべきを遅れたと認識している。

 朱桓傳(吳書十一)に「休知見欺、當引軍還、自負眾盛、邀於一戰。」、陸遜傳(同十三)には「休既覺知、恥見欺誘、自恃兵馬精多、遂交戰。」とあり、曹休が「欺誘せるを恥」としながらも、「兵馬の精多なるを恃み」或いは「眾 盛なるを自負」して、止まり戦ったように記すが、これは、遠からず賈逵等が合流すると見做していた故とも考えられる。

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