「東關」考④

 『三國志』の記述からは「東關」を特定する手掛かりは得られない。そこで、着目したいのが先に留保した『晉書』宣帝紀の記述である。同書には明帝に「二虜宜討、何者爲先」と問われた司馬懿が応えた言葉がある。


 吳以中國不習水戰、故敢散居東關。凡攻敵、必扼其喉而摏其心。夏口・東關、賊之心喉。若爲陸軍以向皖城、引權東下、爲水戰軍向夏口、乘其虛而擊之、此神兵從天而墮、破之必矣。


 「故敢散居東關」の意味が判じ難いが、これは明らかに吳を討つ計略を述べたものである。


 ここでは、「夏口・東關」が吳の「心喉」とされている。「心喉」とは心臓と喉であり、合わせて要衝である事を示す語となっているが、敢えてそれぞれに解釋すれば、「心」は生命の存廃を決する、本拠とも言える場所、「喉」はその入り口に当たり、死命を制する事ができる場所となるだろうか。

 「居東關」や賈逵傳の「在東關」からすれば、孫權の居る「東關」が「心」であり、夏口が「喉」であるという事になる。但し、語順に従えば、逆に夏口が「心」で、「東關」が「喉」という事になる。

 また、「扼其喉而摏其心」と「爲陸軍以向皖城、引權東下、爲水戰軍向夏口、乘其虛而擊之」を対応させれば、「陸軍をして以て皖城に向う」が「其の喉を扼す」に当たり、「水戰軍をして夏口に向う」が「其の心を摏く」で、夏口が「心」、「東關」が「喉」で、それを扼す位置にあるのが「皖城」となる。或いは「東關」は夏口に達する「關」所に当たる位置に在り、その意味で「喉」と言えるのかもしれない。

 その点で言えば、李嚴傳の「委君於東關」というのは、諸葛亮が李嚴の子豐に対して述べた「教」中にあるが、この「東關」を委ねたというのは、同傳に「亮表嚴子豐爲江州都督督軍、典嚴後事。」とある事を指す。

 蜀の江州は、東の吳に対する防衛の拠点であり、東からの關門に当たる。「東關」とは鄂が、それと同様の役割を持つ地域なる故の呼称とも考えられる。鄂を含む江夏郡一帯は荊州と揚州の界であり、嘗て荊州刺史劉表の下で黃祖が担った役割が思い起こされる。

 何れにせよ、夏口・東關のどちらが心・喉であれ、両所が密接に関連、不可分な場所であると認識されている事が看取でき、その意味で「心喉」として、同一視されているとも言える。


 さて、この「東關」が鄂(武昌)であった場合、『晉書』地理志に「沙羨 有夏口、對沔口、有津。」とされる「夏口」とは、ともに江水の屈曲部の内側にあたり、互いを背にするような一体的な位置関係にある。後世、鄂(武昌)と沙羨(武昌)はしばしば地名が入れ替わっており、一体の土地と見做されていたとも言える。

 この鄂(武昌)と夏口は一方が扼されれば、もう一方の死命を制する事になる位置関係にある。また、司馬懿は「陸軍をして以て皖城に向う」場合に、孫權が「東下」するとしており、鄂(武昌)からであれば、皖は東で、「陸軍」に対応する為に「東下」するというのは符合する。

 一方で、「東關」が東關であった場合、皖に進攻する敵に対応する為に、「東關」から「東下」するというのは理に合わない。「東關」へ「東下」するというのならばあり得なくはないが、皖城に向かう敵の背後に回り込むという形になり、対応としてはやや迂遠になる。

 実際に「陸軍」が皖城に向うという事態、乃ち曹休が皖へ向かった際に、孫權が向かったのは、「皖口」、すなわち皖近郊を流れる皖水が江水と合流する地点であり、鄂(武昌)の東だが、東關からは西(南西)である。

 孫權が東關へ向かう事で、夏口が「虛」となるというのはあり得る事だが、東關が扼された事によって、夏口が「摏」かれるという因果関係は薄いと思われる。東關と夏口では一体的な地勢とは言えず、両所への攻撃に意味があるとすれば、孫權が「引」、つまり、誘き出され、夏口の守備が薄くなるという意味で、「心喉」という重要性とは無関係であろう。


 更に言えば、東關が要衝であるとしても、その位置は吳の命運を制すると言える程のものであろうか、という疑問も生じる。

 東關のある巢湖の東南は、江水と巢湖西北の合肥を結ぶ位置にあり、巢湖と江水を繋ぐ濡須水の河口(濡須・濡須口)などもあり、地域としては要衝である。しかし、東關自体の重要性となると疑念がある。

 ここで思い起こされるのは、「東關」の記述の少なさである。先に指摘したように、「東關」に関する記述自体は多いが、「東關之役」についてのものを除けば、僅かに賈逵傳と孫晧傳にあるのみである。これは、少なくともこの時点での、要地としての「東關」の存在を疑わせるものだと言えよう。


 吳は要地に「督」を置いて鎮撫させているが、吳志に見えるその地名は、以下の如く(督某及び某督)。詳細な検討は措くが、「東關」は見えない。


 濡須(周泰・朱桓・蔣欽・張承・張休・駱統・鍾離牧) 夏口(程普・孫壹・孫慎・孫秀・魯淑) 西陵(步騭・步闡・陸抗・陸胤) 武昌(諸葛恪[左部]・呂岱[右部]・陸凱[右部]・孫述・范慎[左部]・薛瑩[左部]・魯淑・徐平[左部]) 樂鄉(施[朱]績・陸抗・孫歆) 「京下」(孫越・孫楷・顧承) 牛渚(孫桓・全緒・何植) 徐陵(陶濬) 江陵(張咸・伍延) 蕪湖(徐琨?) 沔中(孫奐?) 公安(諸葛融・孫遵・鍾離牧) 夏口沔中(孫鄰) 中夏(陸景) 柴桑(陸抗・陸式) 蒲圻(呂岱) 巴丘(陸凱) 虎林(陸胤・朱熊)


 また、諸将が「屯」した地名を見ても、以下の如くで、一時的なものを含めても見えない。


 陸口(魯肅・呂蒙・呂岱) 巴丘(魯肅) 夷陵(陸遜) 江夏・沔口(陸遜・諸葛瑾等) 廬江(諸葛恪) 溧陽(孫瑜) 牛渚(孫瑜・全琮) 歷陽(孫輔) 京城(孫韶) 薄落(孫桓) 章阬(顧承・陳表) 漚口(步騭・呂岱) 半州(孫慮・甘寧・潘璋) 江陵(周瑜) 公安(周胤) 宣城(蔣欽) 岑(周泰) 當口(甘寧) 黎漿(丁奉・朱異) 故鄣(朱治) 柴桑(呂範・諸葛恪) 烏程(孫暠) 湖孰(朱據) 利浦(陸遜) 蕪湖(陸遜) 漢興(賀齊) 赤沙(郭純) 夏口(潘濬) 安豐城(朱異) 鑊里(孫綝) 武昌(孟宗)


 そもそも、東關とは如何なる場所なのか。

 東關の戦いの経緯については諸葛恪傳などに詳しいが、同傳をはじめ、吳書では同戦役に関する記述に「東關」は見えず、全て「東興」と記されている。例外は諸葛恪傳の聶友の書に見える「大行皇帝本有遏東關之計、計未施行。」という語、および全琮傳に引かれた『吳書』に見える「東關之役」のみである。

 また、逆に魏書では、少帝(齊王芳)紀に引かれた『漢晉春秋』以外に「東興」は見えない。従って、魏書で「東關」とされた同戦役の舞台は、吳書では「東興」であったという事になる。


 では、この「東興」が如何なる地であるかだが、『三國志』以前の史書には見えず、吳書孫亮傳の建興元年(252)「冬十月、太傅恪率軍遏巢湖、城東興、使將軍全端守西城、都尉留略守東城。」という記事が初出となる。

 この事は、諸葛恪傳にも、「恪以建興元年十月會眾於東興、更作大隄、左右結山俠築兩城、各留千人、使全端・留略守之、引軍而還。」として見える。この両城をめぐって攻防が行われたのであるから、東關の戦いにおける「東關」は、この東興隄の二城、「東」に拘れば「東城」と見做すのが妥当であろう。

 となると、この東關は建興元年に「城」くとあるのだから、当然ながら、賈逵傳の記述にある太和二年(228)以前には「城」かれていない事になる。東興隄であれば、諸葛恪傳に「初、權黄龍元年遷都建業、二年築東興隄遏湖水。」とあり、先の『漢晉春秋』の記事も同様の事を記しているように、黄龍二年(230)に築かれているが、これも太和二年以降の事である。

 従って、賈逵傳の「東關」と、東關之役における東關は全く同一とは言い難いという事になる。


 但し、「東興」附近に何らかの軍事施設があったであろう事までは否定できない。朱然傳(吳書第十一)に「曹公出濡須、然備大塢及三關屯、拜偏將軍。」という記述がある。

 このうち、「大塢」は吳主傳に「聞曹公將來侵、作濡須塢。」として見える「濡須塢」の事であろう。それと併記される「三關屯」は当然、濡須周辺であった筈で、「三關」という名称からは、三つの「關」が存在し、うち一つが「東關」であったという可能性は否定できない。

 ただ、いずれにしても「東關」が記録された頻度は低く、例えば濡須などと比べると、明らかに軍事的重要性は低いと見做さざるを得ない。従って、賈逵傳及び『晉書』宣帝紀に見える「東關」は、「東關之役」の東關とは異なり、夏口・鄂(武昌)方面に存在したと見るべきである。


 以上のように、賈逵等中路軍が向かった「東關」は、巢湖方面に在る東關ではなく、鄂(武昌)、或いは広く夏口も含んだ江水屈曲部、つまり吳の武昌郡であったと見るべきであろう。

 言い添えれば、曹休傳で曹休が向かったという尋陽は、江水を挟むがこの武昌郡の東南に接し、司馬懿が下っていく漢水は夏口の対岸で江水に合流する。従って、魏軍の戦略は最終的に諸軍が武昌郡方面に集結する事になっていたと思われる。

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