第8回 北海道暗黒史

 8月末に北海道に久しぶりに帰った、というか行った(すでに実家がないため)ので。


 北海道の「暗黒」の部分を紹介します。


 今や、日本全国どころか、世界から観光客が来る、「観光の土地」として有名な北海道。


 しかし、開拓初期の明治時代はかなり悲惨でした。


 それには、もちろん「暖房器具の不足」から来る「慣れない寒さ」という問題もありましたが、それ以上にひどかったのが「人権無視」。


 有名なのは、北洋漁業を描いた、小林多喜二の『蟹工船かにこうせん』(1929年)ですが、あれと同じようなことが、道内各地でも行われてました。


 通称「タコ部屋労働」と呼ばれるもので、元々は明治初期に労働力不足から、北海道で囚人を労働に使ったことに由来してます。


 労働者を「タコ」と呼んで、狭くて汚い宿舎に集団で住まわせ、違法な労働をさせ、それによって囚人が死ぬまで働いて作られたという道路が道内にはいくつか存在します。


 さすがに批判され、これはヤバいと1894年(明治27年)に囚人労働は廃止されたのですが。


 その後は、本州方面から連れて来た労働者を、山間部や奥地の「土工部屋」と呼ばれる部屋に収容し、道路開削・鉄道建設・河川改修など、さまざまな土木事業に半強制的に駆り立てるいわゆる「土工部屋のタコ労働」が行われています。


 具体的に、「タコ部屋労働」がどういった物かと言うと。


 管理人である親方を最高責任者とし、その下に世話役、帳場ちょうば棒頭ぼうがしら取締人とりしまりにんという労務管理機構組織が発達していたそうです。


 工事現場の移転が便利なように荒削りの松丸太を使用した簡易的な造りの木造平屋で労働者は起居しましたが、「逃走防止」のため、外側から施錠されたそうです。


 労働条件もひどく、冬期間は厳寒な気候によって工事ができない北海道は3〜6か月の契約である場合がほとんどであり、早朝から夜遅くまで体罰を伴う重労働を強いる工事現場が主体だったそうです。


 給与は日給制でしたが、斡旋業者に半ば人身売買のように売られて低賃金で酷使される労働者は、飲食代を徴収され、身の回りの物もすべてタコ部屋で調達せざるを得なかったために、その低賃金すら残らなかったと言われています。


 また脱走者は見せしめとして、裸で縛り上げて棒で殴られたり、縛り上げたまま戸外に放置して、蚊やアブに襲わせるなどの凄惨な拷問を受けたり、食事も粗末なため、病気で亡くなる者も多かったそうですが、死亡した場合すら、遺体は遺棄されたそうです。


 もはや現代のブラック企業も真っ青な超ブラックな職場ですが、労働場所自体が、人跡未踏の北海道の僻地だったため、たとえ逃亡に成功しても途中で力尽きて亡くなる労働者が多かったとか。


 このように、非人道的かつ無法地帯のような様相を呈していた、タコ部屋労働に対し、大正末期から昭和初期にかけて、土工部屋からの解放運動や労働条件改善を求める運動が起こります。


 1932年に北海道庁と土木業者が半官半民の北海道土工殖民協会を設立し、土工夫の現場紹介に乗り出したんですが、結局は政治家の圧力によって労働実態はほとんど改善されることはなかったそうです。


 これがようやく改善されたのは、戦後。


 ただ、それでも北海道では、借金が返済できなくなった人などを軟禁し、半ば強制的に危険な労働に当たらせる行為は戦後も頻繁に行われていたそうです。高度経済成長期以降、ようやく下火になります。


 常に明るくて、観光客を楽しませるイメージの強い北海道。


 実は、上記のように、物凄く暗くて、凄惨な過去の歴史があるのです。

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